昨年はヘタレだった・・・・恩納村が整備した、琉球王朝時代の宿場道「国頭方西街道」を歩く旅は、亜熱帯の森の中をひたすら、登って下って、ハブに注意しての道中・・ほぼ中間点辺りで、リタイア。その先のランドマークまでは、タクシーで向かい名勝のみ見るという情けない状態であった。
*国指定史跡 国頭方西海道(くにがみほうせいかいどう)琉球王国時代に整備された道。首里を起点とし、浦添、読谷、恩納を通り名護以北に向かう沖縄本島西側の古道。恩納村では保存状態のよい仲泊の一里塚から真栄田の御待毛(うまちもー)までの間が「歴史の道」として整備されている(はずだ)。
リベンジすべくヘタレた場所まで、向かった。曇天。勝手はかなり分かったので、水・おにぎり・パン・羊羹・柑橘など用意して、まずは120番線(名護西線)で向かう。停留所「崇元寺前」でバス待ち。
バスはテーゲーなのは覚悟したが、8:51分発はまだやってこない・・・結局20分遅れで乗車。
琉球村でバスを降り、デジャブな道案内や畑を過ごし・・・・
リタイアした橋のたもとにやってきた!「さて歩くぞ!!」の気持ちが沸き上がった・・・のだ!(かぁ?)
整備された?このような道をしたすら(ひたすら)歩き・・・・・
やっと道しるべ・舗装の道路にでる。
ここから、フエーレー岩に向かう。
前回タクシーでみたんだけどさ・・・やっぱり歩いてたどり着く達成感がいいねぇ・・・
さて、一里塚目指して・・・・
ウージの森(サトウキビ畑)を抜けると、恩納村のリゾートホテルが見える東シナ海の絶景・・・残念ながら晴れないと海は美しくないぜ。
一里塚到着!前回はここまでタクシー!(ヘタレだった!!!)
まずは、おやつ。
この後、御待毛(うまちもー)に向かうのだが・・・・写真の案内の通り、道はそこまでとなっている。(恩納村が整備したのはそこまでらしい・・)
昨年恩納村博物館で、この先を質問した。
「うまちもうで道は途切れているが、そこまで行ったら58号線まで歩けるのか?」
「地形図など見ると、歩ける程度の道が表記されているが?」
「先は米軍基地になりますが、道は細いですが歩けないことはないかな?」
という、ことであった。(きっとけものみちのようなものだろうが、何とかなるか・・という、甘い考えは打ち砕かれるのだったが・・・)
うまちもうまでは、まず車は入れないので、前回はうまちもうに行かず断念。
(58号線まではこんな道か、あるいはもう少し細いかな?程度の認識で歩き始めた)
すでに道しるべは無く、突然基地のフェンスが出現!嘉手納弾薬庫だ!!
「毛」は広く平らな場所のうちな口(沖縄方言)なので、ここがうまちもうらしい・・・
フェンス沿いにもはや獣道!!が続く。
その獣道・・・やがて全くなくなり・・・フェンスにぶち当たり、左側はジャングル・絶壁であった。
ここまで来て、また戻るのは確実に「行き倒れ」になり・・・・
しばし立ち尽くしながら、思案!
隣のフェンスを超えれば、舗装の道路だ・・・・基地の中を歩くしか選択肢は無い。もし見つかったら、街道を歩いている資料を出しまくり・・・
「わたしえいごわかりませ~ん」とか「道に迷ったのです~助けてください」とか、言い逃れる以外にないと決断。
フェンスに入れる程度の破れた場所を発見!ついに米軍基地に侵入したのだった・・・・
途中米軍の看板などあって「ここは軍用犬が巡回している」とか、脅しがあった。
やがて、ゲートが見えた・・・ここまで1キロていどかと思う。
「やった!あれを超えれば治外法権でない、俺の身が憲法で守られる場所にたどり着く!」
間抜けな状態で、ゲート前のフェンスは1スパン網が張ってない場所があり、獣道が出現。
察するに、このように歩く俺のような「変わり者」が何人かはいるんだなと思った。
緊張から解かれた僕は、ゲート前で小さくシュプレヒコール!
国道58号線に出て、バスで那覇を目指したのだった。
おも白かったなぁ・・・「国頭方西街道」じゃなくて、嘉手納弾薬庫!
ミネさん・正剛さん!どうよ?嘉手納弾薬庫、歩いてみないか?あんたがたじゃ、見張られてっから捕まるかな?
こうして、今回の沖縄のメイン企画は終わったのだった!
制覇したぜ!国頭方西街道!」。
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