今はもう人に譲ったが
私の実家は運輸関係の会社を営んでいた。
うちの仕事は不規則できつい上に気を使い
そのわりには低賃金の業種だった。
しかも町で一番口うるさい祖父がいる。
条件は悪い。
不平不満を言う社員は、高度成長期の昔にもいた。
学校ではその人達の子供に
意地悪をされることもあった。
しかし家で言ったことはない。
いけないことだと感じていたからだ。
商売人の家に生まれたからには
耐えねばならぬことがある。
しかし、子供の私は知っていた。
そのような社員はじきに辞めていくことを。
だから辛抱も短期間である。
不平不満で働く人は、およそ半数。
1人か2人、中心人物がいて
それに同調したり流される人々が集まる。
誰かが辞めても、また次の人が出てきて
このグループが消滅することはない。
一方、同じ仕事をしているのに
いつも明るく楽しそうな社員がいることも
子供の私は知っていた。
残りの半数をしめるその人達は
私のような子供にも優しかった。
年月を経た今、はっきりしていることがある。
不平不満組は、辞めた後も職を転々としたことだ。
仕事が安定せず、家でも不平不満を口にするので
経済も家族関係もそれなり。
転職を繰り返すと
厚生年金のかけ金が途切れ途切れになるため
老後もそれなりだ。
明るく楽しくの組は、長く続いた。
その人達の中には、大企業から引き抜かれ
転職する者もいた。
仕事で何度か接触するとわかるのか
会社へ名指しで話が来るのは
愛想が良くて裏表のない、いわば一流の働き手だった。
定年まで勤めた人は、厚生年金に加えて
会社がかけていた個人年金が満額に達し
年に約百万円が支給されている。
会社や仕事の良し悪しよりも
同じ仕事を不平不満でやるか
明るく楽しくやるか。
三流でいいのか、一流になりたいのか。
結局はどっちの半数に入るかなのだ。
30年以上前の話になるが、私の祖父は
社員の一人に包丁で刺されたことがある。
住居不法侵入で寝込みを襲われたが、軽症。
口やかましい祖父は
社員に恨まれることがよくあったため
家族はさほど驚かなかった。
祖父の首の傷と引き換えに
何かと問題の多かった社員と縁が切れたのは
経営者としてむしろ幸運であった。
建設資材の会社を営む婚家でも、色々あった。
エピソードには事欠かないが
印象深いのは10何年前だったか
申し合わせて一度に辞めた4人の社員から
労働基準監督署へ訴えられたことであろうか。
そのうち2人は以前、交通死亡事故を起こした。
責任者として事故処理は当然の義務なので
逮捕、留置、遺族への謝罪、裁判と
義父は親身に付き添った。
「死んだ父親を思い出して、ありがたかった」
彼らは涙を流してそう言ったが
辞めるとなったら、誰しもこんなものだ。
訴えの内容は納得できないものであったが
義父は要求通りの示談金を支払った。
争っても支払いから逃げられないのだ。
このペナルティによって、傾きかけていた会社が
ますます傾いたのは言うまでもない。
5年前には、義父の所へテレビ局が来た。
報道番組の特集で、誰に聞いたのか
義父は悪徳業者の一人ということになっていた。
悪の才能も徳も無いから
会社が左前になっているのだが
義父はインタビューを受けた。
病み衰えていた義父には、昔のように
怒鳴って追い返す体力が無かったからであり
説明を求められたからには
代表者の社会的責任をはたすためであった。
この取材は、彼の心身に決定的なダメージを与えた。
直後に体調を大きく崩し
やがて最期の入院へと歩を進める。
取材のことを全く知らなかった夫は
数日後に放映された番組をたまたま見た。
どこかで見たことがあると思ったら
自分の実家だったそうだ。
胸から下しか映らない父親の話が
たいしたことなかったからか、応接間の調度品や
洋酒の瓶が並ぶ棚が映し出され
いかにも悪徳業者らしい感じだと言っていた。
私は見そびれたことを残念に思った。
以上は苦労話ではなく、笑い話。
規模の大小にかかわらず、会社なんかやっていると
不測の事態だらけで、ろくでもない話には事欠かない。
小さな責任、大きな収入
楽しい仲間に囲まれて、資格を生かして生き生きと‥
悩める若者はこの状況を望み、得られないから悩む。
しかしその状況は、一生待っても得られない。
ある程度の収入が欲しければ、命がけの責任が付いて回る。
楽しい仲間なんぞとのんきなことは言っていられない。
中では社員に悪口を言われ
外では憎まれ嫉妬され、落とし穴が待っている。
資格どころか刺客も来て
生き生きどころか殺されかける。
望ましい条件には、それなりのリスクが
セットで付いてくるのだ。
それらの現実をしっかり把握してから
改めて悩んでみてもらいたいと思う。
