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殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

現場はいま…それぞれの想い・8

2022年07月19日 09時29分12秒 | シリーズ・現場はいま…
「もしもし…」

知らない番号の知らない男から電話がかかって来た…

と言っても、夫にとってそんなことは日常茶飯事。

彼の携帯番号は名刺やホームページで公開しているので

仕事に関する問い合わせや現場の業者からの連絡など

夫が受ける電話の何割かは知らない人からだ。


しかしこの電話、内容のほうは一風変わっていた。

男は自分の名前と勤務先を名乗った後

「知り合いの女性を運転手で雇ってくれませんか」

そう言ったからだ。


「運転手は間に合ってます」

夫が答えると、男はなおも言った。

「女性でも、経験は長いんですが」

「ダンプの空きが無いから、募集はしてないんですよ」

「面接だけでもしてもらえませんかね?」

「人を入れる予定が無いのに面接はできんでしょう。

そもそも、うちへ来たい人とは誰のことですか?」

男はそう言われて口ごもる。

「それは今、ちょっと…

面接してもらえたら、本人を行かせますから…」


真面目に対応する価値無しと判断した夫は、冷たく言った。

「わけのわからん人とは、会われんわ」

男は沈黙し、電話は切られた。


男の言った勤務先は夫の親友、田辺君の勤務先でもあった。

また、その勤務先はヒロミが以前、働いていた所でもある。

こういうのは、偶然と言わない。

大型ダンプを使う会社は、数が多くないからだ。

この近辺に住むダンプ乗りにとっての転職とは

数ヶ所の仕事先を順番に巡ることなので、勤務先の符合は当たり前である。


電話の後、夫がさっそく田辺君に確認すると、彼はすぐに答えた。

「うちでダンプに乗ってる50過ぎのオッサンだよ。

無職と再就職を繰り返して腐ったクチ。

松木のオッサンと同じだから、相手にしない方がいいよ。

今はダンプ乗りの女と付き合ってるらしいから

言ってるのは自分の女のことじゃないの?」


知らない男からの電話は、その後も続いた。

ただし、かけてくる相手はそれぞれ別人。

「知り合いの女性運転手を入れて欲しい」

話す内容はほぼ同じだ。

そして、その女性の素性は言わない。

ぞんざいな話し方から、夫はどれも同じようなレベルの運転手仲間だと感じた。


この手の電話は6月29日から30日にかけて、合計5回あった。

「ええ加減にせぇ!

