もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

苗木城Ⅱ

2017年12月15日 | 歴史探歩

新百名城に選定された影響か、結構観光客が多い。

 

大矢倉と命名された場所だが、平な部分はほとんどなく、どのような矢倉構造であったか想像できない。
それにしても複雑な石垣構造なので、小矢倉が連結されていたのかな?

 

?自然石との融合が第一課題だった郭造り?

 

搦手側の登城道にはほとんど石垣は築かれていない。
急峻な山肌を削っているのみ。

 

東農きっての秀峰:恵那山が指呼の位置にある。

 

石垣の積み方は荒く、決して優美ではないが、この場所は切り込み接ぎが施されている。

 

苗木城内では最も広い平地と見える二の丸跡、現在発掘中?

コメント
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