田んぼ妄想その1。
北関東の我が町周辺でも、田植えが始まった。わくわくする光景だ。
日本の食料自給率は38%(2017年度)。単純に考えると、日本人は食べ物の62%を輸入に頼っているのだ。カロリーベースでだ。
さすがにコメはまだ100%だ。
美田を眺めながら、つらつらと、米について妄想にふけった。
イネ科イネ属・その植物名は「稲」世界三大穀物(他、トウモロコシ・小麦)として君臨し人類の生きる糧である。
稲の実は籾・その殻を外せば玄米・それの外皮を磨けば白米か?
それを炊けば飯・水気が多ければ粥だ。
炊きたての熱々とくれば、およそその米はうるち米、粘り気の強い品種はもち米で、搗けば俺の大好きな餅が出来上がる。大好きと言えば、日本酒なんぞは、雄町・山田錦・亀の尾などなど、酒造好適米が特別にあって、守り作られている。これまた毎日ご愛飲の泡盛はちょっと変わってタイ米である。
収穫した後の茎は藁で、使い道は10本の指では足りないほどあったが、最近は使われなくなって来たなぁ・・藁に包まれた、昔の納豆は美味かった!
要は米であるが・・さすが米食民族はかように、様々なコメにまつわる表現をもって、大事にしてきたのだ。
他の民族の主食に、これほどの多様な表現は、見当たらないように思うのだが・・・
その21世紀・米食民族の本土日本人は、その米に危機が忍び寄っていることなど、考えもしないようである。
人口75000余の地方の小都市、わが館林でも、その周辺の4つの町でも今、田植えの只中だ。我が家に隣接する西は田んぼで、田を渡る涼風は清々しい。
しかし、その田植えの担い手は、明らかに初老・老人たちで、毎年歯が抜けるように、田植えされない田が増え、耕作放棄地になっている。農業就労者の平均年齢は66,8才という国が日本だ。
そしてそれは、それは、本土の日本全体のさまなのだろうと、想像する。主食の自給・・・その未来は、実に心もとないのだ。今も田植えをしている人たちに、俺は手を合わすのだ。ありがたいと思うのだった。
田んぼ妄想・・その2。
本土日本では、縄文晩期後半(2500年前頃?)までは狩猟採集でいのちをつないできた。生産するのでなく、自然から奪うその形態は、奪うものが乏しくなれば、場所を移動する。移動するに足る自然は人口比で広大でもあった。土地への執着は、争うほどには無かったと言って良い。
農耕経済は社会を根底から変える。水田稲作は社会を変えるのである。
稲作は連作が出来る。収量が安定する。そこから生まれる余剰生産物は、やがて、もつ者、持たない者をまた生んでゆく。そして、水田造成・水路確保と補修は集団的作業が必要になる。社会的集団が出来、大きくなってゆくのだ。
水田稲作は、土地を守るべきものと、土地を変え、又は「生産力の高い、奪う価値のあるもの」へと変えていったのだ。
佐原眞さんの言葉を借りれば「戦争は集団と集団がぶつかり合って大勢のひとを殺す」行為だ。まさに稲作で花開いた、弥生以降、本土日本では「戦争」が起こったのだ。以降、世界中で戦争が止んだことは無く、今も毎日戦争で、命が奪われ続けているのだ。奪う価値のあるものは田からやがて、「燃える水」や宗教・イデオロギーに変わって、俺が生きている間に戦争が止むことはないのだろう。救いは、憲法9条に守られて、あの戦争以降、他国の国民をこの国の軍隊はまだ殺していないことだな。
心地よい田を渡る風の中、早朝の徘徊で、俺の妄想は続くのだった。
21日の2m圏内接触者。
濃厚接触・女房・・・・・・・・・1名。
会社(立ち話)・吉・永・山・青・4名。
たばこ屋ベーベー・・・・・・・1名。