元禄の御世、松尾芭蕉はここ金福寺を訪れ、住職と風雅の道を語り合い親交を深めた。
爾来、芭蕉に心酔した住職はこの地にあった草庵を「芭蕉庵」と称し、遺徳を偲んだ。
芭蕉庵と表示された金福寺の通用口。
いかにも俳句の世界に通じる感が漂う。
何でもない灯籠だが、芭蕉所縁と思えば一幅の価値あり?
芭蕉庵はお庭共々管理が行き届いているのは流石、故事来歴が今日をささえる?
芭蕉庵なのに、なぜか与謝蕪村の墓が大切に管理されている。
芭蕉庵創建後、85年が過ぎたころこの地を訪れた与謝蕪村は、荒廃した芭蕉庵を再興し「芭蕉再興記」を奉納した。
これが蕪村と当時の縁である。
金福寺本堂を芭蕉庵から…
修学院離宮を訪ねた今回の旅も、叡山電鉄「一乗寺駅」で終わりを告げた。
帰途、吉川英治作:宮本武蔵「一乗寺下り松」で有名な地を通った。
京における剣の名門:吉岡一門を、この地で打ち破った武蔵。名残の場所も今は住宅地の一画に埋もれる。
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