人に電話さして自分は隠れとるモンを、ハイハイ言うて入れたらバカじゃわ!」

夫もしまいには嫌気がさして、きついことを言っていた。

この人、基本は無口だが、腹を立てると結構言いなさるんじゃ。


話題の女性が誰であるか、我々は最初から確信している。

ムッちゃんだ。

ヒロミに夫の携帯番号を聞いたものの、自分では言いにくいので

せっせと知り合いに電話をかけさせているのである。

後で次男が言うには、電話のあった29日と30日の両日

ヒロミは珍しくムッちゃんのことを口にしなかったそうだ。

この作戦に賭けていたからだと思われる。


我々は、彼らを心から憐れんだ。

あんな電話で就職できると、マジで思っているのか。

どいつもこいつも、悲しくなるほど愚かではないか。

このような人たちがいるから、ダンプ乗りの地位は向上しないのだ。


とはいえ、女だと告げれば採用の可能性が出ると踏んだ

彼らの心境はわからないでもない。

夫の女好きは有名だ。

人類の大好きなシモの噂で、周囲を賑わせていた過去は消えない。


だから彼らは夫に電話をした時、ムッちゃんの情報を隠しながらも

女性の運転手ということだけは、はっきりと伝えた。

ハーレムを作ると豪語していた藤村の例もあることだし

女と聞いた夫が、会ってみたいと思えばしめたもの。

あるとすればの話だが、ムッちゃんの魅力で夫を魅了し、めでたく入社の予定。


その過程が、最初に電話をかけてきたカレシとの媚薬になるであろうことはさておき

古い話になるが、夫にはヤクザの情婦だった未亡人に魅了され、会社に入れた前例がある。

この業界、愛人を会社に入れるのはよくあることなので、さほどの驚きは無いが

界隈のダンプ乗りにとって衝撃的だったのは、乗せるダンプの空きが無いにもかかわらず

その未亡人を運転手として入社させたことだった。


ダンプ乗りの就職は、まず空いたダンプありき。

空きダンプが無いのに運転手を入れたとなると

今勤めている社員の誰かを辞めさせる心づもりがあると公言したも同じだ。

能天気な夫は深い考えもなく、ただ愛人の希望に従ったまでだが

社員の方は確実にそうとらえる。

与えられたダンプに強い思い入れを持って働く運転手の思考回路は、そうなのだ。


愛人を働かせたければ、とりあえず社員に影響の少ない仕事をさせて様子を見る…

それは愛人を会社に入れる際の、最低限の掟。

恋に狂って女の言いなりとなった夫は、結果的にこの掟を破った。

そのために社員を不安と絶望に陥れた事実は、当然知れ渡る。

運転手が無線でしゃべるからだ。

それは30年近く経った今でも語り継がれている。


ムッちゃん御一行が、この過去を把握しているかどうかは不明だが

少なくとも女好き、女の言いなりという夫の悪癖を知っているからこそ

計画された作戦なのは間違いない。

アレらが軽い頭で考えそうなことだが、本社と合併した現在

会社は夫の思い通りにならないため、時代的に古過ぎる。


また、ムッちゃんが勇気を出して夫の所へ行き、就職を頼んでみたところで

50もつれの元ヤンに夫がよろめくかどうか。

こっちは視覚的に古過ぎる。

いずれにしても残念な作戦だった。

《続く》
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現場はいま…それぞれの想い・7

2022年07月16日 21時23分15秒 | シリーズ・現場はいま…
昨日は、シュウちゃんの最後の出勤日だった。

シュウちゃんとは74才の社員。

大型ダンプの運転手が、この年まで現役を続けられるのはレアケースだ。

たいていの人は健康不安や視力の衰えにより、もっと早めに引退する。


特に視力は大事。

以前もお話ししたことがあるが、大型免許を持つ人は

免許の更新時、通常の視力検査に加えて深視力(しんしりょく)検査というのが行われる。

この検査に合格しなければ、大型免許の更新はできない。

不合格の場合、普通免許は残るが大型免許は失効する。


60代に入ると、多くがこの深視力検査で引っかかるようになり

大型車両の仕事を辞めて行く。

しかしシュウちゃんは、ずっと大丈夫な奇跡の人だった。

働き者で性格も良い彼には、ずっと来てもらいたかったが

今月の誕生日がきたら後期高齢者の75才になるということで…

つまり、あまりにも老人過ぎるということで

事故や労災を案じる本社の意向により、退職してもらうことになったのだ。

合併して良かったこともたくさんあったが

こんな時は自分たちの無力を感じること、しきりである。


辞めるシュウちゃんに、心ばかりの品を渡したい…

我々家族は考えた。

が、シュウちゃんに贈り物をするのは難しいのだ。

例えば義父の命日にお供えをくれたので、お返しを渡すと

律儀なシュウちゃんは、そのお返しを持って来る。

それでは申し訳ないので、少し日にちを置いてまた何か渡したら

シュウちゃんもまた何かくれる。

それじゃあ悪いので、また何かあげる。

するとまた、何かくれる。

エンドレス。


「もうやめよう…キリが無い…」

ということで、その時はもう返さなかった。

そんなわけで、彼に物を贈るのは難しいのである。


そして昨日、シュウちゃんは夫と社員に贈り物を用意していた。

お別れの挨拶だそう。

夫には味付け海苔、社員にはお菓子の詰め合わせ。

思えばこれまで、退職の時にこのような物をくれる社員は誰一人いなかった。

シュウちゃんのように律儀な運転手は滅多にいないのもあるが

この業界、待遇の不満か喧嘩で辞めるケースが多いため、円満退社も滅多に無いからだ。


それはともかく普通、そういう物は帰り際に渡すだろう。

が、彼の場合は朝イチ。

贈り物を用意したら、すぐ渡したくなるのがシュウちゃんなのだ。


彼が夫にそれを渡した時、夫は用意していたメロンをすかさず渡した。

メロンはバナナと並ぶ、奥さんの好物。

大袈裟でない物ということで決め、息子たちと割り勘で前日に買っておいたものである。

贈り物が好きなシュウちゃんは、きっと何かを持って来るだろうから

同時に渡せばお返しは来ないと踏んだのだった。


勤務を終えたシュウちゃんは、夫や息子たちに

「お世話になりました」と言って帰って行った。

じっとしていられない人なので、またどこかで働くかもしれないし

たまには会社にも顔を出してくれるだろう…

昨夜、我々家族はそう語り合い、悲しい別れに決着をつけたものだが

シュウちゃんは今朝、さっそく会社に顔を出した。

「やっぱり大手はええのう!有休の消化なんて、わしゃ初めてじゃ!」

と上機嫌だったそうである。



話は昨日に戻るが、シュウちゃんに別れの挨拶もせず、さっさと帰った社員が二人。

佐藤君とヒロミだ。

怠け者の佐藤君は、彼にズケズケ言うシュウちゃんを嫌っていたし

ヒロミはヒロミで、とある事情により、ずっと不機嫌だった。

その事情とは、シュウちゃんの後釜として

仲良しのムッちゃんを入社させる計画がパーになった件である。


さらに話は先月に遡るが、シュウちゃんの退職を知ったヒロミはルンルンだった。

前の職場で同僚だった、ムッちゃんを入れるつもりだったからだ。

ムッちゃんはよそのダンプに乗っているが

ヒロミとは話ができあがっていて、すっかりこちらへ転職する気でいた。

それを聞いた我々は、「図々しいにもほどがある!」と腹を立てたものだ。


そのうちマルさんの入社が公になり、ムッちゃん入社の夢がいよいよ破れかけた頃

ヒロミは最後の隠し球を出してきた。

彼女にとっては隠し球でも、我々にとってはどうでもいいその内容とは

自分が入社した時、次に欠員が出たらムッちゃんを入れることを

藤村と約束していたというものである。

ヤツがまだ、こちらに居た頃の話だ。

女性運転手ばかりを集め、自分だけのハーレムを作ろうとしていた藤村のことだから

全く不思議ではない。


「ムッちゃんが入るのは去年から決まっていたんだから、約束を守って欲しい」

ヒロミは日々、次男に訴え続ける。

人事に関わらない次男が聞いても仕方がないのだが

夫がけむたいヒロミは、話しやすい彼だけに言う。

次男が父親を動かしてくれると思いたいのだ。


しかし、いくら約束していようと、文書を交わしたわけでもないただの口約束。

藤村が失脚した今、約束はホゴになって当然だ。

次男がそれを説明しても理解できないヒロミは

「約束、約束」としつこく主張を続ける。

次男は毎回、「わしゃ知らん、藤村に言え」と答えていた。


その様子を聞いた私は、ヒロミがムッちゃんにせっつかれていると確信した。

ムッちゃんから、入社はまだかまだかと矢の催促をされているのだ。

おもしれぇじゃんか。

入社できると思い込んでいるムッちゃん…

生返事で逃げ回り、その間に何とかしたいヒロミ…

損得で繋がるゲスの友情など、壊れりゃええんじゃ、


やがて6月が終わろうとする頃、夫の携帯に知らない番号から電話がかかる。

「もしもし…」

聞き覚えの無い男の声だった。

《続く》
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現場はいま…それぞれの想い・6

2022年07月14日 10時10分52秒 | シリーズ・現場はいま…
田辺君に叱られて以降、松木氏がこちらに来る回数は目に見えて減り

来てもすぐ帰るようになった。

よしよし。


夫はいつも田辺君に頼っているように思われるだろうが、そうではない。

我々とて、アレらに脅しで勝とうというつもりはない。

田辺君も我々も、できることならお互い一人の人間として理解し合い

円滑に仕事をしていきたいと思っている。

が、アレらが田辺君のテリトリーに近づくから、こうなってしまう。

水やりも施肥もしない自分の畑に作物が成らないからといって

人の畑の作物をくすねようとすれば、誰だって厳しい態度で接する。

それだけのことである。


ゲスは立ち直りが早いので何日持つかわからないが

その間、夫には英気を養ってもらう。

ともすれば夫を罠にかけて追い落とし、自分が采配を振るおうとする彼の野心から

夫を遠ざける時間は必要だ。

その時間を捻出してくれる田辺君には、いつも感謝している。


夫がどんなに情けなくて悔しいか、私にはよくわかる。

そりゃもう、痛々しい。

夫が松木氏、あるいは藤村にやられていることは

その昔、夫が私にやっていたことだからである。

夫が松木氏の役で、親が本社の役。

顔ぶれが入れ替わっただけで、やってることは同じさ。

ははは。


愛人と再婚したい夫は、私を追い出すためにせっせと親に告げ口をした。

他に男がいる…実はギャンブル狂…などの荒唐無稽な内容だ。

それで親が怒り狂い、私を叩き出してくれれば夫の野望は達成する。

そして親の方は、我が子の話を鵜呑みにし、厳しい言葉で私を責めたものである。

夫の話の真偽も、私の潔白も問題ではなかった。


悪人をこしらえるのは簡単だ。

一人が言い出し、もう一人がそれを信じて賛同すればいい。

勧善懲悪の名目で疑惑の目を向け、心ない言葉で傷つける行為が

さも正しいことのように行われる。

悪を正し、教え導くため…もっともらしい理由を付けて

人は刑を執行したがるものだ。

絶好の暇つぶしとストレス解消になるからである。


私は何十年、それを経験して生きてきた。

報われることの無い暗くて長いトンネルは、なかなか慣れるものではない。

それがいかに無駄な苦しみか、私は知っている。

この苦しみで学習したのは、人間の奥底なんて、こんなもんさ…

ということだけで、たいした収穫は無い。

時間がもったいないので、体験しない方がいい。

すでにそれを体験させる人と出会ってしまったのだから、もはや致し方ないが

夫に対しても心からそう思っている。


ともあれ松木氏や藤村のように

人に無駄な苦しみを与えるのがライフワークの人はいるものだ。

我々の後にも、本社と合併した会社は複数あり

その中の幾つかは、トップが首を切られて本社の直営になった。

原因は明らかにされていないが、私が見たところ

高齢になってから中途採用され、本社から送り込まれた彼ら…

スパイという名の犬が原因だと思う。


経営が立ち行かなくなり、合併するしかなくなった会社には

それまで社長さん、社長さんとチヤホヤされていた人たちがいる。

合併と同時に送り込まれた犬に、あること無いこと告げ口され

そのたびに本社から疑われ、責められる日々なんて、人生初の体験だろう。

たいていの人はプライドがズタズタになって、おかしくなる。

やがてキレて本社の機嫌を損ね、お払い箱になるのは時間の問題だ。


それこそが、犬たちの目的。

揉ませていれば自分は安全、さらに良いことまで起きるかもしれない。

切られたトップの代わりに、犬が責任者になれる可能性が出てくるからだ。

事実、松木氏がうちと同時に担当中の生コン工場は

合併してほどなく、社長と本社が揉めた。

うちが合併した直後にそこの合併だったので、よく覚えているが

社長夫婦はクビになって工場は本社直営になり

責任者を決めることになった。


本社から遠い場所なので、暇そうな犬を行かせるしかない。

そこでうちの担当犬、松木氏が選ばれ、工場長として回された。

うちで仕事ができないので、肩書きを褒美に飛ばされたのだ。

給料は変わらずとも肩書きはもらえるので

犬としては出世した錯覚をおぼえ、嬉しそうだった。


本社もまた、それでいいのだ。

合併してやった会社なんて、しょせん彼らのオモチャ。

そこで彼らの犬が、どんな悪さをしようと構わない。

揉めれば、暇つぶしのネタが増えるだけだ。


そんな中、うちが合併後も12年続いているのは

生き馬の目を抜く本社の中で、一番情に厚い河野常務の恩恵と

夫の忍耐力の賜物。

加えて嫁と継子を経験しているため、本社の心境が読める私の立ち回りも

少しは貢献したのではないかと勝手に自負している。


そうまでして会社を続ける意味があるかどうかと問われれば、無い。

それとは、別問題なのだ。

せっかく合併しながら、本社の機嫌を損ねて早々にクビになれば

「乗っ取り屋に騙されて何もかも奪われたあげく、追い出された」

みっともないので、結局はそう弁解することになる。

くだんの生コン工場の社長夫婦も、そうだった。


少なくとも私は、夫をそのような立場にしたくなかった。

意地もあったが、当時、病気の義父がまだ生きていたというのも大きい。

おバカなヒロシが騙されて…という、夫家の伝統かつ安定の結果では

父親の負債を押し付けられた夫が、あまりに気の毒じゃないか。

おバカなヒロシでもちゃんとできるところを

一回ぐらいは見せてから、あの世へ行ってもらわないと

義父はどうでもいいが、夫に悔いが残ろうよ。


とりあえず10年持ちこたえれば、騙されて奪われたことにはならない。

倒産寸前で助けてくれた本社や、河野常務にも義理が立つ。

その10年が過ぎ、はや12年だ。

状況はさほど変化してないものの

気持ちだけはオマケ気分というところである。

《続く》
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現場はいま…それぞれの想い・5

2022年07月12日 09時29分58秒 | シリーズ・現場はいま…
松木氏はあんまり来なくなりました…チャンチャン

で終わろうとした矢先、彼に不運が訪れる。

本社から、ある取引先との値上げ交渉を任されたのだ。


その取引先、S物産は都市部にある。

義父の時代から何十年も親しくしてきた所で、本社と肩を並べるランクの大手だ。

取引額は大きく支払いは確実、将来性も盤石な優良取引先。

ただし問題が一つ。

任侠系なので、付き合うのが難しい。


売り上げを上げるという名目で、うちの取引先をつつき回し

美味しい所を奪いたがるのは本社の趣味みたいなものだ。

それが目的でうちと合併したわけだが

河野常務ですら、このS物産には手を出せなかったため

合併以後も変わらず夫が担当していた。

お互いに先代からの付き合いなので気心が知れており

夫の親友である田辺君がS物産の営業マンだったこともあって

S物産は合併の憂き目に遭った夫に何かと配慮してくれ

ありがたい取引が続いていたのだった。


しかし藤村がこちらへ着任して数年後、彼は自分がS物産を担当すると言い出した。

ここを手中に収めれば、本社で株が上がると踏んだからである。

藤村はS物産に乗り込み、それまでの契約内容を更新した。

新たな契約では単価が安くなり、こちらの利益は激減。

無知な彼らしい、見事な成果である。


藤村は、S物産にからかわれたのだ。

巧妙な揺さぶりをかけられ、うっかり値下げに応じてしまった。

今までより安値で納品してくれるとなれば、誰でも喜んで契約してくれる。

もちろん、この裏には田辺君と夫がいた。

業界のことなど何も知らない藤村が

無茶な契約をして上から怒られればいいと思っての、いたずら心だった。


しかし本社は、結果よりも藤村の勇気を讃え

これから徐々に食い込んで行けばいい、と器の大きさを見せた。

自分たちが接触しなくて済むのなら、それに越したことはないからだ。

そして当の藤村は遊ばれたことも知らず、夫から取引先を奪ったことに…

それが泣く子も黙るS物産であることに有頂天だった。

以後のS物産は夫の手を離れ、本社営業部との直接取引に変更された。


ほどなくS物産では、専務と常務による跡目争いが勃発し

常務が社長に就任するという出来事があった。

専務派に付いていた田辺君は、敗れた専務と共に退職して別の同業者に転職した。

追われたわけではなく、勝負の敗者は速やかに去るという任侠の掟によるものだ。

やがて藤村もパワハラとセクハラで降格処分を受け

ただの走り使いになったので、S物産の担当から外れた。


その間もS物産と本社の取引は、藤村の結んだ契約単価のまま

依然として続いていた。

続いていたというより、放置されていたという方が正しい。

こちらから奪って本社の直取引にはしたものの

誰もS物産を担当したがらないからである。


しかしここにきて、物価が高騰。

商品の仕入れ価格も値上がりが著しく

藤村が数年前に契約した安い単価では、月にわずか数千円の利益しか無くなった。

このまま高騰が進めば、赤字だ。

本社は、S物産との値上げ交渉が必至となった。


が、猫の首に鈴をつける役なんて、誰もしたくない。

値上げの話をしに行こうと言う者は、本社にいなかった。

奪っておきながらカッコ悪いので、今さら夫にも頼めない。

そこで白羽の矢を立てられたのが、松木氏。

河野常務は松木氏を昼食に誘った時、この大抜擢を伝えたのだった。


人選は的確だ。

我々を蹴落としてまで本社に媚びる松木氏だが、向こうは違う。

66才の高齢就業、年金満額受給中の彼なら、明日解雇してもノープロブレム。

ヤバくなったら切ればいい、どうなってもいい男…

それが松木氏なのだ。


常務からS物産との値上げ交渉を任された松木氏は、激しく後悔したと思う。

のんきに昼寝どころではなくなり、寝られないのならうちへ来る必要も無く

どこかでクヨクヨと悩んでいたのだ。


もう一つの担当である工場に居れば、こんなことにはならなかった。

昼寝がしたいばっかりに、こちらのことが何かと気になるふりをして

毎日通い始めたのが運の尽き。

「そんなに気になるのなら、前任だった藤村の代わりにS物産を担当しろ」

そういうことにされてしまったのは、聞かなくてもわかる。


約1週間後、意を決した松木氏はS物産に電話をして

あちらの営業マンと話をした。

が、ほどなく玉砕。


S物産の営業マンは激しい口調で言った。

「何年も音沙汰無しで、電話をかけてきたと思えば値上げとは何だ。

寝言を言うな」

電話は切られ、為すすべもない松木氏だった。


S物産の営業マンは、会社に来ようともせず

電話一本で値上げの話をした松木氏に憤慨し、先輩だった田辺君にこのことを言いつけた。

松木というオッさんの頭は、どうなっているのか…

営業を出せと言うから自分が出たら、いきなり値上げの話をして希望の単価を言った…

はあ?と聞き返したら、自分は次長だと言い出す…

うちを相手に、いい度胸だ…。


任侠系は、礼儀に厳しい。

面識の無い人間は、まず先方にアポを取って会社を訪問し

いったん挨拶を済ませてから、改めて後日、本題に入らなければならない。

ましてや値上げの交渉を電話で済ませようとするなんぞ

バカにしていると思われても仕方がないのだ。


田辺君はこの話をたいそう喜び、さっそく松木氏に電話をした。

「S物産で、やってくれたそうじゃないの。

あんた、自分がどうなるかわかってんの?」

「え…」

「電話一本で値上げせぇじゃことの、よう言うてくれたもんじゃのぉ」

松木氏の行いは、夫の口から田辺君に伝わっているので容赦ない。


が、松木氏にコトの重大性がわかるはずもなく

ビビッた時はいつもそうするように、冗談ぽく茶化した。

「年寄りをいじめんといてくださいやぁ」


これがいけなかった。

「何じゃ〜?これからそっち行ったろうか?

