羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

幸せな時間

2013年08月17日 14時48分12秒 | Weblog
 今週は、一日おきに来客があった。迎えるための準備をし、お客人が帰った後は、ともに過ごした一時をふりかえる楽しみがある。
 そして、本日、朝日カルチャー土曜日のクラスは、盆の休みでレッスンがない。久しぶりのことだ。ちょっとした開放感を味わっている。

 そこで朝から、龍村仁監督の「地球交響曲」第一番を見た。
 20年以上も前になるだろうか。京橋のビルの地下、小さな会場で第一番の試写会が行われた。その時、野口先生は熱を出して、私ひとりで出かけていった。
 今、再びDVDで見直してみると、「あの時、何を見ていたのだろう」と、改めて思う。
 確かに、感動して泣いた。そのシーンは、野生動物の孤児院で、象の世話をしているダフニー・シェルドリックとエレナの物語だった。
 密猟の餌食となった母を失い孤児となった子象を育て、野生に戻す活動をしている女性の手助けをするのは、2歳の時ダフニーに救われ育てられたメスのエレナである。エレナは孤児院を出て、今ではブッシュの中で暮らしている。そこで子象を野生に返す前に、エレナが野生の生ものとしての智慧を授ける役割をになっているのだ。
 撮影が行われたその年も、時期を見て子象を野生に戻すために、エレナに預けることになる。
 まず、小さな子象が生きていくための下草が十分に育っているかを確かめ、エレナとの再会を果たすためにダフニーは彼女の名前を何度も呼ぶ。すると何処からか声を聞きつけたエレナがゆっくりとやって来るシーン。
 BGMは「蝶々夫人」から「ある晴れた日に」ソプラノのアリアである。その音楽とともに、象の素晴らしい能力が語られていく。
 例えば、密猟者に殺された仲間の象の牙を抜く行為を行う。つまり、殺されるのは「象牙」を取るためだ、と象は知っていること。
 例えば、仲間の象が亡くなった場所を何度も訪ねて来る。つまり象には“死の認識”があること。等々。

 試写会では、このシーンですっかり泣かされた。一つには「ある晴れた日に」のオペラアリアが重なっていたのだった。

 ところがである。
 今、思うことは、「あの日は、いったい何を見ていたのだろう」ということ。
 まったく何も見ていなかったに違いない、と思えるくらいに、今回は新しい映画を見ている。
 年を重ね、この20年間にいろいろな出来事が起こったゆえの、今の理解なのだろうか。
 うぅ~ん。

 午後になってから、無性に『装身具に貞く』野口三千三授業記録の会で残してきたDVDが見たくなった。
 こんなステキなレッスンだったのだ、と、ここでも溜息が出る。
「芸一代。誰も真似はできない」
 そんなことは言わずもがな。つくづく、先生のレッスンの記録が残って、よかった!

 さぁ~、気を取り直して、9月に龍村監督と再会する日までに読んでおきたいと準備してあった本のページを、手当たり次第くってみる。
 これから読み始めよう、と、一冊を選び出した。

 この静けさ。
 しばらく“龍村ワールド”と“野口ワールド”を並行しながら、同時に味わうことにした。
 映像作品を見ながら「からだとの対話」の準備をするのは、今のところは幸せな時間が流れていれるようだ。
コメント
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