館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

挨拶・石垣りん。

2011-11-18 06:03:50 | 時事言いたい放題
昨日は福島のコメから、基準越えの137Csが出た。まあ、出ないのが不思議だったが、測定の場所とか、出そうな場所を測定していない査証。

一方、原発を受け入れた側に注がれる、膨大なお金は相変わらず出続けて、その甘い汁が欲しい自治体・住民は、「しかたない」などと、金・金・仕事を失う・・と、命が軽い。

10年以上に及ぶ、「やらせ」が明らかになっても、だんまりを決め込む北海道知事も、すごいねぇ・・・

昨日の報道では、福島の放射能は60%以上海に出て、のこりが、日本に降り注ぐ・・・その60%以上は、アメリカを汚染して、さらに10日で世界を1週したららしい・・・チェルノブイリと同じだ。

群馬は、水力が4分の1で、福島・新潟の柏崎の原発に4分の3依存している県だ。

他人事ではないのだ。 

っと、画像が無い記事に突入!





 挨拶(原爆の写真によせて)

   
 あ、
 この焼けただれた顔は
 一九四五年八月六日
 その時広島にいた人
 二五万の焼けただれのひとつ

 すでに此の世にないもの
 とはいえ
 友よ
 向き合つた互の顔を
 も一度見直そう
 戦火の跡もとどめぬ
 すこやかな今日の顔
 すがすがしい朝の顔を

 その顔の中に明日の表情をさがすとき
 私はりつぜんとするのだ

 地球が原爆を数百個所持して
 生と死のきわどい淵を歩くとき
 なぜそんなにも安らかに
 あなたは美しいのか

 しずかに耳を澄ませ
 何かが近づいてきはしないか
 見きわめなければならないものは目の前に
 えり分けなければならないものは
 手の中にある
 午前八時一五分は
 毎朝やつてくる

 一九四五年八月六日の朝
 一瞬にして死んだ二五万人の人すべて
 いま在る
 あなたの如く 私の如く
 やすらかに 美しく 油断していた。


             石垣りん(1952.8)


何を今頃、原爆の詩、と、思う無かれ。

読み替えて見よ!

二千十一年三月十一日の朝・・・・

いま在る
あなたの如く 私の如く
やすらかに 美しく 油断していた。


或いは、

二千十一年三月十二日の午後

と、あの水素爆発・放射性物質の大量放出の瞬間に置き換えたらどうか・・・


この人の詩は、いつも、どこかで、ボケた僕の頭の中を覚醒させ、濁った心を浄化してくれるのだった。



「この詩はね、やっと原爆の悲惨な写真が進駐軍から出してよいということになって、組合が壁新聞に貼るのだが、写真が悲惨すぎるので、少しでも和らぐような詩を書け」と言われ、「その場で、あまり時間をかけず書いたのよ」と、話してくれた姿が、ふつふつと浮かぶ。
コメント (6)
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