羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

坐禅 ふたたび 109日、110日目

2020年04月29日 09時21分28秒 | Weblog

昨日は、このブログのメンテナンスのため、書き込む時間を逸してしまった。

佐々木閑先生の「仏教哲学の世界観」オンライン講義n中で、1分間の瞑想を行う回があった。

そこで思い出したのは、小学校の頃のことだった。

朝礼と下校前に「瞑想」と号令がかかって、立っている場合も椅子に腰掛けた状態でも目を閉じて、静かに呼吸する。

他にも授業前や授業中に、クラスの生徒たちがガヤガヤと落ち着かずに騒いでいると、先生が「瞑想」と一声かける。すると一斉に姿勢を正して、膝に手を置き、目を閉じて、静かに呼吸する。

あの時間は、もしかすると、1分だったのだろうか、と講義の瞑想を行って、ふと思った。

1分というのは、小学生にとってはかなり長かったかもしれないが、今回の講義中の体験だったが、1分間何もせず、情報を遮断し、瞑想を行うというのは、意外に長く感じられた。

テレビのニュースなどでも、話す言葉が3秒も途切れたら、どうしたのかと訝しく思えるのだから、1分間何も発せられない状態は間が持たないどころの話ではない。

 

さて、自分の行動に振り返って、朝の体操を一通り済ませて、100回数えて坐る時間は、長く感じることはない。

体操と坐禅に1時間を費やしている。

やっているときは長いとも短いとも感じない。

それなのに、その日に大事なことが控えていると、そちらに集中して、体操も座禅も行わない日があるのはなぜだ、と自分に問いかけている。

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