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殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

現場はいま…新たな展開なのか?・5

2022年03月07日 18時40分08秒 | シリーズ・現場はいま…
永井部長と業者の仲裁に入ったF社長が

総額150万円の豪勢な接待を行ったことで、対立はひとまず白紙になった。

ここは金を使わなければおさまらないという、F社長の判断による措置だった。

とはいえ、酒を飲ませれば解決するというわけではない。

山陰地方でも一目置かれるF社長に敬意を払う形で

業者は矛(ほこ)を収めたのだった。


誰が見ても向こうが悪い場合、警告をした上で争いを仕掛けた側は

何らかのもっともな理由が無い限り、自分から引くわけにはいかない。

これは業界におけるスジの一つ。


穏便に解決するには、問題のサイズに見合うか

あるいはそれ以上の人物が出てきて和解を提案する必要がある。

問題の性質にもよるが、誠意と呼ばれる各種のサービス…

つまり和解を円滑に行うための“飴”が必要になる場合もある。

結果、その人物の顔を立てるという建て前によって

仕掛けた側は振り上げた拳を下ろすことができるのだ。

これも業界のスジといえばスジだが

このスジを取り違え、はなから飴を目的に争いを仕掛けること…

あるいはそれを行う人を“外道”と呼ぶ。


余談になるが、うちの夫が70才まで勤務する確約を

本社からもらっているのは、今回のF社長のように仲裁役となり

手打ちの話ができる複数名の人物と親しいからだ。

速やかに問題を解決し、無事に帰って来るのは難しい仕事なので

誰でもいいわけではない。

相手が納得して迎え入れ、話し合いの席に付いてくれるランクの

経歴、知名度、人望、交渉能力が必要になる。

建設資材関係の同業者に勤める夫の親友、田辺君もその一人だ。


彼らとは仕事で知り合ったり、親の代からの付き合いだったりと

出会いはそれぞれながら、交流は長きに渡って継続している。

しかし、あのように塩の効いた人々が

なぜ甘ちゃんの夫を相手にするのかは謎の域を出ない。

塩の効いた人というのは、何も考えない人間に会うとホッとするのかもしれない…

などと想像する程度だ。


そのようなわけで、夫は各種の情報源と

使ったことは無いものの、万一のセーフティネットを保持している。

けれども本社は、それを持っていない。

複数の顧問弁護士を雇っているが

この方面の問題で訴訟や裁判ばっかりやるわけにもいかず

予防、あるいは火を小さいうちに消すための手段として

夫の交友関係をあてにしているフシは折々に感じられる。


定年という便利な制度があるんだから、お情けで合併してやった極小会社の二代目なんか

一日も早く切り捨てたいのが人情であるにもかかわらず

夫を手放さないのは、以上の理由からだ。

だったら丁重に扱えよ、と言いたいところだが

普段は粗末にして、いざという時に泣きつくのが本社である。



さて、問題が白紙になったとはいえ、F社長には

今後、永井部長と業者がうまくやって行けるとは思えなかった。

また何か問題が起きるに違いない…

その度に泣きつかれたら面倒くさい…

ということで、業者とは手を切らせることにした。

向こうも二度と永井の顔を見たくないと言っているので、話はすんなり決まった。


となると、本社はこれからどこで資材を仕入れるか、ということになる。

F社長は自分の会社が仕入れている業者から、一緒に仕入れをさせることにした。

方法がそれしか残ってないのもあるが、彼の目が届く所であれば

予防も後始末も容易いというのもあった。

げに人の世話をするとは、消耗と苦渋が付いて回るものである。


永井部長は喜び、仕入れ先を変えた。

企業舎弟の業者と手を切り、後始末をしてもらってルンルンだ。

しかし、問題は残っている。

F社長が立て替えた、150万円の接待費。

解決した当初はF社長を泣いて拝み、必ず払うと約束した永井部長だが

喉元を過ぎるとF社長に会わないよう逃げ回り、電話にも出なくなった。


不義理の見本のような行為だが、その気持ちはわからないでもない。

永井部長は一応、取締役の肩書きが付いてはいるものの、取締役の中では一番下っ端。

経理部に150万円の接待交際費を請求したって

下っ端には大き過ぎる金額なので簡単に出してもらえるわけがない。

経費から支出してもらうには、取締役会で説明の上

社長と5人の先輩取締役の同意が必要になる。

包み隠さず説明しても金の出る可能性は低く、彼の落ち度だけが明るみになる恐れ濃厚。


そうなると自腹ということになるが、マンションのローンを抱え

二人の子供は大学生となると、そんな余裕は無さそうだ。

よって身銭を切るぐらいなら、一生逃げ回った方がマシということで

彼は居直ったと思われる。


ともあれF工業の仕事は今も山陰で継続しているが

永井部長が割り込んだ工事は小さかったので、じきに終了。

彼の山陰通いも終わり、F社長の影に怯えることは無くなった。


そして年が明け、2月が来て、永井部長は急に

地元のチャーターを使えと言い出した。

つまり、F工業の排除を主張し始めたのだった。


市外のチャーターを使ったらいけないと永井部長に言われた…

配車係の次男はF社長に相談した。

F工業にはほぼ毎日、仕事を依頼していたので

お互いに翌日の配車の段取りがある。

早めに伝えて、善後策を考える必要が出てきたからだ。


次男の訴えに、F社長は笑って答えた。

「永井には金を貸してるからね。

僕が邪魔なんだよ」

F社長はこの時点で、次男にコトの経緯を詳しく説明した。


永井部長が山陰で何かやらかして迷惑をかけたのは聞いていたが

土下座やお金のことは、この時に初めて知った。

汚点を知られたF工業が出入りするのは困るんだ…

次男から話を聞いた我々は、そう理解した。


「金はいいんだ。

僕が勝手に決めたんだから、今さらゴチャゴチャ言うつもりはない。

いい勉強になったよ」

F社長は言ったが、内心ではかなり怒っている様子だったという。


「やっぱり、うちへ来ない?」

F社長は次男に言った。

「あんなのが次のトップになったら、本社は続かない。

君の所も無くなるよ」


F社長は去年にも次男を誘ってくれ、次男もすっかりその気だった。

しかし当時は事故で体調が思わしくなかったので

期待に応える自信が無くなり、断っていた。

その時に夫も誘われ、良い条件を提示してもらったが

次男が断ったので話は立ち消えた。


私は何も言わなかったが、よその会社の人に夫の働きが認められたことは嬉しかった。

しかし次男の方は、長男と2年余りに渡る冷戦中。

兄との決別と、転職を混同するのは良くないと思っていた。

引き抜きだ、スカウトだと浮かれたって

その実は、憎たらしい兄と顔を合わせたくないだけだったりする。


憎しみを原動力に転職したって、あんまりいい結果にはならないものだ。

うちの次男の性分からすると、兄より優れている所を周囲に見せようと

寝る間も惜しんで張り切りまくるに違いない。

そしてやがては身体を壊し、使い捨てられる可能性大。

よって、ひとまず話が消えてホッとしたものだ。


兄弟の仲はそのうち元に戻って、現在に至っている。

そして今回、F社長は再び次男に言った。

「お父さんとお兄ちゃんと、3人でこっちにおいでよ」

《続く》
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現場はいま…新たな展開なのか?・4

2022年03月03日 14時48分08秒 | シリーズ・現場はいま…
発注元のゼネコンとF工業の間に割り込むことで

仕事を獲得した気になり、有頂天の永井部長。

けれども喜びは束の間だった。

山陰は遠いため、資材の運搬費用がかかり過ぎることが判明。

大量仕入れで安く買い付けても、それを運ぶ経費で大赤字だ。


「そんなことは最初からわかっているはず…」

普通は思うだろう。

しかし、それがわからないのが彼なのである。

どこへでも押しかけて無知と非常識を撒き散らす永井部長のやり方では

次の仕事に繋がらないと思い、我々はいつもハラハラしてしまう。


それでも知らない所でやるなら構わない。

けれどもうちに関わる仕事や

田辺君、F工業といった我々の関係者にまで触手を伸ばし

不義理を重ねる彼の所業は屈辱以外のなにものでもなかった。


とはいえ、我々も気づいてはいるのだ。

あちこちで嫌われると、顔を合わせられない人や出入りできない会社が増えて

行動範囲は自然に狭まっていく。

そのため、畑違いの業種である我々のテリトリーに侵入して

新しい相手に永井砲を繰り出すしかなくなってきたのだ。

本人に自覚は無いが、はたで見る限り、その光景は憐れに映る。


一方で本社の重鎮たちは、彼の営業姿勢を機動力と呼んで高く評価し

永井、永井と寵愛を続けている。

我々はその様子を眺めつつ、人を見る目が無いにもほどがあると苦笑してきたが

よく考えれば、じきに引退する70代の重鎮に次は無い。

次に繋がらなくても、お爺ちゃんたちは困らないのだ。

今さえ良ければいいという考えは、若い人だけかと思っていたけど

一部の老人もそうなのかもしれない。



さて、資材の件で壁にぶつかった彼は、取り急ぎ現地調達をすることにした。

これは禁じ手の得意な永井部長には珍しく、オーソドックスな方法だ。

とはいえ、知らない土地なのでツテが無い。

彼らがあると信じて疑わない本社のネームバリューだが、山陰では全く通用せず。

金額が大きいため、取引実績の無い一見さんには

おいそれと売ってもらえないのだった。


そこで頼ったのが、F工業。

F工業は最初から、資材を現地調達していたからだ。

「お宅が仕入れてる所を紹介してください」

永井部長は平然と言った。

一部とはいえ仕事を横取りしておきながら、こういうことを平気でやるのが彼である。


F社長は、さすがに断った。

「うちの仕事を奪ったんだから、もういいでしょう」

恨みや意地悪ではない。

こんなに危ないヤツを紹介したら、自分が恥をかくからだ。

我々の業界は、ゴメンじゃ済まないことがたくさんある。

その状況を予防するために、スジと呼ばれる掟もたくさんあるのだ。


F社長にすげなく断られた永井部長は、しかしメゲなかった。

しょんぼりしてはいられない。

せっかく割り込んで仕事を奪ったというのに

資材が入手できなければ、手を引いて広島へ帰るしかなくなる。

世間から卑怯と言われるのは平気でも、社内の目は気になる彼であった。


F社長に断られた後、数少ない資材販売業者を飛び込みで当たった彼は

やがて販売してくれる所を見つけて意気投合。

売買の話をつけ、資材供給の面ではことなきを得た。


しかし他の面では、ことなきというわけにはいかなかった。

そこが反社系の会社だったからである。

昭和の映画の影響もあって、反社といったら広島の地名が上がりやすいが

山陰をあなどってはいけない。

広島には無い、有名かつ大きな組織が入っており、その本拠地である関西にも近い。

何も知らない永井部長は、その企業舎弟と仕入れの契約を結んでしまったのだ。


この業界には我々のようなカタギもいるが

反社系や元反社系、あるいはそれらの企業舎弟も混在している。

相手にもよると断っておくが、ひとたび縁を結んだら

ジワジワと身ぐるみ剥がされるケースは実際にあるし

今は聞かなくなったが、誰それが埋められただの沈められただのと

真偽不明の物騒な噂がまことしやかに流れていた時代もある。

トラブルを避けながら営業していくには、それなりの知識と経験が必要だ。

知らなかったでは済まされない。


さて、最初のうちはうまく行っていた永井部長と資材業者だが

ほどなくトラブルが発生した。

困っているのを助けてやったのに

いかにも「買ってやる」みたいな態度は何ごとだ…これが業者の主張だった。

つまり永井部長の尊大な姿勢が、そもそもの原因らしい。


ここで永井部長が素直に謝り、態度を改めればよかったのだが

「うちのような大手と取引できるんだから、お宅も良かったでしょ」

と、彼がよく言う口癖をほざいた。

