コロナのワクチン接種で、世間はかまびすしい。
我が家でも、予約でひと騒動あった。
一緒に暮らす義母ヨシコは85才。
予約の電話がつながらなくて、連日大騒ぎをしていた。
大腸癌、胆嚢ポリープ、脳梗塞、狭心症、胃癌から不死鳥のごとく生還し
糖尿病の既往症があるヨシコは、主治医のいる病院で打ちたい。
ネット予約では、市内のどの医療機関へ回されるかがはっきりしないため
どうしても自分の口から既往症を伝えた上で、予約をしたいと言うのだった。
予約が開始されて数日、電話はつながらないまま。
その間、老人仲間から続々と電話がかかる。
「お宅もつながらない?うちもよ」
この手の相手であればお互いに慰め合って、引き続き努力を誓い合う。
めでたし、めでたし。
が、中にはこんなのもいる。
「うちは取れたよ。あなたはまだ?」
打つ病院にこだわらない者は、電話がつながった幸運を勝ち誇るので
ヨシコ、イラつく。
が、勝ち誇る者にも段階がある。
「たまたま主治医の病院が取れたわ」
電話がつながった上に、打ちたい病院に当たったというダブルの幸運だ。
こうなりゃもう、宝くじに当たったような勢いで自慢する。
それを聞いたヨシコ、さらにイラつく。
「息子がインターネットで、いつもの病院を取ってくれましたの。
息子はすぐチャチャッとやってくれましてね」
何を勘違いしているのか、ネットを使える家族がいることを
わざわざ自慢げに伝えてくる者もいる。
「何で私がそんなことを自慢されんにゃいけんの?!」
すっかりおかんむりのヨシコ。
そうこうしている間に、電話がつながった。
が、その日は希望する病院に空きが無く、行ったことのない医院だったのでパス。
再び電話にかじりつく。
「急いで打たんでも、先に打った人の様子を見てからにしんさい」
焦るヨシコに、私は何度も言ったものだ。
しかしヨシコには、続報が入り始める。
今度は「1回目、打ったよ!」の自慢だ。
家の電話は次々と鳴り、全ての相手と長話をするので
予約の電話をするどころじゃない。
報告を聞いて、悔しがるヨシコ。
老婆って、どうしてこうも自慢しぃなんだろうか。
人の自慢ばかり聞いたヨシコ、具合が悪くなって寝込む。
昔からどんなことであれ、自慢するのは自分の役だったはずが
ワクチンで逆転したのが相当こたえたらしい。
予約の電話に取り組む作業は、数日お休みとなった。
老婆って、どうしてこうも競争心が強いんだろうか。
「しばらくほっときんさい。
そのうち、お願いですから打ってくださいって向こうから言うてくるよ」
私は、出遅れた無念にもだえるヨシコを慰めるのだった。
もちろん、その場しのぎの適当な発言。
はたして数日後、適当な発言は現実となる。
市から1枚のハガキが届いたのだ。
「あんた、まだ打ってないよね。
ここへ電話してみんさい」
といった内容のハガキで、それまで一つだった電話番号が三つに増えとる。
ヨシコがさっそく電話をすると、すぐにつながった。
「何年前にあの病気をした、あれも切った、これも入れた…」
やりたかった病気自慢がやっとできて、満足げなヨシコ。
これをやりたいばっかりに、ネット予約を許さなかったのだ。
念願叶ったヨシコは希望する病院の予約も取れ、ダブルの勝利を手にしたのだった。
5月25日、ようやくワクチン1回目の仲間入りができたヨシコは
次男の送迎で嬉々として打ちに行った。
いずれ我々も打つことになるのであれば、しっかり観察しておかなければ…
と思って接種後の様子を見守ったが、別に変化は見られず
接種ができて周囲と肩を並べられた喜びばかりが目立った。
そんな中、広島県がワクチンで全国の笑い者になった。
1日で1,800人に対応できる大規模接種会場を福山市に用意したが
訪れた高齢者はわずか88人。
これでは準備したワクチンが無駄になってしまうということで
急きょ医療機関に声をかけ、近くの医療従事者に集団接種を行ったという。
まさかの閑古鳥に、記者会見をした知事も頭をひねっていた。
予約から接種会場まで、ワクチン関連のことを決める人は
