殿は今夜もご乱心

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デンジャラ・ストリート 壊れゆくシルバー

2022年09月16日 09時36分09秒 | みりこんぐらし


私の住む川沿いの通りは、後期高齢者が大半を占めるシルバー通り。

時折、老人ならではの事件が起きるため

私はここをデンジャラ・ストリートと呼んでいる。


が、ストリートでは近年、老人が減り始めた。

亡くなったり、施設に入ったり、離れて暮らす子供の所へ転居する人が出てきたからだ。

この春、うちの左隣に住む一人暮らしのおばさんも

90才になったのを機に広島市内に住む息子夫婦に引き取られていったので

空き家になった。

あと数年もすれば、人が住んでいる家より空き家の方が多くなるだろう。


さて、空き家になった隣の、そのまた隣のAさん宅も数日前、ついに無人となった。

そこに暮らしていたAさん夫婦は、それぞれ長年に渡って入退院を繰り返していたが

年々弱っていく一方。

彼らの50代半ばになる一人息子は東京在住の独身…つまり戦力外で

ご主人が気難しいため、近くに住む親戚も寄り付かない。

夫婦は何とか二人で乗り越えようと頑張っており

奥さんと仲のいい義母ヨシコは、うちのおかずを持って頻繁に訪問するのが

ここ何年も習慣になっていた。


そして今年5月、奥さんが脳梗塞で倒れて救急搬送。

7月末に退院したが、ボンヤリと別人のように変わり果て

家にはホームヘルパーが出入りするようになった。


ヘルパーの助けを借りながら、奥さんの介護をするようになったご主人だが

なにしろ彼も病人なので、この暮らしはしんどかったらしい。

人の手を借りなければ生活できないとは、自分たちの弱みをさらすことでもある。

高齢の男性、特に気難しいタイプにとって

プライドが傷つきっぱなしの耐え難い日々であることは想像に容易い。

その苛立ちはヒステリーとなって現れ

ヘルパーを派遣する施設はトラブルのたびに別の所に変わった。


やがてご主人の苛立ちはヘルパーだけでなく、近隣住民にも向けられるようになった。

通りかかる者を睨みつけたり、些細なことで難癖をつけては大声で罵詈雑言を吐くのだ。


我が家にも、その魔手は伸ばされた。

8月の始め、ご主人は月番のことで勘違いをしたらしく

うちへ電話をかけてきて文句を言った。

隣がいなくなったので月番の回ってくる順番が変わったが

それを忘れていた人が、当番でないA家に月番の帳面や木札なんかのセットを

黙って置いて帰ったのが原因。

彼は月番セットを持って来たのが我が家だと思い込み、嫌がらせをされたと言うのだった。


壊れた年寄りほど厄介なものはない。

電話に出たヨシコが知らないと言っても聞き入れず

大声で長々と罵声を浴びせたあげく、電話は切られた。


「何よ!あれだけ良くしてやった恩も忘れて!」

ヨシコの怒るまいことか。

親しい相手にも突然、牙をむく…

それが壊れた老人の恐ろしいところである。

心臓カテーテルの入っているヨシコが、びっくりしてコロッといったら

うれ…いや、大変だ。

歩く凶器に変わり果てたご主人に、私も腹を立てた。


しかし、怒っているだけでは終わらない。

問題はまだ残っている。

ご主人は、A家に置かれた月番のセットを取りに来るよう言った。

正確には、「おまえが取りに来い!すぐ来い!」と怒鳴った。

だから月番セットを取りに行き、正しい月番の家に渡さなければ

この一件は終わらないのだ。


とはいえ、いきなり怒鳴られてショック状態のヨシコが行くはずもなく

「あんた、行って来てよ」

こともなげに言うので、この役目は私に回ってきた。


「え〜?刺されたら救急車、呼んでよね」

ヨシコにそう言い、A家に行くことを承諾した私は

9年ほど前だったか、隣で起きた事件を思い出していた。

当時のことは記事にしたが、隣のおじさんが包丁を振り回して暴れ

警察沙汰になったのだ。

おじさんは救急車で精神病院へ送られ、やがて亡くなった。


おじさんが暴れ始めた時、おばさんはうちへ助けを求めに来たが

包丁のことは言わなかった。

そのため、何も知らない私は隣へ様子を見に行き