こんなことを言われたら、反社でなくても怒る。

自分の働く会社に誇りを持つのは悪いことではないが、それを言っちゃあおしまいよ。

聞いた方はムッとし、そして思うものだ。

「お前の会社じゃなかろうが」


業者とは当然のごとく話がこじれ

怒った相手は即日、資材の供給をストップした。

再開するにも契約解除するにも、もう話し合いだけでは済ませないという意思表示だ。


資材が無いので、工事も止まる。

工事が止まるって、業界では一大事。

工期を始め、全ての計画が狂ってしまうからだ。

しかも天災などの不可抗力ではなく人災となると、永井部長の責任問題。

長引くと、賠償が発生するかもしれない。


困った永井部長は本社の取締役にそれとなく相談してみたが

こうなると、お爺ちゃんたちは冷たい。

「自分で解決しろ、君ならできる」

励ましの言葉を添えて、ていよく突き放された。


万事休すの彼が駆け込んだのは、F工業の山陰支店。

そこにはちょうど、F社長が滞在していた。

彼はこちら山陽地方で社員と共に現場で働きながら

時折、山陰支店にも赴いているのだった。


「助けてください!」

F社長の顔を見た永井部長は泣き出し、土下座をした。

藤村といい、彼といい、土下座が趣味か。

我々の業界には、簡単に土下座をする者を信用してはいけないという

暗黙の了解があるが、無知なアレらはそれを知らない。


床に頭をすりつけ、泣きながら助けを乞う永井部長を見て

F社長はいい気味だと思った。

しかし不案内な土地で困っている者を助けるのは人道的措置と思い直して

相談に乗ることにした。

古くからの鳶(とび)職の家系に生まれた彼は、任侠の精神を持っている。

真の任侠とは、人相の良くないおニイさんがひけらかすものではなく

漢(おとこ)の心意気なのはともかく

そういう流れを汲むF社長は、物腰の柔らかい50代前半の紳士だが

この問題を解決する種々の実力があった。


「どんな結果になっても従う」

永井部長に約束をさせたF社長は単身、件(くだん)の業者を訪問。

そして業者と話し合い、接待で手打ちにすることとなった。

その接待費用に150万円かかったが、急場ということで

とりあえずF社長が立て替えた。

相手は永井部長個人に、解決金としてその倍額をほのめかしていたので

半額で済ませたことになる。

《続く》
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現場はいま…新たな展開なのか?・3

2022年02月28日 08時28分12秒 | シリーズ・現場はいま…
地域密着、地元貢献という本社のモットーに反して地元を無視している…

裏を知らずに聞けば、それはけしからんことであり

地元の共存共栄を主張する永井部長の意見こそ、正論だ。


しかし地元業者の腐りっぷりに加え、永井部長の本心を知る我々は

彼の地元活用論に従うわけにはいかなかった。

藤村が肩書きを外されてヒラに戻った時

彼と癒着していたM社を切っているからである。


当時、M社の社長は慌てて詫びを入れに来て

引き続き使って欲しいと頼んだが、夫は許さなかった。

仕事をもらう立場のチャーターが発注先の会社を揉ませるのは

この仕事に携わる者が一番やってはいけないことだからだ。


お互いに雇ったり雇われたりして助け合うのがチャーターとはいえ

雇われる側になった時は、雇った側の一員として働くことになるため

仕事がスムーズに進行するよう全力を尽くすのが、この業界のスジである。

裏で揉め事を大きくしたり

発注先の誰かと結託して乗っ取りを企てるなど、言語道断。

簡単に許せば、こちらに負い目があるとみなされるので

二度と出入りさせるわけにはいかない。

それも、この業界のスジである。


大切に守ってきたそれらのスジが

永井部長の個人感情によって脅かされようとしていた。

F工業を切るのが永井部長の私意であるにもかかわらず

それを地元貢献という正論にすり替えて公然と押し付けられるのは

我々にとって受け入れがたいことだった。


合併して10年、最初の頃は確かに存在していたマトモな人や普通の人が次々と辞め

本社にはイエスマンばかり残っている。

その中からは永井部長のように、出世して権力を持つ人が出てきた。

我々の庇護者である河野常務がいなくなると

かなり厳しい状況に置かれるであろうことは予測していたので

常に覚悟は持っていたが、どうやらその時が来たらしい。



やがて本社から河野常務と永井部長が来て人払いがあり

次男一人が事務所に残されて面談をすることになった。

地域密着、地元貢献のモットーに逆らう主犯格として事情聴取を受けるのだ。

永井部長から見れば、配車を担当する次男はF工業を使う首謀者。

最初のターゲットに選ばれるのは当然だった。


近いうちにこれをやると想定していたので、次男にはあらかじめ言い含めておいた。

「もし永井が常務を連れて来たら、罠と心得よ。

ターゲットを定めて個人攻撃をするのは、ダメな組織の特徴だからよく見ておくように。

永井はわざとカッとするようなことを言って

あんたが常務の前で逆上するか、辞めると言い出すのを待つはず。

そうなると思う壺だから、何を言われても

相槌は“はい”だけにして、反論と説明は一切するな。

バカに自分の気持ちをわかってもらおうなんて、夢にも思わないことだ。

あんたの感情がつかめなければ、向こうは打つ手が無いから帰るしかない」


後から次男に話を聞いたところ、やはり罠だったようだ。

「こちらの言うことが聞けないなら、辞めてもらってかまわない。

今日はそのつもりで来た」

永井部長は開口一番、そう言い、次男がキレるのを待つそぶりだったという。

他にもあれこれと重箱の隅をつつくような挑発が繰り返されたが

次男はオール“はい”で乗り切り、短時間で解放された。


母による事前講習が功を奏したと言いたいところだが

次男は一連の経緯をF工業の社長に話していた。

「無茶なことを言われたら、すぐ辞めてうちへ来い」

F社長にそう言われて、安心していたことが大きい。


「言われたことは何ともないけど、常務が変わってしまったのが残念だった。

前は両方の話をちゃんと聞いてくれたのに、今は永井部長に引きずられるお爺ちゃん。

揉め事はしんどいんだって」

次男は我々に、そう報告した。

情に厚く公平だった常務も病気と加齢には勝てず、とうとうヤキが回ったらしい。

十年ひと昔というが、時の流れはこのような形で表れたようだ。


ともあれ常務の権力が、天敵の永井部長に渡ったからには

もはや合併当時の恩や義理に縛られている場合ではない。

この恩や義理があるからこそ、たくさんの我慢をしてきたが

あの時、倒産を免れるために本社から用立ててもらった大金は

2年前に完済しているのもあって、もう時効でいいんじゃないかと思うようになった。

我々は、様々な事柄を一から考え直すことにしたのである。



で、永井部長が抱えているという秘密のトラブルだが

それは山陰に建設される国防系の公共工事で起きた。

F工業はこの仕事を獲得するために山陰支店を作り、予定通り獲得。

さあこれからという時に、しゃしゃり出たのが永井部長だった。

太鼓持ちの藤村を従えて、工事を入札した発注元へ乗り込み

「F工業より安い工費で引き受けるから、うちを使って欲しい」

とねだった。

つまりF工業を排除して、本社を下請けにしろという永井部長の常套手段

“飛ばし”である。


彼は昨年の秋口にも、夫の親友である田辺君が振ってくれた仕事にこの手口を使った。

田辺君の会社を飛ばして仕事を奪おうとして、田辺君と小倉の業者を怒らせたものだ。

永井部長は逃げ、取り残された藤村が田辺君に土下座をして何とかおさまった。

その記憶が薄らぐ間もない晩秋、今度はF工業の仕事で飛ばしをやろうとしたのだった。


しかし今回も、発注元であるゼネコンに断られた。

だって山陰の冬は早い。

冬になれば雪が降る。

国防施設なんだから、春を待つなんて言っていられない。

一日でも早く着工しておかなければ、有事の際に間に合わない。

遅れて現れた知らんヤツのワガママなんか、聞いてやる暇は無いのだ。

全てのお膳立てが整うまで待って、最後にかっさらう永井部長のやり方は

場所と季節にマッチしなかった。


しかし永井部長は諦めない。

今度は発注元とF工業の間に、自分たちを入れて欲しいと食い下がった。

つまり発注元とF工業の間に入り、F工業を自分たちの下請けにするのだ。

全部の仕事ではない。

本社の得意分野、つまり大量仕入れによって値引きが可能な一部の仕事である。


これも永井部長お得意の、“割り込み”と呼ばれる常套手段。

“飛ばし”と同様、汚いやり口として商売の禁じ手とされているが

彼はこれらの手口を平然と使うのだった。


発注元としては、工費を少しでも安く上げたいので

「あっちがああ言って来てるけど、どうする?」

と、F社長に打診した。

これを聞いたF社長は、もちろん気に入らない。

土壇場でこれだから、そりゃあ腹が立つ。

が、うちの夫や息子たちが世話になっている本社だからと思い直し

この時は拳をおさめた。

そして発注元とF工業の間に本社を割り込ませることを

自ら了承するという苦渋の決断をしたのだった。


永井部長は狂喜乱舞。

さっそくF社長の所へ挨拶に行き

上から目線で「仲良くやりましょう」とホザく。

「泥棒が、なに言ってやがる…」

F社長は苦々しく思ったが、表向きは平静を装ったという。


これで終われば、まだよかった。

しかし永井部長の真骨頂は、ここからだった。

《続く》
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現場はいま…新たな展開なのか?・2

2022年02月25日 09時38分23秒 | シリーズ・現場はいま…
シゲちゃんにトトロ、そして佐藤君とヒロミの近況をお話ししたので

昨年の春に入社して秋には退職したシゲちゃんの前任

スガッちのこともお話しさせていただこう。

彼は正社員で雇用してもらえるということで、隣の市にある三交代制の工場へ転職したが

またいつの間にか転職して、やはり隣の市の山奥にある産業廃棄物処理場で働いていた。


その彼が先日、ふらりと会社に現れ

産廃処理場を辞めて、ここへ戻りたいと夫に言ったそうだ。

そこは家から遠く、10時と3時の休憩も無く

夕方5時までビッチリ働かされるので、とてもしんどいのだそう。

そして仕事のひとつに、墓じまいをした墓石の粉砕があり

毎日、それが怖くてしょうがないと言う。

仕事は変えるたびに、自分の理想とはかけ離れていくものだ。

いい仕事なんて、あるわけないじゃないか。

夫が丁重に断ったのは言うまでもない。



さて、本題へと移らせていただこう。

今の慌ただしさの原因だ。

我々一家が何を考えているかというと、転職さ。

まだはっきり決めているわけではない。

だって、仕事は変えるたびに、自分の理想とはかけ離れていくものだと

さっき言ったばかりじゃないか。

考える時間はたっぷりあるので、ゆっくり考えるつもりだ。


息子たちはともかく、我々夫婦はこのまま可もなく不可もなく夫の定年を迎え

ありがとうございました、と穏やかに去る予定だった。

4年前、夫は還暦を迎えた時点で、当面は70才までの勤続を保証され

その後の進退や待遇は本人の体調を考慮した上で

本社と話し合って決めることになった。

当時の我々は、それで十分だと思った。

今年に入り、ひとまずのターニングポイントと定めた70才まで

残すところ5年となったが、やはりそう思っていた。


とはいえ私は一方で、夫がしんどくなったら

いつ退職したってかまわない気持ちでいた。

夫個人に対する本社の配慮はありがたいが、会社に対しては違う。

変なヤツを送り込んではゴタゴタを引き起こす繰り返しに

しぶとい私がうんざりしているのだから、単純な夫の精神的苦痛は相当なものだ。

夫の社会人生活の最後がこれでいいのか…とも思うようになった。

年を取って残された日々が目減りしてくると

そのわずかな年月が、ことさら貴重に思えてくる。

人生の晩秋を迎えても、いまだ姑仕えを続ける我が身のザンネンを痛感するにつれ

夫の無念をも感じられるようになったのだ。