ワシの古巣でナメた真似しやがって、タダで済む思よんか!」

「すみません…すみません…

僕も66で…年なんで…年寄りと言っただけで…」

「次長じゃの何じゃのと威張りくさっといて、こういう時だけ年寄りか」

「いや、僕はそんなつもりは…癌をやった病人だし、大目に見てください…」

「今度は病人か、次長じゃなかったんか」

「すみません…すみません…」

「年寄りで病人なら、はよ辞めて隠居せえ!」


これでしばらくはおとなしくなるかもね…

夫にこの件を報告しに来た田辺君は言った。

しかし藤村と同じく学びの無い人種であるから

あまり長くは持たないことは彼も知っている。

「また調子に乗ったら、知らせてね」

彼はそう言って帰った。

《続く》
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現場はいま…それぞれの想い・4

2022年07月10日 11時25分00秒 | シリーズ・現場はいま…
安倍元総理の銃撃事件、びっくりしましたね。

いち国会議員に戻られて、少しは平穏に過ごしておられるのかと思いきや

まさか凶弾に倒れて亡くなられるなんて、あんまりです。

日本に必要な方でした。


過去に要人を襲撃する事件は数々起きていますが

今回も“安定”の、逆恨みによる単独犯という結末で

終わってしまうのでしょうか。

本当に残念で、悲しい出来事でした。

安倍元総理のご冥福を心からお祈り致します。




さて、次男のことを綴った松木メモは、次男本人が発見した。

松木氏が寝ているので、息子たちも社員も

始業と終業の時しか事務所に入らなくなっている。

事務員のトトロも、松木氏が来て寝るようになってからは気まずいのか

体調不良ということで休みがち。


しかしある日の昼下がり、取引先に提出する書類が必要になった次男は

ダンプを降りて事務所に入った。

松木氏はいつものように、ソファーで爆睡中。

傍のテーブルには書きかけのメモが放置されている。


次男は松木氏のあられもない寝姿と、テーブルのメモをそっと撮影。

父親が彼のことで苦しんでいるのを知っていたので

念のために証拠写真を残そうと考えていた次男にとって、良い機会だった。

で、ダンプに戻り、画像を確認したら自分の悪口だったというわけ。


喫煙を見られた長男を避けるあたりは、いかにも松木氏らしい。

私に似て気性の激しい長男は、以前から松木氏の苦手分野。

苦手というより、完全に避けている。

かたや夫や次男のような、愛想が良くて友好的な人間は

自分に迎合していると思い込み、残酷な仕打ちを試みる。

ゲスの特徴である。


夕方、帰宅した次男が画像を見せてくれた。

メモにはタイトルが付いている。

「ヨシキは嘘つき」。

その下には、粘着質な細かい文字がびっしりと並んでいて

メモというよりレポートだ。


経費を勝手に使い過ぎる…自己中心的な発言で社内の和を乱す…

遅刻、早退、ズル休みが多い…それをごまかすために嘘をついている…

調査が必要…。

松木氏はこれを書いている途中で、再び眠り込んだらしい。


これを見た私は最初、松木氏が自分の反省文を書いているのかと思った。

しかしタイトルに次男の名前が呼び捨てで書いてあるので

やっぱり次男のことみたい。

捏造を通り越し、もはやドラマのシナリオ。


腹は立たない、いや、立てないようにしている。

今回は文字になっているので、何やら新鮮な気分がするものの

彼の頭の中は、いつもこのような言葉でいっぱいである。

日中の大半を寝て過ごすようになったので

「何か書いて仕事しました〜!」という、自分の納得する形が欲しいのだ。


藤村もそうだったが、彼らは今までにも我々家族について

似たような内容を口頭で本社に伝えては

本社に誤解や疑念を抱かせるよう立ち回ってきた。

うちの男どもはいざ知らず、私までいちいちカッカしていては冷静な対処ができない。

平常心を保ち、対応を考える…それが私の仕事だと思っている。


なぜ、松木氏はこんなことをするのか…せずにはいられないのか

理解に苦しむ方もおられよう。

私も最初の頃は理解に苦しんだクチ。

が、彼との付き合いも12年、だいたいのことはわかった。

仮に本社の名称を“鈴木工業”ということにして説明すると

彼らのように50を過ぎて本社営業部に中途採用され

安い給料と実態の無い肩書きを与えられて合併先に送り込まれる人々は皆

“鈴木デビュー”だからである。


仕事が続かず職を転々としてきた彼らは、仕事の仕方や職場での心構えを知らない。

あちこちで働いて身につけたのは、口だけだ。

いかに楽をするか、いかに人の足を引っ張るかを日々考えていれば

鍛えなくても嘘はうまくなる。

だからどこへ行っても嫌われ、転職を繰り返すしかなかったのだ。


どこへ再就職しても新人のペーペーからスタートだったのが、本社は違った。

彼らの過去はいきなり、大袈裟な肩書きでロンダリング。

密かに抱いてきた劣等感は、払拭された。

古いスーツを引っ張り出してネクタイを締め、課長でござい、所長でござい、次長でござい…

これぞ彼らが長年望みながら叶わなかった、初めての環境だ。

それが鈴木デビュー。


が、知ったかぶりはうまくても、仕事の仕方は知らないままなので

失敗続きは当たり前。

クビや肩書きの剥奪を恐れた彼らは、焦る。

デビューの遅い者は厚かましい態度と裏腹に、内心は大変な怖がりである。

そこで仕事を頑張ればいいものを、得意の破壊に走るのは順当な道筋だ。

周囲の足を引っ張り、そちらに目を向けさせることで

自分は楽に生き延びようとするのである。



話は戻って、松木メモを見た次男は、重機の中にいた夫に画像を見せた。

次男が言うには、それを見た夫は顔色が変わったそうだ。

すぐさま寝ている松木氏の所へ行き、怒鳴った。

「会社で寝るな!」


松木氏は、驚いて飛び起きたという。

「来客に恥ずかしい!眠たいんなら家で寝やがれ!」

寝起きでポカンとしたままの松木氏。


夫はメモの件にも触れた。

「ゴチャゴチャいらんことばっかり書きやがって!