おじさんに会うというスリリングなことをやらかした。

後で警察官は、私の無事を喜んでくれたものだ。


それが唯一の前例ながら、壊れた老人は何をしでかすかわからないと痛感した私。

今回はその経験を生かし、刺されても軽傷で済むよう木綿のエプロンに着替える。

薄い柔道着のようなピンクの生地に、ゴツいアップリケが付いているものだ。

大柄だった隣のおじさんと違い、Aさんは私の肩ぐらいの身長。

病気でやせ細っているので、戦っても多分、私が勝つと思うが

刃物が出たらわからない。

重たいので着なかったエプロンが、護身用として初めて日の目を見た瞬間である。


さらに延長戦になった場合を考慮して、ポケットには応戦用の軍手をしのばせ

爺やの拘束、あるいは自身の止血に役立つかもと思い

首からはタオルをかけて出発した。

出発なんて大袈裟だが、二軒先とはいえ、隣の家は広くて横に長く

その先には畑があるので、距離はけっこうあるのだ。


A家に着いて門から中を覗くと、玄関横にある郵便受けの上に

月番の道具が置かれているのが見えた。

黙って持って帰るという手もあったが、きちんとケリをつけておかないと

さらに凶暴化する恐れもあるので、覚悟を決めて敷地の中に入り、チャイムを鳴らす。


こういう時は、チャイムを鳴らした後が大事じゃ。

すぐに玄関ドアから離れなければ。

ドアの近くに立ったままだと、中から刃物が先に出現したらひとたまりもない。

少なくとも三歩は引いて、反応を待つ。


子供の頃、うちの祖父がよく言っていた。

「門でなく、玄関にチャイムのある家を訪問する時は

チャイムを鳴らしたら、いったん軒の外へ離れなさい」。

チャイムを鳴らす時と同じ位置に立ったまま、家の人が出てくるのを待つのは

はしたないというのだ。


洋風のドア形式だと、中からドアが開く時に何歩か下がることになるので

その時になって後ずさりする姿はみっともない…

和風の引き戸であれば、中の人が開けた時に至近距離で対面することになり

これも失礼になる…

はしたないとは、そんな理由からである。

これを逆から言えば、玄関のドアと密着したまま

中からの応答を待つ人物が家に来た場合

まともな躾を受けずに育ったのは一目瞭然なので

そのような人物と親密になる必要は無いという意味もあった。


女の孫に、習っても役に立ちそうもない切腹の作法なんかを教える祖父だったので

幼い私はさほど真面目に聞いてなかったが

高齢化の進んだ今、中から何が飛び出してくるかわからない時代になった。

チャイムを鳴らしたら玄関から離れるという教えが

60年近くを経て役に立ったというわけよ。


さて、チャイムを鳴らしてしばらくすると、ご主人がインターホンで返事をした。

「はい…」

思いがけず、弱々しい声。

「おじちゃん、こんにちは!月番の道具、持って帰りますね〜」

努めて明るく言うと、ご主人はインターホン越しに答える。

「はい…よろしくお願いします…」

もう、さっきとは違う人になっとる。

そうよ、それが壊れた老人というものよ。

身構えて行ったというのに、何だか残念なようなホッとしたような気持ちで家に帰ると

ヨシコは電話の子機を片手に、門の近くでスタンバイしていた。

やっぱり、刺されるのが前提だったのね…。


その後、ヨシコと私は話し合い

おかずの差し入れは終了…もう金輪際、接触はすまい…

とりあえずそう決めた。

親切ごかしに壊れた老人に近づいて、危険な目に遭うのはゴメンだ。


が、わざわざ決めるまでもなく、接触の機会は無くなった。

ご主人はそれから数日後、持病の悪化で救急搬送されたからだ。

同じ日、介護の必要な奥さんは施設へ入所した。


そして数日前、ご主人は帰らぬ人となり、家族葬が執り行われた。

葬儀には奥さんも施設から直行して参列していたが

もう家には帰れそうにない。


かくしてA家は無人となった。

近隣住民にはひとまずの安全がもたらされ

我が家には、A家の差し入れのために買い置きした

大量の弁当パックが残されたのである。
コメント (4)
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