館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

お勉強でお上り。

2019-02-13 05:24:26 | 生活雑感
今日は月に1度の、医者のはしご・・・・・

内科・泌尿器科・皮膚科・・・・・

1っか月があっという間だなぁ・・・・

内科は、主治医なので、仕方ない。泌尿器科は「前立腺/年相応の肥大」で、ずっと付き合うらしい・・・皮膚科は「爪水虫」・・・かなり良くなっていて、2020には治るかも。

年を取ると言うのは、こういうことかもしれない・・・・・

さて、先週のお仕事記事!!

お・し・ご・と!





この様な者どもと・・・



この様な場所に・・・・・



お勉強に行ってきた。

工場で使う、備品などの展示会だった。

アナログな企画なので、地方の零細企業でも、かなり参考になり、使いたい商品があった。




車に1トン越えの荷物を積みながら、その電動のリフターも、一緒に車に収まるというかなりの優れものだった。

他、テープ類、スタンプ類、驚くほど細かい霧を冷却しながら噴き出す、ミストなどいんでないかなぁ・・・と、思った次第。

こういうアナログは(実際の機構は決してアナログではないが)俺の頭でもついて行けるのだった。。。

こうした、企画が増えてほしいねぇ・・・・



帰りの乗り継ぎ・・・・

なぜか、このような店に吸い寄せられ・・・



ウーロン茶どもと、ハイボールで乾杯!



紋甲イカのぬた。



お決まりの「もつ焼き串」5本500円だ。

2杯飲んで、車中、ぐっすり寝たのだった。
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合併とん挫!うれしいねぇ・・など拾遺物語。

2019-02-12 05:12:29 | 生活雑感


小さな村や、小さな町のほうがいい・・・・
大きな町になって、人と人のつながりが希薄になって・・・・それで、いいはずがない。

ロストは笠木さんの「小さな村」を合併の話が持ち上がってから、機会があるごとに歌ってきた・・・

そういえば、昨年末・・僕らが歌う目の前に、市長がいたような・・・

これでとん挫するだろう。喜ばしいことだ。



茨城のコンサートで、うれしいことにCD完売。急遽ジャケットの残分だけ増版した。30枚・・・
これが最後だな。



久々に「ゆ」に行く。ホテルではずっとシャワーだけだったからねぇ・・・



冬になって、代謝が悪いんだろうな・・・・・・

1.5キロは確実に太って、元に戻らない・・・・

こんなものを昼に食ってはいかんな・・・・

何とかしないと・・・・

参ったなぁ・・・・
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2019旧正月の沖縄・その2・・2つの世界遺産、2つの「城(グスク)」を訪ねる。

2019-02-11 05:32:22 | 旅は続く


今回沖縄の2つ目のテーマ、世界遺産の中城城址・・1月に修復途中の城壁から、その内部に古い城壁が発見され、2月5日まで見学可能という新聞記事を見つけ、これは見学せねばと思ったのだ。
嘉手納弾薬庫から、途中学徒碑(この記事は後日)を見学し、タクシーを拾う。
那覇を流している方だったが、読谷村まで客を運んだ帰りだという。
タクシーは遠くまで行くと、帰りに客を拾うのはほぼ困難なので、那覇へ帰る方向だと喜ばれる。話好きのおじいだった。途中でメーターを下ろし3000円程度の乗車だったが、2500円に負けてくれた。ここら、沖縄のタクシー事情はお気に入り。




やがて、中城城址。



正門までの上り坂は結構きつく長いのだ。いつもは歩くのだが、折角なので電動の無料自動車に乗ってみた。



発掘現場は正門の傍、あのペリーがスケッチさせ「世界で一番美しい」とのたもうた城壁のほぼ隣だった。




ここら・・・・



一緒に発掘された陶器などから、年代の同定は行われたようだ。




「中城城の築城年代は不明ですが、14世紀後半に先中城按司が数世代に渡って築き、1440年頃に座喜味城主「読谷山按司:護佐丸」が王府の命令により移ってきて、1458年に自刃するまでの間に、北の郭、三の郭を当時の最高の築城技術で増築したと伝えられています。
護佐丸滅亡後は、世子(王子)の居城となり、さらにその後は間切番所、中城村役場が置かれ、1945年(昭和20年)3月頃に戦争により焼失するまで中城村の行政の中心となっていました。」

と、今までは説明されている。沖縄戦の被害は少なかったが、資料など残っているものは少なく、考古学的資料が大事な場所だ。

14世紀前半に出現した城壁は、同じく出土した13世紀の陶器から考えれば、13世紀の土台に城壁が築かれ、先中城按司(つまり先に治めていた名前不明の在地領主ってとこかな?)が強固な城壁と城を作り、やがて支配した護佐丸がその城をさらに強固にすべく、元の城壁の修復や高さを増やしたようだ。今までの通説より100年早く、時代がさかのぼる、貴重な発見だな。



