羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

瑠璃も玻璃も照らせば光る

2012年05月27日 07時56分18秒 | Weblog
 昨日の朝日カルチャー「野口体操」では、このテーマで話をすすめた。
 先週から“ミネラルフェア週間”として、第25回「東京国際ミネラルフェア」の事前準備を始めている。
 いよいよ今週、6月1日から始まる。

「瑠璃も玻璃も照らせば光る」
 その意味を広辞苑にたずねれば《つまらぬ物の中に混じっていても、素質のすぐれたものは光を当てれば輝いてすぐ分る》とある。
「瑠璃」とはラピスラズリで「玻璃」とは水晶のこと。
 因みに、「水晶」、石英(quartz)、二酸化ケイ素(SiO2)が結晶してできた鉱物。六角柱状の綺麗な自然結晶。無色のものを水晶(rock crystal)と呼ぶ。石英は地殻を構成する非常に一般的な造岩鉱物で、火成岩・変成岩堆積岩のいずれにもしばしば含まれる。水晶としては花崗岩質ペグマタイト・熱水鉱床などに産出する。石英はモース高度7。ガラス光沢。条痕白色。比重2・7。蛍光なし。
 
 さて、レジュメを
※『野口体操 自然直伝 野口三千三語録』柏樹社 参照
 *「生命を遡り 石と語る」
  『無数の巨大隕石の衝突によって、原初の地球は誕生した。その後も、絶えず隕石などの宇宙物質が注ぎ込まれて地球は成長し、その地球の初期には、生命体はなかった。つまり、岩石・鉱物などの無生物から生命は生まれた。岩石・鉱物は地球型(炭素系)生命体の母であり先祖である。岩石・鉱物は地球の歴史の証人であり、化石は、地球生命の血統・系図を示している。そこで「生命を遡り石と語る」が朔る。からだは、地球物質の循環の一断面であり、岩石・鉱物もまた同じ。この物質のそれぞれは、地球四十六億年の歴史の創造に参加し、今もその創造は続いている。』野口三千三
 
 *『石 戦終わりて無為の日のみつづく。 
   石の眠りは深くして、 花落つれども、ただ、しづか、石の眠りは昏くして、雨ぬらせども、ただ沈黙(しじま)。  
   摩(さす)りつおもふ、石の夢、ほのむらさきの土の底、三檣舟(さんしゅうせん)のゆくありて みどりの波も咽(むせ)ぶらむ。  
   老鶯(おいうぐいす)の鳴く庭に、石としたしむ、ひぐれどき、生と無生のへだたりに こころ音なく沈むとき。
   石の眠りは深くして、花落つれども、ただ、しづか、石の眠りは昏くして雨ぬらせども、ただ沈黙。』
    西条八十 注:檣(ショウ・ジョウ ほばしら 帆柱)
 
 *野口体操が目指す「生命体操」の発想は、無生物と生物の間に区切りをもうけるものではない。生あるものにだけに価値をおくのではない。時間・空間を遡り、森羅万象全てが等しく関わりをもち、相互に関係を保ちながら、自然に内在する地球の息吹きを感じ取ろうとする営み。
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