噂のクラッチ名人ヒロミと、私の出会いは約20年前に遡る。
40年前、我々夫婦が新婚時代を過ごしたアパートに
当時は中学生と小学生だった三姉妹が住んでいて
親しく交流していたことは、以前の記事でお話ししたことがあるが
ヒロミはその三姉妹の長女、ミーヤのママ友だ。
数年後、我々夫婦は夫の両親と暮らすためにアパートを出たが
三姉妹とは町で会うたびに、ペチャクチャとおしゃべりをして現在に至る。
ヒロミはいつも姉御肌のミーヤにくっついていたため
私とも顔見知りになった。
中肉中背の地味な顔立ちだが、良くも悪くも子供っぽい子で
その明るさと賑やかさは凄まじい。
浅黒くキメの荒い肌や、深めのほうれい線が無ければ
2人の小学生を持つ30過ぎのお母さんとは思えなかった。
当時のヒロミは宅配会社に勤めていたが、やがて離婚して2人の子供を引き取り
隣町の実家で両親と暮らすようになった。
そのためヒロミとミーヤは疎遠になり、私とも会うことが無くなった。
離婚の理由は旦那が働かなくなったのと、暴力。
それが原因で喧嘩が絶えなかった。
ヒロミの明るさや賑やかさは、その裏返しだったのかもしれない。
離婚する前、旦那の問題を県北に住む姑さんに訴えたところ
姑さんはお手製のキムチをたくさん送ってくるようになった。
キムチを売って生活の足しにするように、との思いやりだ。
ヒロミは一時期それを売っていて、私も買ったことがある。
ヒロミからもミーヤからも何も聞いてないが
このキムチと苗字から、ヒロミの旦那は隣国の人だと見当がついた。
ヒロミは離婚後もしばらく、宅配会社に勤めていたが
やがてレンタルモップの会社に転職した様子だった。
会社の車でルートセールスに回るヒロミを
町でよく見かけるようになって知ったのだ。
さらに数年後、コンビニのレジで再会。
レンタルモップの会社を辞め、今はここで働いていると言った。
それからさらに数年後
市内にある生コン会社の大型ダンプを運転するヒロミと、路上ですれ違った。
今度は運転手になったようだ。
宅配会社にいる時から、彼女は折に触れて言っていた。
「大型免許を取って、ダンプの運転手になりたい」
職を転々としていたヒロミが夢を叶えた様子なので、良かったと思った。
しかしそれも束の間、じきに町で見かけなくなった。
そしてさらに数年が経ち、ヒロミは我が社に現れた。
求人を出していたハローワークから連絡が来た時
夫は担当者から名前を聞いたが、誰だかわからなかった。
女性というのだけ把握したものの、神田さんのことがあるので
あまり喜ばしい連絡ではない。
しかし松木氏と夫の意見は、妥協で一致していた。
「とりあえず誰でもいいから入れて、空いたダンプを一旦ゼロにしようや」
応募したのがミーヤのママ友ヒロミだと、夫が知ったのは面接の時。
松木氏との打ち合わせ通り、面接もそこそこに
ヒロミは4月からうちで働くことが決まった。
クラッチ名人の評判を聞いたのは、その後である。
入社予定の新人の名前が社内で公表された時
息子たちを始め社員は皆、彼女の所業を知っていた。
ダンプの運転では半クラッチを駆使するが
ヒロミはこの半クラッチが苦手なのだそう。
マズい半クラッチ操作を繰り返していると、当たり前だが壊れる。
摩擦熱でクラッチが焼けた状態になり、ダンプをスムーズに動かせなくなるのだ。
次々とダンプのクラッチを焼き、居づらくなって退職…
しかし愛想だけはいいので面接では気に入られ、就職は決まるが
次に勤めた所でも複数台のクラッチを焼き、やはり居づらくなって退職…
これを繰り返す恐怖の女ドライバー、ヒロミの名は
業界にとどろいているという。
知らなかったのは、面接をした松木氏と夫だけだった。
クラッチを焼くぐらいで、どこが恐怖なのだ…
修理すればいいことじゃないか…
人はそう思うだろう。