護佐丸がかさ上げした「布積み」の城壁。



元の城壁も、りっぱな「布積み」だ。




訪ねる前日の新聞にはこのような記事もあった。



その石はここには無かったが・・・ここ中城は築城の名手、護佐丸らしく、城壁も他の場所では、「相方積み」という強固な石組も見受けられる。
いつ来てもいい場所だぜ。わし・・城壁に頬摺りしただよ・・・あと、ミネさんからの秘密のミッションも。

沖縄の誇れる文化を、じっくりしっかり、時間を掛けつつ、大事にしていることが分かる世界遺産だった。




さて、翌日は、こちらも世界遺産で、力を入れて観光客を呼び込んでいる(呼び込もうとしている)首里城にやってきた。
世界遺産と言っても、完膚なきまでに沖縄戦で(なんせ、沖縄大本営があった場所だからね)壊され、実際戦火を免れたのは、守礼の門を過ぎて左の、園比屋武御嶽石門(そのひやんうたきいしもん)だけで、後は復元だからなぁ・・・
ただ、復元も資料が少なく、正殿などの赤の色も、韓国まで行って、こうした中国風赤の調合まで調べたようだ。

写真は、守礼の門からは逆方向からの首里城。石垣を見ると、戦前の残った部分と、戦後の復元の石垣がよくわかる。



この正殿からは有料区間。それなりに、内部は室内がきらびやかに復元(?)されて、1度は見るといい。
僕は、1月からついに公開(有料だが)された、正殿の奥・・・・言ってみれば「大奥」そして東のアザ(もの御台)を見にやってきたのだ。
なんせ、初めて来たときには、まだ発掘途中で、石がごろごろ・・・その後も3度ほどガイドで来ているが、なんだか建築途中だったりしていたのだ。



東のアザから正殿の後ろを望む図。



こちらのベーベーに説明してもらった。上手だった。




世誇殿・・・本来は結婚前の王女の住まい。また、お世継ぎの儀式も行われた大奥の中心的建物。
それがまぁ・・・なんだか舞台などが作られていて・・・やな予感がした。



女官居室(女官の待機室)寄満(ゆいちん・台所さ)・・・・中は職員の待機所になっていた。

地中の遺構を調べて記録したのだろうが、ただ埋め戻して、それらしい偽物をぶっ建てただけじゃないか(道路を作るべく掘ってたら遺構が出て、まあ、記録するが結局道路になっちゃうのと変わらない)。しかも、あの嫌な気がした舞台。いままで、正殿の前庭で1日4回行われていた「伝統芸能公演」は今度からあの場所になると言う。つまり無料で公演していたのだが、今度から有料になるってことさ。昔はガイドの折には有料区間も1度は行っておいでと送り出し、公演の時間に待ち合わせたが、そんなおじいやおばぁも沖縄にはたくさんいるだろうに・・

世界遺産・・・やがて観光の目玉にと、お金に換算し始めてどうすんだんべ?少なくともここは、リピートしたくなる場所ではないな。

2つの世界遺産・・2つの城(グスク)を見たが、行って来るほど、2つのグスクには違いがあるように思う。



あきれながら、整備されて公開された、隣接の公園に行った。



王朝時代に女官たちが遊んだ(おしゃべりの場所だったのだろう)というガマが残っていた。



その隣には、鉄血勤王隊が掘らされたガマがぽっかり口をあけていた・・・・

まぁ・・この2つこそのまま保存すべき文化遺産・戦争遺産だろう。

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2019・旧正月の沖縄・・その1「国頭方西街道」を行く?

2019-02-10 05:23:19 | 旅は続く


昨年はヘタレだった・・・・恩納村が整備した、琉球王朝時代の宿場道「国頭方西街道」を歩く旅は、亜熱帯の森の中をひたすら、登って下って、ハブに注意しての道中・・ほぼ中間点辺りで、リタイア。その先のランドマークまでは、タクシーで向かい名勝のみ見るという情けない状態であった。
*国指定史跡 国頭方西海道(くにがみほうせいかいどう)琉球王国時代に整備された道。首里を起点とし、浦添、読谷、恩納を通り名護以北に向かう沖縄本島西側の古道。恩納村では保存状態のよい仲泊の一里塚から真栄田の御待毛(うまちもー)までの間が「歴史の道」として整備されている(はずだ)。

リベンジすべくヘタレた場所まで、向かった。曇天。勝手はかなり分かったので、水・おにぎり・パン・羊羹・柑橘など用意して、まずは120番線(名護西線)で向かう。停留所「崇元寺前」でバス待ち。




バスはテーゲーなのは覚悟したが、8:51分発はまだやってこない・・・結局20分遅れで乗車。



琉球村でバスを降り、デジャブな道案内や畑を過ごし・・・・



リタイアした橋のたもとにやってきた!「さて歩くぞ!!」の気持ちが沸き上がった・・・のだ!(かぁ?)






