先週の金曜日こと、上野・国立科学博物館で開催されている『特別展「生命大躍進」ー脊椎動物のたどった道』を見てきた。
展示をみながら、解説を聞きながら、最初に思い出した言葉がある。
「個体発生は系統発生を繰り返す」
東京芸大の三木成夫先生も解剖学者の養老孟司先生も、口癖のようにおしゃっておられた言葉だ。
養老先生は、1991年正月・朝日カルチャーセンター『特別公開講座「野口体操を解剖する」』と題して、野口三千三先生とのコラボ講座にお招きしたことがある。
因みに、この記録は『DVDブック アーカイブス野口体操』春秋社刊で、一部をのぞいて見ていただける。
その折、参加者の質問にこたえて、養老先生が次のようなことを話された。
「からだは建て増し建て増しされた古い旅館のようなもので、どこかをなくすと壊れてしまうんです。今は役に立っていないからといってとってしまうと、背骨がなくなっちゃうとか……。今は役に立っていなくても、将来、どんな役に立つかはわからないんです」
この言葉に呼応する内容を「生命大躍進」の公式ガイドブックで見つけた。
国立科学博物館名誉研究員・山田格(やまだ ただす)氏が書いておられる『脊椎動物の歴史 一つの見方』10頁の文章である。
《多くの場合、進化における適応とは、ある段階から次の段階に向けて、手もちの材料にほんのその場しのぎの小改造を加えることで姑息に乗り切るというものだった》
全文を引用するわけにはいかないのが残念である。
古生物学、形態学、比較解剖学、発生学、ここまでは三木先生を通して、すくなからず垣間みさせていただいてきた世界だった。
それに加えて今回の特別展は、1980年ごろになって、進化研究と発生学が連携することによって「Evo-Devo(進化発生生物学)」(前述のガイドブック19頁)という新しい概念が提起され、その成果が生かされた一般向け研究発表でもある。子ども達にも関心を持ってもらうための装置があらゆるところで力を発揮しているところがミソである。
たとえば分類学的にまったく異なる生物の遺伝子(DNA)をとりこむことで、新たな感覚器が生まれてくる等、考えも及ばない発想から進化の物語が語られていく。
進化の物語のなかでも「脊椎動物」に焦点が当てられていて、その系譜のなかで最後に現れる人類への道が、食・排泄・生殖・ほ乳、脳の働き、といった基本をたどって解説されているので、最後の部屋に到達したときには、驚愕と感動に圧倒されてしまった。
私だけではないはず。おそらく多くの人が圧倒される理由のひとつに、会場に一歩足を踏み入れた時から、今まで見たこともない化石群に度肝を抜かれることが挙げられるだろう。
次々に順々に展示されるたくさんの化石を前に、生物進化活動の姑息さについて思い巡らせてみると、ひとつ一つは姑息の賜物であったとしても、それらは水惑星地球の奇蹟によって偶然という名の”必然”によって生み出された自然の驚異として見えてくる。
この先にいったいどんな生物が生まれてくるのだろう。
人間の脳をはるかに超えた脳を持つ生きものかもしれないし、人間の脳が破壊していく自然環境を生き抜くのにものすごく単純な脳をもつ生ものになっていくかもしれない。それはまったく未知のことなのだ。伺い知ることはでそうにない、ことがこの特別展を通して実感させられる。
実際、そこに展示されている化石は、同じ石でありながら地球の華である鉱物の結晶の形や色の多彩さといった美しさには欠けている。
にもかかわらずそれらの化石は、生物が生きていた十分な証であり、みごとな痕跡なのだ。そして絶滅して化石として残っていない多くの生命体や生物に思いを馳せてみたくなる。
化石として奇跡的に残された ”ものの形” が語る力は、地球生命体への関心をグングンと惹き付ける。
だが、惹き付けられれば惹きつけられるほどに、生命の危うさとそれに相反する生命のしたたかさを、同時に浮き彫りにして見せてもらった印象を得て展示場を後にした。
そうだ!『原初生命体としての人間』とは、危うさとしたたかさを潜めた私の存在そのものなのだ、と気づかせてもらった。
そうだ!『原初生命体としての人間』とは、自分の命は自分一人のものではなく、連綿として続く生命の微細な断片であり、微塵として宇宙に散っていくものらしい、と気づかせてもらった。
それは「あとから言葉にしてみれば」なのだけれど、なんともモヤモヤした心持ちのまま、目と鼻の先にある寛永寺第二霊園へと私は導かれてしまった。
「長年通った芸大のそばで眠りたい」
そう語ってこの場所を選ばれた野口先生の墓前で、しばし呆然と佇みながら、からだの芯から沸々と湧いて四方八方に放散していく、なんとも言い難い衝撃の波動をひとつひとつ数えていた。
かつて、経を唱える回数を数える道具が “数珠” だ、と教えられた。
かつて、ネックレースのはじまりは数珠だ、とも教えられた。
かつて、ネックレースはDNAの象徴だ、とも教えられた。
生命のはじまりの一滴のしずくが、一滴の思想を生む。
なるほど、それが『原初生命体としての人間』なのだ、と野口のことばの循環のなかに生命を見た。
その循環は螺旋を描き、決して同じ道をたどるものではない、とも知った。
「どこから来て、どこに行くのか」
だれも知るよしもない。
その領域に、はじめの一歩を踏み込んだ「生命大躍進展」だった。そう憶いにいたったところで、ここで一旦ブログを閉じるとしようか……。
