羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

9月21日「からだとの対話」お土産を発見

2013年08月19日 15時57分11秒 | Weblog
 先ほど「地球交響曲」第二番を見終わった。
 この映画も第一番同様に、試写会には私ひとりで伺った記憶が甦る。野口先生は、やはり熱を出して、出席できなかった。
 試写会がおこなわれたのは、確か。。。。。目黒だったか、フィルムセンターの試写会専用の会場だった。
 見終わってすぐに、当時は携帯を持っていなかったので、公衆電話から先生のご自宅に電話をいれた。
 その後、渋谷のスペイン坂をのぼったところにあった映画館で、先生と一緒に公開された第二番を見ることになった。

 さて、その後も、2年おきくらいのペースで、映画は作られていった。
 第三番のときには、野口先生の体調はもっとすぐれず、招待いただいた試写会に私ひとりで見に行くことも出来なかった。しばらくしてから封切りになった映画館で、上映残り少なくなった頃に、ひとり寂しく見た覚えがある。
 そして、第四番がつくられ上映された時には、先生はすでに鬼籍に入ってしまった。

 走馬灯のように、思い出が甦る。
 DVDを見ていると、過ぎ去った時間の中でセピア色に変色していた記憶が、鮮明な色を取り戻していく。
 その記憶の一つに、第四番の公開に当たって、龍村監督に出講をお願いした朝日カルチャーセンターが、季刊で出していた「CULTURE」誌に、文章と写真を載せたものがあることを思い出した。
 さっそく、昨年、デジタル化した資料を検索した。そしてコンピューターのドロップボックスから、引き出したが、同時にそれ以前に第二番が封切りになった年に、おなじく「CULTURE」誌に、私が投稿した短い文章も発見した。
「そうだ、これは参加された方々へ、お土産としてコピーしてもらおう」

★1995年 夏号 「ひろば」『生と死と霊と……そしてワルツ」当時八十八歳の大野一雄氏と八十歳の野口先生が、半世紀近くの歳月を経て、朝日カルチャーで再会を果たした時のことと、第二番に登場したジャックマイヨールのグランブルーの世界を「ワルツ」というキーワードでまとめたもの。

★2001年 秋号 「地球への思い」と題して、龍村監督、羽鳥、伊藤孝士(当時・国立天文台助手)が寄せた文章が3㌻にわたって掲載されているもの。

 現在、担当者の方に、PDFをメール添付して送信しようと思う。
コメント
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