中国足心道 足揉みぱくちゃん 「今日も元気だ!ご飯がうまい!」

「足揉みぱくちゃん」の療術師 市村良子の日々の出来事、暮らしを綴った日記です。

人が好き!

2016-04-03 02:47:18 | Weblog
石原慎太郎さんの「天才」という本がベストセラーになってるそうですね。
22年前に亡くなった、田中角栄元総理大臣のことを1人称で書いた本とか。

昨日、何気にテレビを付けたら、金スマで田中角栄さんのことを慎太郎さんをゲストに呼んで放送していました。

角栄さんが総理大臣になった頃、ぱくちゃんは18,9歳。
若かったせいもあり、全く革新を支持しておりました。
列島改造をしながら、角栄さんが業者から賄賂をもらい、まるで水戸黄門様に出てくる悪代官のように思っていたと思います。

「若気の至り」とはこのことか、と思いますが、当の石原さんもそんな角栄さんを真っ向から批判して、引きずり下ろしたから仕方ないか。。

角栄さんの「日本列島改造論」には、今の新幹線、空港、高速道路の建設計画がちゃんと書いてあるそうです。
土建屋から賄賂をもらって自分が儲けるために工事をしようとしたのではなく、日本のどの地方からでも中央へ行けるように、人と物の物流を早くできるようにと計画されたのだと。
それは、新潟の半年雪に閉ざされた地方に育った角栄さんだから、実行できる力があったのかな。

石原さんの話を聞いていると、同じ魂を持った二人が王子と乞食の境遇で生まれてきたのかと思いました。
もし、角栄さんが石原さんの身分で生まれてきていたら、もっともっと仕事ができたのだろうか、いや、逆境ゆえにあそこまでできたのだろうか。。

28歳で衆議院議員、39歳で郵政大臣、40代で大蔵大臣。
それぞれの立場で、他の人には真似できない仕事をし、議員の在任中、33件の議員立法を成立させた。

手腕だけでなく、人柄がずば抜けていたから。「究極の人たらし」だったから。
高等小学校卒というけど、若い頃の写真をみたら、帝大生と言っても通るような知的な顔やね。
その人たらしと頭脳で、官僚の中にも次々とファンを作って、見ていたのは、ただ日本国の未来。
今、生きていたら、この超高齢化社会にどんな政策を作っているのやら。。。

その角栄さんが人にお金を渡すとき、「決して、上から目線にならぬよう、もらっていただくという気持ちで持って行け」と秘書に言ったと。
自民党公認のお金が3000万円、プラス角栄さんのポケットマネーが2000万円。
これを「あげる」じゃなく、使ってくださいと深々と頭を下げてきなさいと。

「誰かを、その人の下から支える」
決して、上から引き上げるのではない。
溺れかけている人を上から引っ張りあげるより、その人の下に潜って持ち上げることの方が力仕事。
でも、助けてもらう方にしたら、お尻から持ち上げてもらう方が楽だろう。

私は、足揉みをするとき、いつもそれを考える。

どうしたら、支えられるだろうか、と。
下に潜るも良し、側で一緒に立ってるも良し、後ろから押すのも良し。
でも、上から見下ろすのだけはダメよ。

角栄さんと普通の議員さん。
そのままだと、明らかに角栄さんが上。
その目上の角栄さんが、下に潜って支えようとしたから、皆参ったんやね。

病院の先生や療術師。
自分の前に座る方は、殆どが自分より弱ってる方。

例えば、そのままの声の高さで喋るだけでも、きつく感じるかもしれない。
普通に話してるだけでも、せわしなく感じるかもしれない。
もう少し、聞いてみたいと思っても、つい遠慮してしまうかもしれない。

でも、下から「どうですか~」と聞いてもらえば、相手が上から下を見ながら「実は~」てなことになるかもしれない。
心が安心すれば、免疫が上がる。免疫が上がれば、勝手に改善する。

あらあら、いつの間にやら、足揉みの話になっている。。。
角栄さんは、人の心を掴むのが上手だった。
なぜなら、その人を好きになって、一生懸命知ろうとしたから。

何となく、角栄さんに共感するのは、そんな所が足揉みと共通するからかもしれないな。
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抱き留められて。。

2016-04-03 01:34:32 | Weblog
「ゲゲゲの女房」以来、ずーっと勝手に録画で見続けているNHKの朝の連ドラ。
今回は広岡あささんの生涯を描いた「あさが来た」。

良かったですよ~!
何が良かったって、一番は登場人物の死に方というか臨終の場面(何でやねん!)。

お話は、江戸から明治にかけての時代ですから、病院で臨終というのではなく、自宅。
弱ってきたら、畳にお布団敷いて、寝てる。
いよいよ、その時が来たら、家族のものを枕元に呼んで、一人一人にメッセージを伝える。
最後に、妻と二人きりにしてもらって、二人でお別れをする。

