享年81歳。
父(親父のほうがしっくりくる)が他界した。8日午後8時52分の出来事だった。
臨終に際しての「医師」の説明は、午後5時頃「容態急変」、8年前からの「脳梗塞」の進行が、「呼吸中枢」をおかし、自発呼吸が出来なくなったことが原因ということであった。
僕らに「病院」から急変の知らせがあったのは、午後8時過ぎであった。
多分、誰も「生きていた親父」とお別れはしていない。
今時、こんな怠慢であるか!と憤りはある。少なくとも「5時の急変」で知らせが来ていれば、「親父の生きている、息遣い」を最後に感じることも、出来たと思っている。
さらに、である。
5月23日(事実を知ったのが23日なので、起こったのは22日以前)1人の看護士が何人もの要介護の老人に食事の世話をする状況で、「嚥下・咀嚼」が難しい「親父」に詰め込みすぎて、呼吸困難を起こし、その場に親父は倒れ、個室に移され・医療器機に囲まれる状況
になった。23日に見舞に行って、この状況に驚き、看護士に聞くが「嘔吐」したので、「個室に移した」などの、要領を得ない回答。上記の事実は、入院なさっている、他の患者の方から「こっそり」聞かされた。
臨終の宣告の時、それまでの溜まっていた不満が爆発。僕は沢山の怒りを医師と看護士にぶつけた。今後の責任ある者からの「説明」を約束させた。
今、僕らは「文書で質問状」を出して、今週、病院との第1回の話し合いが持たれることになっている。
「白い巨塔」である。
医療・介護、専門外の市井の者が、沢山なことを出来るとは、思っていない。
「警鐘を鳴らす事」はこの病院にたどり着かざる得ない、親父のような「老人」への、少しでもましな、変化に!と、思っている。
これが、親父への「供養」とも思っている。
父(親父のほうがしっくりくる)が他界した。8日午後8時52分の出来事だった。
臨終に際しての「医師」の説明は、午後5時頃「容態急変」、8年前からの「脳梗塞」の進行が、「呼吸中枢」をおかし、自発呼吸が出来なくなったことが原因ということであった。
僕らに「病院」から急変の知らせがあったのは、午後8時過ぎであった。
多分、誰も「生きていた親父」とお別れはしていない。
今時、こんな怠慢であるか!と憤りはある。少なくとも「5時の急変」で知らせが来ていれば、「親父の生きている、息遣い」を最後に感じることも、出来たと思っている。
さらに、である。
5月23日(事実を知ったのが23日なので、起こったのは22日以前)1人の看護士が何人もの要介護の老人に食事の世話をする状況で、「嚥下・咀嚼」が難しい「親父」に詰め込みすぎて、呼吸困難を起こし、その場に親父は倒れ、個室に移され・医療器機に囲まれる状況
になった。23日に見舞に行って、この状況に驚き、看護士に聞くが「嘔吐」したので、「個室に移した」などの、要領を得ない回答。上記の事実は、入院なさっている、他の患者の方から「こっそり」聞かされた。
臨終の宣告の時、それまでの溜まっていた不満が爆発。僕は沢山の怒りを医師と看護士にぶつけた。今後の責任ある者からの「説明」を約束させた。
今、僕らは「文書で質問状」を出して、今週、病院との第1回の話し合いが持たれることになっている。
「白い巨塔」である。
医療・介護、専門外の市井の者が、沢山なことを出来るとは、思っていない。
「警鐘を鳴らす事」はこの病院にたどり着かざる得ない、親父のような「老人」への、少しでもましな、変化に!と、思っている。
これが、親父への「供養」とも思っている。