こんなモン書く暇があったら仕事せえ!」

松木氏は夫の剣幕に驚き、慌ててどこかへ行ってしまった。

これを見た次男は、スッとしたと言う。


「さすがパパ!」

話を聞いた私は、夫を褒めちぎった。

怒りは時として、不可能を可能にするらしい。


翌日、松木氏は来なかった。

夫の剣幕に驚いたのもあるかもしれないが

昼寝の件に言及された今、もう寝られないので来ても仕方がないのだ。


しかし、さらに次の日。

河野常務が午前中に会社を訪れることになった。

松木氏は来ないわけにいかず、いつになく早めに出勤。

寝られなくて辛そうだったと、夫は後で言っていた。


常務の用事は、いつもの巡回と雑談。

手の空いた次男も参加したので、松木氏は気が気でなかっただろう。

夫はこの時、松木氏の前で常務に言った。

「本社では、終業報告というのが始まったんですね。

僕も毎日、松木さんに終業の報告をしてます」

朝、私と行った打ち合わせ通りだ。


常務は首をかしげる。

「終業報告?なんね、それ?終わったら帰りゃええが」

言いながら、松木氏をジロリと見る常務。

「おまえ、終業までここにおらんのか?どこ行っとんじゃ」

勘のいい常務なら、必ずこの点に気づくと思っていた。


「取引先に…」

モゴモゴと口走る松木氏。

「どこ行きよんか知らんが、熱心なことよのぅ」

そうだ…パソコンにメールが来ているはず…

独り言を言いながら、立ち上がる松木氏。


パソコンに張り付く松木氏を除いた3人は雑談を続け、やがて常務は言った。

「松木、昼メシ食いに行こうや」

「え…でも、私はこれから取引先に行く予定が…」

「相手も昼メシじゃわ」

松木氏は常務に連れ去られた。

夫を誘わなかったのは、松木氏に何か言うことがあったからだ。

常務が何を言ったかは知らない。


この日から1週間余りが経つ。

松木氏は2回しか来ず、来てもすぐ帰る…

と、このシリーズはここで終わるはずだったが、終われなくなった。

《続く》
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現場はいま…それぞれの想い・3

2022年07月07日 10時37分00秒 | シリーズ・現場はいま…
放置を決め込んでいた、夫と松木氏の問題。

それを解決するべく、私は知恵を絞るのだった…

と言いたいが、知恵なんかいら〜ん。

「会社で寝るな」

夫が松木氏に、そう言えばいいだけだ。

卑怯者はビビリでもあるから、反撃の意思を明確に表せばおとなしくなる。

口の回らない夫だから、一発勝負で葬ろうなんて考えない方がいい。

別件からジワジワと追い詰める方が楽しいし、確実だ。


その前に、夫がまたもや痛恨のミスを犯しているのにお気づきだろうか。

「仕事が終わったら、毎日僕に報告するように」

松木氏から言われた時、何も言わなかったことだ。


「それは本社の指示?それとも松木さんの独断?」

これぐらいは、その場で聞くべきだった。

口が重たいし、松木氏がそこまでするとは思わなかっただろうから

すぐに言えないのはわかっている。

しかし後で苦しむのが嫌なら、言うしかないではないか。


嘘つきの彼は間髪入れず、涼しい顔で言うだろう。

「本社の指示だ」

そしたら彼の目の前で河野常務に電話して、確認を取ればいい。

松木氏の思いつきであることは即刻判明し、彼はおとなしくなる。


なぜ、松木氏の思いつきだと断定できるか。

夫に毎日、終業報告をさせるということは

終業時間の4時半、彼は毎日会社にいないことになるからだ。

言わば彼は、毎日早退していることになる。

終業時間まで会社に居れば、わざわざ終業を報告する必要は無いのだ。


夫の話によれば、松木氏は毎日3時半を回ると

おもむろに起き上がって事務所を出る。

「取引先に顔を出して、そのまま帰る」

口では毎回そう言うらしいが、彼が帰宅がてら気軽に立ち寄れる取引先なんか

一軒もありゃせん。

仕事をしないので、どこにも顔を知られていないからだ。


早退するのは、通勤路の問題に他ならない。

彼の自宅は車で小一時間の隣市にあり、主要道路に出れば一本道だ。

会社と彼の自宅の中間地点、隣市にさしかかる場所には大きな工場がある。

そこの終業時間も4時半。

この4時半から1時間ほどは、工場から帰る人や車で大混雑し

身動きが取れなくなるのを、この近辺で知らない者はいない。

松木氏は魔の時間帯にハマる前に、何としてもそこを通過しておきたい。

だから終業時間より早く帰らなければならないのだ。


本社の営業にタイムカードは無い。

前日に予定を入力しておけば、あとは営業部員各自の自主性に任されている。

つまり本当に仕事をしたかどうかをチェックする習慣は無いので

本社から遠く離れている松木氏の早退は発覚しない。

仕事をしない者に限って、こういう所はしっかり把握しているものだ。


また、終業報告の必要性は職種によって異なり、我々の業界ではさほど重要ではない。

それでも形式的に終業報告を行う場合は

歴然とした上司とその部下が、双方の納得ずくで行うことであり

どっちが上なんだかわからない目くそ鼻くそ同士が行っても意味が無い。


終業時間まで会社にいない目くそに、終わるまで働く鼻くそが

なぜ終業報告をしなければならないのだ。

意味わかんねぇ…と言いたいが、私にはわかるような気がする。

喫煙を目撃された彼は内心、かなりうろたえている。

ここらではっきりした身分差を示し、夫を押さえつけたいという稚拙な考えだ。


説明が長くなったが、そんなわけで

夫が河野常務に確認すれば、松木氏の勝手な早退は自然と明るみに出る。

多少のことには寛大な常務だが、それが毎日となると問題だ。

仕事の都合でたまにというのでなく、毎日ではあまりにも不自然。

元々良くない松木氏の印象は、地に落ちる。

仕事をしないヤツに限って自分の評判を気にするものなので

彼はビビるはずだ。


しかし彼は、夫が絶対にそんなことをしないとわかっている。

夫にとってチクリとは、松木氏や藤村のようなゲスの行為と思っているからだが

松木氏は、夫がパッパラパーだと思って安心しきっているのだ。

だから終業報告なんてつまらぬことを思いつく。

そして鼻くそ…いや夫は、目くそ…いや松木氏に終業の報告をするのが嫌で

会社を辞めたいと言い出したのだった。


だから私は夫にハッパをかける。

「寝るなって、ちゃんと言うんよ」

うん…と生返事の夫。

こりゃあ、よう言わんな。


勇気の問題ではないのだ。

夫のように厄介な性格の男というのがいるもので

乗り過ごした電車を追いかけて途中から乗るようなことを嫌がる。

つまり過ぎ去った現実を引きずり戻し、改めて仕切り直すのを嫌う。

それが些細なことであればなおさらで、それをするぐらいなら煮え湯を飲む方を選ぶ。

その場で反論しなかった夫は、松木氏の命令を受け入れたことになり

終業報告をするしかないのだ。


まあいい…ちゃんと言えるまでは自分のプライドをバキバキに折って

終業報告を続けるがいいさ…

と思っていた2日後、松木氏は新たな奇行を開始した。

睡眠から目覚めるたび、コピー用紙にせっせとメモを綴るようになったのだ。

「何を書きよんか思うてチラッと見たら、ワシのことじゃった…」

夫が平然と言うので、笑った。

何時何分に何をした…何時何分に来客、電話…その会話の内容…

言うなれば夫の観察記録さ。

笑っておきながらナンだが、はなはだ失礼なことである。


松木氏が何を企んでいるのか…わけわからん夫は、またもやスルー。

見つけた時に言えっちゅうんじゃ!

