中国足心道 足揉みぱくちゃん 「今日も元気だ!ご飯がうまい!」

「足揉みぱくちゃん」の療術師 市村良子の日々の出来事、暮らしを綴った日記です。

どこが違ったのかな?

2019-01-31 23:24:05 | Weblog
いっちゃんより、6歳年上のちいちゃん94歳。

時々、ブログに登場してもらってますが、こちらは7月4日に脳梗塞で倒れて入院。
回復期リハビリ病院に移って、もうすぐ自宅へ、というときにベッドから落ちて、大腿骨骨折、手術。
と、いっちゃんと同じような経過でした。
認知症があったのもいっちゃんと同じ。

7月11日から施術。勿論、ベッドの上で。7月は5回の足揉み。
8月3日、回復期リハビリ病院へ転院。
8月16日、ベッドから落ちて骨折。
23日大きい病院へ移って手術。8月は6回の足揉み。
6回と言っても、術後の足揉みは、足裏、甲のみ。他は触れない。ので、普段より短時間の施術。

9月、いつでも来れる時に来てくださいと言われ、10回の施術。
術後のリハビリは痛いし、情緒不安定が続いて、食欲なし。
娘さんが、拝むようにして、食べさせる。
元々、体格の良い方だったので、少々食べられなくても、まだ50キロの体重をキープ。

足揉みは、最初から、主に認知症の反射区を重点的にやっていました。
脳梗塞の反射区も同じような所です。

10月、再び回復期リハビリ病院へ転院。
最近のリハビリは、土日も休みなくやって、ある程度は回復させる。お見事!
でも、相変わらず、食事の量は少ない。
病院が神戸になったので、電車で週に1度の施術がやっとで4回。
この頃から、認知症とは思えないほどの気の使いようをされるようになった。

11月も4回。
カルテに毎週、落ち着いている、非常に落ち着いている、と書いている。
7月8月は、ご自分の体が大変で、人にまで気を使えなかったのか、それとも足を揉むことで気が安定してきたのか、どっちだろう。
相変わらず、認知症の反射区は、一番の重点反射区としていました。

12月、カルテの記述は、落ち着いているにプラス、体調良好。
ただ、脳梗塞の右半身麻痺の改善には至らず。
下旬に、神戸の病院から車で行けるご自宅に退院されたので、5回の施術。

1月、毎週、ご自宅で施術。4回。
飼い猫ちゃんもいるし、やっぱり家は良いね~。
車椅子生活になってしまわれたけど、自力で少しの時間たっておられるようになったので、寝たきりではない。
中旬、娘さんが「ご飯が普通に食べられるようになったんです。食べてくれるから嬉しい!」と。
下旬、デイサービスに週3回、通われるようになりました。

認知症からくる問題行動もありません。
娘さんと入院前から通ってくださってたヘルパーさん達に支えられながら、車椅子生活を続けておられます。

このまま毎週揉みを続けながら、94歳のちいちゃんは果たして、どこまで頑張るか!
頭も内臓もお元気だから、今のところ、「死」の陰は全くありません。

大腿骨骨折から食べられなくなって1ヶ月で旅立たれたいっちゃんと、同じ骨折で今はお元気なちいちゃん。
どこが違ったのかな?
7月、娘さんがおっしゃった言葉。
「私達夫婦は、子供もおりません。私は、一人っ子です。
母は、たった一人残った肉親なんです。
何としてでも、生きていて欲しい。どうしても、死んでほしくないんです!」と叫ばれた。

病院で、何も要らないというちいちゃんに、「食べなきゃダメ!」と無理やり食べさせていた娘さん。
そばで見ていて、正直もう勘弁してあげてって思いました。
もう、体が無理って言うてるって、言いたかった。
でも、諦めなかった彼女。
どんなに病院が遠くなっても、ご飯を運んでやってきた(病院食が嫌いだったそうで)。
ヘルパーさんと、お母さんより彼女が心配やね、と話したりしていました。

それが、今では、自宅でお元気に二人で、楽しくお話しできるまでに回復された。
29日、時間が取れなくて、夜に足揉みにお邪魔すると、二人で夕食も食べないて待っておられました。

先にちいちゃんを揉んで、次に娘さんを揉んでいると
「お母さん、お腹すいた?ごめんね、後で、ご飯食べようね。」
「大丈夫、大丈夫。座って待っとくよ。」と、ちいちゃん。
本当に嬉しそうにお話しされている。