若い頃から父親に押さえつけられ、五十を過ぎたら

その父親が作った借金が原因で合併を余儀なくされ

今度は合併先に押さえつけられる身の上になって、はや10年。

夫は本社に巣食うゲスどもに陥れられ、足を引っ張られ、罪を着せられてきたが

そのゲスどもはさんざんひどいことをしておきながら、危なくなると夫に泣きついた。

そして問題がおさまると、自分の手柄にする。

ゲスとは、そういう生き物だ。


それでも夫が耐えたのは、親を養っているからである。

私が「親を扶養してござい」と威張ったところで

彼の稼ぎ出す現ナマが無ければ日干しじゃ。

その彼をそばで見てきて、このまま終わるのが何だか気の毒になってきたのだ。


そんな心境になり始めた、このところ…

我々の守護神だった本社の河野常務の衰弱が目立ってきた。

数年前に癌の手術したので仕方がないが、70才を過ぎてめっきり年老いた。

引退時期が近づいているのは、誰の目にも明らかだ。


そうなると急に強気になったのが常務の子分、永井営業部長。

50代半ばの彼は、得意の嘘と芝居を駆使して取締役に成り上がった

卑怯が服を着ているような男だ。


常務の引退後、その仕事を受け継ぐことが決まっている彼は

当然、我が社も担当することになる。

彼は自発的にその準備段階に入ったらしく、何やかんやと仕事に口を出し始めた。

仕事を理解して口を出すならいいが、何も知らないまま見当違いの指示をするので

夫や息子たちは辟易している。


中でもうるさいのは、チャーターの配車。

チャーターとは、うちのダンプだけでは回らない時

よその同業者から応援に来てもらうことだ。


このチャーターに、地元を使えとうるさいのなんの。

だけど地元の業者は規模が小さいので、台数が揃わない。

特に同じ市内だと、うちが忙しい時はよそも忙しいため、頼んだって来られないのだ。

しかも市内の同業者といえば、反社会勢力の企業舎弟なので付き合いをしていない所か

あの藤村と癒着して我が社の乗っ取りを企んだM社。

M社は藤村と癒着しながら、神田さんのパワハラ、セクハラ問題の時には

裏で彼女をたきつけ、問題がさらに大きくなるよう立ち回っていたことがわかっている。

精神科の診断書を取った上で労基へ駆け込め…などのアドバイスを行ったり

藤村の発言や無線の会話を録音するボイスレコーダーを彼女に貸したのはM社の社員だ。


つまり藤村はM社にチヤホヤされてヨコシマな野心を膨張させながら

一方ではしっかり陥れられていたピエロである。

かたや反社、かたや盗っ人以下。

究極の選択にもほどがあるというものだ。



とはいえ永井部長が異常に地元にこだわる理由を、我々は知っていた。

彼の大嫌いなF工業を使いたくないからだ。

F工業は、記事で何度か触れたことがある。

市外の会社だが、規模が大きいので急な要請にも対応でき

ドライバーの技術と運転マナーが良いため、安心して任せられる所だ。

我々もF工業の社長を始め社員と親しく

知り合ってからここ数年は、お互いに助け合いながら仲良くやってきた。


しかし昨年秋、永井部長はこのF工業とトラブルを起こした。

我々の業界においては、けっこう大きなトラブルだ。

F工業の社長からは、その内容をすでに聞いていたが

永井部長は誰にも知られてないと思っている。

かなりカッコ悪いので、誰も知らないと思い込みたいのだろう。


ともあれ河野常務の引退後、彼がうちを担当するようになったら

こちらへも嬉しげに顔を出し、上司風を吹かすようになるのは明白。

すると、どうしてもF工業と顔を合わせる機会が出てくる。

だから彼は今のうちに、F工業を切っておきたいのだ。


けれどもF工業を名指しで排除するわけにはいかない。

切りたい理由を説明する必要が出てくるからだ。

そこで「地元を使え」と強行に主張。

地域密着、地元貢献は、古来より本社のモットーである。

「そのモットーをないがしろにして、市外の業者を使っている」

彼は言い出し、我々は本社の方針にたてつく違反者ということになった。

《続く》
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現場はいま…新たな展開なのか?・1

2022年02月19日 11時09分25秒 | シリーズ・現場はいま…
寒さのため、唯一の持病である五十肩…いや、すでに六十肩か…

が悪化したのと、会社のことで少々慌ただしかったため

ご無沙汰してしまった。

肩の方は治療に通ってずいぶん回復したが、会社の慌ただしさは現在も継続中。

徐々に落ち着いていくのか、これからもっと騒がしくなるのかは今のところ不明。


その件に触れる前に、1月から入社した五十代半ばの重機オペレーター

シゲちゃんのことをお話しさせていただこう。

彼は、正月休みの明けた1月7日から初出勤することになっていた。

しかし前日の1月6日に急な仕事が入り、夫が一人で対応。

明日から出勤する会社の様子を見に来たシゲちゃんは…

そう、このように意味不明な行動をするのが彼…

とにかくその光景を目撃して、次男に連絡してきた。

「専務(シゲちゃんは夫のことを昔の肩書きで呼ぶ)が重機に乗ってる。

僕は行かなくてよかったんだろうか?」

次男が言うには、泣きそうな声だったそう。


「大丈夫、今日は親父だけ出てるから。

シゲちゃんは明日からお願いしますね」

そう言ったら、彼は落ち着いたという。

我々はそれを聞いて、シゲちゃんのこれまでの苦労をしのぶのだった。


彼は職場でからかわれたり、のけものにされることが多く

皆に連絡が回っても彼だけ知らされないことがよくあったと聞いている。

休みのはずの会社で夫が働いているのを見て、彼は悲しくも驚愕したのだ。

「シゲちゃんが入ったら、安心して働けるように気を配ろう」

我々は、そう誓い合った。


こうしてシゲちゃんは会社の一員になったが

ブランクが長かったのと、コンピュータ制御の重機が初めてなのとで

期待通りの即戦力とはいかず、夫が密かにイラッとしているのは見て取れた。

また、社員一同の反応もあまり良いものではなかった。

滅多に口を開かないシゲちゃんだが、必要にかられてその滅多が訪れた際に

言い方が上から目線でムッとするらしい。


それもそのはず、彼の最初の職歴は国土交通省の役人。

お役所系の前歴を好む本社が飛びつき

前任のスガッちより好待遇で迎えたのが当然だったのはともかく

職を転々としてきたシゲちゃんが、おとなしいにもかかわらず

あちこちでいじめられてきた原因はこういう所かもしれなかった。


ともあれシゲちゃんには気長に練習してもらうことにして、現在に至っている。

スピードさえ望まなければ、どうにかやれるまでに成長し

「たまに物を言うと憎たらしい」との評判も、社員に役人の前歴を話すと納得した。

満点の人間なんて、いない。

そんな人は、どこか素晴らしい職場で高給を取っているだろう。

うちに、そんな人は来ない。



さて、力士並みに大きな女子事務員、旗野さん…通称トトロも続いている。

仕事はあんまりやらないが、次男は彼女を諜報部員として活用するようになった。

事務所で小耳に挟んだ本社サイドの密談や

これはと思った電話の内容を次男に伝える役目である。


本社に巣食う月給泥棒たちに寝首をかかれないように、情報収集は必要だ。

夫婦共に事業主の子供として育った我々は

転職を繰り返して今の仕事に流れ着いた人々の気持ちに疎いところがある。

一例を挙げれば、我々が最も大切にしているのは商道における義理やスジだが

彼らが最も大切なのは自分の手柄、自分の保身、自分の利益。

我々の視線は主に安全と顧客に注がれるが、彼らの視線は上司一本。

見解の相違がはなはだしいため、こちらが気にも留めない些細な事柄が

彼らにとっては一大事だったり、また、その逆もあるというものだ。


ずいぶん慣れたとはいえ、このような価値観の相違から生じる問題は多く

それが大きくなって禍根が残ることは未だにある。

そのため、まず彼らが何を企だてているのかを把握する。

その企だてがたいてい失敗するのは、経験でわかっている。

だから失敗した時、勝手にこちらのせいにされないよう

複数の対応を考えておいて、無駄な消耗を防ぐのが目的である。


トトロは平素の怠惰な仕事ぶりに似合わず、実に的を得た情報を的確に流す。

皆、彼女を巨大なオブジェと認識しているのか、ノーマークでしゃべるため

トトロの暗躍には気づいてない。

仕事では使えないが、スパイとしてはなかなかのもの。

人間、何かの取り柄はあるものだ。


仮病大王の佐藤君と、天然アサハカのヒロミも相変わらず働いている。

ヒロミは働くうちに、佐藤君が本社からも我々からも嫌われていることを認識したらしく

中でも我々のボスである河野常務が夫に漏らした一言に、強い衝撃を受けたようだ。

「佐藤は口が二つあるけんのぅ」。


事務所に入って来て、これをたまたま聞いてしまったヒロミは

「ニコイチと思われたら私も危ない」

自分からそう言いだして、少しばかり距離を置き始めた。

調子のいいヒロミのことだから信用には値しないが

それでも彼女は時々、息子たちにくっついて慣れないチャーター…

つまり出仕事に行くようになった。


拘束時間の長い出仕事が嫌いな佐藤君にあれこれ吹き込まれ

心底嫌がっていたヒロミだが、コツさえつかめば体力的に楽だと知り

「早く行けばよかった」と言う。

配車係の次男が、楽で技術のいらない現場を厳選してヒロミに振っているとは

永遠に気づかないだろう。

《続く》
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現場はいま…冬の陣・7

2021年12月12日 14時56分19秒 | シリーズ・現場はいま…
常用を回避しようと屁理屈をこねる佐藤君。

一方、ヒロミの方はいっそ清々しい態度だ。

「私にあんまりきつい仕事させたら、ウチのが黙ってないじゃろうね」

どうやらソフトタッチの脅迫らしい。

“ウチの”とは、ヒロミの同棲相手である。

外見がいかにもヤンキー上がりのコワモテ風味なので

ヒロミにとっては頼りになる存在のようだ。


しかし残念ながら、ヒロミの発言に誰も反応しないので

これは脅迫にならない。

30年近く前になろうか、ヒロミのオトコの父親は義父の会社に勤めていたが

会社で酒を飲んで解雇された。

そんな男の息子だから、程度は知れている。


会社で酒を飲むなんて、一人ではなかなかできないものだ。

運転手にちょうど欠員が出たので、父親は自分の飲み友達を推薦し

何も知らない義父がすんなり入社させたため、大酒飲みが二人になった。

人数が複数になると気が大きくなるのは、愚か者お決まりのコース。

朝、会社の冷蔵庫に入れたビールは仕事が終わる頃、いい感じに冷えている。

退社前、事務所のソファーでお友達と一杯やっているところを義父に見つかり

二人共、その場で解雇となった。

父親は元々横柄で、会社を自分の物のように吹聴するところがあり

義父はかなり気に入らなかったので、厄介払いをするチャンスでもあった。

父親はその措置を恨んで、長いこと義父を悪く言い回っていたものだ。


彼はすでに亡くなり、何の因果か

義父と向かい合わせの墓で眠っているのはともかく

そのような暴挙をやらかした男の息子が

うちへノコノコ文句を言いに来られるわけがない。

知らないのはヒロミだけだ。

もっとも、ヒロミの彼氏が普通の神経であれば

ヒロミがうちで働くのも止めると思うが、その辺の無節操は父親譲りと言えよう。


自ら男性と同じ仕事に飛び込んで、男性と同じ給料をもらいながら

女性だからと手加減や特別扱いを望み、都合が悪くなると

旦那や彼氏を持ち出す女性ドライバーはけっこういる。

その厚かましい性根を叩き直さない限り、信頼は得られない。

「だから女は」の差別が続いて、女性ドライバーの地位は向上しないだろう。


とまあ、二人は抵抗を見せたが、それは主に次男に対してだけ。

気性のきつい長男には甘えにくいが、次男はまだ若くてアホなので

騙せると思っているのだ。

しかしアレらも、夫に言ったらおしまいというのはわかっているらしく

夫の前では静かな従順を装っていた。


常用に出す気満々の次男だったが、ちょうど業界全体が暇な時期だったので