松木氏は終業報告では飽き足らず、夫をさらに締め上げて

自分の立ち位置を盤石にしたい模様。

一挙一動をメモられたら、夫が萎縮すると考えているのだ。


私だったら迷わず松木氏に乱暴をはたらくだろうが

若い頃から注目されるのに慣れている夫は、終業報告ほどの衝撃を感じてない。

むしろ余裕。

こういうことする社員は昔、義父の会社にもいたので

初めてじゃないからかも。

そうそ、私の実家でもいた。

ある日、その人がメモを忘れて帰ったので

翌朝「忘れ物だよ」と言って本人に渡したら、青くなった…

父がそう言って笑ってたのを思い出したわ。


ともあれここまでくると、大らかなんだか鈍感なんだか

平気でいられる夫をもはや尊敬してしまう。

夫のそういう面が強運を呼ぶのかもしれないとは、常々思っているのだ。

何か面倒が起きると、いつもどこかから解決の風が吹く。

血祭りじゃ〜!なんて息巻く私と違うのは、こういう部分かもしれない。


それからさらに数日後、夫の平然は終了した。

くだんの松木メモが、夫だけでなく次男のことにまで及んでいたからだった。

《続く》
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現場はいま…それぞれの想い2

2022年07月06日 14時48分05秒 | シリーズ・現場はいま…
シュウちゃんの退職のことで色々とあった6月。

しかし同じ6月、夫は全くの別件で真剣に悩んでいた。

原因は、松木氏である。


夫より一つ年上の彼は、66才。

6年前までこちらに居たが、仕事ができないので別の工場に飛ばされ

その後任が昼あんどんの藤村だった。

大嘘つきの松木氏がいなくなってホッとしたのも束の間

我々一家は悪夢のような年月を過ごす羽目となる。

しかし藤村はパワハラとセクハラで訴えられて降格処分になり、本社に戻された。

そのため松木氏が、飛ばされた工場とこちらの二ヶ所を担当することになった。


営業所長だった藤村より上の、本社付き次長という肩書きをもらい

最初は張り切っていた松木氏だったが、すぐに飽きる。

工場にはこちらへ行くと言い、こちらには工場へ行くと言って

結局、どちらにもいないことが多かった。


とはいえ、どっちへ行っても嫌われ者。

仕事をせずに口だけ出すのは留守の方がありがたいので

所在を確かめる者はいない。

工場とこちらの中間地点にある自宅に居る…

工場の人たちと夫はそれぞれ、そう納得していた。

そして今年、肺癌の手術を受けた彼は、二ヶ所も担当する体力が無いと言い出し

主に工場の方へ出勤するようになった経緯がある。


その松木氏が6月に入ってから急に、毎日こちらへ来始め

長く滞在するようになった。

営業とは名ばかり、彼は本社のスパイとして送り込まれているのだから

それが仕事と言えばそれまでだが、彼がこちらで行う業務は睡眠。


夫が言うには朝、会社に着くなり、「しんどい」と言ってソファーに横になると

そのままグーグー寝てしまうそうだ。

会社で寝るのは前からで、彼の口癖は「眠たい」だったが

現在の睡眠時間は、その頃よりもずっと長くなっているようだ。


そして時折目覚めては、わけわからん指図をする。

今まで寝ていたのだから、わけわからんのは当たり前であるにもかかわらず

あれこれと見当違いのことを言い出すらしい。

正気なのか寝ぼけているのか、わからないと夫は言い

もはや感じが悪いという段階ではなく、狂人と一緒にいるようで

とにかく不気味なんだそう。


「病気なんだから、眠たいのは仕方がない」

「おかしなことを言い出すのは、抗癌剤の副作用」

夫は自分に言い聞かせ、耐えていた。

彼は、松木氏が近いうちに退職すると思っていたからだ。

松木氏本人が言うように、肺癌の手術をして抗癌剤を投与中となれば

たいていはそう思うだろう。


私もそう思っていた。

だから具体策を考えるのが面倒で

先はそう長くないだろうから、もう少しの辛抱だ…

などと適当なことを言っていた。


寝るのが気に入らなければ、最初に寝た時に文句を言えばよかったのだ。

こういうことは初動が肝心。

それを怠っておいて、習慣化した後で何とかするとなると

けっこう厄介なものだ。

病人を鞭打つのも夢見が悪いため

松木氏が体力の限界を感じて身を引くまで、放置する方がよかろう…

私はそうタカをくくっていたのだった。


しかしそれは、希望的観測だったかもしれない。

ある日の昼休み、いつになく町の食堂に入った長男は

そこでタバコを吸っている松木氏と出くわした。

松木氏は長男の姿を見ると、急いで火を消したという。


こうなると本当に肺癌だったのか、怪しくなってきた。

入院して手術をうけたのは本当だが、病名を盛っているのではないのか。

周りには病気だと言って優しさを求め、たっぷり睡眠を取りながら

いつまでも勤め続けるつもりであれば、いかにも彼らしい。


急にうちへ通い始めたのは、工場よりも眠りやすいから。

工場の事務所は人数が多い上に、激しいアンチ松木の社員が複数人いて

とても寝ることはできない。

それでこっちを選んだのだ。

お昼寝の合間に意味不明の指図をするのは、働いてますアピール。

それで仕事をしている気になれるのが、本来の松木氏だ。


ともあれ長男に喫煙を見られてからの松木氏は、かえって居直った模様。

翌日、夫にこう言ったという。

「仕事が終わったら、僕に毎日報告するように」


この時点で限界が来たのは松木氏でなく、夫のほうじゃった。

精神的にかなりこたえたらしく

「仕事、辞めてもいいかな…」

と言い出した。

「いいよ!今までありがとう!」

私は即答。

内心では、あんたの母親をどうやって養うんじゃ…と思っている。

が、ひとまず軽く肯定してやると、気持ちは落ち着くものだ。


夫の受けた衝撃は、人にはわかりづらいかもしれない。

企業と合併した、小さい会社の責任者…

そんな妙な立場の人間は、そうたくさんいないと思うからだ。


合併したとはいえ、夫は責任者である自分の上だと思っている。

一方の松木氏は、本社直接雇用の自分の方が上だと思っている。

言うなれば子会社の社長と、親会社から配属された社員…

どっちが上かというファジーな問題なのだ。


けれどもこのたび、松木氏の放った「報告」の二文字によって

夫の方が下だと決めつけられた。

報告をする方と受ける方…この二者では

後者の方が上ということになってしまうではないか。

怠け者から偉そうに、そう言われた…

夫には、これがショックなのだった。


夫が辞めたいなら、仕方がないと思う。

彼の給料がパーになるのは残念だが、ストレスを溜め続けて早死にされるより

長い目で見たら、長生きして年金をもらい続けた方が得策だ。

が、私にも言いたいことがある。

「先に辞めるべきは松木氏であって、夫ではない」。

ここで私はようやく重い腰を上げ、松木氏の問題について真面目に考えることにした。

《続く》
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現場はいま…それぞれの想い・1

2022年07月03日 11時11分19秒 | シリーズ・現場はいま…
ブログを始めて5000日が過ぎたことをお知らせしたら

たくさんの方(私にとっては…よ)がコメントを寄せてくださった。

どうしていらっしゃるかな?と思っていた方々のお声も聞くことができて

本当に嬉しかった。

ありがとうございました。



さて、私のいる建設業界や会社について語る、“現場はいま…”シリーズは

この過疎ブログの中で、おそらく一番人気。

とはいえ、こんな話はどこにでも転がっているものだ。

相手によって態度を変えるヤツ、根性曲がりのひねくれ者

怠け者にヒステリー、嘘つきや口だけ番長…

ほら、あなたの職場にもいるだろう。


しかし現役で働く人は、会社の出来事を文章にする暇が無い。

一方、私には暇があるので、重箱の隅をほじくり返してチマチマと書ける。

起きたことをそのまま文章にすればいいので、作業は楽で楽しい。

女の私が描く、男中心の業界もさることながら

楽しんで走らせる筆の軽やかさにも共感をいただいているのではないかと

おこがましくも思っている次第である。



さて、現場は今、新人マルさんの入社が遅れている。

なぜなら74才の高齢を理由に本社から肩叩きをされた社員、シュウちゃんの引退が

半月延びたからだ。


7月の誕生日を迎えると、シュウちゃんは75才になる。

後期高齢者を雇用し続けているという外聞を嫌った本社は

それまでに彼を解雇したがっていた。

よってシュウちゃんは6月末日、つまり74才のうちにダンプを降り

7月下旬の誕生日が来るまでに有給休暇を消化して終わる予定だった。


しかし彼は月に一度、身体の不自由な奥さんを病院に連れて行く以外は

滅多に休まないので、有休がたくさん残っていた。

勤勉で実直なのも確かにあるが、彼の場合、有休のシステムをよく知らないのもある。


というのも、若かりしシュウちゃんが

ダンプ乗りとして初めて就職したのが義父の会社。

当時のダンプ乗りは日給制が当たり前で

有休はおろか社保厚生年金とも無縁の境遇だった。

なぜなら彼らの働く職場の大半は会社組織でなく、個人事業所。

つまり個人経営の商店だったため

有休や社保厚生年金のシステムなど存在しなかったのである。


当時の義父も社長と呼ばれはしていたが、実態は個人商店の店主。

規模から言えば会社組織にしてもおかしくない状況だったが

田舎町で細々とやるなら、会社組織でなく個人事業所の方が断然儲かる時代だった。

また、その頃は建設業界全体が忙しくなり始めた時期で

雇われる方も、やればやるだけ現金収入になるので文句は出なかったため

義父だけでなく同業者も個人事業所のまま経営を続けていた。


義父が代表取締役になって会社組織にしたのは、私が嫁いだ42年前。

一念発起ではない。

法律が変わって、個人事業所のままでは公共事業に参入できなくなったため

会社組織への変更を余儀なくされただけである。

会社になっても社員の給料は日給制のままだったが

この時点で有休や社保厚生年金が付いた。

しかしその頃にはシュウちゃんは辞めていて、よそのダンプ乗りになっていた。


以後のシュウちゃんは福利厚生に無頓着なまま、ダンプ一筋に働き続け

68才で再び、うちへ戻ってきた。

最初の就職で存在しなかったものは、今も存在しない…

シュウちゃんの頭の中ではそういうことになっている。

だから奥さんを病院に連れて行く日は、夫が有休取得の申請書を代筆する。

合間で有休を取るように言うこともあるが、休みたがらないので

タイミングを見て無理に休ませることもある。

彼は休みを取らせるのに説得が必要な、レア社員なのだ。


そういうわけで、シュウちゃんの有休は有り余っている。

これを消化していたら、75才の誕生日を過ぎて8月になってしまう。

そのため、シュウちゃん引退への情熱を急激に失った本社は

「有休を消化するうちに75才になってしまうのだから、急ぐことはない」

と言ってきた。

7月から入社するマルさんとダブってもかまわない…

暑い時期だし、引き継ぎでもしながらゆっくりさせてやってくれ…

という河野常務の補足も付いた。


そのことをシュウちゃんに伝えたが、彼は喜ばなかった。

「辞める話になってからは、やっぱり年かの…

身体がしんどうなったけん、迷惑かけんうちに辞める。

この会社からスタートして、この会社で終われて、ワシは満足よ。

初めて新車に乗らしてもろうて、嬉しかった。

あのダンプにマルさんが乗ってくれたら、安心して引退できる」


そういうわけでシュウちゃんには

本社の事務処理上、給料の締め日でキリのいい7月15日まで働いてもらい

以後は有休消化に入ることとなった。

よって6月末日でM社を退職したマルさんは

シュウちゃんが引退した翌日の16日から出社する。


最初の予定では7月1日からという話だったので

マルさんには1日から来るように伝えたが

彼はシュウちゃんがダンプを降りた翌日の16日を希望した。

これは、優秀なダンプ乗りの特徴と言えるかもしれない。

彼らは群れを嫌い、孤高を好む。

行ってみたら、まだ前任者がいるわ、引き継ぎがあるわ…

この状況に、おそらく耐えられない。


優秀なダンプ乗りは、引き継ぎという名の助走を必要としない。

日頃からダンプと道を知り尽くし、高い技術で全ての作業をこなせるので

入ったその日から戦力として走りまくる。

それはシュウちゃんも同じだ。

老兵は気高く去り、後を引き受ける者は静かに訪れる。

それが彼らの美学である…多分。


だからこそ、いつぞや藤村が入れた神田さんが

藤村と取引先を回ったり、二人でダンプに乗り込んであちこち出かけたりと

助走にチャラチャラと2ヶ月を費やしたのがどれほどバカバカしいことか

まともな者は皆、知っている。

つまらぬ者ほど、長い助走をしたがるものなのだ。

で、やっとこさ助走が終わったら、労基に訴えられたというオチである。


そういうわけで、入社が半月遅れたマルさんだが

現実問題、働く者にとって半月のズレは大きい。

本人の希望とはいえ、元はこちら側の都合が原因。

1日から入社していれば、月末には半月分の給料が出るはずだったのだ。

人に使われて働いてきた私には、よくわかる。

入社する日にちのズレによって、人が給料日でウキウキしてる日に

自分だけもらえないのは、わかっちゃいるけど何だかさえないものよ。


彼はバツイチの独り者なので、幸いにも迷惑をかける家族はいないが

M社のブラックな給料で、半月余計に生活するのはきついと思う。

しかし彼は、黙って水を飲んででも耐えるだろう。

その心意気こそが、良いダンプ乗りの証しである。


もちろん我々も、できることはする所存。

たいしたサポートはできないが、時々目立たないように

息子を使って昼ごはんを奢ったりはできる。

向こうの方がよっぽど裕福かもしれないが、気は心だ。

《続く》
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現場はいま…しばしの平和か・6

2022年06月09日 08時57分00秒 | シリーズ・現場はいま…
シュウちゃんに退職の告知をするという辛い作業を済ませた同じ日

夫と息子たちは次の運転手を決めることにした。

早くしないと本社がハローワークに募集を出し

募集を見た、わけわからん人が来てしまう。

わけわからん皆さんは、面接で立派なことをおっしゃるけど

本人が申告するほどのレベルは、まず期待できない。

良いダンプドライバーは利益を生む貴重な存在なので、普段から噂の的だ。

どの会社も欲しがっているため、たとえ無職になっても放っておかれることは無い。

わざわざハローワークで仕事を探さなくてもいいはずなのである。


とはいえ求職の権利は誰にもあるので、応募があれば面接をしなければならない。

面接となると、本社から暇なのがゾロゾロと張り切ってやって来る。

アレらは、自分が威張れる面接が大好きなのだ。

よその会社で面接を受けたら真っ先に落とされそうなのが

ふんぞり返って面接をする滑稽な図が展開される。


夫も面接には立ち会うが、一切の意見を言わないことにしている。

そもそも募集したって、わけわからんのしか来ないのに

ヘタに意見を言うと怪我の元。

わけわからんのは、必ずとんでもないことをやらかすものだ。

案の定、入社してから何かやらかすと、監督不行き届きだの

育てようとする意思が無いだのと、全てを夫のせいされるからだ。

何も言いさえしなければ、「決めたのはあんたらじゃん」

と反論できることを数々の苦い体験で学習した夫は、面接そのものが無駄だと思っている。

よって面接祭が始まらないうちに、シュウちゃんの後任を決めたがっていた。


後任の決定を急ぐ理由は、他にもあった。

別の支社で持て余している職場のお荷物を、親切ごかしに回される恐れだ。

「ダンプの経験は無いけど、大型免許は持ってるそうだから…」

いかにも助けてやるという口調で押し付けられそうになったことが

一度や二度ではない。

その都度からくも回避してきたが、このやり取りも時間の無駄である。

よそでいらない人は、うちでもいらない。

姥捨山じゃないっちゅうんじゃ。


加えて現在、もう一つの問題が生じている。

うちで唯一の女性運転手、ヒロミじゃ。

彼女は、前の職場で同僚だったムッちゃんという50代の女を

以前から入社させたがっていた。

「シュウちゃんが引退したら、ムッちゃんを入れて!」

シュウちゃんの社会人生命が長くないと考え、日頃から熱心におねだりをしているのだ。


ムッちゃんもヒロミから各種の待遇を聞いて、こちらへ転職したくなり

早くも社員気取りだ。

この頃はうちの仕事について、生意気にもヒロミを中継役に口まで出す始末。

「ムッちゃんがこう言ってたよ」

「こうした方がいいんじゃないかって、ムッちゃんが…」

アホのヒロミが皆に伝えては、無線でボコボコに怒鳴られている。


そういうわけで、ヒロミがシュウちゃんの退職を知ってしまったら

いよいよムッちゃんの入社が叶うと踏んで、燃えるのは明らか。

舞い上がってめんどくさいじゃないか。


お友だちと連れ立ってダンプを転がしゃ、そりゃ楽しかろうが

ここはあいつらの会社じゃない。

人事に口出しができる身の上ではないということが、あの子らにはわからないのだ。

バカにつける薬は無いらしいが、愚かな女につける薬も無い。

そのためシュウちゃんの退職が拡散しないうちに、全てを終わらせておきたいのだった。



夫と息子たちはさっそく、順番待ちをしている3人の中から1人を決める作業に入る。

短い話し合いが持たれ、全員一致でマルさんと呼ばれる50代の男性に決まった。

この人は、あの藤村と癒着していたM社の社員。

藤村が居た頃のM社は、社長も運転手もヤツに迎合し

我が物顔に振る舞っていたが、彼一人だけは違っていた。

夫やうちの社員に礼儀正しく、裏表が無く、キビキビとよく働くので

夫は気に入っていたのだ。


マルさんは当時から、夫や息子たちと一緒に働きたいと言っていた。

だからヒロミだったか、数日で辞めて本社へ乗り込んだ男だったかが入る前に

一応、声をかけたが、彼は辞退した。

「藤村がいると必ず暴力事件になるので、皆さんに迷惑をかけてしまうから」

鉄火肌の彼らしい理由からである。

その頃の藤村は労基の罰則が確定していなかったため

うちでまだウロチョロしていたのだ。


その時、ヤツがいなくなったら是非、という話になっていた。

鉄火肌が是非と言ったら、その場しのぎではなく本気の是非。

そしてヤツはいなくなり、欠員が出た。

機は熟したのである。


次男がすぐマルさんに電話したら、「行きます!」と即答。

M社にはその日のうちに、6月いっぱいで退職することを伝えた。


これは実質、引き抜きということになる。

M社から抗議があれば、藤村時代の恨みもあって戦うつもりでいた夫だが

マルさんにとっての退職は、それ以前の問題だった。

藤村がいなくなって以来、M社は仕事が激減していて

マルさんが言うには、正月休みのあった1月は給料が7万だったそうだ。

日給月給だと、どうしてもそうなる。

生活して行けないと言えば、誰にも止められない。


次男はすぐ、河野常務にも連絡した。

「M社のマルさんを引っ張ろうかと話しているんですが」

「あそこに一人、ええ運転手がおるのは親父から聞いとる。絶対引き抜け」

すでに引き抜いているが、ハイ、必ずと言って花を持たせる。

こうしておけば、常務の主導で引き抜いたことになるので

あとあとマルさんも可愛がられるはずだ。


こうしてマルさんの入社は決まった。

シュウちゃんが入社した7年前以降、新人は不作続きだったが

ようやくまともな人が来てくれそうで、ホッとしている。


ヒロミ?