整備された?このような道をしたすら(ひたすら)歩き・・・・・



やっと道しるべ・舗装の道路にでる。



ここから、フエーレー岩に向かう。




前回タクシーでみたんだけどさ・・・やっぱり歩いてたどり着く達成感がいいねぇ・・・



さて、一里塚目指して・・・・




ウージの森(サトウキビ畑)を抜けると、恩納村のリゾートホテルが見える東シナ海の絶景・・・残念ながら晴れないと海は美しくないぜ。





一里塚到着!前回はここまでタクシー!(ヘタレだった!!!)



まずは、おやつ。



この後、御待毛(うまちもー)に向かうのだが・・・・写真の案内の通り、道はそこまでとなっている。(恩納村が整備したのはそこまでらしい・・)
昨年恩納村博物館で、この先を質問した。
「うまちもうで道は途切れているが、そこまで行ったら58号線まで歩けるのか?」
「地形図など見ると、歩ける程度の道が表記されているが?」

「先は米軍基地になりますが、道は細いですが歩けないことはないかな?」

という、ことであった。(きっとけものみちのようなものだろうが、何とかなるか・・という、甘い考えは打ち砕かれるのだったが・・・)



うまちもうまでは、まず車は入れないので、前回はうまちもうに行かず断念。
(58号線まではこんな道か、あるいはもう少し細いかな?程度の認識で歩き始めた)



すでに道しるべは無く、突然基地のフェンスが出現!嘉手納弾薬庫だ!!
「毛」は広く平らな場所のうちな口(沖縄方言)なので、ここがうまちもうらしい・・・



フェンス沿いにもはや獣道!!が続く。




その獣道・・・やがて全くなくなり・・・フェンスにぶち当たり、左側はジャングル・絶壁であった。
ここまで来て、また戻るのは確実に「行き倒れ」になり・・・・

しばし立ち尽くしながら、思案!

隣のフェンスを超えれば、舗装の道路だ・・・・基地の中を歩くしか選択肢は無い。もし見つかったら、街道を歩いている資料を出しまくり・・・
「わたしえいごわかりませ~ん」とか「道に迷ったのです~助けてください」とか、言い逃れる以外にないと決断。




フェンスに入れる程度の破れた場所を発見!ついに米軍基地に侵入したのだった・・・・



途中米軍の看板などあって「ここは軍用犬が巡回している」とか、脅しがあった。
やがて、ゲートが見えた・・・ここまで1キロていどかと思う。
「やった!あれを超えれば治外法権でない、俺の身が憲法で守られる場所にたどり着く!」



間抜けな状態で、ゲート前のフェンスは1スパン網が張ってない場所があり、獣道が出現。
察するに、このように歩く俺のような「変わり者」が何人かはいるんだなと思った。




緊張から解かれた僕は、ゲート前で小さくシュプレヒコール!



国道58号線に出て、バスで那覇を目指したのだった。

おも白かったなぁ・・・「国頭方西街道」じゃなくて、嘉手納弾薬庫!

ミネさん・正剛さん!どうよ?嘉手納弾薬庫、歩いてみないか?あんたがたじゃ、見張られてっから捕まるかな?

こうして、今回の沖縄のメイン企画は終わったのだった!

制覇したぜ!国頭方西街道!」。
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レッド・スマイリー 僕の育った音楽Sの仲間たちその6。

2019-02-09 05:26:12 | 僕の育った音楽
雪の降る前に、徘徊を済ませねば・・・・・
そんなふうに思って寝たら、いつもより30分早く目が覚めた。
やっと、沖縄の写真の整理がついた。明日以降、ぼちぼち本文を書いてアップだな。

何度も同じ場所に行っているのに、新しい発見やら、心の動きはあるものだなぁ・・・


さて、土曜日は音楽だ!

今日は土曜日だよな?明日、日曜で、ロスト本番だよな?




もう、このようなミュージシャンを知る方は、加速度をつけていなくなっているに違いない。

レッド・スマイリー

ドン・リーノウとレッド・スマイリーとして、ユニークなバンジョー弾きドン・リーノウと1951年にコンビを組み、その後1964年まで活躍で、ファンをつかむ。

コンビ解消後、「テネシー・カッタプス」を率いて活躍した方だ。

基本に忠実なギターながら、アクセントのGランやCランなど印象深い。さらに、彼のDランは見事だった。
わしゃ、このようなギターを習い始めたころ、このお方のDランを必死にコピーしたのだった。

そしてボーカルな!温かみのある、シャウトしないボーカルは好きだったなぁ。

古き良き、ブルーグラスだわさ。


スマイリーさんのボーカルも素敵なサイドギターも聴けるだよ。クリック!
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