7月から10月までは、こんな日がくるなんて考えられなかった。
脳梗塞が回復しても、もしかしたら寝たきりで施設へ入るしかないのでは、と思ってた。

足揉みの回数も多かったけど、現役の時、朝2時から起きて、エビ天を400枚揚げて、病院や学校へ納品し、6時になったら、ご主人とやってた乾物屋を開けるというような生活を続けておられたちいちゃん(12月に足揉みしながらお聞きした話)。

「お母さん、筋がね入りやったんですね~」
「忙しかったわ~」

根性が違うんだね。
どうぞ、このままの生活が長く続きますようにね。






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「自然死」を待つ

2019-01-31 20:59:26 | Weblog
いっちゃん、88歳男性。
認知症と糖尿病と肝のう胞がありました。

去年の2月から月に一度の施術を4ヶ月。
その後、同居の娘さん(50代)が肝臓がんで逝去されたため、足揉みは中断していました。

もうひとりの娘さんから、久しぶりに足揉みの依頼があったのが、12月30日。
12月中旬、朝トイレの前で転倒して、大腿骨骨折で手術しました、と。

右足にボルトをいれる手術後、リハビリが始まっているが食欲もなく元気がない。
30日、入院中の病院で施術。
ほとんど眠っておられたが、施術後バナナを少し食べられた。

それから1月27日に逝去されるまで、足を揉みながら自然死に至るまでの1ヶ月は次のようなものでした。

1月4日、再び病院へ。
「足揉みに来ましたよ~」と言うと、「サンキュー」とお返事が帰って来ました。
夕方、病院へ行った娘さんに「足揉みさんが来たよ」とおっしゃったそうで、認知がありながらも覚えていてくださったんだ。

1月12日、施術中、ほとんど眠っておられた。
足の甲の浮腫と足の冷え。
施術後ましになりました。

1月19日、相変わらず眠っておられる。
咳が酷い。痰の吸入器に結構溜まっているから、痰の吸引をされているのだな。
痰の吸引は苦しい処置です。実家の父も暴れていたっけ。。

15日に病院とご家族のカンファレンスがあって、経口摂取のみで自然な経過で診ていくということになったそう。
ネフローゼを起こしているので、脱水の補正を点滴でやっても効果がない。
最近の傾眠傾向もネフローゼ症候群の自然な経過として、見守って行こうということになりました。

1月20日、娘さんから「先生が誤嚥性肺炎を起こしているけど、抗菌剤の投与はどうしますか、と連絡があったのですが、どうしたらいいでしょう」とお電話がありました。

これは、これは。。。私にも、どうしたら良いか分かりませんとお返事する。
結局、抗菌剤を投与されたらしいのですが、効果があったのかどうか不明です。

21日、再びカンファレンスをされて、点滴をしても胸や腹に水分が溜まるだけだし、抗菌剤の投与も現在、痰が自分で出せない状況でずっとばい菌が肺に入ってしまっている状況と思われるから効果が出ないと思われる。
いよいよ、苦しくなったら、医療用麻薬で苦しみを和らげることもできます、ということでした。

この時点で余命数日と言うことでした。
以後、点滴も治療も一切なし。

1月22日。
昨日、足の浮腫が酷くなってます、と連絡があり病院へ。
数日前から、口から飲める分以外の水分が体に入っていないので、痰が止まっている。
ので、痰の吸引がなくなった。
足の浮腫はましになっているし、息遣いも穏やか。
酸素量97あるので、酸素マスクも無し。
緩やかに最後に向かっている感じ。足は温かい。

ただ、娘さんが「本当にこれで良いのでしょうか。親戚に医者がいるのですが、食べられなくなったら、せめて鼻腔栄養だけでもしないのか!と言われたんです」と。
私も、ど素人ですが「要らないと思います」と答えました。

点滴や鼻腔栄養で生かされる苦しさも聞いたことがあるので。

この辺から、娘さんと「自然死」ということを話はじめました。(勿論、病院もそのようにするつもり)
で、中村仁一さんの本を再び読んでみました。

「大往生したけりゃ医療とかかわるな 自然死のすすめ」の中に、「自然死」いわゆる「餓死」の実体が書いてあります。

「飢餓」・・・・・脳内にモルヒネ様物質が分泌される。
「脱水」・・・・・意識レベルが下がる。
「酸欠状態」・・・脳内にモルヒネ様物質が分泌される。
「炭酸ガス貯留」・麻酔作用あり。

死に際に何らの医療措置も行われなければ、夢うつつの気持ちの良い穏やかな状態になるということです。これが、自然のしくみです。自然はそんなに過酷ではないのです。私たちのご先祖は、みんなこうして無事に死んでいったのです。