仕事はなかなか取れず、アレらは落ち着かない日々を過ごしていた。

そうなると次の手として病気が繰り出されるのは、もはやパターン。

佐藤君がいつもの頭痛を訴え始め、ヒロミは腹痛だ。

無視。


やがて閑散期が終わり、ポツポツと仕事が舞い込むようになったので

配車係の次男は、納品仕事が少ない日を選んで常用を決行した。

常用の中でも軽くて簡単な仕事を選別し、まずヒロミに振る。

どっちを先に行かせるかを我々も慎重に検討していたが

不慣れなヒロミでもできそうな仕事が来たので、そうなった。

次男も同じ現場へ同行して指導を行うため、2台で臨む。

急病でドタキャンされた場合を想定し

念のために早朝から長男を補欠として待機させておいた。


けれども予想に反して、ヒロミは潔かった。

次男に一生懸命付いて行こうと頑張ったそうで、無事に終わった。

「現場の人が、私には特別に親切だった!」

ヒロミはご満悦だ。

技術的には未熟だが、自分がカバーするから叱らないようにと

次男が仕事先に根回しをしていたことなど知るよしもない。


不公平にならないよう、常用には皆が順番に行くということにしていたので

次は佐藤君の番だ。

怠け癖のついた彼は、すでに8時から5時まで働くことすら

かったるくなっていた。

いつもの頭痛では効果が薄いと感じたのか、前日、ギックリ腰になったと言い出す。

本当かどうかは、すでに謎。

しかし顔をゆがめ、足を引きずる彼に無理強いはできないので

とりあえず先送りにした。


けれどもその日、本社から永井営業部長が訪れる。

ダイちゃんのコロナ感染騒ぎが収まったので

本社からもチラホラと人が来るようになったのだ。


だけど、はるばる来たって、事務所で待っているのはあの旗野さん。

本社から人が来るのは、旗野さんが休みの水曜日と土曜日に集中するようになった。

ダイちゃんも再び来始めたが、来訪は月に一度

滞在時間は2時間程度でそそくさと帰る。

旗野さんはその間、コロナ明けのダイちゃんの隣に座っているが

何ら気にするそぶりも無く淡々としている。

その大らかさと力士並みの体型、加えてほとんど口をきかない習性から

社員は彼女を“トトロ”と呼ぶようになった。

命名は次男。


話を戻すが、夫はタイミングを見計らって佐藤君の問題を永井部長に話した。

「仕事しないので、うちはいらない」

そのタイミングとは、ヒロミが事務所に入って来た時だ。

ヒロミに聞かせれば佐藤君に伝わるからであり

ヒロミ自身もドッキリして我が身を振り返ると踏んだからである。

河野常務に話すと、アレらは終わる。

配置転換という名の肩叩きか、でなければ喜んで昇給やボーナス査定に手を加える。

人件費削減は、重役のテーマだからだ。

握り潰しが常習の永井部長に話すのは、夫なりの配慮である。


以来、佐藤君は順番が回ってくると、おとなしく常用に行くようになった。

ヒロミも同じく。

しかし、もう遅いかもしれない。

「ダンプが空き次第、入社したい」

と言って順番待ちをしている人が二人、出てきた。


一人は次男の知り合いだという、20代の男性。

どんな子か知らないし、すぐ辞めるかもしれないが

どんな会社でも若手は欲しいところだ。


もう一人は本社と合併した10年前に雇い入れた、通称タマさん。

入った時は50代後半で、2年ほど働いてくれた。

寡黙な働き者で、仕事も息子たちの教育も彼に任せておけば安心だった。

しかし彼が60才を迎えるにあたって契約の変更が行われ

彼は社員からパートに格下げされることになった。

ほんの7〜8年前だが、当時の本社は今よりずっと60才に厳しかったのだ。

「65才まで働きなさい」という、おかみのお達しが普及する直前のことである。

タマさんはダイちゃんと二人で面談した結果、退職を決めた。

我々はもちろん引き留めたが、彼の決心は固く、残念に思ったものだ。

うちを辞めた後もダンプの運転手を続けていることは、風の噂で聞いていたが

彼は遠い市外に住んでいたので会うことはなかった。


けれども2年前、常用に行った次男は、現場でタマさんとバッタリ再会。

その時、タマさんから退職した本当の理由を聞かされた。

「僕の宗教に入ったら、社員のままでいられるように本社に頼むこともできる」

契約変更の面談で、ダイちゃんはタマさんにそう持ちかけたという。

タマさんはきっぱりと入信を断り、このままパートになって続けるべきか

正社員で雇ってくれる所を探すべきかを考えることにした。

しかし翌日の夜、ダイちゃんはタマさんの家に来て

また宗教を勧めたので、彼は嫌になって会社を辞めたのだそうだ。


帰宅した次男から話を聞いた我々の衝撃は大きかった。

何も知らなかったとはいえ、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

タマさんの性格からして、パートになるのはプライドが許さず

我々に宗教の勧誘を打ち明けても、板挟みで困らせるだけだと思ったのだろう。

合併して何が一番つらいかというと、本社雇用の壁に阻まれて

腐った奴らに直接制裁を加えられないことと、社員を守る術に限界があることだ。


そのタマさんが最近、カムバックを望んでいると聞いて

素直に嬉しく、ありがたい。

本社に余裕があるので無茶な仕事をさせる必要が無いため、うちの仕事はユルいと評判で

その評判はタマさんにも届いたようだ。

こっちは合併して良かったことの一つに数えられる。


タマさんのカムバックが実現するか否かは不明だが

空席待ちが出たとなると、ますます力が湧いてくるというものだ。

以上、現場からお送りしました。

《完》
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現場はいま…冬の陣・6

2021年12月08日 10時23分31秒 | シリーズ・現場はいま…
佐藤君とヒロミは、相変わらずの二人組を続けている。

二人三脚でうまく立ち回り、楽で早く帰れる納品仕事ばかり選ぶので

少し前から常用(じょうよう)と呼ばれる仕事に交代で出すようになった。


常用とはダンプと運転手をセットにして、よその会社に貸し出す仕事だ。

納品と違って8時間拘束が基本なので、彼らがどんなに画策しても

定時の5時まで帰れない。

しかも、よその会社の知らない工事現場…

つまりアウェーなので神経を使う。

そして誰もが知っているだろうが、工事現場というのは

永遠に同じ場所で同じ工事を続けることは無い。

サグラダ・ファミリアじゃあるまいし

日本の道路や建物は、いつか必ず完成するものだからである。


よって行き先は、コロコロ変わる。

そして仕事の内容も、工事の種類によってその都度違う。

もちろん、モタモタしたりミスをしたら容赦なく叱られる。

アウェーなんだもの、そこに馴れ合った優しい人はいないのだ。

常用は、怠け者が最も恐れる仕事と言えよう。


この常用を積極的に取り入れると聞いた、佐藤君とヒロミ。

うろたえる心を隠しつつ、自分たちだけは行かなくて済むように

様々な作戦を繰り出すのだった。


まず最初にやったのは、藤村への密告。

しかし藤村はすでにヒラの営業マンに格下げされていて

こちらのことに関与できないため、不発に終わる。


しかし、一番簡単なこの手は早めに使うと予想していた。

労力を惜しむ怠け者は願望達成のために、まず周りを使うものだ。

よって本社には、前もって話を通しておいた。


どうあがいても日当が1日4万円と決まっている常用仕事と違い

注文された商品を取引先に納入する納品仕事は利益が大きい。

本社は近年、こちらを奨励していた。

しかし納品仕事にもネックはある。

その最たるものは、売上げが取引先の都合で左右されること。

「今日はちょっぴりでいい」、「明日はいらない」

なんてことがよくあって、ダンプがお茶を引く羽目になる。


そんな時に常用をうまく挟み込み、売上げの波をなだらかにしたい…

次男は河野常務にそう伝えた。

合併当初から「常用は儲からん」が口癖で

常用脱却、納品奨励の姿勢を貫いてきた常務だが

売上げの波は気になっていたらしく、次男の積極性を喜んで

常用と納品の二足わらじをコロリと認めた。


そんなことはつゆ知らずのアレら。

藤村が使えないとなると、声高に主張し始めた。

「常用は儲からんのじゃろ?」

「儲からんけん、迷惑かけるんじゃないん?」

「止められとるんじゃろ?」

「やったらいけんて聞いたよ?本社の言うことは聞かんといけんじゃろ?」

藤村の吹く夢物語を聞きかじった佐藤君が自分に都合よく解釈し

ヒロミに伝えた妄想を代わる代わる繰り返す。

お茶を引く楽ちんを覚えてしまったので

今さら8時間労働なんてバカバカしくてできないのだ。


ちなみにお茶を引くとは、昔の遊郭で使われた言葉。

お客の付かない遊女が手持ち無沙汰の状態を指す。

我々の業界では、それを“待機”と呼ぶ。

働き者の運転手にとって待機は、やるべきことを探して気を使う落ち着かない時間だ。

しかし怠け者のアレらは、何もしなくていい待機が大好きである。



さて、納品と常用の二足わらじにゴーサインが出たことを知ったアレら。

絶望に負けず次に試みたのが、うちの息子たちの兄弟仲を再び裂くというもの。

兄と弟にそれぞれ、あること無いこと吹き込んで喧嘩別れさせる

佐藤君の十八番だ。

常用に積極的な弟と、弟ほど熱心でない兄の間に亀裂を入れ

兄の方を持ち上げて反対派に祭り上げれば

常用の話は立ち消えになるというのが、今回の佐藤君の作戦だった。


しかし我々はこの事態を想定し、息子たちと打ち合わせを済ませていた。

内容は、「アレらとしゃべるな」

これだけ。

うちの子がアホなのかもしれないが、男の子って

距離を取れだの適当にあしらえだの中途半端なことを言っても

本人はよくわかってない。

距離や適当の基準を測りかねているうち、向こうの術中にハマることがある。

だから話をしなければいいのだ。


無視したり、ツンケンする必要は無い。

親しく対話すると、向こうにまだ逆転の目があると希望を持たせてしまうので

用件がある時は、一回のやり取りで終わればいい。

しかし、そんなアドバイスより効いたのはこれ。

「またぞろ奴に騙されて兄弟が分裂したら

お前らは佐藤以下の人間、決定じゃ」


兄弟間の亀裂作戦が失敗に終わると、今度は常用に行けない理由を挙げ始めた。

まず、佐藤君の主張。

「自分が乗っているオートマのダンプで常用は無理」

「自分は別の支社から出向しているので契約が違うため

早出残業代がここより高い。

常用で早出残業が発生したら、人件費が損だと思う」

行きたくない一心で、一生懸命考えたのだろう。


が、それはガキの浅知恵。

よその会社にも、オートマダンプで常用をやる人はちゃんといる。

急勾配で作業をする時など、確かにオートマ車は操作が一瞬、遅れるが

日頃から社内の誰よりも実力があると豪語しているのだから

その実力でカバーできるはずだ。


そして、わずかな時間外手当の差など損のうちに入らない。

怠け者を養い続ける方が、よっぽど損である。

むしろ冷酷な私に言わせれば、給料が我が社からでなく

別の支社から支給されている佐藤君こそ、早出残業で働かせるべきだ。

彼をナンボこき使ったって人件費はよそが払うんだから、うちに損は無い。

さも会社のためを思うような口ぶりで

もっともらしく主張する彼の理屈が正論と仮定した場合

そういうことになってしまう。

にもかかわらず、皆と同じに扱う我々の配慮に

彼は感謝してもいいくらいだ。


が、彼にそんなことを言ったって理解できないだろう。

理解できないから、分別が無いのだ。

分別が無いから、恥ずかしい浅知恵を臆面もなく披露できるのだ。

その様子は一種、あわれではある。

《続く》
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現場はいま…冬の陣・5

2021年12月03日 10時25分28秒 | シリーズ・現場はいま…
旧知のシゲちゃんが重機オペレーターとして、うちへの転職を考えているらしい…

この話に息子たちは喜んだ。

彼らはシゲちゃんが取引先にいた頃、一緒に仕事をしたことがある。

