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長崎の旅2017【池島炭鉱跡その一】

2017-04-22 | 長崎の旅2017

外海の教会を巡った後は、池島へ渡り、炭鉱跡をまわることに。

神浦からフェリーに乗って池島へ。

 

 

第二の軍艦島と呼ばれる池島は九州で最後まで残った炭鉱の島で、昭和27年から平成13年まで操業を続けてきたそう。

島の人口は最大時の昭和45年で7776人を数え、出炭量は153トンに達していたという。

閉山はしたけれども、現在もまだ200人ほどの人々が島に住まわれているのだとか。

 

 

炭坑内のツアーもあったのだけど、今回は外海も回ったので時間もなく

島内も自由に歩き回りたかったので、ツアーはパスすることに。

まずはバスで終点までやってきた。

ここにはもう今は人は住んでいない8階建ての高層社宅が残されている。

 

 

8階建て社宅は昭和45年のピーク時には池島の人口は8000人近くまで増えたため、

狭い敷地の中で多くの従業員の住まいを確保するのに建てられたという池島ならではの炭鉱関連遺産。

 

 

8階建の社宅だけれどエレベーターはなく、代わりに地形の高低差を利用して

4階部分と5階部分に廊下と連絡橋を設置することで、

8階の住人は1階から8階まで上がらなくてもいいつくりになっているのだとか。

 

こんな蔦に絡まれた廃墟アパートも

 

 

こちらは池島小中学校。現在は生徒は2人。

ピーク時の昭和45年には小学校だけで1287人のマンモス校だったそう。

このグランドの広さもうなずける。

 

 

しばらく歩くと団地群も見えてきた。

 

 

この辺りの建物にももう住んでる人はいないようだ。

島内に巡らされてるパイプ、これは発電所の蒸気を主に浴場へ、

真水を施設や各家庭へと供給するための配管なのだとか。

 

 

 

 

今も営業している銭湯もあった。

銭湯マニアなぷにょさんは入りたそうにしてたが・・

 

 

見晴らしのいい高台から港の方へ下りる道には

 

 

飲み屋さんが軒を連ねる通りがある。

 

 

元はスナックらしき建物や元旅館なども・・

 

 

蔦が絡まるドア

 

 

 

 

 

ボロボロの廃墟が立ち並ぶ

 

 

 

旅館跡

 

 

下まで降りてくると、又ぽつぽつと建物が並ぶ通りがあったが

 

 

最近までやっていたような理容院には休業との張り紙が

 

 

喫茶店?白樺

 

 

ここは元パチンコ屋さんかなあ?

パチンコ台が積み重なって放置されてた。

 

 

 

シャッターも錆びつき、朽ち果ててこの通り。

じわじわと風化の一途を辿る町並みが見れた。

その二へ続く・・

 

 

  

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