法事の準備が終わったような終わらないような、準備するものが次々と出てくる。
寺の住職さんと話をした。
供花は寺にお願いし、お菓子と果物は前日に宅配で届ける算段をつけた。
「できれば供養する方の写真をお持ちください」の一言で、仕舞ってあった父の写真を取り出した。
フォトフレームの立て掛ける部分の一部が破損していて、私には直すことができそうにない。
そこで、昨夕、銀座までは出かける時間が取れないので、新宿・小田急デパートの伊東屋で、銀製のものを用意した。
新しい写真立てに古い写真が合うだろうか、と一抹の不安を感じながら帰宅した。
着替えもせずに、すぐさま写真を入れ替えた。
「父が生き返った!」
イギリス製のフォトフレームが、表情を明るくしてくれた。
「新しくして、正解だった!」
しばし眺めているうちに、父の車の思い出が蘇ってきた。
幼い頃から私は父が運転する車の助手席に腰掛けて、「そこの角を右、3つめを左」などと、地図を膝の乗せてナビを引き受けた生意気な子供だった。
記憶に残っているいちばん古い車は、日産の大衆車ダットサンであった。
この車の方向指示器(確かアポロといったような)は、真っ赤で可愛らしかった。
そして出す時・仕舞う時に、カタッ・コトッという音がしていた。
長距離のお出かけには、まず、エンジンの音を聞く。
そしてバンバーを開けてエンジンやブレーキの点検を行ってオイルをさしたり、時には近くの自動車整備工場によって更なる点検をたのむ。
当時の車は運転する人間が深く関わって、手入れをするのが当然の乗物だった。
ドライバーにとっては、そのことが嬉しくて仕方がないのである。
その父が70代後半で自動車免許を自主返納するまで、最後に乗りたくて乗ったのが「ローバー MINI COOPER」マニュアル車だった。
色は派手でもなく地味でなく、イギリスでしか出せないとおぼしきグリーンと白のツートンカラーだ。
乗り心地はと言えば、車高が低いためにスポーツカーのようなスピード感が得られた。
あたかも素足で走るような感じとでも言おうか。道路との密着感はスリルをすら感じさせてくれた。
こうして新しいフォトフレームにおさまった写真を見ながら、車種は何台か変わっても最後のMINI COOPERにご機嫌であった父を思い出した。なんとイキイキした思い出だろうか。
いつまでも思い出に浸ってはいられない、とメモを1つずつチェックしながら、忘れ物はないかと念には念をいれた昨日のこと。
今日の午後には、当日、母に着てもらう服を揃えて施設に届ける約束をしている。
確認の電話も入ってくる予定もある。。。。
色々ありますわねー。
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