羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

”幸せ感”に支えられた没後16年に気づく

2013年09月05日 12時01分35秒 | Weblog
 今朝は、様々な気象警報が出て、交通機関も乱れる予想から、午前中に予定していた稽古が急遽とりやめになった。
 そこで9月21日に予定している「からだとの対話」龍村仁監督とのセッションの準備をかねて、野口三千三授業記録の会でつくったDVDを見る時間に当てた。
 選び出したDVDは、野口先生に導かれて、隕石・化石・鉱物・砂、といった「石の世界」に開眼していく、その過程を記録しているものだ。
「地に貞く-1-」と「地に貞くー2ー」である。

 実に、1990年代、今から二十数年前に引き戻されて、思いはさまざまに巡る。
 教室でのレッスン、ミネラルフェア会場、羽鳥の家で催した石を見る会、先生を中心にそこに集まっている体操の仲間たち。
 皆、若かった!と思うと同時に、既に亡くなった方も少なくない。時の流れそのものを、愛おしみたくなる。
 
 野口先生は、70代後半に差しかかっていたが、実に元気だ。充実した学びと思考と判断と、そしてユーモアがどっしりと落ち着いた物腰のなかに溢れている。言葉はよどみなく、感性はキラキラして若い。
 今になって思えば、沈み行く太陽が周りを赤々と照らしながら、輝きを増す晴れた日の夕暮れ前のようだ。
 そして一気に日が落ちて静まりかえる前の瞬間を、ものすごく長いスローモーション映像で見せてもらうようだ。情感に溢れた同じ時間を共有できたことが、とても幸せに見えるし思える。
 80年の人生を生きた野口三千三が、晩年にみせてくれた笑顔だ。
 80年の体操の教師として生きた野口三千三が、晩年に語ってくれた本物の価値だ。
 ささやかであっていい。ささやかのなかにも豊かさは宿る。
 常識的な美しさだけが価値ではない。
 すべての存在に、それそれに貴重な命が宿っている。その命を懸命に生き、生かすことが出来る可能性を見せてくれている。
 野口先生だけではない、レッスンでも、フェア会場でも、我が家での集まりでも、そこに映し出される皆の表情が、優しく素直で明るく楽しげで、幸福感が漂っている。演出もなし、仕掛けもなし、企みもなく、素のままで、そのままで、石も人も双眼実体顕微鏡さえ綺麗なのだ!
 
 さてさて、21日には、先生が残された「もの」を持っていきたい。
 そう思って選ぶ基準をどこにおこうか、と見始めたDVDだが、見れば見るほど「あれもこれも」になって、実際には削ぎおとさなければならない、と思っていた。
 ところが思い悩むうちにどちらでもよくなった。
 濃密な時間。濃密な味わい。記憶の中で薄れかかっていた濃密な楽しみを、もう一度しっかり抱擁していればそれでいいような気がしてくる。
 
 これほどの幸せ感に支えられた没後の16年だった!
 それは私だけではないはず。
 この充実した楽しみのありようが、野口体操の真髄でなくて何だろう。
 
コメント (1)
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