老人と生活したことなんて無い人が多いのかも。
老人は皆、自分を特別な存在だと思っている。
そう信じなければ生きていられない。
そして、そう信じている者が長く生き残れるのだ。
特別なんだから、特別扱いでなければならない。
十把一からげで一ヶ所に集められ、次々に未知のワクチンを打たれるなんて
家畜じゃあるまいし、とりあえず躊躇するのは当たり前だ。
そして広島県は、全国的に見ても健康年齢が短い。
つまり早いうちから病気になって、余生を入退院や通院で過ごす人口が多い。
病気の高齢者が多いのだから、何かあると怖いという理由から
慣れた病院で接種を受けたいのが人情だ。
もしも万一の事態になった場合、そのまま治療を受けられるし
彼らは死ぬ場合のことも考えている。
知らない所で息絶えるより、慣れた病院で主治医に看取られたい。
そのような高齢者の心理に配慮することもなく
「たくさんの人が一度に接種できますよ!さあ、どうぞどうぞ!」
と言ったって、はいそうですかと乗り気にはなれない。
年寄りは早く終わらせて
次の世代の接種に進みたい都合がありありとわかるので
最初はとにかく慎重に様子を見る。
行く行かないを決めるのは、出足を確認してから。
それが高齢者。
この慎重があるから、彼らは長く生き延びることができたのだ。
ワクチンのことを決めるエラい人たちは、考えが浅いんじゃ。
ともあれ問題が出るとしたら2回目だと、私の周りでも聞く。
2回目の接種は、1回目から数えて20日後の来週15日。
どうなるんだろう。
不死鳥ヨシコのことだから、やっぱり何もないかもね。
で、先日、ヨシコの同郷で近くに住んでいるスエ子さんがうちに来た。
80才の彼女は、今月始めに早くも2回目の接種を終えている。
心臓疾患があるが、2回とも何ともなかったそうだ。
「具合が悪うなるんは、若い人が多いんじゃろ?
高齢者は大丈夫よ」
どこから来るんじゃ、その自信。
「年寄りに打つ分は、もったいないけん、薄めてあるんじゃないの?」
「薄口…」
斬新な見解であった。
我が家でも、予約でひと騒動あった。
一緒に暮らす義母ヨシコは85才。
予約の電話がつながらなくて、連日大騒ぎをしていた。
大腸癌、胆嚢ポリープ、脳梗塞、狭心症、胃癌から不死鳥のごとく生還し
糖尿病の既往症があるヨシコは、主治医のいる病院で打ちたい。
ネット予約では、市内のどの医療機関へ回されるかがはっきりしないため
どうしても自分の口から既往症を伝えた上で、予約をしたいと言うのだった。
予約が開始されて数日、電話はつながらないまま。
その間、老人仲間から続々と電話がかかる。
「お宅もつながらない?うちもよ」
この手の相手であればお互いに慰め合って、引き続き努力を誓い合う。
めでたし、めでたし。
が、中にはこんなのもいる。
「うちは取れたよ。あなたはまだ?」
打つ病院にこだわらない者は、電話がつながった幸運を勝ち誇るので
ヨシコ、イラつく。
が、勝ち誇る者にも段階がある。
「たまたま主治医の病院が取れたわ」
電話がつながった上に、打ちたい病院に当たったというダブルの幸運だ。
こうなりゃもう、宝くじに当たったような勢いで自慢する。
それを聞いたヨシコ、さらにイラつく。
「息子がインターネットで、いつもの病院を取ってくれましたの。
息子はすぐチャチャッとやってくれましてね」
何を勘違いしているのか、ネットを使える家族がいることを
わざわざ自慢げに伝えてくる者もいる。
「何で私がそんなことを自慢されんにゃいけんの?!」
すっかりおかんむりのヨシコ。
そうこうしている間に、電話がつながった。
が、その日は希望する病院に空きが無く、行ったことのない医院だったのでパス。
再び電話にかじりつく。
「急いで打たんでも、先に打った人の様子を見てからにしんさい」
焦るヨシコに、私は何度も言ったものだ。
しかしヨシコには、続報が入り始める。
今度は「1回目、打ったよ!」の自慢だ。
家の電話は次々と鳴り、全ての相手と長話をするので
予約の電話をするどころじゃない。
