羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

坐禅 ふたたび 九十四回日

2020年04月05日 09時42分09秒 | Weblog

今朝は、4時半に起床。

早めに蔵の二階の雑巾掛けを済ませた。

運動不足が少しでも解消できれば、との思いからだった。

さて、体操をして坐った。

途中で防災無線が、何か訴えている。

響きすぎて、こだまし過ぎて、内容は聞き取れない。

それも仕方がないと、じっと坐る。

不思議だ。

いつもなら途中で直す骨盤の傾き。それが一切ないまま100回を数えた。

おそらく雑巾掛けが良かったかも、と少し嬉しい。

地唄舞の竹原はんさんが、朝の日課としていたことは、お稽古場の掃除を終えて神棚に手を合わせ、舞の稽古をすること。

何かの雑誌で読んだことを思い出した。

なるほどね〜。

冬は寒いだろうな、といらぬ心配をした。

本日、71歳に到達、3日前のこと。

只今、修行中(笑)

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ソーシャル・ディスタンシング(社会的距離)

2020年04月05日 05時17分36秒 | Weblog

昨日、夕方からネットミーティングを行った。

前回は、Zoomだったが、今回はFBのmessengerのビデオ機能を使って3名で行った。

途中からFBを使っていないもう一人に携帯から電話をし、声で参加をしてもらったので、計4名のミーテイングとなった。

 

こうして移動がままならないコロナ禍に、離れている人をいとも簡単に繋いでしまう便利さに、慣れつつある。

それぞれが自宅に待機せざるを得ない状況下、濃密接触を避けながら、個人同士を繋ぐことで関係が成り立つ危うさはないのか、などというのはすでに野暮というもの。

2020年春、仕事や診療をテレワークで可能にする文明の利器は、一気に社会に浸透した感がある。

 

しかし急を要する用事、食材や日用品の買い物・健康維持の散歩など、外出をしなければ、自給自足できない都会の暮らしは成り立たない。

そこでコロナウィルスの感染拡大を防ぐ手立てとして常識となりつつあるのが、ソーシャル・ディスタンシング(社会的距離)。他者と空間的に距離をあける行動だ。すでにニューヨークを中心にしてアメリカやアジア地域でも取り入れられている、と聞く。

 

想像してみよう。

どこまでも距離を伸ばすネットつながりの人間関係、一方で2メートルの間隔をあける人間関係。

何れにしても、微妙な言葉の配慮をしながら繋がるネット、実空間を上手に間合いをとって歩く行動の取り方が現代のコモンセンスとなっているようだ。

当初、テレビ放送のいろいろな場面で目にする不自然に2メートル隔てた人の立ち姿に違和感を覚えた。それがいつの間にか慣れてしまった自分に気づく。

すでに自分の中に、新コモンセンスが宿ったということだろうか。

だが、だが、・・・・人はいつまでその距離感に我慢できるのだろうか・・・・ここは、一つ踏ん張って耐えるしかないのだが。

果たしてコロナ禍が下火になった時、人々はどんな行動をとるのだろう。

握手して、抱擁して、向かい合って話し合い、何事もない日常を涙ながらにありがたく思う。

先は長い。

思わずつくため息も長い。

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