我が師匠・岡田京子さんが、中心になってずっと続けている「寺子屋」に行って来た。
笠木透と雑花塾のコンサートが、本日の寺子屋のカリキュラムであった。
場所は小金井の「現代座会館」だ。
こんなテーマのコンサートだ。
こんな人たちが、出演者であった。
10月12日・茨城でのフォークジャンボリーで同じステージに立ったので、同じような「曲」なのかな?と思ったが、テーマが違うので、なじみでない曲も、聴くことが出来るかな?と、多少期待を持ってT市を出発した。
定員80の会場は、満席だった。
UNION SONG・・労働歌・・
まさに、死語に近いと、僕は思う。
死語になる。
それはまさに、高度成長と共に、大きな企業が、大きな労働組合を持ち、やがて、その組合が御用組合になって、或いは、大きな力のあった組合が、相次ぐ民営化という(組合の解体も、意図に含まれつつ・・)流れで、これもまた御用組合と化して、組合の魅力や、組合の本来の姿を喪失していった事に、由来する。
小泉改革(改悪)以降、名ばかり店長・非正規雇用の労働者が、個人加盟の「労働組合」に入り、多くの権利を回復している、新しい「組合」の姿を、最近目にするようにはなったな。ここいらに、新しい「組合」の萌芽があるのかも?と、思ったりしている僕だ。
さて、そんな「死語に笠木さんや、岡田さんが」どう挑むのか・・・興味深々であった。
寺子屋は、民衆の学校だ。
んだから、給食の時間もある。
忘れて、新宿で、たらふく昼飯を食べたのを、少しくやんだ。
バターロール・ボルシチ・ロシアンティーだった。
ロシアンティー用の、ジャムってのがあるのに、ちょっと驚き。
世界は広い!
コンサートの導入は「ジョー・ヒル」だった。
知ってる人は、少ないだろうな。
彼は、歌手であった。その歌を手立てに、労働組合のオルグ(これも死語だよな~)を行い、ストを勇気づけた。
そう、アメリカの戦闘的な組合・IWWのメンバーだった。
IWWは、1905年6月、アメリカ労働総同盟(AFL)の保守的な傾向に反対していたビル・ヘイウッドら200人の労働運動家やAFLから排除されていた社会主義者、無政府主義者によって結成された組合だ。
このIWWの活動に対して政府の弾圧は過酷を際め、投獄・リンチ・濡れ衣を着せての死刑など行なわれた。15年にはジョー・ヒルも冤罪で殺されるのだ。
こうした弾圧で、IWWは潰されるが、その末裔は、今でもIWWとして、小さな組合で存続しているようである。
ジョー・ヒルは、ジョーン・バエズの歌う、まさに「ジョー・ヒル」と言う歌で、世界中に配信されたが、このフォーク筋では、知っている方もいるやもしれずである。
労働運動と歌・・・なかなか含蓄ではあったが、副題の「あたらしいUNION SONG」までの、切り込みは今一、腑には落ちなかったな。
ただ、アジテーションやビラの文句のような、死語になった労働歌でない、詩として昇華された歌の「幾つか」を聴く事は出来た。
近作の幾つかは、聴き応えのある、僕らが地元で歌いたい歌であった。
最後は、寺子屋の校歌?
笠木氏の名曲「我が大地の歌」を皆で歌った。
女房・ロストのユッコが一緒だったのだ。
楽しかったようである。
寺子屋・東京にあって、地方の様な場所と、取り組みは、豊かであった。
いろんな人にも、会え、久々に挨拶出来て、それも嬉しいことだった。