この先は迷路か?な!。
展示をみながら、解説を聞きながら、最初に思い出した言葉がある。
「個体発生は系統発生を繰り返す」
東京芸大の三木成夫先生も解剖学者の養老孟司先生も、口癖のようにおしゃっておられた言葉だ。
養老先生は、1991年正月・朝日カルチャーセンター『特別公開講座「野口体操を解剖する」』と題して、野口三千三先生とのコラボ講座にお招きしたことがある。
因みに、この記録は『DVDブック アーカイブス野口体操』春秋社刊で、一部をのぞいて見ていただける。
その折、参加者の質問にこたえて、養老先生が次のようなことを話された。
「からだは建て増し建て増しされた古い旅館のようなもので、どこかをなくすと壊れてしまうんです。今は役に立っていないからといってとってしまうと、背骨がなくなっちゃうとか……。今は役に立っていなくても、将来、どんな役に立つかはわからないんです」
この言葉に呼応する内容を「生命大躍進」の公式ガイドブックで見つけた。
国立科学博物館名誉研究員・山田格(やまだ ただす)氏が書いておられる『脊椎動物の歴史 一つの見方』10頁の文章である。
《多くの場合、進化における適応とは、ある段階から次の段階に向けて、手もちの材料にほんのその場しのぎの小改造を加えることで姑息に乗り切るというものだった》
全文を引用するわけにはいかないのが残念である。
古生物学、形態学、比較解剖学、発生学、ここまでは三木先生を通して、すくなからず垣間みさせていただいてきた世界だった。
それに加えて今回の特別展は、1980年ごろになって、進化研究と発生学が連携することによって「Evo-Devo(進化発生生物学)」(前述のガイドブック19頁)という新しい概念が提起され、その成果が生かされた一般向け研究発表でもある。子ども達にも関心を持ってもらうための装置があらゆるところで力を発揮しているところがミソである。
たとえば分類学的にまったく異なる生物の遺伝子(DNA)をとりこむことで、新たな感覚器が生まれてくる等、考えも及ばない発想から進化の物語が語られていく。
進化の物語のなかでも「脊椎動物」に焦点が当てられていて、その系譜のなかで最後に現れる人類への道が、食・排泄・生殖・ほ乳、脳の働き、といった基本をたどって解説されているので、最後の部屋に到達したときには、驚愕と感動に圧倒されてしまった。
私だけではないはず。おそらく多くの人が圧倒される理由のひとつに、会場に一歩足を踏み入れた時から、今まで見たこともない化石群に度肝を抜かれることが挙げられるだろう。
次々に順々に展示されるたくさんの化石を前に、生物進化活動の姑息さについて思い巡らせてみると、ひとつ一つは姑息の賜物であったとしても、それらは水惑星地球の奇蹟によって偶然という名の”必然”によって生み出された自然の驚異として見えてくる。
この先にいったいどんな生物が生まれてくるのだろう。
人間の脳をはるかに超えた脳を持つ生きものかもしれないし、人間の脳が破壊していく自然環境を生き抜くのにものすごく単純な脳をもつ生ものになっていくかもしれない。それはまったく未知のことなのだ。伺い知ることはでそうにない、ことがこの特別展を通して実感させられる。
実際、そこに展示されている化石は、同じ石でありながら地球の華である鉱物の結晶の形や色の多彩さといった美しさには欠けている。
にもかかわらずそれらの化石は、生物が生きていた十分な証であり、みごとな痕跡なのだ。そして絶滅して化石として残っていない多くの生命体や生物に思いを馳せてみたくなる。
化石として奇跡的に残された ”ものの形” が語る力は、地球生命体への関心をグングンと惹き付ける。
だが、惹き付けられれば惹きつけられるほどに、生命の危うさとそれに相反する生命のしたたかさを、同時に浮き彫りにして見せてもらった印象を得て展示場を後にした。
そうだ!『原初生命体としての人間』とは、危うさとしたたかさを潜めた私の存在そのものなのだ、と気づかせてもらった。
そうだ!『原初生命体としての人間』とは、自分の命は自分一人のものではなく、連綿として続く生命の微細な断片であり、微塵として宇宙に散っていくものらしい、と気づかせてもらった。
それは「あとから言葉にしてみれば」なのだけれど、なんともモヤモヤした心持ちのまま、目と鼻の先にある寛永寺第二霊園へと私は導かれてしまった。
「長年通った芸大のそばで眠りたい」
そう語ってこの場所を選ばれた野口先生の墓前で、しばし呆然と佇みながら、からだの芯から沸々と湧いて四方八方に放散していく、なんとも言い難い衝撃の波動をひとつひとつ数えていた。
かつて、経を唱える回数を数える道具が “数珠” だ、と教えられた。
かつて、ネックレースのはじまりは数珠だ、とも教えられた。
かつて、ネックレースはDNAの象徴だ、とも教えられた。
生命のはじまりの一滴のしずくが、一滴の思想を生む。
なるほど、それが『原初生命体としての人間』なのだ、と野口のことばの循環のなかに生命を見た。
その循環は螺旋を描き、決して同じ道をたどるものではない、とも知った。
「どこから来て、どこに行くのか」
だれも知るよしもない。
その領域に、はじめの一歩を踏み込んだ「生命大躍進展」だった。そう憶いにいたったところで、ここで一旦ブログを閉じるとしようか……。
この先は迷路か?な!。