シュウちゃんの退職を知って有頂天。

いよいよムッちゃんの入社が実現すると思い込み、次男にそれとなく面接の日取りをたずねていた。

この子は夫と長男が怖いので、何でも次男だ。

ムッちゃんの方もすっかり勘違いして、会社に退職の意思を伝えたという。


そんな先日、ヒロミは事務所にあったマルさんの履歴書を発見。

「ねえ、どういうこと?ムッちゃんはどうなるん?」

会社で聞き回っていたそうだが、誰も取り合わなかった。

ヒロミとムッちゃんの友情は存続するのだろうか。

うっとおしい女どもの仲を裂くため、迅速かつ秘密裏に次の運転手を決めたことは内緒である。

《完》
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現場はいま…しばしの平和か・5

2022年06月07日 10時29分28秒 | シリーズ・現場はいま…
最年長の社員、シュウちゃんが辞める…

これは我々にとって非常に残念な出来事である。

無事故無違反の働き者で、常に明るく社員を引っ張ってくれる彼には

永遠に来てもらいたかったし、彼も続けるつもりだった。

だが問題は、7月で75才になるシュウちゃんの年齢。


本社には元々、70才以上の高齢者を雇わないという方針があり

役員だけはこの方針から除外されるが

他の人たちはそれに従って退職する決まりになっている。

が、シュウちゃんだけは特例。

彼が息子たちのスカウトで入社した時には、すでに68才だった。

若い運転手が来るまでの繋ぎとして、2年をメドに採用したが

我が社を担当する河野常務が、運転手としての優秀性を認めていたからである。


常務はたまにしか来ないし、来ても夫と話すだけですぐ帰る。

運転手と接触することはほとんど無く、各自の仕事ぶりを目にする機会も無い。

が、日々の売り上げデータや請求書に必ず目を通している。

現場で一緒に仕事をしなくても書類や画面で…いや、書類や画面だからこそ

相手の印象に惑わされることなく様々なことがわかるというのは

私も経験しているが、確かにあるのだ。


常務は、誰の車両に支払いがいくら発生したかをあまねく把握していて

それによるとシュウちゃんのダンプは修理の請求がほとんど無い。

車検や点検は皆と同じだが、ちょっとぶつけた…ちょっとかすった…

などの細かい修理が滅多に発生しないのだ。

ぶつける時は誰でもぶつけるし、起きたことは仕方がないという大前提はあるものの

凡ミスで余計な経費を使わない運転手は、そのまま運転技術が高いということになる。


もちろん、高齢の彼を厄介な現場へ行かせないよう

息子たちがカバーしているという実態もあるにはある。

しかしそれを差し引いても、シュウちゃんの優秀性が変わるものではない。

楽な現場へ行ったって、ぶつける人はぶつける。

特に加齢で視力が衰えると、あちこちぶつけるようになる。

視力が衰えると、感覚が狂うからだ。

修理が頻発すると高齢の運転手は自信を失い、それを機に引退するものだが

視力が現役バリバリのシュウちゃんには、誰も引退の必要性を感じなかった。


他にもシュウちゃんの優秀性を証明するデータはある。

売り上げ伝票、出勤簿、タコメーター、運転日報その他…

これらを照らし合わせたら、運転手一人一人の働き方や心がけは一目瞭然。

例えば我が社の誇る筋金入りの怠け者、佐藤君のものと比較した場合

暇な時期には張り切って出勤し、忙しくなると何だかんだ理由をつけて休む彼と

月に一度、奥さんを病院に連れて行く以外は休まないシュウちゃんとでは

年間の売り上げに大差が出ている。


誰のダンプがどれだけ稼ぎ、修理や経費でいくらマイナスになるか…

もちろん数字が全てではないが、運転手の良し悪しは数字にちゃんと現れる。

人を見る目なんてあやふやなものより、数字の方が正確かもしれない。


そんなわけで常務も我々も、シュウちゃんにはずっと勤めてもらいたかった。

しかし、高齢者の起こす交通事故が社会現象となった昨今

事故の規模が大きくなりがちな大型車両の運転手に

高齢者を雇うのは非常識という風潮が業界に浸透しつつある。

常務は、シュウちゃんの年令を気にせざるを得なくなった。


心配なのは事故だけではない。

彼が仕事中に倒れでもしたら、労災だ。

後期高齢者を現役と同じに働かせていたとなると

責任の所在はうちだけでなく本社にも及ぶ。

いくらスーパー爺ちゃんでも、明日の保証は無い。

よってシュウちゃんには、後期高齢者未満の74才のうちに

退職してもらうことが決まったのである。


常務からその件を内々に告げられた夫は、もちろん継続雇用を求めた。

しかしそれは、シュウちゃんに対するせめてもの誠意に過ぎなかった。

室内の仕事ではなく公道を走るのだから

何かあったらゴメンでは済まないのが運転手という仕事だ。

この5月から後期高齢者の免許更新制度が変わり、多少難しくもなった。

「今回は更新できませんでした、明日から働けません」

急にそんなことになっても困る。

会社は、人情だけでは回らない。

シュウちゃんの退職は、どうにもならないことだった。


爽やかな五月晴れの日。

天気とは裏腹の重い心で、夫はシュウちゃんに退職の件を話した。

最初は驚いて嫌がったシュウちゃんだが

「力及ばず、本当にすまない」

夫が謝ると納得してくれたという。

夫の交渉と常務の温情により、シュウちゃんには手厚い退職一時金が支払われる。


けれども淋しさに打ちひしがれてはいられない。

急いで新しい運転手を決めなければならなかった。

探すのではない。

うちに入りたいと、よそで働きながら順番待ちをしている人が何人かいる。

その中から決めるのだ。


うちは、この業界では珍しい月給制。

これは、本社と合併する時に私が主張した条件の一つである。

本社の経理部長だったダイちゃんの宗教勧誘を断った際

報復のつもりだったのだろう…

「上に働きかけて日給制に変える」とさんざん言われたが

やれるもんならやってみぃ、拍手したるわい…

と思い、無視したまま現在に至っている。


ともあれダンプの運転手の多くは日給月給で

忙しい時は給料がそこそこあるが、暇な時は目も当てられない。

さらに盆正月、ゴールデンウィークなどの休みが続く時や

雨降りが多い時は出勤が無いので給料が少なく、文字通りの日干しだ。


その点、月給制はボーナスもあり、収入が安定している。

その割に仕事が楽な所が人気で、高望みさえしなければ

仕事を長く続けられる良い職場なのだ。

そのため、順番待ちが出ているのだった。

《続く》
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現場はいま…しばしの平和か・4

2022年06月03日 21時12分20秒 | シリーズ・現場はいま…
F社長の話が出たので、しばらく前からテーマの一つとなっている

F工業への転職話にも触れておこう。

あの話は、まだ生きている。

一時は今日明日にも転職しそうな夫と息子たちだったが、最近は落ち着いた。

その余裕は、河野常務が元気を取り戻したことに由来する。


永井部長が次男に「辞めてもらってかまわない」と言った時は黙認した彼だが

今になって反省しているらしく、次男に「辞めてくれるな」と言うようになった。

それで次男の方もひとまず気が済んだようだが

辞めるな、辞めるなと度々言うところを見ると

早耳の常務には転職の話が聞こえているのかもしれない。


その転職について、私は依然としてこれといった意見を言ってない。

実際に働くのは彼らなので、気軽に言えないからだ。

仕事のことを何も知らない変なヤツらに

好き放題される彼らの苦しみを見てきた身としては、止める気は無い。

年寄りの夫はどう転んだって社会人生活の終わりが見えているし

息子たちは独身なので、妻子のことを考える必要が無い。

たった一度の人生なんだから、好きにすればいいと思っている。


が、あちこちの職場で様々な仕事をしてきた私は

彼らより転職のリスクを知っているつもりだ。

今は創業者の一族ということで、本社からある程度は優遇されているが

よそへ行ったら新人のペーペー、ただのヒト。

向こうの人々には普通のことでも

彼らにとっては厳しい現実と感じる事柄がたくさんあると思う。


例えば新人は、古いダンプをあてがわれるのが業界の常識。

走行距離が何十万キロの古いダンプは故障しやすく

冷暖房は効かず、クッションは悪く、ハンドルが曲がっているなんてザラだ。

新車を与えられ、撫でさするように愛情をかけてきた息子たちにとって

それが嬉しいとは思えない。

夫の扱う重機だって、今のように重機のトップメーカー

コマツ製の最新型とはいかないだろう。


F社長は業界でも稀な好人物で、行けば良くしてくれるのはわかっている。

転職という思いもよらない選択肢を与えてくれ

夫や息子たちを絶望から救ってくれたことにも心から感謝している。

しかし彼の会社はすごい勢いで規模拡大中とはいえ

本社の年商にまだまだケタが届かない。

大きい所から小さい所へ変わるとは、やる仕事は同じでも商売道具からして違うということだ。

今度は変な人たちでなく、変な乗り物に消耗する可能性だってある。

そういう現実的なことは行ってみなければわからないだろうが、行ってからでは遅い。

その辺のことをもっと考えてから、結論を出してもらいたいと思っている。



さて、永井部長はD産業にせっつかれて困っている…

田辺君の報告でそのことを知った夫。

永井部長の言う通り、D産業から1台だけチャーターを入れることにした。


え〜?藤村が左遷された時、D産業も切ったのに、何でまた?…

ここは断固拒否じゃないの?…

永井部長の願いをはねつけ、彼を絶望の淵に追いやる方が胸がすくだろうに…

普通はそう思うだろう。

が、夫は涼しい顔で言う。

「1台でもいいと言われたから、1台だけ入れる」


夫はこの業界が長い。

女房の立場や心情には無関心だが、仕事で関わる他人の立場や心情は

おそらく周囲の誰よりも知ってる。

永井部長に金を出したD産業は、いっこうに見返りが無いので

かなり焦っているはずだ。

そこへちょっとだけ仕事を振る。

D産業はいよいよ専属契約の第一歩だと思い込み

最初は1台でも、ほどなく2台、3台と増えていくに違いないと踏む。

けれども片足で一歩踏み出したまま、それっきりの宙ぶらりんであれば

D社長はどんな気持ちか。


砂漠で喉の乾きに苦しむ旅人に水を一滴だけ与えると

乾きはますますひどくなるものだ。

D社長は以前より、もっと不満を持つ。

その不満は怒りとなって、永井部長に向けられる。

夫はこれを楽しみにしているのだった。


D社長に責められた永井部長がまた何か言ってきたら、夫はこう言えばいい。

「1台と言われたから、1台入れた」

日頃、彼にはバカにされているのだから、こういう時はとことんバカになりきるのである。


D産業からチャーターを1台だけ入れ始めて1週間が経った頃

ちょうど暇な時期が訪れた。

暇な時は自社のダンプだけで間に合うため、チャーターを呼ぶ必要は無い。

夫は、このような仕事の波も計算に入れていた。


暇な時期は10日ほど続き、それが終わると再び忙しくなったが

D産業はそのまま来なくなった。

誰も呼ばないし、向こうからも来ない。

それっきり、D産業のことは忘却のかなた。

D産業と永井部長の間では色々あったかもしれないが

どっちも何も言ってこないので、そのままだ。


確認はしてないが、この現象もまた、河野常務の復活に関係していると察する。

常務の目が再び光り始めたので、永井部長は勝手なことがしにくくなったのだ。