その人柄と技術が申し分ないことを知っているし

自分が楽をするための野心なんか、間違っても芽生えないのを確信しているからだ。

分をわきまえて普通に働く…

昔は当たり前だった、そんな人の数を増やしたい思いが息子たちにはあった。


けれども夫は難色を示す。

4年前、紹介した親戚の土建会社を辞めた時と同じように

すぐ逃げ出したら迷惑と言うのだ。

「逃げ癖のある人間は、必ず同じことを繰り返す」

というのが夫の主張。


しかし重機に様々な種類があるように、重機を使う仕事の内容にも様々な種類があり

それぞれに向き不向きが存在する。

オペレーターと作業員のコミュニケーションが大事な土木建築と違って

うちのような積込みの仕事は、重機とダンプがクラクションで会話する。

口で何か言ったって、お互いのエンジンの騒音で聞こえやしないからだ。

「ものを言わなくていいんだから、シゲちゃんにぴったりじゃないか」

息子たちにそう言われ、夫は押し切られる形でシゲちゃんの獲得を了承した。


以後、次男が日数をかけて、シゲちゃんからポツポツと聞いた事情は以下である。

現在の勤務先は市外の工場で、通勤が片道1時間余りかかる。

通勤は苦にならないが、一緒に暮らす高齢の母親が弱ってきたため

できれば家から近い職場がいいのではないかと考えるようになった。

独身の実家暮らしなので、給料に不満は無いものの

繊維系の産業廃棄物を扱っているため空気が悪く

身体を壊すかもしれない不安もあるという。

隣町に住んでいるので、うちなら近いこと…

やっぱり自分は重機の仕事が好きなこと…

夫や息子たちのそばなら安心して働けること…

シゲちゃんは、それらを挙げた。


そういうわけで彼の状況からすれば、うちは格好の転職先といえよう。

しかし、一つだけ問題が…。

給料だ。


スガッちは重機免許を持っていてもオペレーターは未経験のため

雇用条件はパートで給料も安かった。

シゲちゃんはスガッちの給料を本人から聞いていたので

最終決断には二の足を踏んでいる状態。

スガッちがもらっていた給料は、現在シゲちゃんがもらっている給料の半分なので

誰でも躊躇するだろう。


夫はシゲちゃんの事情を把握するうちに、4年前の怒りが薄らいできた模様。

というのも我々のいる建設業界は、粉塵(ふんじん)系や

コンクリート系の産業廃棄物と縁が深く

それらの処理免許を取得しなければ営業ができない。

一方、シゲちゃんが働いているのは、繊維系の産業廃棄物を扱う工場。

繊維系と聞いただけで、夫にはその仕事の過酷さがわかった。

繊維系は、単価が低い分を量でカバーするからだ。

けれどもシゲちゃんは、仕事のきつさにひと言も触れなかった。

夫の心を動かしたのは、そこだったと思う。


やがて正式な面接が行われ、シゲちゃんをパートでなく正社員で迎えることに決定。

社員の規定だと月給は自動的にスガッちの倍、ボーナスもあるので

むしろ彼が今勤めている工場より高くなった。

それを知ったシゲちゃんの喜ぶまいことか。

「専務(彼は夫のことを今だにそう呼ぶ)が、本社に頼んでくれたに違いない!

ありがとう!」

彼はそう言っていたが、夫はそもそも乗り気じゃなかったので

待遇の交渉に熱心ではなかった。

ただ、面接を自分一人でやらずに

例のごとく本社から永井営業部長を呼んだだけ。

こういう尊重めいたことをするとアホは喜び、暇だから飛んでくる。


それから、アレらは上場企業が大好きなので

そのOBだと吹き込んでおけば、スガッちの時と同じく採用は決まったも同然だ。

あとは、即戦力とささやけばいい。

アレらは即戦力も大好きなのだ。

なにしろ即戦力を自称するゴロつきをバンバン正規雇用して

本社グループ全体を人材の墓場にした実績がある。

これから重機を習得すると言って入ったスガッちと違い

シゲちゃんは経験豊富な即戦力なんだから、パートというわけにはいかない。

パートでなければ、正社員しか無いではないか。


こうしてシゲちゃんは、来年の1月から来ることになった。

定着すれば、重機オペレーターの分野では夫の後任を務めることになるだろう。

正社員の後任が来るということは、夫の退職が一段と近づいたことになるが

退職の日はいつか必ず来るので、しょうがない。

藤村によって毒された人事を、機会が訪れるごとに少しずつ入れ替えて

社員が働きやすい会社になればいいと思っている。

その入れ替えたい人材の台頭、約2名のことは次回でお話しさせていただこう。

《続く》
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現場はいま…冬の陣・4

2021年11月29日 14時30分16秒 | シリーズ・現場はいま…
松木氏が古巣の生コン工場に転属願いを出した時点で

本社は新たな人材を募集するようにと言ってきた。

10月に退職したスガッちと同じく、夫に代わって重機を操縦できる人である。


スガッちが大企業のOBと聞いて飛びついた本社だったが

あまりにも使えなかったので、重機オペレーターの募集は諦めたはずだった。

だから夫がやっていた簡単な事務処理や電話番を代行させるために

旗野さんを雇った。

しかし松木氏がいなくなると、夫に負担がかかる…

やっぱり重機ができる人も入れよう…

本社はコロッと考えを変えたのだった。


松木氏がいなくなるのは、夫にとって歓迎すべきことだった。

つまらぬことに尾ひれをつけて本社にチクり、あと先を寝て過ごす松木氏は

夫にとって鬱陶しい存在以外のなにものでもない。

しかし本社は、そう思ってない。

松木氏が自身の経験を生かして常に夫を支え、時に指導もして社内の尊敬を集める

会社にとって無くてはならない存在と信じている。

彼は裏表二つの顔を駆使して、それほどうまく立ち回っていたと言えよう。


本社もまた、彼の自己申告の真偽を確認するつもりは無い。

直接雇用の彼と、合併した馬の骨である我々は

本社から見れば娘と嫁みたいなものだ。

嫁が主張する真実よりも、娘の嘘を簡単に信じるのが親の本能だということを

私は身に染みて知っている。

この原則を知らなければ、「なぜ?どうして?」の疑問に苦しみ続け

膨らんだ疑問がやがて爆発するのは必然なので

この10年を無事には過ごせなかっただろう。


ともあれ我々にとって重機オペレーターの募集は、いささかの僥倖であった。

合併を繰り返して大きくなった本社は、合併先の会社に必ず本社直轄の営業所を開設する。

そして中途入社の変なオジさんを見繕い

営業所長という名のスパイに仕立てて送り込むのが常套手段だ。

営業所は本社直轄なので、その人事に口を出すことはできず

合併後の我々は、これに苦しんできたと言っても過言ではない。

松木氏の代わりだと言って、また変なのを投入されたり

万が一、藤村がカムバックなんてことになったら

一家で辞める覚悟をしていたが、それは免れたからである。


とはいえ、藤村カムバックの可能性は低かった。

運転手のヒロミに事務員の旗野さん、うちには2人の女性がいるからだ。

ヒロミが猿のようであろうと、旗野さんが力士のようであろうと、女は女じゃ。

ヘンタイ藤村の毒牙から、複数の女性を守らなければならない…

夫はその建て前を武器に、藤村の配属をブロックするつもりだった。

そもそも夫が旗野さんの採用に反対しなかったのは

藤村ブロック作戦に使う女性が、モンキー・ヒロミだけでは心もとないからだ。

が、松木氏の後任を選出する話にはならなかったので、藤村のカムバックも杞憂に終わった。



さて、こうして夫の交代要員を務める重機オペレーターを募集することになった。

とはいえ本社の方は募集をする、すると言いながら、来るわけないと思っている様子。

募集はあくまでも、建て前だからである。

なぜなら64才の夫が倒れでもしたら、年寄りをこき使ったということになり

労災認定は必至。

それを回避するためにハローワークに募集を出して

一応の努力はしたという証拠固めの意味合いが大きかった。


夫もまた、即戦力のオペレーターが希少なことを知っているので

何の期待もしていなかった。

良いオペレーターは、良いキャッチャーと同じだ。

会社の利益が出るように動く知識と技術に加え、温厚かつ冷静な性格が求められる。

そのような人材は、勤務先が手放さないからだ。


一方、ブラブラしている経験者や転職したがるオペレーターは

難有りの人物である可能性が高い。

口が過ぎて職場の和を乱したり、現場管理の立場を利用して

裏で私腹を肥やす癖が付いていたりする。

そのような人に引っ搔き回されたり、再びスガッちのような

口だけ達者で実技はサッパリみたいなのに消耗させられるのは、夫にとって恐怖だ。

そもそも夫は仕事がしんどいだの

たまには誰かに代わってもらいたいだのと考えたことが無い。

変なのが来て滅茶苦茶にされるより、自分が動く方がよっぽど楽なので

今のままでいいと思っていた。


が、就職希望者は早くも出現した。

以前、取引先でオペレーターをしていたシゲちゃん、56才の独身。

10月に辞めたスガッちとは以前、同じ会社で働いていた。


その会社のことは、一度、記事にしたことがある。

30年余り前、義父アツシが土地を購入して、東京から誘致した大手企業の工場だ。

しばらくは良かったが、やがてアツシの会社は

町内にある某組の企業舎弟になったライバル会社に仕事を奪われてしまった。


そして10年前、すっかり組に牛耳られた工場は閉鎖が決まる。

現地雇用のシゲちゃんは、その時に解雇されて転職し

本社雇用のスガッちは、市外にある支社へ移動になった経緯がある。


シゲちゃんには軽い吃音があり、人と話すのが苦手なので

職場ではいじめられていた。

ライバル社の社長父子もシゲちゃんをバカにして

おもちゃのエアガンで狙い、彼を撃って遊ぶのが日課だった。

この父子を恐れて誰も注意しないので、見かけた時は義父や夫が止めていたものだ。


工場を解雇になったシゲちゃんは、畑違いの宅配の仕事に就いて頑張っていたが

数年後にそこは閉鎖された。

再び解雇の身となった彼が夫の所へ相談に来たので、親戚の土木建築会社を紹介し

重機オペレーターとして就職したのは4年前のことである。


が、シゲちゃんは数日で辞めてしまった。

彼からは何の報告も無いままで、親戚からも文句を言われた夫は

「恥をかかされた」と言って腹を立てていたものだ。

けれどもシゲちゃんの事情もわかる。

土木の仕事って、言葉や合図で頻繁にコミュニケーションを取りながら進めるのが常識。

そうしないと危ないからだ。

コミュニケーションが苦手なシゲちゃんに、土木は無理だったと思う。


そのシゲちゃんが先日、次男に電話をかけてきた。

スガッちが辞めたのと、オペレーターの募集をどこかで聞いたらしい。

次男はシゲちゃんがエアガンの的になっていた頃

なぜか毎年、二人で山口県までフグを食べに行く仲だったので

他の者よりも話しやすかったようだ。


無口なシゲちゃんのことだから、数年ぶりの電話で積極的な売り込みはできない。

夫への不義理も気にしているようで、かなり控えめだったらしい。

「はっきりせんのじゃけど、言ってることを総合したら

何だかこっちへ転職したいみたい」

次男は夫にそう伝えた。

《続く》
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現場はいま…冬の陣・3

2021年11月25日 14時49分11秒 | シリーズ・現場はいま…
コロナ感染で在宅ワーク中のダイちゃんが

頻繁に電話をかけてくる日々は半月余り続いた。

夫が言うには、「どう?ちゃんとやってる?」から始まり

だんだんテンションが上がってキーキー言い出すのだそう。

キーキーの中には、ダイちゃんの無知から来る内容も多分に含まれていて

夫はいつも説明に苦慮するのだった。

何十年も前からやってきて感覚の一つになっている事柄を

マニュアルとして説明しろと言われても、口下手な夫の手に余る。

夫の説明で理解できないとなると、ヒステリックに責めるのが彼の常套手段だ。


この展開は、合併当初からあった。

ほんの一例だが、ある日の彼が投げかけた疑問はこれ。

「雨が降ると、何で休んだり早仕舞いするの?

僕たち事務方は、雨でも出勤してるよ?