しかしダンプの世界でクラッチを焼くのは、恥とされている。
ヘタくその証明だからである。
それだけではない。
一度クラッチが焼けたダンプは、“弱る”。
ダンプは普通車と違い、重たい車体に重たい荷を乗せて
勾配の強い道を往来するのが仕事なので、頻繁なクラッチの切り替えが不可欠だ。
クラッチが生命線と言っても過言ではないため
クラッチを焼いて弱ったダンプは、残りの人生?を半病人として過ごす。
交換したクラッチは滑りやすくなったり
また逆に、引っかかって入りにくくなることが多いからだ。
クラッチ操作で無理をするために故障が増えて、ダンプの寿命も短くなりがちである。
クラッチ焼けは、不運なアクシデントではない。
運転手の正しい操作で回避できるものだ。
何度も発生させてしまう場合、結局はダンプの運転手に向いておらず
この先も上達の見込みは無いといえよう。
とはいえクラッチを焼くのも転職するのも、それはヒロミの自由だ。
しかしヒロミの毒牙にかかり、調子の悪くなったダンプは
彼女が去った後も残る。
運転手たちが心配するのは、そのダンプが自分に回ってくる恐れだ。
たびたび故障するのは決定事項だが、ダンプは会社で故障するとは限らない。
路上で突然起こるかもしれず、それが仕事の中断や
悪くすると事故に発展する可能性が無いとは言い切れない。
ヒロミがいなくなれば、それらは自分の責任になるのだ。
あちこちの会社のダンプを壊しながら
それでも明るくダンプ乗りを続けようとするヒロミの技術と神経に
皆が恐れおののくのは当然である。
さて、ヒロミの入社が決まるとさっそく
同業他社で営業をしている夫の親友、田辺君が来た。
この3月まで、ヒロミは田辺君のいる会社で働いていたのだ。
「すぐ辞めるけん、大丈夫」
ヒロミの評判を知らずに入社させたことを軽く後悔する夫を
田辺君は優しく慰めるのだった。
「うちは3台、やられた」
とも言った。
全然、慰めになってないじゃないか。
《続く》
40年前、我々夫婦が新婚時代を過ごしたアパートに
当時は中学生と小学生だった三姉妹が住んでいて
親しく交流していたことは、以前の記事でお話ししたことがあるが
ヒロミはその三姉妹の長女、ミーヤのママ友だ。
数年後、我々夫婦は夫の両親と暮らすためにアパートを出たが
三姉妹とは町で会うたびに、ペチャクチャとおしゃべりをして現在に至る。
ヒロミはいつも姉御肌のミーヤにくっついていたため
私とも顔見知りになった。
中肉中背の地味な顔立ちだが、良くも悪くも子供っぽい子で
その明るさと賑やかさは凄まじい。
浅黒くキメの荒い肌や、深めのほうれい線が無ければ
2人の小学生を持つ30過ぎのお母さんとは思えなかった。
当時のヒロミは宅配会社に勤めていたが、やがて離婚して2人の子供を引き取り
隣町の実家で両親と暮らすようになった。
そのためヒロミとミーヤは疎遠になり、私とも会うことが無くなった。
離婚の理由は旦那が働かなくなったのと、暴力。
それが原因で喧嘩が絶えなかった。
ヒロミの明るさや賑やかさは、その裏返しだったのかもしれない。
離婚する前、旦那の問題を県北に住む姑さんに訴えたところ
姑さんはお手製のキムチをたくさん送ってくるようになった。
キムチを売って生活の足しにするように、との思いやりだ。
ヒロミは一時期それを売っていて、私も買ったことがある。
ヒロミからもミーヤからも何も聞いてないが
このキムチと苗字から、ヒロミの旦那は隣国の人だと見当がついた。
ヒロミは離婚後もしばらく、宅配会社に勤めていたが
やがてレンタルモップの会社に転職した様子だった。
会社の車でルートセールスに回るヒロミを
町でよく見かけるようになって知ったのだ。
さらに数年後、コンビニのレジで再会。
レンタルモップの会社を辞め、今はここで働いていると言った。
それからさらに数年後