昨日、あさのご主人の新次郎さんのお別れ場面でした。
新次郎さんは、多分癌だったようですが、ずーっと自宅療養して家族と暮らしていました。
家で倒れて、そのまま布団に寝かされ、一人一人にお別れを言うわけですが、一人娘の千代ちゃんには、
「あんたが生まれてきてくれて、自分の人生がほんまに華やかやった~。おおきに」て。

子供に、「育ててやったんやから、親の恩を忘れんと返してや。」と取引する親もいてる中、新次郎さんは、子供に感謝している。
「決して、見返りを求めない愛」これが、日本人の愛の形だと思う。
昔、韓ドラを見ていて気分が悪なったのも、親が子供と取引してるからやったね。

あさと二人きりになった新次郎さんが、あさに
「ずっと、いつでも、わてが見ていること忘れたらアカンよ」てなことを言うてました。
これも、事実なんだと、年を取った今は思います。

父が、母が亡くなった時、
「お母さんも、あっちの方に沢山知り合いが行ってるから、寂しいないやろ」と言い、
認知の人は、鋭いこと言うんやな~と思ったことがあります。

80代の方が、死んだらどうなるんやろ、とかどうやって死ぬんやろとか言われますが、
今日の朝ドラでも、そうであったように、自分が死ぬときは必ず誰かがお迎えに来るようです。

父が亡くなる前日、病院で話している途中に、父が「誰か入って来た」と言いました。
よく夢で誰かに会った話をしていたので、その時も、また夢うつつか?と思いましたが
今思えば、誰かが父を迎えに来てくれたのだと思います。

あさの話に戻りまして。。。
昔やから、畳に布団を敷いて寝てるわけですが、これがやっぱり良いと思うのですが。
足を揉む時、いつもベッドは揉みにくいって思います。
布団やったら、おしめ交換も足揉みもやりやすいのにな~。
なんで、介護や看護はいつもベッドなんやろ~。
昨日も、あさが新次郎さんの背中から抱き留めてあげたから、あさの腕の中で臨終を迎えられたわけで、病院ではまず「背中から抱き留める」という行為が無理。

4人の親を見送って、いよいよ順番から言えば、次はぱくちゃん夫になるわけです(夫が絶対このブログを読まないので書いてます)。
これまでと違って、ぱくちゃんが第一責任者になるので、自分が思う通りのやり方を試してみたいと思っています(本当に、夫は読まないと信じて)。

病院も足揉みも大嫌いな夫をどう看取れるか、今、病院で不本意にも生かされ続けているお年寄りを、今後、どういう看取りをすれば減らせるのか。

ぱくちゃんの知り合いの中にも、鼻腔栄養だけで1年以上、点滴だけで1年過ぎたおばちゃんがいらっしゃいます。
鼻腔栄養の方は、頭がしっかりしているので、栄養の管を外してしまおうとされるので、手には(父もはめられていた)グローブという拘束具を付けられているそうです。

前にも書きましたが、今回の朝ドラでは、いくつもあった臨終の場面があまりにも暖かで安らかなので、本当は、これを国民に見せたいという政府の想いではないかと思いました。

ついでに言えば、臨終の後、何度か自宅での葬儀の場面も出てきました。
ぱくちゃんは、「自宅での家族葬」を願っているのですが、ドラマの中に出てきたようにできるのではないでしょうか。

今回、父の葬儀は会館での家族葬にしましたが、参列者が父の妹家族が2軒とぱくちゃんちのみ(総勢15名)、ということで弟が「全然疲れてない!」というほど、楽な葬儀でした。
5年前の母の時は、普通の葬儀だったので参列の方々にご挨拶やら気遣いやらで、5歳若かったはずの弟がへとへとになってましたから。。

とても、面白かった半年の連ドラでした。
次回は、「暮らしの手帖」の編集長(確か大橋さん)が主人公だそうです。
「暮らしの手帖」は大好きな本で、何年か購入しました。
まだ、時間にゆとりがあった時、年に6冊出版されているのを季節ごとに出してきて、その時期の暮らし方をおさらいしていました。
料理、季節のしつらえ、健康のことなど、その時期に合った事柄が色々書かれていたので、楽しく読んでいました。

いつか、そんな時がまたきたら、「早春、春、初夏、夏、秋、冬」と季節ごとに取り出して、読んでみたいものです。








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お前さんも逝くのかい?

