殿は今夜もご乱心

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現場はいま…その後・3

2023年05月19日 09時37分29秒 | シリーズ・現場はいま…
事務員ノゾミは、隣のアキバ産業から送り込まれたスパイではないのか…

彼女を疑い始めた次男だが、日を追うにつれて確信を持つようになった。

「考えてもみて?親父は65、ノゾミは41よ。

親父って昔はどうあれ、今はお爺さんじゃん。

親子ほど年の離れたジジイに惚れる?」

なかなか正当な意見だ。


「惚れん」

「金持ちなら、相手がジジイでも色々買うてもらえるけん

我慢もするじゃろうけど、親父じゃあ無理じゃん」

「ジジイと付き合うメリット、無いね」

「ワシ、単価が狙いじゃないか思うんよ」

アキバ産業の社長の愛人と噂されているノゾミは

うちが取引先へ卸す商品の単価を知る目的で入社した…

次男はそう言うのである。


どこの業界でもそうだと思うが、我々の業界でも単価は大事だ。

ことに建設は金額が大きいので、商品単価が全てを左右する。

例えば、とある大手の仕事が欲しいとなると

その会社に競合他社より安い単価を提示して、すかさず接待でもてなせば

乗り換えてくれる可能性が出てくるというわけだ。


このご時世、長い付き合いだの義理だのは、あまり通用しなくなっている。

その傾向は大企業ほど顕著で、現場を仕切る責任者は行きずりの転勤族なので

接待をしてくれて現行より安ければ、納入業者は誰でもいい。

そんな背景のもと、納入業者としては

事前にライバル社の納品単価を知ることができたら

企業側とお近づきになるために何度も接待を行ったり

向こうの腹を探って単価を検討するという手間がいらない。

いきなり見積書を持ち込んで勝負に出られるため

横取り作業はスピーディーに進むというわけ。


よってこの業界は古くから、単価をトップシークレットとして扱ってきた。

女房や娘、兄弟などの身内を事務員に据える会社が多いのも

情報漏洩を防ぐためという明確な理由があったのだ。

それでワリを食ったのが嫁の私なのはともかく

ライバル会社に事務員を送り込めば、パソコンに全部入っているので

取引先の情報も単価も知り放題。

若い正義感で、次男はそれを危惧しているのだった。


「知られてもええじゃん」

私が言うと、次男は驚く。

「ええん?!」

「ええよ」


ノゾミが本当にアキバ産業のスパイだとしても

現実には「単価がわかったから、さあ横取りしましょう」

というわけには、なかなかいかないものだ。

「どこそこの取引先は、単価が◯◯円」

アキバの社長にそう報告したところで、彼に何ができよう。


50代の社長は、スラリとしたイケメン。

見栄えの良さもあって、昔から愛人の噂が絶えない人物でもある。

いつもスーツを着て経営者然としており、現場への関心は薄い。

会社に居ることはほとんど無く、ノゾミの旦那、スギヤマ工業の専務と一緒に

JCか何かの活動に駆け回っている。

言うなれば、ライオンズクラブに入れ込んでいた義父アツシと同類だ。


名誉、社会貢献、地域活性化なんかを謳う団体活動へと

必要以上にのめり込む経営者って、非営利の群れの中では強気だが

単独で利益を追求する場面では行動力が無い。

よって、ひとたびつまづいたら最後、手をこまねくばかりで何もできない。

単価を知ったアキバ社長が、すぐに動くような男であれば

今のような左前にはなってないはずである。


アキバ産業にうちの単価を知られてもかまわない理由は、他にもある。

今どきは、売って納品したらおしまいの一方通行ではなくなりつつある。

時代はSDGs、ストップ温暖化も叫ばれているということで

商売のテーマは「循環」に移行しつつあるのだ。


例えば、うちが商品を納入しているA社という取引先があるとしよう。

A社は製造過程で、大量の廃棄物が出る。

豆腐を作ったらオカラが、酒を作ったら酒粕が出るようなもので

製造者としては後始末をしなければならない。

そのため、かなりの経費をかけて問題の物質を自社処分している。


一方で、県外にB社という会社がある。

ここはA社が廃棄物として扱う物質とほとんど同じ成分の原料を

海外から仕入れているが、近年は価格が高騰し、なおかつ不足している。


で、A社とB社の間に我が社が介入し

A社が処分するはずの廃棄物を、一旦うちが引き取る。

A社に納品した帰り荷で持ち帰るのだから、手間や経費はかからない。

しかしA社からは、荷の重量に見合った引き取り料をいただく。


こうしてストック場に貯めた、A社にとっては不要な物を

今度は遠方のB社に船舶で運び、商品代金をいただく。

ただしA社から出る廃棄物が

必ずしもB社の需要と合致するわけではないので

余る時はB社が窓口になって別の会社に販売することもある。

こちらの地方では必要無い物でも、地域によっては必要とする所があるのだ。

その結果、A社は廃棄物の処理費用が浮き

B社は国産の原料を安値で、しかも安定して入手することができ

うちはA社とB社から利益を得て三方良しというわけだ。


この循環システムは、我々のボスである河野常務が長年描いてきた夢。

そのために彼は、中四国地方の瀬戸内沿岸の主要な位置に

拠点を必要としていた。

我々は、その拠点の一つになるべく合併したのだ。


アキバ産業が欲しいのは、この仕事だとわかっている。

現在、うちで一番利益の多い取引だからだ。

ノゾミがダンプで行きたがったのも、A社一択であった。


世間には、うちがA社に出入りして何か運んでいる印象しか無い。

だからアキバ産業が知りたいとしたら

単価いくらで何を運搬しているか…

A社の社内にどこから進入して、どこへ入るのか…

誰が窓口で、どんな雰囲気か…

そういうことだと思われる。

まさかそれらが県外のB社に船で運ばれているとは

考えてもいないはずだ。


ちなみに本社は、他にも循環の仕事を幾つか行なっている。

よってB社その他、循環先への対応は本社がまとめて行うので

うちのパソコンにデータは無い。

ノゾミがB社の存在を知り、そこにも行ってみたくなれば

彼女は船員になるしかない。


ともあれA社とB社のケースのように、循環の仕事をするためには

煩雑な手続きをして法的な規則に沿わなければならない。

B社の所在地に営業所を作り、そちらへ人員を派遣するなど

かなりの先行投資が必要になるのだ。

本社に総合商社という説得力と財力があったからこそ

実現した仕事である。

落ち目の個人会社が扱うのは、難しいだろう。


これらのハードルを果敢に超え、横取りできるものなら

ぜひともそれを見せてもらいたい。

私は心から期待している…

次男には、そう話した。

《続く》
コメント
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