報告を聞いて、悔しがるヨシコ。
老婆って、どうしてこうも自慢しぃなんだろうか。
人の自慢ばかり聞いたヨシコ、具合が悪くなって寝込む。
昔からどんなことであれ、自慢するのは自分の役だったはずが
ワクチンで逆転したのが相当こたえたらしい。
予約の電話に取り組む作業は、数日お休みとなった。
老婆って、どうしてこうも競争心が強いんだろうか。
「しばらくほっときんさい。
そのうち、お願いですから打ってくださいって向こうから言うてくるよ」
私は、出遅れた無念にもだえるヨシコを慰めるのだった。
もちろん、その場しのぎの適当な発言。
はたして数日後、適当な発言は現実となる。
市から1枚のハガキが届いたのだ。
「あんた、まだ打ってないよね。
ここへ電話してみんさい」
といった内容のハガキで、それまで一つだった電話番号が三つに増えとる。
ヨシコがさっそく電話をすると、すぐにつながった。
「何年前にあの病気をした、あれも切った、これも入れた…」
やりたかった病気自慢がやっとできて、満足げなヨシコ。
これをやりたいばっかりに、ネット予約を許さなかったのだ。
念願叶ったヨシコは希望する病院の予約も取れ、ダブルの勝利を手にしたのだった。
5月25日、ようやくワクチン1回目の仲間入りができたヨシコは
次男の送迎で嬉々として打ちに行った。
いずれ我々も打つことになるのであれば、しっかり観察しておかなければ…
と思って接種後の様子を見守ったが、別に変化は見られず
接種ができて周囲と肩を並べられた喜びばかりが目立った。
そんな中、広島県がワクチンで全国の笑い者になった。
1日で1,800人に対応できる大規模接種会場を福山市に用意したが
訪れた高齢者はわずか88人。
これでは準備したワクチンが無駄になってしまうということで
急きょ医療機関に声をかけ、近くの医療従事者に集団接種を行ったという。
まさかの閑古鳥に、記者会見をした知事も頭をひねっていた。
予約から接種会場まで、ワクチン関連のことを決める人は
老人と生活したことなんて無い人が多いのかも。
老人は皆、自分を特別な存在だと思っている。
そう信じなければ生きていられない。
そして、そう信じている者が長く生き残れるのだ。
特別なんだから、特別扱いでなければならない。
十把一からげで一ヶ所に集められ、次々に未知のワクチンを打たれるなんて
家畜じゃあるまいし、とりあえず躊躇するのは当たり前だ。
そして広島県は、全国的に見ても健康年齢が短い。
つまり早いうちから病気になって、余生を入退院や通院で過ごす人口が多い。
病気の高齢者が多いのだから、何かあると怖いという理由から
慣れた病院で接種を受けたいのが人情だ。
もしも万一の事態になった場合、そのまま治療を受けられるし
彼らは死ぬ場合のことも考えている。
知らない所で息絶えるより、慣れた病院で主治医に看取られたい。
そのような高齢者の心理に配慮することもなく
「たくさんの人が一度に接種できますよ!さあ、どうぞどうぞ!」
と言ったって、はいそうですかと乗り気にはなれない。
年寄りは早く終わらせて
次の世代の接種に進みたい都合がありありとわかるので
最初はとにかく慎重に様子を見る。
行く行かないを決めるのは、出足を確認してから。
それが高齢者。
この慎重があるから、彼らは長く生き延びることができたのだ。
ワクチンのことを決めるエラい人たちは、考えが浅いんじゃ。
ともあれ問題が出るとしたら2回目だと、私の周りでも聞く。
2回目の接種は、1回目から数えて20日後の来週15日。
どうなるんだろう。
不死鳥ヨシコのことだから、やっぱり何もないかもね。
で、先日、ヨシコの同郷で近くに住んでいるスエ子さんがうちに来た。
80才の彼女は、今月始めに早くも2回目の接種を終えている。
心臓疾患があるが、2回とも何ともなかったそうだ。
「具合が悪うなるんは、若い人が多いんじゃろ?
高齢者は大丈夫よ」
どこから来るんじゃ、その自信。
「年寄りに打つ分は、もったいないけん、薄めてあるんじゃないの?」
「薄口…」
斬新な見解であった。