館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

2013暮れ・・沖縄ガイドツアーその1・読谷村を歩く(いや?移動はタクシーだけど・・・)。

2014-01-05 06:44:58 | 旅は続く
正月最終日の方も多いかと・・・・ゆっくりしたい皆さんに、長い旅日記はいかがでしょうか?

っと・・・




女房とその友人ために、「ガイドツアー」でやってきたのだ。降り立ったのは2013年、12月28日の12時30分であった。

この28日から31日の日程の沖縄は、ほぼ全コース(2箇所省いて)僕は来ているので、多くの感想や説明は省く。このブログの「旅は続く」のカテゴリーを暇なときに眺めると、同じ場所の僕の感想など書いてあるので、興味のある方はどうぞ。
今回は写真など楽しんでくださいな。



一路読谷村へ!1945年4月1日に(26日に座間味の日本上陸を果たし、ひとなめにして・・)本島上陸の地に立った。




遅い昼飯は、ここらで旨い「大木海産物レストラン」だ。相変わらず旨い!

ちなみにタクシーは、僕はすっかりお世話になり続けているS氏の個人タクシーなのだ。



続いて、レストランから5分の「サトウキビ畑の碑」だ。寺島尚彦氏の代表作だ。



さらにレストラン方面に戻り5分・・・本日のメインの2つのガマにやってきた。

「チビチリガマ」・・・チビチリ・・その名のとおり、尻切れの奥行きの無いがまに140余名が避難し、集団自決で住民84名が非業の死を遂げた場所だ。




そのチビチリからおよそ1キロ・・低湿地に開く総長2570mの天然の鍾乳洞が「シムクガマ」だ。
ハワイからの帰国者の2名の「アメリカーガー、チュオクルサンドー(アメリカ人は人を殺さないよ)」との説得で、1000名前後の住民が助かったガマだ。
日本軍が居なかったのが救いか・・・

集団自決のがま・・1名も死ななかったがま・・・両方見て、感じるものがある。



続いて、見せたかった世界遺産「座気味城跡」に向かう。ガマから10分ほどだ。
15世紀の初頭、ここらを治めた、護佐丸のグスクだ。



曲線がうつくしいねぇ。




そして、那覇に帰りつつ、僕が1度は歩いてみたかった「コザ」にやってきた。僕の初めての地だ。
1970年12月20日・・アメリカ世だったコザ市(現在沖縄市)で勃発したアメリカ軍車両および施設の焼き討ち事件の現場だ。

コザ暴動・・・これらが、本土復帰を加速させるのだった。

嘉手納第二ゲート前からあるいて、胡屋十字路をわたるの図。




コザは明日の命は無いかもしれない、ベトナムへ向かう兵士がありったけのお金をその夜に落とし繁栄する。

今は、すっかり寂れて、シャッター通りなのだった・・・

沖縄ロックの燃えた街だ。今も夜は、いくつかの店では、ロックで盛ってはいるようだが・・・
そのコザミュージックタウンでは、アマチュアの(へたな)ロックが騒音を立てていた。



わし・・こんなことしている場合ではないと・・・反省。



基地ゲート前で「基地は要らない!」と、こぶしを上げ叫んだだよ!



と、6時過ぎにホテル・・しばし休憩して、いよいよ「夜」に繰り出して、1日の第二部が始まったのだ。

まずは、沖縄おでんの名店「悦ちゃん」にやってきた。てびちー(豚足)と青菜をだし汁にくぐらした物が、特徴だ。
驚くほどさっぱりで、出汁で食べさせるおでん。コラーゲンもたっぷりなのだ。



女房友人べーべーと乾杯。



おでん。



続いて、いつもの「タンパラヤ」。焼きそばがうまい!
写真・・店主のセーボー。



いよいよ本日のメイン!
沖縄JAZZの聖地「インターリュード」!





与世山澄子さん!

72・3歳か?変わらぬ声量・歌心・見事なJAZZを堪能した。
ツアーの皆さんも、感激していた。

ちょっと風邪で・・・・なんて言いながら、いつもより多く歌ってくれた。

一羽の鳥が
天高く舞い上がっていく
輝かしいその姿には
どんな物語があったんでしょう
そしてその姿が
夜の闇に消えた頃・・・
あなたは今夜も歌ってる
bird Alone


わし、こんな曲にメロメロで、ぐっすり眠りについたのだった・・・・

1日目終了。長いのに、ありがとうございました。
コメント (6)
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