殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

現場はいま…トリオ・1

2023年10月20日 14時03分50秒 | シリーズ・現場はいま…
会社は今、安定している。

私の言う安定とは、ひどく忙しくもなく、さりとて暇でもなく

車両の故障や揉め事などの問題も多少ある日常のこと。

会社にまつわる安定、順調、平穏とは、そういう状態を指す。

人間が生きていれば、毎日色々あるように

会社も生きているんだから、色々あって当たり前だ。


つい先日も夫のアシスタント、シゲちゃんが重機の操作を誤り

夫の自家用車は右半分が潰れた。

たまたま、駐車場でない場所に車を置いていたのが敗因である。

軽く“お察し”のシゲちゃんは、イレギュラーに対応できないのだ。


ショック?無い無い。

怪我人が出なくて良かった…他の人の車じゃなくて良かった…

我々夫婦はこの幸運を喜んだ。

これしきのことで怒りや衝撃を感じていたら

とてもじゃないけど建設業界で生きては行けない。


重機にも保険を掛けているので修理費用は出るが

半分潰れた車は2月に起きた夫と義母の交通事故を彷彿とさせ

直して乗る気にはなれない。

廃車にして、別の車を買うことを即決。


夕方になって、シゲちゃんがうちへ来た。

夫はいつものように青果店で遊んでいる時間だったので、私が応対。

彼は青い顔で、お詫びの印らしきお菓子の箱を差し出し

「今日はすみませんでした」

と謝った。


彼をちゃんと見たのは、この時が初めてかも。

10年ぐらい前、彼と次男が山口へフグを食べに行った帰りに

新幹線の駅へ迎えに行ったのが初対面だったが

当時40代後半の彼は一言も発せず、後部座席に座ったまま。

夜だったので姿はよく見えず、声も聞いたことはなかった。


一昨年、うちへ入社してからも、あんまり見たことは無い。

慣れない人と接触するのが苦手らしく、重機の中へ逃げているのだと思う。

その印象から、小さくて痩せた男を想像していたが

実物はメガネをかけた恰幅のいいおじさんだった。

謝罪の言葉も、しっかりした話し方。

人見知りの彼にしては、ものすごく頑張っているのではなかろうか。


「ここに来るまでドキドキしたんじゃないの?

申し訳なかったわねぇ。

誰にも怪我が無くて良かったのよ」

と言ったら

「いえ、これは怪我のある無しの問題じゃなく 

僕はぶつけたことを謝りに来たのであって…」

と説教じみて言う。

「あの車はもう古いんだから、気にしないでくださいね」

と言ったら

「いえ、これは古い新しいの問題じゃなく…」

また説教だ。


人付き合いが苦手で、ろくすっぽ挨拶もできず

いつもオドオドしているにもかかわらず

自身の感覚にヒットしたフレーズに対しては

言葉尻を取って饒舌になり、小理屈をこねる…

ここらが“オタク系お察し”のユエンじゃ。

こういうところが人をナメているように受け取られ

嫌われたりいじめられたりするのだが、本人は気づかないまま一生を送る…

こんな人、時々いる。

夫の苦労がしのばれた。


とにかく菓子折りを受け取って欲しいようなので、受け取った。

包装だけは派手なレーズン入りクッキー。

もっと美味しそうなの、くれや。



さて、肺癌で引退した松木氏の後任として

4月からこちらに配属された板野さんは、やっと慣れてきたところ。

社員から密かにピカチューという、可愛いらしいニックネームも付けられた。

ネーミングの由来は黄色いからではなく、頭部の輝きである。


慣れてきたというのは

何もわからない…何もすることが無い…何もできない…

その状態から何とか抜け出そうとし始めたこと。

つまり、今のところは順調に松木氏を踏襲している。


長年、島しょ部の小さい生コン工場で所長をしていたピカチューは

重機のスペシャリストという鳴り物入りでこちらへ赴任した。

本人も大好きな重機を扱えるとあって、やる気満々。

シゲちゃんが役に立たないため、我々夫婦は喜んだものだ。

夫も本社も、ピカチューが重機オペレーターとして使えそうならば

いつ低血糖で倒れるかわからないシゲちゃんの肩叩きを敢行する腹だった。


が、その目論見は一瞬で打ち砕かれる。

ピカチューの実力は、シゲちゃん以下であった。

下手というのではなく、業種の違い。

生コン工場で重機を扱っていた…

このプロフィールが、我々の運搬業界に通用しなかったのである。


ピカチューがやっていたのは

資材を右から左へひたすら移動させ続ける行為。

しかしこっちの職場は、商品をダンプに積み込まなければならない。

ダンプは、荷台に積み込まれた商品を乗せて公道を走る。

重心が偏ってカーブや急ブレーキで荷崩れを起こさないよう

バランスを考えて積むのが鉄則だ。


最もバランスの良い荷姿(にすがた)は、縦長の美しい台形。

ダンプの運転手は、この荷姿に強いこだわりを持つ。

醜い荷姿とは、重心が偏っていることであり

重心が偏ると、ダンプはその重みで斜めに傾く。

傾いたダンプを運転するのは危険防止と美意識の両面において

恥以外のなにものでもない。

美しい荷姿で送り出してくれる重機オペレーターのいる会社で働くことは

ダンプドライバーの誇りである。


シゲちゃんも荷姿にこだわらないので、運転手にひどく評判が悪い。

夫の留守や来客中に、ごゆっくりさんの彼が積込みをすると時間がかかる。

そして遅いわりには雑。

彼にとっては積むことだけが目標であり

バランスや美しさといった付属的なことは考えられないようだ。


ともあれシゲちゃんのようにダンプの運転をしたことがない人は

運転手が何を求めているのかがわからないので、向いてないと言えよう。

ましてやダンプの運転どころか、ダンプ積みも未経験のピカチューに

美しい台形を素早く形成できるはずは無かった。

島の工場で使っていた旧式の重機と違い

こちらで使っているコンピュータ制御の新型も扱いにくいようで

ピカチューは早々に重機オペレーターの路線を諦めたのだった。

《続く》
コメント (2)
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