殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

源氏物語

2010年06月27日 11時17分19秒 | 前向き論
私のような一介の主婦が、恐れ多くも源氏物語なんぞに

触れてもええんかいな…とも思うが、ま、いいか。


私と源氏物語との出会いは、比較的遅かった。

そういう本があるのは知っていても

元々読書家の類ではなく、古典?文学?勘弁してちょ…のタイプなので

一生読まなくても大丈夫であった。


今はなつかし…九州から帰還した時に住んでいた、アパートの大家さんが

「女のたしなみよ。本より、マンガのほうが読みやすいでしょ」

と言って、源氏物語のマンガ、大和和紀の“あさきゆめみし”全巻を

押しつけるように貸してくれたことがあった。


36~7歳の頃で、私はまだ、一応夫の浮気癖に傷ついていた。

テレビもマンガも小説も、恋愛にまつわるものには、ことごとく拒否反応を示した。


源氏物語なんぞ、もってのほか。

好きモノが、帝の皇子という身分にあかせて女遍歴する話なんて、耐え難い。

しかし大家さんへの義理で、仕方なく読んだ。

後で感想を聞かれるとマズイと思ったからだ。


これで私は源氏物語の良さがわかり、感動したか…

しなかった。

見事。

全然。


すっかり忘れ去り、十年以上経過。

病院の厨房の仕事を辞めた2年前、時を同じくして、大家さんが亡くなった。

まだ60歳だった。

この人には本当に世話になった。

人生で、他人の恩人をあげろと言われたら、まずこの人の名前が出てくる。


家族の仲が良く、色ごととは全く無縁の彼女が

なぜああまでこの物語に心酔し、私に強く勧めたのか。

それとも、邪恋に無関係だから抵抗が無かったのか。

大家さんをしのび、源氏物語をもう一度読んで、気持ちを共有してみようと思った。


まず“あさきゆめみし”を買う。

本でも言葉でも、人にはそれぞれ

与えられるにふさわしい機会、理解出来るようになる時期があるのだと思う。

最初の時には、自己防衛本能から上滑りしていた内容も

今度はちゃんと頭に入ってきた。


あの頃、私に付いていた大小の傷は

まだ別の舞台に間に合うかも…という

未来への淡い期待の裏返しだったのではないかと思う。

それはまた「許せない」という幼く清涼な正義感であり

「私だって」という若さであった。


年を取り、自分に残された時間があまり無いのがわかってくると

よそばかり見て、ああなりたい、こうなりたいという気持ちもしぼんでくる。

ああなりたい、こうなりたいの願望は

ああなれなかった、こうなれなかったという刃(やいば)となり

ブーメランのように返ってきて、自分に突き刺さるのだ。

それが私の傷の正体であった。


自分で自分を傷つけるのは痛いし、年を取ると回復も遅い。

そこでようやく、よその舞台に出演するのをあきらめ

我が身に与えられた役柄を受け入れて、楽しむことを覚えていく。

良く言えば練れた…悪く言えばスレたのだ。

源氏クンの「悪気は無いのに、結果はザンコク」にも

寛大に微笑むことが出来るようになったわけヨ。


それは、時の流れが味方してくれただけではない。

お産より格段につらかった亭主の浮気であるが

それよりも病院勤めのほうが、もっときつかったのを思い知ったからでもある。

狭い周囲を見回して、私が一番不幸…なんてタカをくくっていると

二番底、三番底を体験させてもらえるサービスが、人生にはあるらしい。


かくして今回“あさきゆめみし”が傑作であることは、やっと認知出来た。

源氏物語は、単にスケベ男の生涯を描いたものではない…

源氏を通して、彼とかかわる女達のプライドや生き様を

描きたかったのだ…と思った。


元々、豪華絢爛、美々しいものが好きな私…もっと詳しいことが知りたくなり

田辺聖子、瀬戸内寂聴の現代語訳の本も買い込む。

マンガで知ったあらすじを、今度は本でたどっていくと

マンガでは省略されていた部分の年齢や人間関係、立場などもはっきりしてくる。

逆に、本ではわかりにくい点を、マンガと照らし合わせて知ることもあった。

一夫多妻や身分制度の中で繰り広げられる

泥沼、モノノケてんこ盛りの壮大な絵巻は

文字通りのエンターテイメント小説である。


この物語には、実に個性的な人物が多く登場する。

なよなよした、すぐ死んじゃう女や、性格の良い女よりも

やはり魅力を感じるのは

源氏のつれなさを恨んで生き霊となり、死後は怨霊となって

彼の女たちにたたる六条の御息所(ろくじょうのみやすどころ)

セクシー美人の朧月夜(おぼろづきよ)

物語ではピエロ的役割の、不細工な末摘花(すえつむはな)などである。


様々なタイプの登場人物に、自身を重ね合わせるのも楽しい。

私には、弘徽殿の女御(こきでんのにょうご)あたりが、ぴったりだと思う。

源氏の父である帝の寵愛を競うライバルとして

源氏の母をいじめ抜き、成長した源氏をも葬り去ろうと画策する。

あの底意地の悪さは、とても他人とは思えない。


スピリチュアルの視点で読むのも一興。

生き霊、怨霊、魑魅魍魎…病気でもお産でも、何かっちゅうとすぐ祈祷。

医学が発達していないので、この方面に頼るしかないんだろうけど

もしや千年昔は、それら得体の知れない物体と共存していた時代であり

源氏の悪癖も、それらが関与して、自分ではどうにもならないことだった…

と前提して読むと、また違った味わいがある。

宿業だの因縁だのもたっぷり出てきて、雰囲気バッチリ。


読んでいて、つい思うのは

「この人ら、いつ寝るんじゃ?」

やれ月が美しい、それ明け方の霧や雪は趣がある…

琴だ、笛だ、物思いだ、夜這いだと、夜は本当に忙しそうだ。

短命なのも、これが一因じゃないのか…などと勝手に案じてみる。

昼寝もするんだろうけど

そんなことを考えるのも、楽しみのひとつである。


作者の紫式部は、多情な夫を持つ苦しみを、確かに身を持って知っていた。

その連帯感を道しるべに、幸も豪奢、不幸も豪奢の世界で

男心や女心を味わうのは「いとおかし」。


そこいらのネエちゃんや、おばはんをだまくらかし

コソコソと出し入れする、現代の不倫男の小ささよ…。

単なる盗み食いを、どうにかして美化しようと

乏しい頭をひねる、現代の不倫女のセコさよ…。

源氏物語は、色で傷ついた女性のリハビリ期に

けっこう効果的な薬品ではないかと思う。
コメント (40)
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