(続く)
私の実家は運輸関係の会社を営んでいた。
うちの仕事は不規則できつい上に気を使い
そのわりには低賃金の業種だった。
しかも町で一番口うるさい祖父がいる。
条件は悪い。
不平不満を言う社員は、高度成長期の昔にもいた。
学校ではその人達の子供に
意地悪をされることもあった。
しかし家で言ったことはない。
いけないことだと感じていたからだ。
商売人の家に生まれたからには
耐えねばならぬことがある。
しかし、子供の私は知っていた。
そのような社員はじきに辞めていくことを。
だから辛抱も短期間である。
不平不満で働く人は、およそ半数。
1人か2人、中心人物がいて
それに同調したり流される人々が集まる。
誰かが辞めても、また次の人が出てきて
このグループが消滅することはない。
一方、同じ仕事をしているのに
いつも明るく楽しそうな社員がいることも
子供の私は知っていた。
残りの半数をしめるその人達は
私のような子供にも優しかった。
年月を経た今、はっきりしていることがある。
不平不満組は、辞めた後も職を転々としたことだ。
仕事が安定せず、家でも不平不満を口にするので
経済も家族関係もそれなり。
転職を繰り返すと
厚生年金のかけ金が途切れ途切れになるため
老後もそれなりだ。
明るく楽しくの組は、長く続いた。
その人達の中には、大企業から引き抜かれ
転職する者もいた。
仕事で何度か接触するとわかるのか
会社へ名指しで話が来るのは
愛想が良くて裏表のない、いわば一流の働き手だった。
定年まで勤めた人は、厚生年金に加えて
会社がかけていた個人年金が満額に達し
年に約百万円が支給されている。
会社や仕事の良し悪しよりも
同じ仕事を不平不満でやるか
明るく楽しくやるか。
三流でいいのか、一流になりたいのか。
結局はどっちの半数に入るかなのだ。
30年以上前の話になるが、私の祖父は
社員の一人に包丁で刺されたことがある。
住居不法侵入で寝込みを襲われたが、軽症。
口やかましい祖父は
社員に恨まれることがよくあったため
家族はさほど驚かなかった。
祖父の首の傷と引き換えに
何かと問題の多かった社員と縁が切れたのは
経営者としてむしろ幸運であった。
建設資材の会社を営む婚家でも、色々あった。
エピソードには事欠かないが
印象深いのは10何年前だったか
申し合わせて一度に辞めた4人の社員から
労働基準監督署へ訴えられたことであろうか。
そのうち2人は以前、交通死亡事故を起こした。
責任者として事故処理は当然の義務なので
逮捕、留置、遺族への謝罪、裁判と
義父は親身に付き添った。
「死んだ父親を思い出して、ありがたかった」
彼らは涙を流してそう言ったが
辞めるとなったら、誰しもこんなものだ。
訴えの内容は納得できないものであったが
義父は要求通りの示談金を支払った。
争っても支払いから逃げられないのだ。
このペナルティによって、傾きかけていた会社が
ますます傾いたのは言うまでもない。
5年前には、義父の所へテレビ局が来た。
報道番組の特集で、誰に聞いたのか
義父は悪徳業者の一人ということになっていた。
悪の才能も徳も無いから
会社が左前になっているのだが
義父はインタビューを受けた。
病み衰えていた義父には、昔のように
怒鳴って追い返す体力が無かったからであり
説明を求められたからには
代表者の社会的責任をはたすためであった。
この取材は、彼の心身に決定的なダメージを与えた。
直後に体調を大きく崩し
やがて最期の入院へと歩を進める。
取材のことを全く知らなかった夫は
数日後に放映された番組をたまたま見た。
どこかで見たことがあると思ったら
自分の実家だったそうだ。
胸から下しか映らない父親の話が
たいしたことなかったからか、応接間の調度品や
洋酒の瓶が並ぶ棚が映し出され
いかにも悪徳業者らしい感じだと言っていた。
私は見そびれたことを残念に思った。
以上は苦労話ではなく、笑い話。
規模の大小にかかわらず、会社なんかやっていると
不測の事態だらけで、ろくでもない話には事欠かない。
小さな責任、大きな収入
楽しい仲間に囲まれて、資格を生かして生き生きと‥
悩める若者はこの状況を望み、得られないから悩む。
しかしその状況は、一生待っても得られない。
ある程度の収入が欲しければ、命がけの責任が付いて回る。
楽しい仲間なんぞとのんきなことは言っていられない。
中では社員に悪口を言われ
外では憎まれ嫉妬され、落とし穴が待っている。
資格どころか刺客も来て
生き生きどころか殺されかける。
望ましい条件には、それなりのリスクが
セットで付いてくるのだ。
それらの現実をしっかり把握してから
改めて悩んでみてもらいたいと思う。
(続く)