ひとまずは小さな嵐が過ぎ去り、ホッとしている私である。


が、一難去ってまた一難。

最年長の社員、シュウちゃんが6月いっぱいで退職する。

永井部長なんかより、こっちの方がよっぽどショックだ。

とはいえ会社は生き物。

色々なことが次々に起こる。

それが会社というものであり、それが無ければ会社ではない。

《続く》
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現場はいま…しばしの平和か・3

2022年05月31日 09時51分17秒 | シリーズ・現場はいま…
夫の親友、田辺君は同業の会社で営業をしている。

同業と言っても、うちは建設資材の卸業と

ダンプによる運送業という二種類の仕事があり

チャーターという名称が出てくる同業者というのが運送のほうで

田辺君は建設資材卸業の方で、同業者である。


彼は県内で、ちょいと名の知れたカリスマ営業マン。

広く、そして深いネットワークを持っているため

たいていのことは彼に聞けばわかる。

夫が永井部長とD産業の関係をたずねると、さっそく調べてくれた。

田辺君も永井部長には何度も煮え湯を飲まされているので、永井関係は燃えるのだ。


2日後、田辺君は会社を訪れて夫に言った。

「永井はD産業から、金をツマんどるわ」

「なんぼ?」

「200」


田辺君の説明によると、永井部長とD産業の社長は

藤村つながりで親しくなったそうだ。

藤村と同じく専属契約をちらつかせ

D社長にたびたび接待をさせるようになったという。


けれども藤村の言う専属契約と、永井部長の言う専属契約には少々違いがある。

藤村は、営業所という狭い範囲の専属だが

永井部長は本社の専属をひけらかすので話が大きい。

藤村にはすでに小遣いを渡していたD社長だが

同じ専属なら永井部長のほうに飛びつきたくなるのは当然である。

永井部長がD社長から200万円を引き出したのが

その流れであろうことは間違いなかった。


永井部長がどうやって200万円をゲットしたか。

その手口は聞かなくてもわかる。

「近々、大きな工事が出る。

その仕事が取れたら、お宅の会社を参加させる予定で動いている。

しかし確実に獲得するためには、ある人物に裏金を握らせる必要がある。

着工すれば元が取れるのはわかっているが、表に出せない金なので

お宅で出してもらえないだろうか」


これは、いにしえより業界で使われる伝統の手口。

うちの義父アツシも、何度か騙された経験がある。

だから、この手口でお金を巻き上げられたと聞いても誰も驚かない。

本当にコロコロと、面白いくらい騙されるのだ。


ただし、この手口を使う相手は吟味しなければならない。

まず年商が数千万から数億までの、小ぶりな会社のワンマン社長が望ましい。

年商が少ないと、お金に余裕が無いので出せず

数十億や数百億を超える規模の大きい会社だと

取締役や金庫番が家族でなく他人になり、人数も増えるので

反対する者が出てきてうまくいかないからだ。


その点、ワンマン社長を騙すのはたやすい。

ワンマン社長というと

人の言うことをきかないワガママな社長さんを想像するかもしれないが

実はそうではない。

お金の管理を始め、経営に関する様々な決定権を社長一人が握る状況を言う。

つまりワンマン社長本来の意味は、ワンマンバスと同じなのだ。


一人の判断で堅実にやっている社長さんもおられようが

中にはワンマン経営を続けるうちに

お金を社長自身の見栄や楽しみに使う割合が増える場合も少なくない。

それを周囲に指摘されると、本当のことだから腹を立てる。

関わるとうるさいので、周囲は黙る。

これを繰り返して名実共にワンマン社長となっていくが

冷静な第三者の干渉が無いため、悪人としては作業がしやすい。

相手さえ選べば、お金を引き出す成功率は高いのだ。

ボヤボヤしていたり、労せず利益を得ようと欲を出したら

たちまちカモにされる…それがこの業界なのである。


ともあれワンマン社長はお金を渡して待つが、朗報はなかなか聞けない。

何ヶ月も待ったあげく、しびれを切らしてたずねると、悪人は軽く言う。

「あの話は、まだ時間がかかりそうです。

でも次の話があって、そっちの方が先になりそうですから

もう少し待ってください」


こうして悪人は何年もの時を稼いで忘れるか諦めるのを待つが

これも伝統の手口。

公にするには金額が少なめに設定してあり、そもそも証拠となる領収が無い。

これで民事訴訟を起こしたら弁護士費用で目減りするし

裏金と知って出したのだから刑事告発もしにくい。

しかし何よりのブレーキになるのは

騙されたことを人に知られるのが恥ずかしいという羞恥心。

そして、このまま待てば本当に仕事が舞い込んでくるかもしれないという期待である。


が、ここにきて永井部長は、200万円のことでD社長に

やいのやいのと責められているらしい。

うるさいD社長に仕事という飴玉をしゃぶらせて

ひとまず静かにさせるしかないではないか。

「D産業を使え」の発言は、そのためだった…

以上が田辺君の話である。


「D産業だけじゃないんよ。

永井は同じ手口で、いろんな会社から小金をつまんどる」

田辺君は言うのだった。

「何でそんなに金がいるんだろうか」

夫の素朴な疑問に、田辺君は即答する。

「ギャンブルよ。

あいつ、女房とは離婚寸前で家に帰れんけん

平日や週末は競輪なんかの場外車券場に入り浸って、夜は酒。

金はナンボでもかかるよ」

「仕事中も競輪しよんか」

「前から時々、尾行付けようるけん、間違いない。

ほとんど毎日、競輪か競馬か競艇。

あっちこっちで不義理しとるけん、今さら営業に行ける所は無いじゃろうね」

尾行まで付けるとは、やっぱり敵に回すと怖い田辺君であった。


永井部長の秘密を聞いた次男は、さっそくある人に連絡した。

「社長よりウワテがいましたよ。

D産業は永井部長から200万、つままれてます」

「え〜?ワシ、50万、負けとるの?」

「惜しかったですね」

「アハハハ!」

電話の相手は、永井部長に150万を借りパクされたF工業の社長。

こんな冗談が言えるF社長の太っ腹に、我々は改めて感心するのだった。

《続く》
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現場はいま…しばしの平和か・2

2022年05月28日 16時39分13秒 | シリーズ・現場はいま…
地元貢献発言から少し経つと、永井部長は何かと用事を作って

何度か会社を訪れた。

M社を使い始めたことは、松木氏から報告を受けているだろうが

自分の目で確認するためだと思われる。

M社のダンプを見て満足げだった…夫は笑いながら、私にそう言った。


そして1ヶ月後の先月、永井部長からアクションが。

やはり請求書で、だまされたことを知ったのだろう。

しかしそのことには全く触れず、彼は松木氏を介して伝言してきた。

「M社はやめて、D産業を使え」


「…D産業?」

松木氏からその名を聞いた夫は、開いた口がふさがらなかったという。

だってD産業は、愛媛県の島にある会社。

県外やん。

あれほどワーワー言うとった地元貢献はどうなったんじゃ。

しかし、それが永井部長なのだ。

直接言いに来たら反論されると考えて、松木氏に言わせたのだ。


そのD産業だが、お初の会社ではない。

取引の実績はある。

藤村が所長だった頃の話だ。


M社と癒着して小遣いを手にした彼は

さらなる利益を得ようと、次男から配車の仕事を取り上げた。

しかしいざやってみると、ダンプは集まらなかった。

当然である。

腹を立てた次男は、親しい同業者に連絡を回していた。

「藤村からチャーターの依頼があったら、断ってもらいたい」

連絡を回した複数の同業者は、横柄な藤村を嫌っていたため

ことごとくが賛同。

その結果、藤村の配車ではダンプが集まらず、次男に泣きつくことが続いた。


やがて彼は、遠い都市部にある同胞の業者に

高速料金を上乗せして仕事を依頼するようになった。

もちろん大赤字。

河野常務から大目玉をくらい、その会社との取引を禁止された。


頼みの綱が切れた藤村。

あちこち当たって最終的に行き着いたのが、愛媛県にあるD産業。

しかし何しろ島から呼ぶので、藤村は日当にフェリーの運賃を上乗せしていた。


いくら藤村でも、フェリーの運賃まで面倒を見ていたら

また大目玉を食らうのはわかる。

大型車のフェリー運賃は、高いのだ。

このままでいいはずは無い。


そこでフェリーの運賃を渋り始める一方、D産業との専属契約をちらつかせ始めた藤村。

専属契約と聞いて、燃えるD産業。

藤村とD産業の癒着は、ここから始まった。


島しょ部にある運送系の会社は、交通の便とフェリー運賃がネックとなって

規模拡大などの飛躍は難しい。

つまりD産業は小さい。

ダンプを抱える小さい会社は、仕事が途切れるのを一番恐れる。

仕事があっても無くても人件費はかかるし

3ヶ月毎の点検と毎年の車検が義務のダンプは

じっとしていてもお金のかかる乗り物だからだ。

藤村に数万円の小遣いを与えるのと引き換えに

安定した仕事がもらえるのなら、言うことを聞く。


D産業はさっそく、ダンプ置き場とプレハブの休憩所を本土に設け

そこに運転手を交代で泊まらせて出勤させることにした。

藤村からフェリー代の悩みを取り除けば

専属契約に王手をかけられると考えたD産業の設備投資である。


が、専属を狙うには場所が遠過ぎた。

フェリー乗り場に近いということで決めたらしいが、うちからはものすごく遠い。

市外のF工業よりもずっと遠い、大市外。

ほぼ隣の県だ。


しかし藤村にとって、そんなことはどうでもいい。

専属契約をエサに、D産業から小遣いをもらうことのみが彼の目的。

これを複数の会社で行えば、彼のフトコロは潤う寸法である。

そのために彼は何としても、次男から配車を取り上げる必要があったのだ。


そして以前お話ししたように、やがて藤村は

自分がスカウトした女性運転手へのセクハラとパワハラで訴えられ

営業所長の肩書きを外されて本社に戻った。

これは本社の措置というより、ハラスメントで労基に訴えられて内容が認められたら

降格処分などのわかりやすいペナルティーに処すのが決まりなのだ。


藤村と縁が切れた即日、夫はM社とD産業を切った。

我が物顔で事務所に出入りしていたM社とD産業の社長や運転手たちが消え

我々は溜飲を下げたのだった。


そして3月、永井部長はそのM社を使えと言い出し

それが不発に終わると今度はD産業を使えと言う。

藤村と癒着していた二社の名前が出たからには、背後にヤツがいるのは明らかだった。

小遣いが入らなくなって、はや何ヶ月か。

一度吸った蜜の味を忘れられない彼が

永井部長をたきつけているのは手に取るようにわかる。


夫は永井部長の命令を断るよう、松木氏に言った。

本土の休憩所がまだあるのか、あるいはたたんでしまったのかは知らないが

いずれにしても遠過ぎて、現実的でないという理由からだ。


松木氏も納得し、その旨を永井部長に伝えた。

すると永井部長、今度はこう言った。

「D産業を使いこなす自信が無いんだろう。

藤村ならできるから、そっちへ行かせて配車をさせよう」

永井部長の最終目的は、これだったようだ。


これには夫でなく、松木氏が激しい反応を見せた。

せっかく藤村より上の次長という肩書きで、こちらへカムバックしたというのに

再び藤村が出入りするようになったら自分の立場が危うくなるからだ。

怒り狂う松木氏に、夫は言った。

「藤村が復帰するなら、俺は退職する。

