「旅は好きだ」
そう確信した。
それは昨日のことだった。
地下鉄銀座線・浅草駅で下車して、雨に煙る吾妻橋の中程で、暮れ時の隅田川を眺めていたときのこと。
屋形船が一艘、河岸に係留されている。三十個以上はあるだろうか、吊るされている提灯には灯が灯されて、そこだけが薄暗闇の川面にゆらめき、遊びの名残をとどめているようだった。
視界を上へ。
どこを探してもスカイツリーは見つからなかった。
ビル群も夕闇と雨をもたらす低くたれ込めた雲に閉じ込められていた。
そんななか目的地のアサヒ・アートスクエアの屋上にある金の炎“フラムドール”がぼんやりとオブジェの輪郭を闇の中に溶け込ませている。
止まっているような町のなかで、高速を行き交う車のライトだけが、唯一、街が動いていることを見せてくれる。
野口体操を、短い時間だが伝えるために、浅草にやってきた。
一歩足を踏み入れると、天井も高く、現代ダンスやさまざまな無国籍なアートを展開するのにふさわしい雰囲気の非日常の空間が広がっていた。
セッションは6時から始まる。
気づくとなし崩し的に、始まっていた。
私もまな板と包丁をあてがわれて、缶詰のマッシュルームをみじん切りにするお役をいただいた。
隣の女性と、彼女の前の男性参加者は、タマネギのみじん切りに精を出している。
「何をつくる、って?」
トマトベースのソースを、ハーブの香りを活かしたものと、各種スパイスをきかせたもの、二種類だそうだ。
火にかけて、前段階が終わる。更に煮詰める時間に、野口体操を40分ほど体験してもらう段となった。
ここは省略。
さて、体操が終わる頃に、アルマンド・トエス・パエスさんが日本人の奥さんと会場に到着していた。
聞くところによるとキューバ人のダンサーで、日本に来て5年だそうだ。奥さんはキューバで知り合って、彼と一緒に帰国したとか。彼女の助けで、両国でサルサクラブとイベントスペースを経営しているそうだ。
「ご一緒にどうぞ」
企画の方に誘われて、サルサダンスのさわりを習うレッスンに参加した。
歩くだけなんです。
いや、ダンスって基本的に歩くだけなんですねー。
初めのうちは遠慮して後ろで基本ステップを踏んでいた。
そのうちに音楽が鳴りだす。
かなり大きい音だ。しかし、不快ではない。良い音が鳴っていることと天井が高く、音響がいいことが救い。
音楽に合わせて3つのステップを練習したところで、環になって男女で組むことになった。
踊りの間に相手を変えてゆく。
一人だけ習って1年という男性が交じっていたが、全員サルサは初めて!
3周くらいしたしただろうか、新しいステップが一つ加えられた。これだけは結構難しかった。
かれこれ40分以上、踊っただろうか。
それから一息入れて、最初につくったソースの試食である。
フランスパンや茹でたジャガイモに二種類のソースの味見。
タマネギとマッシュルーム、レモン、セロリに各種スパイスがまろやかにこなれていた。
箸休め役のピクルスが、ソースの味を引き立てる。
ビールとお茶は飲み放題。アサヒだものね。
「お酒が飲めないなんてつまらない」
なんてと愚痴は、いっさい言わない私。
ちょっと名残惜しかったが、一足先においとました。
季節外れの冷たい外気に触れる。
心がふわっと宙に浮く。
するとさまざまな映像が脳裏にあらわれては消える。
先週の鬼怒川の氾濫。落ち着く間もなく調布を震度5弱が襲った二日目。
阿蘇山の噴火。
その間の国会の荒れ模様。
しかし、火曜日の公聴会をニコニコ生放送で2時間半ほど見られた。
昨日の不信任動議のほぼ全体を聞いた。
セレモニーだった公聴会。あっけにとられた怒号と混乱の可決までは見られなかったが、時代の大きな曲がり角を見届けている。
クーデターという文字が、紙面に浮き彫りになって目に飛び込んだのは、一回や二回ではない。
日本は変わる。
いや、変わってしまう。
しかし、カオスの中から、若者は立ち上がった。
大人は思う。
いったい安倍総理は、誰にも明かさない、明かせない何を胸中にしまい込んでいるのだろう。
実に、実に、不気味である。
さて、帰路、再び立った吾妻橋から東京湾方面を見つめると、視界は遮られて何も見えない。
夜の9時だから仕方がないのだが。
隅田川にたれ込めた限りなく黒に近い灰色の雲は、はっきり見えないだけに嫌やな予感の色を深く増していた。
さっきの時間は何だったのか。
キューバのサルサ、音楽。
編み込まれた長髪。
あの黒い肌に隠された思いもまた、複雑なのだろうなぁ~、と組んで踊ったパエスさんの鎧のような筋肉の硬さをふと思い出した。
そして、私はつぶやく。
本当は、旅好きだった! と。