事務も現場も1ヶ月分の給料なのに、天気で出欠が変わるなんてズルいよね」


バカタレが…そりゃ言いたい。

部屋の中でパソコンをつついていて、後ろから車に轢かれたりはしないし

何かミスをしても、それが即座に人命に関わるなんてことはまず無いだろう。

けれども現場は、常に危険と隣り合わせ。

特に雨天はハイリスクだ。

交通事故の可能性が高まるし、スリップや地盤の緩みなどの不可抗力も起きやすく

視界の悪化によって起きるアクシデントも増加する。

だから雨の日は、動かない方が身のためだ。


そしてそもそも、このようなリスクを避けるために顧客が休む。

搬入が止まるのだから、こっちも休むことになる。

雨は、現場で働く労働者の神経を休ませる日でもあるのだ。


とはいえカエルじゃあるまいし、雨が降ったからと喜んで休んでいては工期が遅れる。

建設の仕事は、まず工期ありき。

この日に着工、この日に竣工という前提で予算を立てるので

竣工予定日をオーバーすると赤字になるばかりか、工期を守れない会社は信用を失う。


そこで雨天の休業をカバーするため、祝祭日を使う。

建設業界は、祝祭日にあんまり重きを置かない。

盆正月やゴールデンウィークには、まとまった連休を取るが

それ以外の単発の祝祭日は、貴重な予備日という扱い。

予備日を使うことになるか否かは、お天道様と運任せだ。


雨で休んだ分は予備日の出勤で相殺され、わずかだが休日出勤手当が付く会社もある。

するとダイちゃんは、減らず口で言うのだ。

「休日手当の分だけ、得だよね。

僕らは休日出勤が無いから、もらうことは無いよ」

バカか…

晴れ間が出たら、いつでもスタンバイできるように待機するのが雨天休業じゃ。

再開の指令が出れば、夫は重機のエンジンを暖め、社員は駆けつけてダンプに乗り込む。

休みに酒飲んで寝るお前とは違うんじゃ。


現場は事務仕事と違い、電卓で割り切れるものではない。

何か造る時には地鎮祭をすることでわかるように、時には神様にもお出ましいただく。

安全を全うするためには、天の力までお借りする世界だ。

雨の日に休むのがズルいなんて、ホザく範疇のものではないのである。


素朴と言うにはあまりに残酷な疑問をいきなり投げかけられて

夫はいつも、その無知と傲慢に驚愕する。

重たい口でこれらのことをうまく説明できようはずもなく

精一杯説明したところで、口の減らない男ダイちゃんは

はなから納得するつもりなど無い。

「じゃあ、もしも1ヶ月間、雨が降り続いたら、君らは丸儲けってことだよね?」

万一そうなったら、給料の何割かを削られて最低保障金額になるだけだが

言いがかりはネチネチと続く。


とまあ、ずっとこんな感じよ。

10年前の合併で、金銭的な救済と安定を得た一方

このように現場を知らないド素人の介入で消耗することも増えた。

未知の世界のことに、自分の知る世界を無理やり当てはめて勘違いを重ねる姿は

見苦しくあさましいものだ。

その見苦しくあさましい言動によってストレスをかけ

現場の安全をジワジワと脅かしていることなど、彼らは生涯知りはしないだろう。

この繰り返しが10年続いているのだから、夫の苦労もわかるというものだ。


「窓際のあいつから、ちゃんとやってるかどうか聞かれるいわれは無い」

夫は最初のうちこそプリプリと腹を立てていたが

あれは家族向けの演技だと教えてからは、あまり気にならなくなったという。

相手が隠したい本意がわかれば、怒るのがバカバカしくなり、むしろあわれに思えるものだ。


10月の末が近づいた頃、ダイちゃんの電話攻撃はぷっつりと止んだ。

自宅待機が終わって、出勤を始めたらしい。

本社はこういった都合の悪いことを一切、こちらに知らせないが

ダイちゃんもまた、自分がコロナに感染したことを言わないまま騒ぎは終了した。



さて、松木氏は復帰して以降、非常におとなしい。

もはや嘘をつく元気も野心を燃やす気力も失せたようで

抗癌剤投与のために休んだり、出勤してソファーで寝るのを繰り返していた。

が、11月に入って、彼は転属願いを提出。

希望したのは、こちらへ配属されるまで居た県東部の生コン工場だ。

そちらの方が通院する病院に近いという理由だが、真相は旗野さんだと思う。


なぜなら彼女は、スマホのゲームをライフワークにしている。

そしてゲーム中は、いつもくわえタバコだ。

勤務中にくわえタバコでゲームをする事務員なんか

辞めてもらった方がいいのはともかく、肺癌の手術をした松木氏にとって

チェーンスモーカーの副流煙は拷問に等しい。

注意しても聞いているんだか、いないんだかわからないのもあるが

あんまり厳しく言って、辞める辞めないの話に発展した場合

自身の勤務態度が露見する恐れがあるので、松木氏はそれを公にできない。

旗野さんのタバコが煙たいのは、彼が一日中、事務所で寝ているからで

それを本社に知られると自分の身が危ないではないか。

そのため究極の選択により、こちらを去ることにしたと思われる。


松木氏の転属願いは受理され、彼は先週から来なくなった。

ずっと寝ている人間がひとまず消えて、夫や社員は清々しい様子。

こうなると、我々は冗談交じりにささやき合う。

「旗野さんには隠れた才能があるのかもしれない…」

たまたまとはいえ、ダイちゃんをコロナ感染で、松木氏をタバコで撃退したからだ。

彼女の隠れた才能とは、魔除けである。

《続く》
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現場はいま…冬の陣・2

2021年11月22日 13時49分53秒 | シリーズ・現場はいま…
10月から採用の旗野さんは、今のところ順調に出勤しておられる。

初日から2日間は、本社からダイちゃんが通って来て仕事を教えた。

宗教の勧誘が原因で取締役昇進がふいになり

折悪しく60才を迎えたこともあって、嘱託パートに追われた彼だが

以前、こちらの事務仕事に携わった経験を主張して

自分が新人教育をすると言い出したのだった。

外に出れば息抜きができるし

彼の大好きな背脂ギトギトラーメンも食べられる。

窓際の席を温めるより楽しいに違いない。


本社の方も反対する理由は無く、ダイちゃんの希望は認められた。

簡単な仕事なので、夫でも私でも教えることはできるが

本家のプライドと言おうか、意地でも継子に任せたくないと言おうか

指導や教育となると、本社は妙に神経質になるからだ。

だったら運転手の新人教育や技術指導もやればいいと思うが

神経を尖らせるのは事務系のみで、現場のことはよく知らないため

全く手を出さないのだった。


さて、張り切ってやって来たダイちゃんだが、旗野さんには拍子抜けした模様。

全く口をきかず、返事もしないからである。

当初、彼は3日間、こちらへ通うことになっていたが

2日目は午前中で帰り、3日目は来なかった。


もしも旗野さんがオーソドックスな女性であれば

ダイちゃんはあれこれと理由をつけ、頻繁に通い続けるのは間違いない。

が、のれんに腕押しの旗野さんには歯が立たず

月の中旬になったら様子を見に来ると言って、新人教育はひとまず終了。

口うるさいダイちゃんが来なくなったので、夫は喜んだ。


後日、旗野さんの付き添い人が採用の礼を言いに訪れた。

彼の話によると、旗野さんは数年前の出産後

精神が不安定になって離婚し、子供と一緒に実家へ帰って来たという。

親から就職の世話を頼まれ、何ヶ所か探して勤めさせたが続かず

もしやここなら大丈夫ではないかと思ったそうだ。

なぜ大丈夫かというと、本人が事務職にこだわっていることと

うちの夫が声を荒げて怒鳴る人間ではないのを知っているからだという。


加えて物理的な条件もあった。

付き添い人は、時給が安くて出勤が週4日の6時間なら

仕事は責任が無くてユルいと踏んだという。

家でメシの支度も子守りもせずにゴロゴロするより

リハビリを兼ねて小遣い稼ぎをした方が、親にも本人にも良かろうとも言った。


はなはだ身勝手な言い分だが、夫は意に介さなかった。

今さらそんなことを知らされたって、もう入社しているんだから

撤回するわけにいかないじゃないか。

それに夫は、野心メラメラで口だけ立つ人間にウンザリしていた。

いっそ口をきかないボンヤリさんの方が、彼にとっては気楽なのだ。


で、旗野さんの仕事ぶりだが、そもそも仕事があんまり無い。

簡単な仕事なのですぐ終わり、あとは電話番だ。

重機の中に滞在することの多い夫は、これが一番助かっている。


しかし事務所の固定電話が鳴ると、彼女は低音で「ハイ…」と出たきり、沈黙。

それが彼女にとっての電話番である。

これには夫も渋い顔をしていたが

「今どき固定電話にかかってくるのはセールスくらいのもんだから

きちんとした応対は必要ない」

私はそう言って夫を慰めるのだった。

注意しても直らないんだから、仕方がないじゃないか。


それに、うちの業種は接客業や小売り業ではないため

電話番の不手際で商機を逃すなんて事態は絶対に起きない。

たまに大仕事をうたい、怪しげな人物がもったいぶった電話をかけてくるが

すべからくガセ。

名刺などで公開している夫の携帯番号すら調べられない者がもたらす情報に

良い話なんぞ、ありはしないのだ。

一応は会社の格好を取り繕うため、固定電話を設置してはいるものの

そろそろ見限るご時世かもしれない…我々はそう思うことにした。


そんな旗野さんが電話番をしながらやっているのは、スマホのゲーム。

身体を動かすのが嫌いなようで、掃除などの雑用は相変わらず夫がしている。

夫、それは苦にならない。

女だから、事務員だからといって

当然のように事務所やトイレの掃除をさせるのは嫌なのだそう。

夫は家の掃除を一切しないが、職場となると違うようで

何十年も前からずっと一人で掃除を続けてきた。

私はこの習慣を良いことだと思っているので、何ら不満は無い。

彼が元気で働けるのも、危ないところで救われるのも

もしやこの習慣のお陰ではないかと思っている。


ともあれ旗野さんは、よそでは勤まらないかもしれないが

うちでは今のところ大丈夫なのである。

付き添い人の睨んだ通りだったと言えよう。


やがてダイちゃんが再びやって来る、月の中旬が近づいた。

その頃、彼と同じ部屋で働く若い男性が、夫に密告の電話をしてきた。

内容は、ダイちゃんがコロナに感染したという嘘のような本当の話だった。

「こっちは今、パニックですよ。

大学生の息子から感染したと言ってますけど

宗教の集まりで感染したんだろうって、みんな言ってます。

僕も怖いですよ」


症状はごく軽く、しばらくは自宅待機だという。

ちょうど三回目の退院をして、出社を始めたばかりの松木氏は震え上がったが

夫はダイちゃんが来ないことに安堵するのだった。

しかし、その考えは甘かった。

自宅待機でリモートワーク中のダイちゃん

夫や、病み上がりの松木氏にしょっちゅう電話をしてきて

重箱の隅をつつくような言いがかりをつけてはネチネチと小言を言う。

この病的な悪癖は、合併当初から本社で有名だった。

我々に対しては入信を断った時点から始まり、年々ひどくなっていた。


「家におるけん、暇なんじゃろう」

夫はため息混じりに言うが、私は別のことを考えていた。

共に自宅待機をしている妻子に、いい所を見せたいのだ。

家族の前で電話で誰かを叱って見せ、上司ぶりたいのだ。

彼にはそういう所がある。


彼の信仰する宗教では、奥さんの方が身分がかなり上。

その身分は、勧誘して入信させた人数で段階が決まる。

夫婦だと女の方が暇なので活動時間が豊富だし

誘われて入信してしまうアホの知り合いも女の方が多い。

だから奥さんの方が成績がいいのは当たり前なのだが

とにかくダイちゃんは、家では奥さんのシモベという位置。

それが彼のコンプレックスになっているのは

会社で無理な勧誘を行なっていたことを鑑みても明らかである。

いずれにしても、いい迷惑だ。

《続く》
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現場はいま…冬の陣・1

2021年11月20日 14時12分42秒 | シリーズ・現場はいま…
先月の15日、スガッちが退職した。

この春、夫のサポート役として入社したものの

重機の操縦をマスターしないまま終わった、私と同い年のパート社員である。

9月末で辞めるという話だったが、次の職場の初給料日が遠いため

うちの給料の締め日である15日まで来たいと言い出して、半月ほど日延べになった。


しかしワガママを聞いて、日延べに応じたのは間違いだった。