あいつと一緒に仕事をする気は無い」


藤村といい松木氏といい、つまらぬコモノほど

普段から「辞める、辞める」と口にするので耳タコだが

夫が辞意を表明したのは、この時が初めて。

彼もF工業から誘われているもんで、なにげに強気なのだ。


驚いた松木氏は永井部長だけでなく、本社の上層部にもこのことを伝えた。

藤村の復帰を阻止したい気持ち半分、夫の退職を推進して対岸の火事見たさ半分で

尾ひれをつけて触れ回った様子だが、その結果、夫を引き留めるために

藤村の復帰は消滅した。


しかし、永井部長はD産業をあきらめなかった。

「1台でもいいから、使ってほしい」

今度はした手に出て、頼んでくる。

何かあると思った夫は、いつもの親友、田辺君に調査を依頼した。

《続く》
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現場はいま…しばしの平和か・1

2022年05月25日 08時53分16秒 | シリーズ・現場はいま…
現場は今、ひとときの平和に包まれている。

事務員のトトロが体調不良ということで、しばらく休んでいるが

居ても居なくても同じなので全く支障は無い。

彼女が休んで変化したことといえば、トイレットペーパーが減らないことぐらい。


さて前回の3月、このシリーズは

我々のボスである本社の河野常務が癌の手術でめっきり弱り

さらにコロナ感染したところで終わった。

最悪の事態を想定していた我々だが、彼はこのほど復活を遂げた。

体力の回復と共に気力の方も戻ってきたらしく

再び社内で睨みをきかせるようになった今日この頃である。



話は3月に戻るが、常務がいなくなると踏んでいた永井部長は

すっかり常務気取りとなり、たびたび訪れては無茶な指図をするようになっていた。

中でも最高に迷惑だったのは、地元のM社を使えという命令。

山陰の仕事でF工業の社長から150万円を借りた永井部長が

社長と顔を合わせられなくてF工業の排除に乗り出した経緯は前回、お話しした。


「チャーターは市外の業者でなく、地元のM社を使え。

こちらの言うことが聞けないなら、辞めてもらってかまわない」

永井部長は地元貢献の御旗を振りかざし、配車係の次男にきつく言い渡した。

同席していた河野常務は、病気で弱っていたのもあるが

バリバリの地元貢献主義者でもあるため、この脅迫めいた発言を黙認したものだ。


言うなれば永井部長は、常務の地元貢献主義を利用し

F工業を切るか、次男を切るかの勝負に出たのだった。

しかしこの業界、30代の若い運転手は貴重である。

親バカに聞こえるかもしれないが、10年以上の経験があり

無事故無違反(事故には遭ったが落ち度無し)に加えて

車両メンテナンスや配車までこなす次男のような運転手は、実際に探しても滅多にいない。

それを切り捨ててまで守りたいものが、永井部長にはあるのだ。

守りたいものとは、F社長に借りた150万円の秘密。

彼にとって次男の価値は、150万に満たないということだ。

他に強いて言えば、腰巾着の藤村をこっちへ復帰させたいのだろう。


この一件以来、次男は今後の身の振り方も含めて色々と考えたようだ。

F工業からは引き抜きの話が来ており、次男も行きたがっていたので

彼はこれを機に退職してもいっこうにかまわない。

辞めてもらってかまわないとまで言われたのだから

むしろ良い機会ととらえて、相変わらずF工業を使い続けるのだった。


当初は次男に任せて眺めていた、我々夫婦。

けれどもやがて、夫がソワソワし始めた。

このままF工業を使い続けたら、また永井部長が出てきてゴタゴタするからだ。

そうなれば、次男は啖呵を切って辞めればよかろうが

事故が起きたり、別の思わぬ問題が勃発するのはこういう時だと

夫は長い経験で知っていた。

「あそこまで言われて反抗したい気持ちはわかるから放置していたが

いつまでも感情を優先していると、次男にも社員にも良くない」

要約すれば、それが夫の主張。


これには私も賛成だった。

男の意地もけっこうだが、張る相手が永井ごときではもったいないという理由からだ。

次男が意地を通して退職した場合、永井部長にクビを切られたことになる。

雇用も解雇もヤツの胸先三寸という前例を、わざわざ作ってやる必要は無いではないか。

この子には直進だけでなく、そろそろ汚い手も覚えてもらいたいところである。


以上のことを親子で話し合い、F社長に相談してアドバイスを受けた次男は

地元貢献という永井部長の命令に従うことにした。

F社長のアドバイスは、こうだ。

チャーターは今まで通り、F工業に発注する。

F工業はその仕事をM社に振り、実際のチャーターはM社から来る。

つまりM社はF工業の下請けとなって、F工業に我が社の仕事に参加するのだ。


このような場合、M社は1台につき千円程度の紹介リベートを

F工業に支払うのが業界の常識。

しかしF社長にとって、そんなハシタ金は目じゃない。

永井部長の命令を聞いて、地元のチャーターを使って見せることが重要なのだ。


一方で、F工業は切らずにそのまま。

うちに切られたところでF工業は困らないが、あえて切らない。

これで地元貢献と、F工業を使い続けることが両立するわけである。


やがてF工業からの請求書が届けば

M社を下請けとして使ったに過ぎないことが永井部長にバレる。

けれども知ったところで、彼は何もできない。

こっちはF工業を名指しで手を切れとは、一言も言われてないからだ。

地元を使えと言われたから、言いつけを守ってM社を使っている。

下請けではなく直で使えとも言われてないので、命令にはそむいてない。


F社長にも、文句は言えない。

150万の借りパクがあるからだ。

彼の感じるジレンマは、いかほどであろう。

さすが、上り調子の会社の社長は考えることが違う。

社内に良い手本がいないのだから、よその人に習えばいいのだ。


これに、どのような形で報復してくるのか。

またバカなことを考えつくのだろうが、少々楽しみでもあった。

《続く》
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現場はいま…新たな展開なのか?・6

2022年03月13日 12時03分28秒 | シリーズ・現場はいま…
「お父さんとお兄ちゃんと、3人でこっちにおいでよ」

F社長は言った。

今度は父子3人、セットでの勧誘だ。

けれどもこれは、「捨てる神あれば拾う神あり」と喜ぶ類いではなさそう。

F社長は永井部長と、彼を重用する本社に復讐するつもりだと思う。


彼が前回、夫と次男を誘ってくれた時から約1年の間に

彼の会社は山陰への進出をはたしたが、県内にも数ヶ所の拠点を増やしていた。

その拠点は、我々の住む町の近くまで来ている。

我が家の男3人は当面、それらのどこかへ投入されるだろう。

F社長は、とにかく人手が欲しいのだ。


元々人数の少ない会社から、中枢を担う3人がまとめて抜けると会社は回らない。

行く所の無い佐藤君とヒロミは残るだろうが

3人に付いて来る社員もいるだろうし、これを機に辞める者も必ず出る。

その際、キーマンになるのは重機オペレーター見習いのシゲちゃん。

運転手は探せばいくらでもいるが、重機オペレーターは滅多にいないからだ。


まだ誰にも言ってないので、彼がどうするのかは不明だが

付いて来る、あるいは辞める場合

積込みをする者がいなくなるので、その日から商売はできない。

残ったとしても、彼の技術と精神力が出荷のスピードに追いつかないため

彼には耐えられないだろう。


働き手が減ると売り上げが上がらないので、会社は早晩、閉鎖される。

会社を枯らすには、まず人から枯らして行くのが早いのだ。

閉鎖と言ったら大ごとのように聞こえるかもしれないが、今どきは普通。

支店が複数ある会社は、人員を他の所へ移動させればいいので

経費だけかかって儲からない部門は気軽に閉鎖する。


本社も昭和から平成にかけて吸収や合併を繰り返し

県の内外に拡げた支社支店を次々に閉鎖している。

中途で合併した会社には愛着が無いため

利益が出なくなったら容赦なく切り捨ての対象となるのだ。

もちろん、我が社も例外ではない。


で、閉鎖したらどうなるか。

F社長はかねがね、我々と同じ建設資材の卸業を始めたいと考えている。

そして地の利を考えた場合、我が社の立地がぴったりだとも言っている。

そこで閉鎖された跡地を入手し、同じ商売を始めたとしたら…

しかも同じ場所で同じ仕事をするのが、まさかの3人だとしたら…

本社と永井部長に対する、ものすごい嫌味だ。


それが万一うまく行って、前より発展したら…

今までのやり方がまずかったと証明されたのと同じだ。

本社にとっては赤っ恥、ハンカチを噛んで悔しがるだろう。

F社長は最終的に、これを狙っているような気がする。


そんな回りくどいことをしなくても、永井部長が憎たらしければ

貸した150万の請求書を持って本社へ乗り込み

彼の所業を社長や取締役にぶちまければいいようなものだが

そうはいかんのよ。

このような場合、返済の容易い150万では少ない。

話を聞いた本社はその場で、永井部長の代わりにお金を返し

F社長は領収を切って帰るしかなくなる。


するとどうなるか。

F社長は、貸したお金に困って回収に来たチンピラに仕立てられる。

たとえ真相は違っていても、「結局はそういうことでしょ?」ということになり

ひどく残念な形で終了してしまった前例には事欠かない。


そんな憂き目に会って評判を落とすより、この件を有効に利用する方が賢い。

借金のままにしておけば、永井部長にとっては生涯、脅威であり続ける。

二度とF社長に近づけないため、仕事の邪魔をしなくなるだけでなく

本社が獲得を狙う仕事に競合し、勝ち取ることができる。

F社長と接触したくない永井部長が、先に引くからだ。

やろうと思えばの話だが、本社の絡んだ仕事に

永井部長お得意の飛ばしや割り込みを用いるのも自由自在。

結果的に永井部長が踏み倒した150万は

何倍もの収益になってF工業に返ってくるというわけである。


ところで転職対象の3人は、どう思っているのか。

永井部長の弱みを知った余裕からか

「返事をせかされるわけでもなし、急ぐことはない」

などと言いつつ、淡々としたものだ。

「チャーターは地元の業者を使え」という彼の命令にも従わず

依然としてF工業をガンガン呼んでいるが、不思議と何も言って来ない。


それもそのはず、次男が永井部長の発言をF社長に伝えた後

腹に据えかねた社長は彼の携帯に電話をかけた。

しかし、何度かけても出なかったという。

以来、出ないとわかっていても、時々かけているそうで

これが牽制になっていると思われる。


ともあれ、どっちへ身を振るにしても、鍵になるのは河野常務の進退…

などと話し合っていた先週の始め、その常務がコロナ感染。

いつぞやのダイちゃんに続いて、嘘のような本当の話だ。


今回も本社では数人が感染したが、常務以外はごく軽症。

抗癌剤を使用しているからか、常務だけが重症に陥り

会社の進退どころか生命の進退が問題になっている。

このシリーズに取りかかった時には、予想もしていなかった。


年老いて頼りにならなくなったとはいえ、一応は恩人の危篤だ。

建て前が含まれているが、こんな時に動くわけにはいかない。

しばらくは彼の全快を祈りつつ

一方で全快しなかった場合のことも考えながら

静かに過ごそうと思っている。

《完》
コメント (4)
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