・・・墓じまい、合同墓地、樹木葬、・・・・檀家さんが減って、まして法事を行う家が少なくなった実情は、都心部だって同様だ。
法事を行う古い木造の本堂にも昇降機をつけ、畳の部屋まで車椅子OK。
会食する会館は、以前あった一部屋を車椅子と介助者が二人が入れるトイレに改装してあった。
選んだ料理は見た目に綺麗で、お年寄りに食べやすいように一口サイズ。
その代わり食器にも材料にも、バラエティーを持たせて、手のこんだ細工がなされていた。
現代に合わせて、高齢化対応をする時代になっていた。
今回の法事は、9月半ばからぼちぼち準備を始めた。
介護タクシー、一時間対応の介護サービス予約から始まって、お寺にお供えする物を宅配で前日着で届ける手配。
当日は母の世話を中心にできる体制を整えることにした。
服装は、まず、車椅子でも窮屈でなく、法事の間、食事を取りやすいように工夫。
高価なものでなくても、全てを黒で失礼にならないニットに加えてシャレな小物を用意。
着替えをして、薄化粧をすると見違える表情を見せてくれた。
施設の方々に「マダム」と褒められて出発。
・・ってなわけで、迫ってからの二週間は、普段とは全く違う頭を使っている毎日だった私。
お疲れー、かと思いきや、楽しかったのだ。
面倒だからやめておこう、という選択もあった。
でもそれをしなかったことで、世の中の変化が急速に起こったことを体感することができた。
あれだけ固定観念や先入観を捨てよう、と野口体操でアナウンスしておきながら、私自身が昔のままの思い込みを背負っていたのだ。
社会のサービスというものが、どんどん質を変えて柔軟になっている。
母を法事に連れ出そう。
思い立った当初こそ、自分一人では無謀かと案じて始めたが、終わってみれば視界がひらけた。
戸は叩いてみよう。
扉は開けて入ってみよう。
道には一歩踏み出して、歩き出してみよう。
人様には助けてもらおう。
全ての始まりは、昨年、母を施設にお任せできたことから始まった。
一人で抱え込まないことは大事だった!
今回、70代・80代の後期高齢の親戚の人たちが、93歳の母を見る目が変わった。
歳を取っても多少の認知があっても、彼女を囲んで楽しかった、と口々に言ってくれた。
自分たちの目の前に迫っている不安ある未来を変えることができる、とも言ってもらえた。
予想もしない結果だった。
万々歳!