7年前に母が末期ガンで自宅で亡くなった時、この本を読んで救われました。
亡くなる半月、痛み止めのモルヒネで口もきけなくなり、どんなにか無念な思いをしているだろうと思っていたのですが、本人は何の医療行為もなかったので脳内モルヒネが出て、夢うつつだったのか、と。

3年前に亡くなった父は病院にいたので、「せめて生理食塩水だけでも入れてあげないと辛いよ」と先生に言われ、最後まではっきりした意識の中で死んでいきました。
勿論、苦しい痰の吸引もありました。
自然死できず。

ちなみに、痰がでるのは、体内に余分な水分が入りすぎるからだそうで、いっちゃんは点滴を止めてから、母は入院中から死ぬまで、一度も痰の吸引をしませんでした。

1月24日。
相変わらず、眠ったまま。
施術前、左足くるぶしの腫れがあったが、揉んだら戻りました。

病院で口を開けたまま、意識のない状態で胃瘻などで生かされているご老人を見られたことがあるでしょうか。
口をぽっかりとあけて、意識があるのかないのか、眠っておられる。

足揉みをする前のいっちゃんも、そんな状態でした。
でも、施術後、口を閉じてスヤスヤ眠るようになられました。まるで、じいちゃん、お昼寝中?って感じ。

この日は、まだ手術した方の右足を動かすと、すこし顔が歪みました。痛かった?
22日までは、揉んだあと温かった足が、今日はなんとなく温まらない。もしや。。。?

そんなに経験がありませんが、施術後も温まらない時は、1,2日でお参りされる場合があります。
母も、数時間後に亡くなりました。

娘さんが来られるのを待ってる間、いっちゃんの右手をみると指が浮腫んでいる。
ついでに手も揉んでみようかと握ると、なんと握り返してこられた。
意識があるんだな。
握っては、握り返しを数回やってるうちに浮腫も取れたみたい。

その日は、看護疲れの娘さんの足揉みもやって帰りました。

1月27日の日曜日の午前中。
日曜なので、ご家族さんが全部で6人、病室に来られてました。
「昨日は、この子(爺ちゃんのひ孫、4歳)の誕生日だったので、ここでみんなで集まって誕生会をやりました。」
病室で賑やかに誕生パーティをされたそうな。

そう言えば、おうちで足揉みをしている時、じいちゃんの誕生パーティもご家族沢山でやっておられましたね。

この日、言葉は悪いけど「ほぼ、生きる屍状態」。
おしめ交換にも、口腔ケアにも全く無反応。
呼びかけにも、答えず。呼吸は、静か。
「酸素量が高いので、酸素の管要らないかな」と看護師さん。(鼻の入口に管が置いてありました)
足を揉んでも、冷たいのか温かいのか、よ~わからん。。。

この日で、食べなくなって10日程、飲めなくなって数日?(娘さんがスプーンで与えてた位)
「じゃ、またご連絡くださいね。」と失礼しました。

その夜、7時半頃。
お孫さんから、「今、亡くなりました。とても穏やかな最後でした」と、お電話いただきました。
そーだったのか、今日だったのか。
こう言う風になったら、旅立たれるのか。

まだ、経験値が少ない私としては、お医者様のように「あと数日です」というところがまだ、分かりません。
おぼろげに、何の医療行為もしなければ、食べられなくなって1週間、飲めなくなって1,2日位かな~と思っています。

ただ、「もはや自然死を待つ」のが良いのか、「まだ治療する価値がある」のかの見極めもできません。
欧米のように、両手が不自由な状態でなく、目の前に食事をだして、それに手を付けなかったら、自然死させるという定義も良いのか悪いのか。。。

今回のいっちゃんの場合、ご家族もかなり悩んで迷っておられましたが、「本人が苦しくないように」という一点で、こういう風にお見送りされました。
私も、そうしたいし(夫に)、そうして欲しい(私に)。

約1ヶ月の足揉みで、いっちゃんの助けになったことは、酸素量を落とさなかったから呼吸が自然にできたこと。
誤嚥性肺炎は、足が温かったので、自然治癒したように思います。

足を揉んでも命が消えたということは、これがいっちゃんの寿命だったのかな。

電話をくれたお孫ちゃんが、メールで
「今は、少し晴れやかな気持ちでいます」と。
本当に、お疲れ様でした、皆様。

いっちゃんは、誰からも好かれる、とても穏やかな方だったそうです。
「生きてきたように死んでいく。」
「死を考えることは、生き方を考えること」
生きることと死ぬことは、深く結びついているのですね。

足を揉んでいる皆様には、健やかに生きて、安らかに旅立っていただきたいです。
それができるように、日々精進ですね。


















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