館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

幻の花

2006-06-18 14:38:05 | 生活雑感
確実に、居なくなってみて「思い出の中にしか生きていない」と誰かが話された言葉が、分かった気がしている。もちろん、いい思いでばかりではない!そんなこんなも、やがて曖昧な・淡い色の、「僕にとって」都合の良い「思いで」が残っていくに違いないと、思っている。


疑問をそのままに、曖昧なままやり過ごすのはいやだった。
病院は死亡の翌日朝早く、事務長が来た。「本日、院長がご説明の用意がある」とのことだったが、告別式の後の可能日程にしてもらった。
告別式翌日に「質問・疑問を文書」にして持っていった。

16日に「たっぷり」話し合った。

明確な謝罪・文書での経過説明・教訓を生かす今後の病院の具体的約束が、引けない1線である。だが、「親父の死」を金銭で換算するのはいやだった。

院長・看護士長・事務長、こちらも3人であった。
2時間に及ぶ話し合いで何度も「謝罪」があった。
経過は文書でもらった(カルテ開示の意志もあった)。
「少なくとも、生きている間の別れに関して、医療の義務を確認し」「早い段階での家族への1報」を病院の体制に折りこむ等、院長責任で約束したい、と真摯に話していると感じた。

看護士長はやや、自己弁護があったが、院長などあまり弁解せず、話して良かったと思った。

不満は無いとは言えないが、絡まった糸を解きほぐす労苦や、これ以上の追求で巻きこむ家族・親戚と、納得どころが天秤にのり、謝罪を受け入れた。

皆、日常に戻らなければなあ・・・・・

「規格外」の人物であった。それは「ほめられる」分野で、ではない。
この親父の話など、次回記録して、親父のブログは終了にしよう・・・・・・


庭に
今年の菊が咲いた。

子供のとき、
季節は目の前に
ひとつしか展開しなかった。

今は見える
去年の菊。
おととしの菊。
十年前の菊。

遠くから
まぼろしの花たちがあらわれ
今年の花を
連れ去ろうとしているのが見える。
ああこの菊も!

そうして別れる
私もまた何かの手にひかれて。


    「幻の花」・石垣りん  詩集「表札など」より。







コメント (4)
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