今朝は、なんとなくそわそわ感があった。とはいえテレビをつけたまま、朝の片付けをこなしながら、東京の金環日食の情報に耳をそばだてていた。
はじめのうちは曇り空だったが、次第に晴れ間もみられるようだった。
ふと見ると万年塀に、影と光が見えてきた。隣家の木の枝が我が家にかかってきて、その木漏れ日が映っているのだ。太陽が食べられていく。ちょっと欠けた状態の太陽が、何枚もの木の葉の間で揺れている。木の葉の数だけ太陽の光が形を見せてくれている。
はじめは、信じられなかった。短い時間をおいて、万年塀を見に行った。欠け具合が微妙に変化していく。
「間違いない。金環日食の影だ」
枝が風に揺れると、いくつもの太陽が音楽を奏でるように、右へ左へ、斜め方向へと、微妙に移ろう。
僅かな時間だが、魂が抜かれように、その様を見ていた。
気がついて、朝の仕事に戻るため、家に入った。が、間髪を置かずに、にわかに辺りが暗くなってきた。
外が騒がしい。
あわてて階下に降り、木戸の鍵を開けて道路に出た。
少し離れたところで、ご近所の旦那衆が代わる代わる眼鏡をかざして、東の空を見上げている。
さっと近づくと、無言で眼鏡を渡してくれた。雲が晴れて金環日食が、まさに、この時のタイミングだった。なんと運がいいのだろう!
先ほどの木漏れ日が描く絵といい、リングの輝きといい、思いがけず見ることができたのだった。
五分はかなり長い。次々、通りかかる知らない人にも、眼鏡を差し出し、その度に歓声があがっていた。
新聞で読んだことだが、天文の知識がなかった庶民や兵士は、不吉な現象として恐れた。ところが宮廷に近いところにいた平家方は日食の知識を得ていたために戦いに勝つことができた、という話もあながち作り話ではなさそうだ、ということが納得がいく。
次回、見られる保証はない。
しばし、浮き世の憂さを忘れて、太陽が食べられる呪術といいたい現象に、時を過ごした。
その後、大学の二限の授業が始まる前には、学生たちと「金環日食」で、話が弾んだ。
はじめのうちは曇り空だったが、次第に晴れ間もみられるようだった。
ふと見ると万年塀に、影と光が見えてきた。隣家の木の枝が我が家にかかってきて、その木漏れ日が映っているのだ。太陽が食べられていく。ちょっと欠けた状態の太陽が、何枚もの木の葉の間で揺れている。木の葉の数だけ太陽の光が形を見せてくれている。
はじめは、信じられなかった。短い時間をおいて、万年塀を見に行った。欠け具合が微妙に変化していく。
「間違いない。金環日食の影だ」
枝が風に揺れると、いくつもの太陽が音楽を奏でるように、右へ左へ、斜め方向へと、微妙に移ろう。
僅かな時間だが、魂が抜かれように、その様を見ていた。
気がついて、朝の仕事に戻るため、家に入った。が、間髪を置かずに、にわかに辺りが暗くなってきた。
外が騒がしい。
あわてて階下に降り、木戸の鍵を開けて道路に出た。
少し離れたところで、ご近所の旦那衆が代わる代わる眼鏡をかざして、東の空を見上げている。
さっと近づくと、無言で眼鏡を渡してくれた。雲が晴れて金環日食が、まさに、この時のタイミングだった。なんと運がいいのだろう!
先ほどの木漏れ日が描く絵といい、リングの輝きといい、思いがけず見ることができたのだった。
五分はかなり長い。次々、通りかかる知らない人にも、眼鏡を差し出し、その度に歓声があがっていた。
新聞で読んだことだが、天文の知識がなかった庶民や兵士は、不吉な現象として恐れた。ところが宮廷に近いところにいた平家方は日食の知識を得ていたために戦いに勝つことができた、という話もあながち作り話ではなさそうだ、ということが納得がいく。
次回、見られる保証はない。
しばし、浮き世の憂さを忘れて、太陽が食べられる呪術といいたい現象に、時を過ごした。
その後、大学の二限の授業が始まる前には、学生たちと「金環日食」で、話が弾んだ。