スガッちは辞める直前、彼が唯一乗れる3トンダンプのフロントガラスを割った。

近くへ配達に行った帰り道、道路を走行中に突然亀裂が入って

割れたというのが彼の主張だ。

けれども、ダンプのフロントガラスは頑丈にできている。

ただ走っているだけで割れたなら、リコール問題に発展するか

あるいはオカルトだ。


社内では車載カメラで確認するべきという意見も出たが、夫は不問にした。

その措置に、うちの息子たちは「甘い」とボヤく。

しかし私は「あんたらこそ甘い」と反論した。

「学校で窓ガラスを割ったお友だちが、廊下に立たされるのとは違うんよ」


事実を明らかにしようとしまいと、割れたフロントガラスは交換しなければならない。

もしもスガッちに非があったとして、数日後に退職する者を責めて何になる。

夫にとって重要なのは、スガッちが円満退社してくれることと

彼や周りの人に怪我が無かったことの二つだけである。

その安堵に比べれば、ガラスの一枚や二枚が何であろう。

責任者とは、そういうものだ。



さて、スガッちが退職の意思を表明した9月

彼の代わりになる人を募集することになった。

とはいえ今回は重機オペレーターでなく、名目は事務員。

本社は、夫に代わって重機を操縦する人材を

パートで安く雇おうとしたのは間違いだったと、ようやく気がついたのだ。

そこで夫の負担を減らすため、出勤簿や整備点検簿の書類管理など

彼が重機に乗るかたわらで行う、軽くて面倒な作業を代行する人を

やっぱりパートで安く雇うことになった。


本社は、藤村が引き起こしたセクハラの一件があるため

女性でなく年金生活の男性を望んでいた。

事務職は人気があるので応募者に不自由しないと思っていたが

時給が最低水準、出勤が週4日、1日6時間という稼げない条件だからか

出足好調とはいかなかった。


10月に入り、ハローワークからの紹介だと言って二人連れが来る。

夫はそのうちの一人、年配の男性と知り合いだった。

てっきりその人が入社希望だと思ったが、その男性は付き添いで

入社を希望しているのは黙って後ろに立っているもう一人の方だと判明。

付き添いの説明によれば、親戚の子だそう。


この時、一緒に面接をするはずの松木氏は肺の手術で入院中。

よって夫は本社の誰かを呼び、後日改めて面接を行うことにした。

相手がすぐに辞めたり問題を起こすと、いつも夫のせいにされるので

責任回避のためである。

夫も少しは学習したようだ。


数日後、本社から永井営業部長が訪れて面接の運びとなった。

今回も、前回と同じ付き添いが同行。

一人で来られない時点で、もはや尋常ではないとわかりそうなものだ。

しかしセクハラ対象外という第一条件を満たしていれば

もう誰でもいいという点において、永井部長と夫の意見は一致したため

入社はすんなりと決まった。



こうして10月から入社した新人、旗野さんは33才。

身長170センチ、体重110キロと、スガッちに似た体型だ。

顔もどことなく似ている。

というより、ひどく太ったら顔の部品が肉に埋まって

同じような顔立ちになると思われる。

何だかデジャヴのよう。


ただし、スガッちと大きく違う所が一つ。

旗野さんは女性である。

夫も永井部長も、履歴書に記載された性別を確認するまで

目の前にいるのは太った若い男性と思い込んでいたというから笑える。


特に夫は二回も会っていながら、それでも女とは気づかなかったそうだ。

フィーリング先行の彼にとっては男女の区別よりも

体型のインパクトの方が強烈だったらしい。

ともあれ、これでは夫に巣食う恋の虫が騒ぎそうにないじゃないか。

なにげに残念だ。



余談になるが、この時の松木氏は最初の入院で内視鏡手術をしたものの

病巣が取りきれなかったということで、切開手術を受けるために再入院していた。

旗野さんの入社後に退院して、何日か出社したが

抗癌剤治療のために三たび入院。

彼がひた隠していた病名は、やはり癌だった。


松木氏は今月の始めに退院し、自宅療養を経て

最近また出社するようになった。

ゲッソリと痩せ細って、元々色黒だったのがますます黒くなり

座っているだけでもしんどそうだ。

もはや嘘をつく気力も、野心を燃やす元気も無さそう。


松木氏の場合…

誤解があるといけないので、そう特定してからお話しするが

彼は10年前の入社以来、実に多くの嘘をついてきた。

仕事でもそうだが、ことに嫌な所へ行かなければならない時には

必ず身内の危篤や葬式を持ち出す。

いったいどれだけ親戚がいるのかと、不思議に思うほどだ。

一方で各種の協会が催す野球観戦、ゴルフコンペなど楽しいことがある時

彼の身内は絶対に死なない。


危篤や葬式ばかりでは不自然なので、時には仮病も使う。

深刻な顔つきで具合が悪いだの、ちょうど検査日とブッキングするだの

何回聞いたかわからない。

嘘ばかり言っていると、身体に悪そうだ。

はなはだ低レベルの比較ではあるが、あの藤村と比べれば

松木氏は口のきき方だけでも紳士的なので、長生きしてもらいたいと思っている。

《続く》
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現場はいま…秋祭編・10

2021年10月02日 10時20分57秒 | シリーズ・現場はいま…
泣きながら床に頭をこすりつけ、田辺君にひたすら謝る藤村。

「許してください!勘弁してください!」

「謝ったら終われる思うとんか!ワレ!」

「すみませんでした!申し訳ありませんでした!」


やがて田辺君は、夫に電話をかけた。

現在の状況をザッと話した後、彼は夫にたずねる。

「許してって言ってるけど、どうしよっか」

田辺君が本当に怒っていて、とことんやる気なら誰にもたずねはしない。

こういう時は、止めてもらいたい時なのだ。

夫もそれをわかっているので、答えた。

「許してやって」

「わかった」


田辺君は電話を繋いだまま、藤村に言った。

「ヒロシさんが許してやれぇ言うとるけん、今日のところは帰れ」

「は…はい…」

「次は無いで!」

「はいっ!」

藤村は急いで立ち上がると、脱兎のごとく帰って行った。


本社の仕事の方は、そのまま立ち消えとなった。

永井部長と藤村が怖がって田辺君を避けているのだから

話の進めようが無いではないか。

こうなることは最初から田辺君も想定していたし

A社もB社も彼らのいる本社と付き合うなんてまっぴらだろうから

どうということはない。

むしろ二人に睨みをきかせる格好のネタを手にして、彼は満足そうであった。


田辺君から聞いた後日談によると、B社は永井部長と藤村を過去を調べ上げていた。

どうやって調べたのか、永井部長の調査は出生した宮崎県にまで及んでいる。

両親が宮崎の片田舎で小さな雑貨店を営んでいたこと

彼が地元に就職していた20代の頃、父親が先物取引にハマり

知人から借金をしたために、一家で夜逃げして広島へ来たこと

永井青年は道路工事のガードマンになり、やがて本社に転職したことなどだ。


夜逃げしようと何をしようと、どうでもいいが

その時、彼がすでに成人していたとなると話は変わってくる。

責任から逃れるのは、親ぐるみの習性だと言うのだ。

さらに大卒のエリートを装っているものの、実は経歴詐称であることが

ここで判明。


藤村の方は、我々が把握していたのとほぼ同じ。

離婚3回、自己破産2回、転職回数は二桁の大台という華やかな半生だ。

知らなかったことといえば、出身高校の詐称ぐらいか。

山口県出身の彼は、自分が甲子園常連校の野球部だったことを

誰かれなく自慢しているが、彼が本当に通った高校には

野球部が無かったというものである。


藤村はいたずらに身体が大きいため、初対面の相手に警戒される。

しかし野球をやっていたと言うと、たいていの広島人は納得して友好的になる。

カープ熱が高いので、野球経験者を名乗るとウケが良いのだ。


二人の素性を知ったB社は

「こんなのと喧嘩したら、こっちが笑われる」

と呆れ、永井部長を取締役に据えている本社の人材の墓場ぶりを哀れんだという。

そして我々は、ひとたび敵と設定したら

徹底した情報収集を行うB社の姿勢に感服した次第である。


我々の業界で、こういうことはままある。

微に入り細に入る聞き苦しい内容に、昔は思っていた。

「他人の過去をほじくり返して、井戸端会議みたいな悪口言って

女より女々しい…」


が、知らない相手の人と成りを判断するには

重箱の隅をつつくような細かい情報が必要だと、徐々に理解するようになった。

「人から何と言われているか」というのは、その人物をそのまま表す。

それは過去に遡らなければ、わからないものだからである。


この業界は、匠の技や先祖代々のお付き合いが必要ない職種。

だから、やろうと思えば一夜にして商売変えが可能だ。

そして、仕事をする距離的な範囲が広い。

県内が主ではあるが、今回のように元請けが県外のケースもあるので

素性を知らない人物と接触する機会が多い。

その中には、いずこからか湧いて出た

「社長でござい」「重役でござい」がゴロゴロいるし

元ナントカ会や、元ナントカ組の人も素知らぬ顔で混ざっている。

押しも押されぬ大手ならいざ知らず

中小企業には、そのような輩に足をすくわれるリスクが付いて回る。

手形の商売なので、名刺や肩書きをそのまま信用するわけにはいかないのだ。


人間は簡単に変われるものではない。

昔を知れば、ある程度の選別が可能になる。

我々にとって、対象者の昔に関わる情報収集は

田辺君のように豊富で確実なデータを持つ有識者を大事にすることと並んで

古くから行われてきた危機管理の一つといえよう。


…ということで、この一件により藤村の暗躍はひとまず封じられた。

夫と息子たちが佐藤君たちに強く出られたのは、そのためである。

藤村が何をしようと、たかが知れているが

そのたびにゴタゴタするのは面倒くさいではないか。

そしてそのゴタゴタには必ず永井部長が絡んで

言うことを聞かないだの、勝手なことばかりするだの

本社でわざとらしく騒ぎ立て、ますます厄介な問題に発展させる。

佐藤、藤村、永井のルートが断ち切られている今、我々は自由を満喫しているのだ。


その永井部長、夫にさりげなくすり寄り始め

仕事のことで質問だの相談だのと頻繁に連絡してくる。

危なくなったらいつもそうするように、夫の機嫌をうかがっては

自分が安全かどうかを確かめているのだ。

しかしゲスは諦めが悪いので、再び復活するだろう。

それまでは、ゲスの変わり身を楽しもうと思う。


ところで今回の立役者、田辺君。

無敵の彼にも病気は訪れる。

心臓の不具合により、先日ステント手術を受けた。

義母ヨシコも同じ手術を受けたが、腕または足の付け根から心臓にカテーテルを通し

詰まった血管にステントという器具を装着して血液の流れを良くするものだ。

ヨシコはあれから10年以上経つが、元気バリバリ…

入院が決まった彼に、夫はそう言って励ました。


手術前、田辺君から夫に電話がある。

「僕、これから手術なんで、3時間ほど電話に出られません。

もし何かあったら、3時間後にお願いします」

永井部長と藤村をペシャンコにした手前

恨みを抱いた彼らが再び何かをしでかさないか、警戒していると思われた。

アフターサービスの万全な田辺君である。


「そんなことは気にしなくていいから、しっかり治してもらいんさいよ。

無事に済むように祈っとるけんの」

「ありがとうございます」

どこまでも律儀な田辺君、手術の経過は良好で、すでに仕事に復帰している。

《完》
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現場はいま…秋祭編・9

2021年09月30日 10時59分11秒 | シリーズ・現場はいま…
夫の親友、田辺君からもらった仕事を担当した永井部長と藤村は

さっそく連れ立って、ご挨拶に出向く。

さっそくも何も、挨拶しかできない二人であった。


挨拶なら、ここはまず仕事を振ってくれた田辺君の会社へ行くのが

通常のスジというものであろう。

しかし、彼の会社を飛ばすつもりなんだから行くわけにはいかない。

先に田辺君に会ってしまったら、彼から仕事をもらったと認めることになり

上下関係が締結してしまうからである。


よって二人はまず、発注元であるA社の広島支社を訪問した。

担当者に挨拶を済ませ、永井部長がおもむろに直取引を切り出すと

相手は言った。

「帰れ」

二人はけんもほろろに追い出され、撃沈。


しかし、これでメゲる二人ではない。

果敢にも次の作戦を実行に移す。

