羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

幼なじみ

2013年08月01日 07時12分37秒 | Weblog
 NHKの朝の情報番組を見ていた。
 その日のテーマは「ベビーカーの公共交通利用」だった。
 結論は、専用の車両なり、専用の空間をつくる工夫があって欲しいが、それは無理な注文らしいことが次第にわかってくる。とりあえずは、周りの人への「声かけ」しかないだろう、という話で締めくくられていた。

 さて、先日、立川ルミネにある朝日カルチャーセンターの講座を終えて、Mさんにお茶を誘われた。
 エレベーターで一つ降りた8階にある「和カフェ ユソーシ チャノマ」、現代のお茶の間をコンセプトにしたカフェに案内された。
「こんなところもあるんですよ!」
 一歩踏み込むと、すぐ目に入ってきたのは、赤ちゃんだった。
 心を落ち着かせてよく見ると、お茶や軽い食事を楽しんでいるママたちがいた。
 靴を脱いであがる広縁に、ちゃぶ台と座布団とクッションがおいてある。
 すやすや寝ている赤ちゃん、目をぱっちり開けて通りかかる人にあやされている赤ちゃん、不思議なことに泣き声はまったく聞こえてこない。

 そこは空間のいちばんはしにある。
「お店内全体を、見渡せるんだ」
 ママたちの穏やか表情は、その開放感からくるに違いない、とすぐ理解できた。
 床の茶色に、グレーがかった白を基調にしたインテリア。店員さんたちも清潔感にあふれ、女性は殆どノーメイクに近い化粧をしている。
 ちょっとだけ身だしなみを整えた若いママたちに抱かれた赤ちゃんが、自然に溶け込んで、“やわらか~な空間”に、ゆったりした時間が流れていた。

 しばらくそこに滞在し、4時少し前に店をでたのだけれど、その時にはもう一組しかいなかった。
 お昼間の一時、赤ちゃん連れでちょっと立ち寄ることができる場があるっていい。
 
 ~~ 私の記憶は、半世紀前に引きもどされた。
    セピア色の映像のなかに、かつてのありふれた風景が浮かぶ。
 庭に面した縁側で、近所のお母さんが集まって、お茶を飲みながらおしゃべりに花を咲かせる。
「おねがいしまーす」
 ちょっと急な用事ができても、何気なく赤ちゃんを預かってもらえる。そんなに長い時間、頼むわけではなく、「お互い様」の関係が自然につくられていたっけ。
 夏は、お兄ちゃんやお姉ちゃんもいっしょに、庭に咲くタチアオイの花のそばで行水をしている。
 冬は、ひなたぼっこをしながら、学校へ上がる前の年頃の子どもたちが、赤ちゃんをあやしたりしている。
 縁側は、なにより開放感があった。内でありながら外とつながっている。
 ご近所のお年寄りも立ち寄って、一服しながら一休みしていく。
 皆が子どもたちや赤ちゃんやお年寄りを見守り、またお年寄りも見守られるだけではなかく、それまで生きてきた経験の智慧を伝えたりしていた日常が、そこここに見られた。
 懐かしか~~。。。。。。
 
 立川駅の雑踏を抜けて、一気に階段を下り、JR中央線の東京行きに乗り込んだ時、閉まりかけたドアの窓のガラスに、幼なじみの顔が浮かんだ。
「あれっきりになってしまった!」
 すっかり消息が途絶えて、さよならが言えなかった別れに、一抹の後悔と寂しさがよぎった。
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