毎年、年に2回・・・か細くも、血気盛ん?に、続いている。
有難いことに、毎回、ギターなどの伴奏をおおせつかって、居場所がある・・ロスト。
初めてのときから比べると、参加者は減っている感じだが・・・続けるとは、このようなことも覚悟している。
地元の園児たちの「太鼓」や「そうらん節」のアトラクションもあって、その若き親たちの参加には元気が出た。
どんな出し物でも、子供にはかなわないのだ。元気な子供たちの晴れの舞台は、大人のそれを見事に凌駕するのだった。
いいねぇ・・・
わりわりの、証拠写真・・・・
福島のいわきから、群馬に避難なさっている、Tさんの福島報告も圧巻。
一言言わせての、叫びが続いたが・・・
こちら、園長先生の話は沁みた・・・
「子供たちを、自然の中で遊ばせたいと、場所選びの都度線量など測定するが・・・」
「あの素敵な赤城山の山登りのために線量を計ったら、0.3あって諦めざるをえませんでした・・」
「原発事故とはこういうことなんですね」
事は福島だけでは無いのだった。
自然界・・日本の自然界なら、1年でおおまかに1.5ミリシーベルトが避けられない被爆量だ。
そして、人為的に追加される被爆限度は1ミリシーベルトだった。まあ、合算して2.5ミリシーベルト余り気にせず暮らせる目安。
いつの間にか、法律で定められた「国民が浴びるに許容される1ミリシーベルトは、帰還(避難指示解除)の目安で20」に書き換えられ、国は国民の命を守る気は無い。
厳格に原発爆発前の約束を守ったら、1県どころか、数県の単位で人が住んではいけない場所が生まれるから・・・変えちゃう。
甲状腺のガンも、異常な数値を示しているが、ヒ・ミ・ツなのだった・・・・
長くゆっくり続けるさ・・・
わし・・・子や孫・・・守りたい。