今度は九州の土建会社、B社である。

B社の広島支店を訪問し、やはり担当者に直取引を打診。

担当者は激怒し、その剣幕に驚いた二人は逃げ帰った。


彼らにとっては、これで終わるはずだった。

けれどもそうはいかない。

B社の怒りはすさまじかった。


それもそのはず、B社の本社は九州小倉。

小倉生まれの玄海育ち…口も荒いが気も荒い…

古風な鉄火肌を歌にも唄われた、色々な意味で何かと威勢のいい地域だ。

小倉に暮らす人々の皆がそうだというわけではないが

そこで土建会社を営むからには

古風な鉄火肌と無関係ではない可能性を鑑みる必要があった。

小倉、土建、田辺君とくれば任侠と、彼らは最初に気づくべきだったのである。


広島支店から話を聞いたB社は、本社に抗議の電話をかけ

永井部長と藤村を小倉に寄こせと言ってきた。

本社は関わり合いになりたくないので、行けと言う。

二人は窮地に立たされた。


相手は怒っているとはいえ、そう無体なことをするわけではない。

二人で小倉へ行き、謝罪すれば済んだはずだった。

しかし、ここで永井部長が迷走を始める。

つてを頼り、小倉在住のある人物を紹介してもらった。

あくまで永井レベルの範疇だが、その人物は小倉で顔役という。

彼はB社に行く時、その人に付き添ってもらおうと考えたのだ。


準備を整えた永井部長は藤村を連れ、現地で顔役とやらと落ち合う。

付き添いを頼んだ目的は心細いからか、謝罪を円滑にしたいからか

顔役の威力でB社をねじ伏せるためなのか、我々にはわからないが

3人でB社に向かった。


顔役は、何の役にも立たなかった。

B社の課長だか部長だかに…社長や取締役はこんなしょうもない面会に出てこない…

3人並べてしこたま怒鳴られ、取りつく島も無いまま

すごすごと帰るしかなかった。


「変なヤツを連れてきた」ということで、B社はさらに怒り心頭。

無関係の人間を連れて行ったのが、裏目に出たようだ。

ただではおかない…本社に乗り込む…

B社は言い出し、永井部長と藤村は震え上がった。


二人の行動は初動から逐一、田辺君に伝わっている。

そして田辺君は、そのまま夫に伝えていた。

我々はその内容から、二人がB社に遊ばれているとわかった。

コモノ二人のために、わざわざ時間と交通費を使って来るわけがない。

しかし彼らは違う。

自分たちは大物だと思い込んでいるので

B社の言葉を額面どおりに受け止め、夜も眠れないに違いない。


溺れる者はワラをもつかむ…

ピンチの永井部長は、この時点でひらめいた。

「そうだ!田辺君がいる!」

田辺君に頼んでB社に取りなしてもらい、このピンチを切り抜けるのだ。


どのツラ下げて、と言いたいところだが、それが永井部長である。

彼は田辺君に連絡した。

「B社へ挨拶に行ったら、会話の食い違いで機嫌をそこねてしまった。

君が間に入って、話をつけてもらえないだろうか」

ものは言いようである。


ここで田辺君、遊ぶ。

「話は聞いています。

B社を怒らせると怖いですよ」

「そこを何とか…」

「無理です」

田辺君は冷たく電話を切った。


万事休すの永井部長、ここで藤村に言った。

「田辺にもう一回、頼んでみたらどう?

藤村さんと親しいようだから、助けてもらったら?」

自分が滅茶苦茶にしておいて、危なくなったらそっと部外者になりきり

取り残された者をなぐさめる側に回る…

これは彼の持ち技の一つである。

永井部長はこの技で全てを藤村に押しつけ、逃げたのだった。


永井部長とニコイチだろうが、自分だけが取り残されようが

とにかく藤村は田辺君に会って、何とかしてもらわなければならない。

藤村は田辺君に連絡を取った。


以下は田辺君から夫へ、夫から私への又聞きであり

そして私は上品!な女性であるから、良くない言葉遣いに慣れていない!ため

多少リアリティに欠けるかもしれないが再現してみよう。


「藤村ぁ!ようもワシに電話できたのぅ!」

「そ…それは…」

「ワシに恥かかしやがって、タダで済む思よんか!ワレ!

これから本社行って、お前らがやったこと全部言うたろうか!」

「それだけは勘弁してください…」

「なら、今すぐ来い!話はそれからじゃ!」


藤村は、真っ青な顔で田辺君の会社に駆けつけた。

「よう来たのぅ。

ほんでお前ら、どげぇな落とし前つけるつもりか聞かしてもらおうか」

「お…落とし前…」

「こうなる覚悟でワシに喧嘩売ったんじゃろうが!」

「そんなつもりは…飛ばしを言い出したのは永井部長なんです!

僕はただ付いて行っただけで…」

藤村はしくしくと泣き出し、これまでの経緯と

永井部長に見捨てられた哀れな身の上を告白するのだった。


「それがどしたんじゃ!今さら逃げられんど!

永井もまとめて、広島におられんようにしちゃろうか!」

「許してください!許してください!この通りです!」

藤村は田辺君に土下座した。

その場所は、田辺君の勤める会社の事務所だ。

好奇の目で見守る周囲の社員にも、藤村はその姿をさらすこととなった。


この業界、噂だけは早い。

特に人の不幸にまつわることは早い。

早晩、一部始終が近辺の同業者に伝わるだろう。

今後の藤村は、どこへ行っても笑い者確定。

飛ばしの悪癖も知れ渡り、彼らを相手にする者はいなくなる。

田辺君の狙いは、そこにあった。

《続く》
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現場はいま…秋祭編・8

2021年09月28日 11時12分03秒 | シリーズ・現場はいま…
常用と呼ばれる出仕事に行きたくない佐藤君が泣きつく先は

密かに内通している藤村しかいないと思われた。

自分のハーレムを作ると豪語して、50を過ぎてもヤンキーやってる女を入社させ

その女にパワハラとセクハラで労働基準監督署に訴えられたあげく

我が社に併設されている本社営業所の所長を解任された、藤村のことである。


なにしろ佐藤君はピンチなのだ。

自己評価が異様に高く、夢と現実の区別がつかなくて

嘘八百が日常会話の藤村を信じるしかないではないか。

「この会社は近々、俺のものになると決められている」

「本社もここも、俺の営業力で持っている」

鰯の頭も信心から…

ヤツの大言造語を信じさえすれば、ピンチはチャンスに変わる。


佐藤君と藤村は、50代終盤の同世代。

転職を繰り返してきた半生も、複数回の離婚を経て今は独り身の境遇も同じ。

無職の時代が長くて年金をあてにできず、老後の不安が大きいことも同じ。

そして同胞だ。

数々の共通点が絆に発展しても、不思議はない。

佐藤君はこの絆で何とか助けてもらいたいだろうが

藤村も現在、ピンチの渦中にいた。



話は今月初旬にさかのぼる。

同業の会社で営業マンをしている夫の親友、田辺君が仕事をくれた。

かなり大きな仕事で、発注元は全国ネットの大企業、A社。

それを受注した元請けは、九州に本社のある土建会社、B社。

B社と懇意な田辺君は、B社の下請けとして参加することになったが

田辺君の会社だけで間に合うかどうかわからない。

彼は無理をして独り占めせず、他社と分け合って次に繋げる主義なので

一緒にやろうと夫に声をかけてくれたのだ。


夫はこの話を承諾したが、うちでこなせるのは商品とダンプの調達だけ。

コンクリート関係や土木工事の仕事は畑違いなので

そっちが専門の本社に振ることになる。

田辺君はそれを承知の上で、夫が本社から尊重されるよう

いつも心を砕いてくれるのだった。


夫は、この本社向けの仕事を藤村に振った。

このような時には、本社営業部の誰かに連絡することになっているからだ。

仕事が発生した際の第一報は、営業に携わる者にとって貴重である。

連絡を受けた者がそのまま担当して営業成績に加算されたり

本人の手に余るようであれば、親しい上司に伝えて恩を売れるからだ。


合併して間もない頃は、本社から言われた通り松木氏に伝えていたが

彼はわけがわからないまま、知ったかぶりをして突っ走るので失敗が多かった。

だから夫はそのうち、営業部唯一の若手であり

かつマトモな野島君に第一報を伝えるようになった。


責任を持ってきちんと仕事をこなす彼の営業成績は上がり

取締役の覚えもめでたくなって、前途は明るいと思われた。

しかし営業部はそうはいかない。

永井営業部長を始め、彼が目立つと自分の無能が明るみに出るので困る者がいた。

足を引っ張られるようになった野島君は数年前、嫌気がさして転職してしまった。


以後は、野島君を可愛がっていた佐久間課長に振っていた。

この人も優秀な好人物だったが、永井部長と長らく敵対していたので

じきによその会社に引き抜かれて退職した。

だから営業部には、性根の腐った昼あんどんしか残っていない。

もはや誰に振っても同じなので、この仕事は松木氏に伝えられるはずだが

彼は今、入院中。

そこで夫は松木氏の前任者、藤村に連絡したのだった。


夫から話を聞いた藤村は、大喜びしたという。

営業所長の肩書きを外され、ヒラになって本社に戻ってからは

所在なく県内をドライブして過ごしている彼のことだ。

仕事を獲得して行く所ができたのと

このところ心酔している田辺君がくれた仕事ということで

舞い上がるのは無理もなかった。


というのも藤村、こっちで営業所長をしていた頃は田辺君を天敵と定めていたが

本社に戻って以降は急に田辺君を営業の師と仰ぎ始め、頻繁に連絡を取るようになった。

自分が一から営業するより、田辺君に近づいておこぼれを狙う方が

仕事を得る確率が高いと踏んだのだ。

そんな彼なりの営業努力が実ったのだから、嬉しくないはずがない。

目の付けどころはいいんだが、任侠系男子の田辺君が

藤村の変わり身を快く思うはずもなく、適当にあしらわれている。


さて、仕事をもらった藤村は、さっそく上司の永井営業部長に報告。

永井部長が取締役会議で声も高らかに発表し、この仕事は永井部長と藤村に任された。

が、ここで永井部長の悪癖が出る。

「元請けのB社と下請けの田辺の会社を飛ばして

うちが発注元のA社から直に受注できないか」

彼はそう考えるようになった。


これは業界で言うところの、“飛ばし”という行為。

今回のケースでは、間に入っている九州のB社と田辺君の会社を飛び越えて

発注元の大手A社と交渉し、A社から直接仕事をもらうことである。

飛ばすつもりの二社より低い工費を提示するなり、接待漬けにするなり

方法は何でもいいから発注元に近づき、中間にいるB社と田辺君の会社を排除するのだ。

発注元と懇意になって直の取引ができれば利益が上がり、今後の仕事に発展が見込める。


とても良い案だが、大きな問題が一つ。

じゃあB社と田辺君の会社はどうなる?というもの。

飛ばしは、非常に卑怯な行為とされる禁じ手だ。

これをやる会社は信用を失い、業界で相手にされなくなる。


それを知ってか知らずか、永井部長は何かというと飛ばしを口にする。

飛ばしは本社において、伝説のお家芸だからだ。

20年以上前の話になるが、本社は一度、倒産しそうになったことがある。

その時、河野常務ら営業畑の取締役は、禁断の飛ばしを連発した。

人に恨まれる汚れ役を買って出て劇的に売り上げを伸ばし、本社を立て直したのだ。

けれどもそのために潰れた会社や、資金が回らなくなって本社に吸収された会社もある。

本社は、“乗っ取り屋”と陰口を叩かれるようになった。


やがて本社が持ち直すと、常務たちは飛ばしをやめた。

こんな手口がいつまでも続かないことを知っているからだ。

乗っ取りで増えた子会社によって本社は大所帯になり、年商は飛躍的に増加した。

子会社には建設系だけでなく、様々な職種がある。

本社は全てをまとめて総合商社を名乗るようになり

乗っ取り専門の土建屋は、幾分か上品な路線へとシフトチェンジしたのだった。


この過去は武勇伝として、本社で語り継がれている。

永井部長は、それをぜひ踏襲してみたい。

ただ憧れているのだ。


そんな彼は今までにも、何回か飛ばしをやろうとしたことがある。

しかし、こういう実験をうちの仕事でやってみたがるのが迷惑なところ。

永井部長にとって我が社は、弱々しい転校生の扱いなので、何をやってもいいらしい。

彼の無能が功を奏し、チャレンジはことごとく未遂に終わったが

我々はかなり恥ずかしかった。


それを今回もやろうというのだ。

しかも田辺君が振ってくれた仕事である。

永井部長にとっては単なるチャレンジだが

田辺君を敵に回すことになるとは考えていないらしい。

《続く》
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