殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

選んだ道・選ばなかった道

2014年03月20日 23時18分46秒 | みりこんぐらし
ここでもお馴染み、3つ年上のラン子と

一回り年上のヤエさんとは、ずっと交流を続けている。

人生劇場で損な役回りばかり演じている、大部屋女優同士…

我々3人をつなぐのは、友情以前にこの連帯感であった。


昔は美貌の小悪魔として名を馳せ、やがて悪魔と化したラン子。

人助けや奉仕が趣味の、天使みたいなヤエさん。

2人の間でチャラチャラする私。

ウグイスとして選挙に参加していなければ

性格も行動範囲も異なる3人が出会うことは無かった。


月に1、2回集合して食事や買い物をするが

おしゃべりタイムの大半は、ラン子の心配話で埋まる。

最近のテーマは孫の通う幼稚園と、その経営者家族だ。


「今はうちの娘がPTA会長だから、うまくいってるけど

来年度から大変よ…どうするつもりかしら」

「あんたが心配せんでも、どうにかするわよ」

「今度、あそこの長男が結婚するけど、あの嫁で大丈夫なのかしら」

「よその嫁より、あんたとこの昼アンドンみたいなムコを心配したら」

不毛なやりとりに、ヤエさんはいつもケラケラと笑うのだった。


ラン子の心配は、尽きない。

無理もないのだ。

30年前に亭主の浮気で離婚し、一人娘を実家に預けて懸命に働いた。

やがてスナックを開店した矢先、癌が発覚して店を手離す。

実家で静養中に、家業が倒産。

肩身が狭くなった実家を出て働くが

10年後、働きやすかった職場は不況で閉鎖。

50を過ぎた転職で得た仕事は、きつかった。

持病を抱えた一人暮らし

甘えたいけど、過去にかけた迷惑が遠慮で甘えられない家族

不運に泣いた半生の中に、ラン子を苦しめるものはたくさんあった。


自分の現在が不満だと、未来が不安になる。

その不満と不安は、過去の後悔から発生している。

過去、現在、未来…3点セットで苦しめば、当然くたびれる。


くたびれたら、人はどうするか。

やたらと人のことが気になる。

自分を直視したくないがため、他者に強い興味を抱くしかないのだ。

そして心配するという名目で誰かに話し、見物人を揃えて失敗を待つ。


うらやましいあの人を、私に冷たいこの人を

後悔、不満、不安にさいなまれる自分に少しでも近づけ

私だけじゃないんだ、と安心したい。

そのあかつきには、心配を話した人々が証人となる予定。


この行為の根本は、悪意ではない。

生き続けるための、非常ボタンみたいなものだ。

心配が本当になる瞬間を見届けるまでは、少なくとも生きる楽しみがある。

よって心配の布石は、多いほど望ましい。

だから口数が増える。


しかしこの手の人の話術は、おしなべて巧みでない。

巧みでないのに、小自慢はちゃんとはさむ。

退屈なので人が離れ、さらなる孤独地獄に陥るという副作用がある。

老人にもよく見かけられる現象だ。


人の心配話をしては、いつも私にこき下ろされるラン子だが

最近ではそれを待っているフシも見受けられる。

「私には友達がいるから大丈夫なんだ」

その確信作業のように感じるのだ。



先日、そのラン子から電話があった。

「もう最悪…人間ドックで引っかかった」


再検査の結果、市外の大病院で精密検査をすることに決まる。

「多分、膵臓と言われたと思う。

目の前が真っ暗になって、よく聞こえなかった。

家族には言ってない…どうせ誰も連れて行ってくれないし」


そこで私は、精密検査の送迎と付き添いに名乗りを上げた。

「長時間待たせたら悪い」「朝が早いから悪い」

いつものことだが、すっかり話が決まった後で

形式的に悪い悪いを連発するラン子に、私は言ってやる。

「こういう時は悪いじゃなくて、ありがとうと言うもんだ。

本当に悪いと思うんなら、黙ってりゃいいんだ。

結局話すんなら、つべこべ言わずに甘えろや」

ラン子の場合、こうしてグイと引っ張るほうが落ち着くのだ。


親切なのではない。

誰かを激しく憎み続けた経験のある女は

根性の曲がり具合が似るようだ。

ラン子と同じ環境で私を培養したら、高確率でラン子ができあがるはず。

私の選ばなかったもう一つの道を歩む彼女に寄り添い

あわよくば楽な場所まで案内したいと思うのは傲慢であろうか。



ラン子が私の選ばなかった道を歩んだ人だとすれば

一回り年上のヤエさんは、私の未来を歩む人と言えよう。

認知症の姑さんを介護する一方で幼い孫を預かり

仕事や家庭に波風立ちっぱなしの子供達をサポートしながら

病み上がりのご主人の体調管理に励みつつ

自身も癌経験者で、今も病気と戦っている。


私の未来を歩む人…とは言ったものの

ヤエさんと私には雲泥の差がある。

この壮絶を歩みながら、ヤエさんは得意の料理で人を喜ばせる。

好きな農作業や手芸もやる。

困っている人がいたら助けに走るし、遊びにも出かける。

どこにそんな時間とパワーがあるのか、不思議だ。

しかし忙しい人にありがちな、荒っぽさや押しつけがましさは無く

決していい人ぶらず、言動が優雅である。


ヤエさんが現役でパート勤めをしていた頃の話だが

身寄りの無い年配の同僚が孤独死した際

自腹で荼毘(だび)にふしたこともある。

本人は言わないが、知る人ぞ知る逸話だ。


ヤエさんの駆け引きの無い安心感は周囲を和ませ

素直に甘えられる雰囲気をかもし出す。

だからヤエさんは、ますます忙しくなる。

もう、いいんだか悪いんだか、わからなくなってしまうが

多くをこなす能力が与えられ、生かされているとしか思えない。

女宮沢賢治、人間笠地蔵…それがヤエさんである。


私にヤエさんの壮絶をなぞる勇気や、人に尽くす心映えなんて

ありはしない。

人間笠地蔵も、時には疲れたり涙が出る時があるので

話を聞いて元気づける端役に甘んじている。
コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする