彼らが完全オリジナルのCDを出すと言う。彼らとは「いわき雑魚塾」という、僕らと同じ福島のアマチュアフォークグループだ。「現実を風化させたくない。このCDはここで暮らす私たちの叫びだ。」と、彼らは言う。よくぞ、そしてやはり、彼らはフォークで事態に対峙したか。そうだよなぁ、彼らこそふさわしいと、このCDの制作を聞いて思った。
女性コーラスが欲しいと、声がかかり、ロストの天使の両翼4人を連れて、監督兼マネージャーの僕は、小名浜公民館に彼女達を届けた。
早速練習。あの正造さんのCDですっかり仲良くなった懐かしい人たちにまた会えた。
昼飯も、旨かったなぁ・・
こんな感じ。
あのお方も。
しっかり組まれたスケジュール。
練習が午後も、ぎっちりだ。続ける毎に、歌が変化してゆくのが、傍観する僕に迫ってくる(僕はロストマネージャーの立ち位置なのだった・・・)
ケン坊も練習しているねぇ・・・!
そして僕は、彼ら雑魚塾の暮らしの場、
小名浜を感じたくて、公民館の周辺を歩き、大きな小名浜の港を歩いた。その時、僕とフクシマの間にある、あの日からずっと固まったままの「違和感」が体中にフツフツと湧き上がってきたのだった。
フクシマという言葉が、豊かな海や森のことではなく、人を拒んでほてり続ける、人間が作ってしまったマグマと同義語のように語られて3年が過ぎた。僕らロストも反原発を確認し歌を歌い、今も歌い続けている。けれどもフクシマの人たちの前では、「当事者」という言葉の前で、見えない壁を感じていた。その壁は「同じ当事者として歌うことへのおこがましさ」のようなものと言い換えたらよいようなものだ。おまえは、当事者のようにその苦しみに立って歌えるのか?と・・・
控え室で練習が続く。僕も参加する。頭にこびりついた先の壁の前に、こんな思いが湧き上がる。現実はどうだろう?僕の暮らす群馬も、僕の生きている間には消えることが無いだろう「放射能」に犯されたキノコや魚や野菜があちらこちらにじっとしているのだった。この国が小さな島をめぐってこぶしを上げている間に、僕らは広大な豊かで実りある大地や海を失ってしまったのだ。当事者なんだな、僕は紛れも無く。この立場にしっかり立ってこそ彼ら雑魚塾のCDに立ち向かえるのではないか?原発立地市町村だけが当事者ではなく、この国に生きる僕らは、この国の原発のまさに当事者で、何処にも逃げられないのだ・・と、そんな確信めいた思いが、フツフツとわきあがってきたのだった。
もはや、夕飯の時間になり・・・
弱い所、貧しかった所に、お金を積んで黙らせ、いやなもの危ない物を押し付けてきたのが、この国の政治だ。フクシマには苦悩や怒りが立ち現れ、そして沖縄も怒りが大きな意思になって、僕らに鋭く突き刺すような視線を向けている。「お前は当事者なのか?」と・・「同じ日本の当事者だろう?」と・・・
このCDは僕に、そんなことを教えている。またロストは1つ前に出て、これから歌を歌うだろう。CDを作らんとした、雑魚塾の意志に乾杯だ!参加した幾つかの歌を、僕らのものとして、館林で歌いついで行くだろう。そんな立ち位置が僕ららしいと思いながら、少しでもこのCDに関われてロストは幸せだった。