羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

法事の準備につれて思い出された人生最後の“MINI COOPER”

2018年12月07日 09時28分39秒 | Weblog

法事の準備が終わったような終わらないような、準備するものが次々と出てくる。

寺の住職さんと話をした。

供花は寺にお願いし、お菓子と果物は前日に宅配で届ける算段をつけた。

「できれば供養する方の写真をお持ちください」の一言で、仕舞ってあった父の写真を取り出した。

フォトフレームの立て掛ける部分の一部が破損していて、私には直すことができそうにない。

そこで、昨夕、銀座までは出かける時間が取れないので、新宿・小田急デパートの伊東屋で、銀製のものを用意した。

新しい写真立てに古い写真が合うだろうか、と一抹の不安を感じながら帰宅した。

着替えもせずに、すぐさま写真を入れ替えた。

「父が生き返った!」

イギリス製のフォトフレームが、表情を明るくしてくれた。

「新しくして、正解だった!」

しばし眺めているうちに、父の車の思い出が蘇ってきた。

幼い頃から私は父が運転する車の助手席に腰掛けて、「そこの角を右、3つめを左」などと、地図を膝の乗せてナビを引き受けた生意気な子供だった。

記憶に残っているいちばん古い車は、日産の大衆車ダットサンであった。

この車の方向指示器(確かアポロといったような)は、真っ赤で可愛らしかった。

そして出す時・仕舞う時に、カタッ・コトッという音がしていた。

長距離のお出かけには、まず、エンジンの音を聞く。

そしてバンバーを開けてエンジンやブレーキの点検を行ってオイルをさしたり、時には近くの自動車整備工場によって更なる点検をたのむ。

当時の車は運転する人間が深く関わって、手入れをするのが当然の乗物だった。

ドライバーにとっては、そのことが嬉しくて仕方がないのである。

その父が70代後半で自動車免許を自主返納するまで、最後に乗りたくて乗ったのが「ローバー MINI COOPER」マニュアル車だった。

色は派手でもなく地味でなく、イギリスでしか出せないとおぼしきグリーンと白のツートンカラーだ。

乗り心地はと言えば、車高が低いためにスポーツカーのようなスピード感が得られた。

あたかも素足で走るような感じとでも言おうか。道路との密着感はスリルをすら感じさせてくれた。

こうして新しいフォトフレームにおさまった写真を見ながら、車種は何台か変わっても最後のMINI COOPERにご機嫌であった父を思い出した。なんとイキイキした思い出だろうか。

いつまでも思い出に浸ってはいられない、とメモを1つずつチェックしながら、忘れ物はないかと念には念をいれた昨日のこと。

今日の午後には、当日、母に着てもらう服を揃えて施設に届ける約束をしている。

確認の電話も入ってくる予定もある。。。。

色々ありますわねー。

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