市内にある生コン会社の大型ダンプを運転するヒロミと、路上ですれ違った。
今度は運転手になったようだ。
宅配会社にいる時から、彼女は折に触れて言っていた。
「大型免許を取って、ダンプの運転手になりたい」
職を転々としていたヒロミが夢を叶えた様子なので、良かったと思った。
しかしそれも束の間、じきに町で見かけなくなった。
そしてさらに数年が経ち、ヒロミは我が社に現れた。
求人を出していたハローワークから連絡が来た時
夫は担当者から名前を聞いたが、誰だかわからなかった。
女性というのだけ把握したものの、神田さんのことがあるので
あまり喜ばしい連絡ではない。
しかし松木氏と夫の意見は、妥協で一致していた。
「とりあえず誰でもいいから入れて、空いたダンプを一旦ゼロにしようや」
応募したのがミーヤのママ友ヒロミだと、夫が知ったのは面接の時。
松木氏との打ち合わせ通り、面接もそこそこに
ヒロミは4月からうちで働くことが決まった。
クラッチ名人の評判を聞いたのは、その後である。
入社予定の新人の名前が社内で公表された時
息子たちを始め社員は皆、彼女の所業を知っていた。
ダンプの運転では半クラッチを駆使するが
ヒロミはこの半クラッチが苦手なのだそう。
マズい半クラッチ操作を繰り返していると、当たり前だが壊れる。
摩擦熱でクラッチが焼けた状態になり、ダンプをスムーズに動かせなくなるのだ。
次々とダンプのクラッチを焼き、居づらくなって退職…
しかし愛想だけはいいので面接では気に入られ、就職は決まるが
次に勤めた所でも複数台のクラッチを焼き、やはり居づらくなって退職…
これを繰り返す恐怖の女ドライバー、ヒロミの名は
業界にとどろいているという。
知らなかったのは、面接をした松木氏と夫だけだった。
クラッチを焼くぐらいで、どこが恐怖なのだ…
修理すればいいことじゃないか…
人はそう思うだろう。
しかしダンプの世界でクラッチを焼くのは、恥とされている。
ヘタくその証明だからである。
それだけではない。
一度クラッチが焼けたダンプは、“弱る”。
ダンプは普通車と違い、重たい車体に重たい荷を乗せて
勾配の強い道を往来するのが仕事なので、頻繁なクラッチの切り替えが不可欠だ。
クラッチが生命線と言っても過言ではないため
クラッチを焼いて弱ったダンプは、残りの人生?を半病人として過ごす。
交換したクラッチは滑りやすくなったり
また逆に、引っかかって入りにくくなることが多いからだ。
クラッチ操作で無理をするために故障が増えて、ダンプの寿命も短くなりがちである。
クラッチ焼けは、不運なアクシデントではない。
運転手の正しい操作で回避できるものだ。
何度も発生させてしまう場合、結局はダンプの運転手に向いておらず
この先も上達の見込みは無いといえよう。
とはいえクラッチを焼くのも転職するのも、それはヒロミの自由だ。
しかしヒロミの毒牙にかかり、調子の悪くなったダンプは
彼女が去った後も残る。
運転手たちが心配するのは、そのダンプが自分に回ってくる恐れだ。
たびたび故障するのは決定事項だが、ダンプは会社で故障するとは限らない。
路上で突然起こるかもしれず、それが仕事の中断や
悪くすると事故に発展する可能性が無いとは言い切れない。
ヒロミがいなくなれば、それらは自分の責任になるのだ。
あちこちの会社のダンプを壊しながら
それでも明るくダンプ乗りを続けようとするヒロミの技術と神経に
皆が恐れおののくのは当然である。
さて、ヒロミの入社が決まるとさっそく
同業他社で営業をしている夫の親友、田辺君が来た。
この3月まで、ヒロミは田辺君のいる会社で働いていたのだ。
「すぐ辞めるけん、大丈夫」
ヒロミの評判を知らずに入社させたことを軽く後悔する夫を
田辺君は優しく慰めるのだった。
「うちは3台、やられた」
とも言った。
全然、慰めになってないじゃないか。
《続く》