2016-04-03 00:46:20 | Weblog
半月ほど前から、みゃーこのご飯の食いつきが悪いな~と思っていたら、ほとんど食べなくなってきた。
おまけに、口からよだれがダラダラ。。。

歯でも抜けかけてるのかな、もう年やし~。
ちょうど、父の葬儀で大和市の娘が帰ってきてました。

「ワンコを2匹も飼ってるし、動物病院に慣れてるやろ。みゃーこの病院行きを頼もう」と意見が一致。
ワンコのキャリーバックを借りて詰め込み、息子と二人で連れて行ってくれた。

結果、口の中に腫瘍ができて歯も抜けてかなり重症。
「暴れた、暴れた。帰ってきてからもずーっとしっぽがトトロのしっぽみたいで、押し入れから出てこないよ」と娘たち。

押し入れを覗いてみると、奥のほうに引っ込んでじーっとこっちを見ている。
潰して、水でふやかした餌をスプーンに載せて、口元に持っていくと少し食べる。

「左側は、腫瘍で歯が抜けてるし舌も上手く使えなくなってるから、ご飯も食べられへんのやで」って。
喉に腫瘍ができた子は、のどがふさがってしまってご飯が食べられなくなったんやて。
猫は口の中に、できやすいそうやって。
噛まれたら、すごい毒を持ってるから、くれぐれも気を付けてくださいって言われたよ。

「母は、前に噛まれて爪を抜いたことがありますって言うたら、年とってから噛まれたら、死ぬこともあります、やて」
へーへー、もう年だす。

普段は、家の中で飼ってたみゃーこが、うっかり庭に出て、外で放し飼いにしていたワンコに追い回されて網戸によじ登ったのを後ろから捕まえて下そうとした時に「ガブッ!」っと。

血がダラダラのまま、外科に行ったら、「猫は危ないんです」とか言われて、半月ほど毎日抗生物質の点滴に通ったことがあります。
みゃーこの牙が親指の爪を貫通してて、そのまま化膿し、「これはアカンな~」と先生に言われて抜きました。

それが10年程前やから、今回もし噛まれたら、死にますのやな。
元々、噛み癖のある猫でしたが、今は噛む力もないようです。

自分で食べる力もなさそうで、スプーンで潰した缶詰をてんこ盛りにして口元に持っていきます。



すると、はぐはぐ食べてる時もあったのですが、今は舐める程度。
ほとんど、押し入れで寝ています。

このまま弱ってしまいそうですが、どうなるかな~。
「先生、安楽死は言うてなかった?」
「言うてない!」

息子が翌日、薬をもらいに行きました。
「猫は餌に混ぜて薬をやると、薬に気づいたら、その餌を食べなくなる場合があります。
犬と違って、猫は難しいんです」と言われたそうな。



これが好きで、はぐはぐ食べたので、沢山買ってきたんだけど、薬を入れたら、案の定見向きもしなくなった。
まぐろ、ささみ色々やってみたけど、病状が進んでいるのか、水を飲む以外何も食べない。

動物が大好きやった父に、連れていくんやったら、安らかにお願いやで~と頼んでいます。



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お疲れさんやったね。

2016-04-03 00:06:49 | Weblog
去年の秋に、肺炎で救急搬送された父が入院5か月で亡くなりました。



2月の初め、糖尿病の壊疽で左足を切断した後、少し元気になっていたのですが、だんだん気力が落ち始め、3月28日の朝、「呼吸が止まっている」という電話を受けてそのまますぐに亡くなりました。

これは、父の遺影。



斎場にある時は、何も思わなかったのですが、自宅に帰ってきたら、夫が
「お父さん、笑ってる。」と。

認知症で自分のいる場所も分からなくなっていたようですが、家に帰りたいとは思っていたかもしれません。
「やれやれ、やっと帰れたわい」とでも言ってるのでしょうか。

一昨年の7月から認知が進みかけて、足揉みを週に2回に増やして以来、1年と9か月。
30日に葬儀を終えて、もうこれから父の所に行かなくても良いのだと思ったら、気持ちが楽になりました、正直なところ。
「冷たいこと言うな~」と夫に言われましたが、自分でも意外なくらいホッとしたのは事実。

「親を彼岸に送るのが、子供の最大の務め」と言われてきましたが、父が4人目の親でした。
実家の両親の足揉みを始めて10年余り。
暇を見つけては、せっせと足揉みに通い、5年前に母が癌になった時は、毎日3か月連続揉み。

最後の親である父を送るまではと、足揉みに通ってきました。
「隙間時間がよ~あるもんだ」と思ってましたが、家事をかなり抜いてたみたいやね。。。

葬儀の翌日、部屋をあちこち片づけて、去年から買ったままのホウ酸でゴキちゃんの団子を作り、今干してるところ。
庭仕事をしたり、散歩をしたり、本を読んだりと、少しずつゆとりの時間を持ちたいと思います。(家事が入っておまへんな~)






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