そう確信した。
それは昨日のことだった。
地下鉄銀座線・浅草駅で下車して、雨に煙る吾妻橋の中程で、暮れ時の隅田川を眺めていたときのこと。
屋形船が一艘、河岸に係留されている。三十個以上はあるだろうか、吊るされている提灯には灯が灯されて、そこだけが薄暗闇の川面にゆらめき、遊びの名残をとどめているようだった。
視界を上へ。
どこを探してもスカイツリーは見つからなかった。
ビル群も夕闇と雨をもたらす低くたれ込めた雲に閉じ込められていた。
そんななか目的地のアサヒ・アートスクエアの屋上にある金の炎“フラムドール”がぼんやりとオブジェの輪郭を闇の中に溶け込ませている。
止まっているような町のなかで、高速を行き交う車のライトだけが、唯一、街が動いていることを見せてくれる。
野口体操を、短い時間だが伝えるために、浅草にやってきた。
一歩足を踏み入れると、天井も高く、現代ダンスやさまざまな無国籍なアートを展開するのにふさわしい雰囲気の非日常の空間が広がっていた。
セッションは6時から始まる。
気づくとなし崩し的に、始まっていた。
私もまな板と包丁をあてがわれて、缶詰のマッシュルームをみじん切りにするお役をいただいた。
隣の女性と、彼女の前の男性参加者は、タマネギのみじん切りに精を出している。
「何をつくる、って?」
トマトベースのソースを、ハーブの香りを活かしたものと、各種スパイスをきかせたもの、二種類だそうだ。
火にかけて、前段階が終わる。更に煮詰める時間に、野口体操を40分ほど体験してもらう段となった。
ここは省略。
さて、体操が終わる頃に、アルマンド・トエス・パエスさんが日本人の奥さんと会場に到着していた。
聞くところによるとキューバ人のダンサーで、日本に来て5年だそうだ。奥さんはキューバで知り合って、彼と一緒に帰国したとか。彼女の助けで、両国でサルサクラブとイベントスペースを経営しているそうだ。
「ご一緒にどうぞ」
企画の方に誘われて、サルサダンスのさわりを習うレッスンに参加した。
歩くだけなんです。
いや、ダンスって基本的に歩くだけなんですねー。
初めのうちは遠慮して後ろで基本ステップを踏んでいた。
そのうちに音楽が鳴りだす。
かなり大きい音だ。しかし、不快ではない。良い音が鳴っていることと天井が高く、音響がいいことが救い。
音楽に合わせて3つのステップを練習したところで、環になって男女で組むことになった。
踊りの間に相手を変えてゆく。
一人だけ習って1年という男性が交じっていたが、全員サルサは初めて!
3周くらいしたしただろうか、新しいステップが一つ加えられた。これだけは結構難しかった。
かれこれ40分以上、踊っただろうか。
それから一息入れて、最初につくったソースの試食である。
フランスパンや茹でたジャガイモに二種類のソースの味見。
タマネギとマッシュルーム、レモン、セロリに各種スパイスがまろやかにこなれていた。
箸休め役のピクルスが、ソースの味を引き立てる。
ビールとお茶は飲み放題。アサヒだものね。
「お酒が飲めないなんてつまらない」
なんてと愚痴は、いっさい言わない私。
ちょっと名残惜しかったが、一足先においとました。
季節外れの冷たい外気に触れる。
心がふわっと宙に浮く。
するとさまざまな映像が脳裏にあらわれては消える。
先週の鬼怒川の氾濫。落ち着く間もなく調布を震度5弱が襲った二日目。
阿蘇山の噴火。
その間の国会の荒れ模様。
しかし、火曜日の公聴会をニコニコ生放送で2時間半ほど見られた。
昨日の不信任動議のほぼ全体を聞いた。
セレモニーだった公聴会。あっけにとられた怒号と混乱の可決までは見られなかったが、時代の大きな曲がり角を見届けている。
クーデターという文字が、紙面に浮き彫りになって目に飛び込んだのは、一回や二回ではない。
日本は変わる。
いや、変わってしまう。
しかし、カオスの中から、若者は立ち上がった。
大人は思う。
いったい安倍総理は、誰にも明かさない、明かせない何を胸中にしまい込んでいるのだろう。
実に、実に、不気味である。
さて、帰路、再び立った吾妻橋から東京湾方面を見つめると、視界は遮られて何も見えない。
夜の9時だから仕方がないのだが。
隅田川にたれ込めた限りなく黒に近い灰色の雲は、はっきり見えないだけに嫌やな予感の色を深く増していた。
さっきの時間は何だったのか。
キューバのサルサ、音楽。
編み込まれた長髪。
あの黒い肌に隠された思いもまた、複雑なのだろうなぁ~、と組んで踊ったパエスさんの鎧のような筋肉の硬さをふと思い出した。
そして、私はつぶやく。
本当は、旅好きだった! と。