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今回沖縄の2つ目のテーマ、世界遺産の中城城址・・1月に修復途中の城壁から、その内部に古い城壁が発見され、2月5日まで見学可能という新聞記事を見つけ、これは見学せねばと思ったのだ。
嘉手納弾薬庫から、途中学徒碑(この記事は後日)を見学し、タクシーを拾う。
那覇を流している方だったが、読谷村まで客を運んだ帰りだという。
タクシーは遠くまで行くと、帰りに客を拾うのはほぼ困難なので、那覇へ帰る方向だと喜ばれる。話好きのおじいだった。途中でメーターを下ろし3000円程度の乗車だったが、2500円に負けてくれた。ここら、沖縄のタクシー事情はお気に入り。
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やがて、中城城址。
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正門までの上り坂は結構きつく長いのだ。いつもは歩くのだが、折角なので電動の無料自動車に乗ってみた。
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発掘現場は正門の傍、あのペリーがスケッチさせ「世界で一番美しい」とのたもうた城壁のほぼ隣だった。
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ここら・・・・
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一緒に発掘された陶器などから、年代の同定は行われたようだ。
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「中城城の築城年代は不明ですが、14世紀後半に先中城按司が数世代に渡って築き、1440年頃に座喜味城主「読谷山按司:護佐丸」が王府の命令により移ってきて、1458年に自刃するまでの間に、北の郭、三の郭を当時の最高の築城技術で増築したと伝えられています。
護佐丸滅亡後は、世子(王子)の居城となり、さらにその後は間切番所、中城村役場が置かれ、1945年(昭和20年)3月頃に戦争により焼失するまで中城村の行政の中心となっていました。」
と、今までは説明されている。沖縄戦の被害は少なかったが、資料など残っているものは少なく、考古学的資料が大事な場所だ。
14世紀前半に出現した城壁は、同じく出土した13世紀の陶器から考えれば、13世紀の土台に城壁が築かれ、先中城按司(つまり先に治めていた名前不明の在地領主ってとこかな?)が強固な城壁と城を作り、やがて支配した護佐丸がその城をさらに強固にすべく、元の城壁の修復や高さを増やしたようだ。今までの通説より100年早く、時代がさかのぼる、貴重な発見だな。
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護佐丸がかさ上げした「布積み」の城壁。
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元の城壁も、りっぱな「布積み」だ。
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訪ねる前日の新聞にはこのような記事もあった。
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その石はここには無かったが・・・ここ中城は築城の名手、護佐丸らしく、城壁も他の場所では、「相方積み」という強固な石組も見受けられる。
いつ来てもいい場所だぜ。わし・・城壁に頬摺りしただよ・・・あと、ミネさんからの秘密のミッションも。
沖縄の誇れる文化を、じっくりしっかり、時間を掛けつつ、大事にしていることが分かる世界遺産だった。
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さて、翌日は、こちらも世界遺産で、力を入れて観光客を呼び込んでいる(呼び込もうとしている)首里城にやってきた。
世界遺産と言っても、完膚なきまでに沖縄戦で(なんせ、沖縄大本営があった場所だからね)壊され、実際戦火を免れたのは、守礼の門を過ぎて左の、園比屋武御嶽石門(そのひやんうたきいしもん)だけで、後は復元だからなぁ・・・
ただ、復元も資料が少なく、正殿などの赤の色も、韓国まで行って、こうした中国風赤の調合まで調べたようだ。
写真は、守礼の門からは逆方向からの首里城。石垣を見ると、戦前の残った部分と、戦後の復元の石垣がよくわかる。
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この正殿からは有料区間。それなりに、内部は室内がきらびやかに復元(?)されて、1度は見るといい。
僕は、1月からついに公開(有料だが)された、正殿の奥・・・・言ってみれば「大奥」そして東のアザ(もの御台)を見にやってきたのだ。
なんせ、初めて来たときには、まだ発掘途中で、石がごろごろ・・・その後も3度ほどガイドで来ているが、なんだか建築途中だったりしていたのだ。
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東のアザから正殿の後ろを望む図。
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こちらのベーベーに説明してもらった。上手だった。
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世誇殿・・・本来は結婚前の王女の住まい。また、お世継ぎの儀式も行われた大奥の中心的建物。
それがまぁ・・・なんだか舞台などが作られていて・・・やな予感がした。
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女官居室(女官の待機室)寄満(ゆいちん・台所さ)・・・・中は職員の待機所になっていた。
地中の遺構を調べて記録したのだろうが、ただ埋め戻して、それらしい偽物をぶっ建てただけじゃないか(道路を作るべく掘ってたら遺構が出て、まあ、記録するが結局道路になっちゃうのと変わらない)。しかも、あの嫌な気がした舞台。いままで、正殿の前庭で1日4回行われていた「伝統芸能公演」は今度からあの場所になると言う。つまり無料で公演していたのだが、今度から有料になるってことさ。昔はガイドの折には有料区間も1度は行っておいでと送り出し、公演の時間に待ち合わせたが、そんなおじいやおばぁも沖縄にはたくさんいるだろうに・・
世界遺産・・・やがて観光の目玉にと、お金に換算し始めてどうすんだんべ?少なくともここは、リピートしたくなる場所ではないな。
2つの世界遺産・・2つの城(グスク)を見たが、行って来るほど、2つのグスクには違いがあるように思う。
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あきれながら、整備されて公開された、隣接の公園に行った。
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王朝時代に女官たちが遊んだ(おしゃべりの場所だったのだろう)というガマが残っていた。
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その隣には、鉄血勤王隊が掘らされたガマがぽっかり口をあけていた・・・・
まぁ・・この2つこそのまま保存すべき文化遺産・戦争遺産だろう。