今日はライナーを外したコートで、帰りの時間はボタンを止めずに歩けるほど暖かくなった。どうやら本格的に春になってきたようだ。
晩飯は南行徳メトロセンターのやよい軒。節電で天井の電灯も3分の1ぐらいに減らしていた。食べたのは肉野菜炒め定食。料理を写すと、カメラのオート機能で少し明るめに写るが、目で見た感じはもうちょっと暗い。
カウンター席の反対側との仕切りは内部に蛍光灯が入っているが、それも消されていた。これが消えていたのが、暗いという印象を強くしていた。
本屋で今日発売のデアゴスティーニの東宝特撮映画DVDコレクション「世界大戦争」を買う。
1961年(昭和36年)、自分が生まれた年に作られた映画。第三次世界大戦が起こって核ミサイルの射ち合いになり人類が滅亡してしまうという話。市井の人々と世界情勢を並行して描いている。初めて見たのは高校生か大学生のときだから1970年代後半から1980年代前半にかけての時期。そのとき2つのことを感じた。
驚きと落胆。
驚きのほうはというと、人類が滅亡してしまうラスト。
「『ノストラダムスの大予言』でもここまでやらなかったのに...」
と驚いた。
1999年に人類が滅亡するというノストラダムスの大予言(結局は当たらなかったが)は、1974年(昭和49年)ごろ、ブームになった。自分が読んでいた中学生向けの学年誌(みんな廃刊になってしまったが、旺文社の『中×時代』や学研の『中×コース』があった。)にも特集が載って、
「君は40歳まで生きられない」
などと書いてあったりした。中学生ぐらいの歳だとけっこう本気で心配したりした。
同じ年には東宝が映画化した。その中で人類の滅亡は登場人物たちの空想として描かれるだけで、実際に滅亡するのを描いたりはしていない。1974年から25年後のことだから、起こるにしても、まだだいぶん先のことだというのもあっただろう。滅亡に到る大きな原因は環境問題の悪化だった。当時は世の中、寝ても醒めても「公害!」、「公害!」の時代。ゴジラが公害怪獣と戦う「ゴジラ対ヘドラ」(1971年)(→3月1日の日記)からもわずか3年後だ。映画のラストは予言が現実にならないように危機を訴えて終わるものだった。ちなみに、映画「ノストラダムスの大予言」は、昔の映画によくある「現在では不適切な描写」が多く、あちこちからクレームがついて封印されてしまい、テレビ放映もソフト化のされていないし、デアゴスティーニのシリーズにもラインアップされていない。
映画やテレビドラマ、小説などはそれが生まれた時代の世相を反映するというけれど、人類が核戦争で滅亡する映画が作られたのは、その時代の人間に強い不安があったからだろう。一つ思い出すのは、大学のときのある先生のこと。学外から講師として来ていた人だったが、その人の若い頃の話で、どんなに努力して勉強なんかしていても、いつ原水爆が頭の上に落ちてきてみんな死ぬかもしれないと不安に思っていたといい、
「あなたたちはそんなこと感じないの?」
と言っていた。
こちらもその人がどうしてそんなことを感じるのかは当時、分からなかった。先生と生徒という関係だから、別に突っ込んだりはしなかった。その先生が若い頃は、アメリカとソビエト連邦が対立し、武力による戦争にはならなかったが、冷戦と呼ばれていた時期になる。当時の日本人は核戦争に対する不安が相当に強くあったようだ。冷戦と言っても、自分が生まれる前から、ものごごろが付くか付かないかぐらいの時期だから、言葉しか知らない。1970年代になるころ(自分が10代に入る頃)には、冷戦も緩和してきたようで、もうそれほど不安の対象ではなかった。
それよりも1970年代から1980年代に始め頃は、不安を引き起こす怖いものは公害と過激派だった。公害問題はどんどんひどくなって、身体に害を及ぼすとか、ノストラダムスの大予言が本当になってしまうのではないか不安を掻き立てるものだった。
1970年前後の時期、自分より10歳から15歳程度上の年代は大学生ぐらいだが、やたらと政治的な主張をして学生運動というのをやっていた。そして学生運動から過激派が生まれ、世の中を震撼させるテロ事件を次々に起こした。日本初のハイジャック事件(よど号ハイジャック事件)、連合赤軍という集団が生まれ、銃器などで武装して警察に追われ、山荘の管理人の妻を人質に立てこもり警官隊と銃撃戦をして何人も撃ち殺したあさま山荘事件(これは映画にもなっている)。そして、追い詰められて、仲間内で大量のリンチ殺人を起こした事件。1974年の8月末には過激派が東京丸の内のオフィス街で爆弾を爆発させ、多くの死者を出す惨事となった(三菱重工ビル爆破事件)。テロだけでなく、過激派どうしで対立する集団ができ、鉄パイプを手に集団で相手を襲って殺すという内ゲバ事件も頻発した。時には、相手を間違えて無関係な人間を襲うことも発生した。
自分が中学から高校、大学のころは、核爆弾が落ちてくることより、こうした狂った集団が起こす事件の巻き添えにいつどこでなるかもしれないというのが、よほどリアルな恐怖を感じさせる不安としてあった。大学生ぐらいの若い人間で政治的な話をするやつは危険極まりないというのが、当時の自分と同年代の感覚だっただろう。
もうひとつの落胆のほうはというと...
核戦争が起こって、世界の主要都市が次々と破壊される場面。
核爆弾が爆発して↓
実はこの世界の主要都市破壊の映像は、「世界大戦争」を初めてテレビ放映で見る以前から見ていた。
どこで見たかというと、「ウルトラセブン」の最終回「史上最大の侵略(後編)」。ファミリー劇場でデジタルりマスター版「ウルトラセブン」が去年から放映されてきて、ちょうどいいタイミングで前の土曜日が最終回だった。
ゴース星人が攻撃を命令し、
先端にドリルが付いた地底ミサイルで、人類が無防備な地底から世界の主要都市を攻撃。
そして世界の主要都市が次々に破壊されていく。
その映像が実は「世界大戦争」で作られたものを使っていたのだ。
「ウルトラセブン」では東京は攻撃されなったので、場所が東京だとはっきり分かる、国会議事堂が吹っ飛ぶシーンは使われなかった。でも、東京が紅蓮の炎に焼かれていく場面は、場所が分かるわけではないので、使われていた。
最終回は、それまでの戦いのダメージで体がボロボロになったウルトラセブンが、最後の戦いを終えて地球を去るという話で、とにかく涙ものの内容だった(と言いながら、初回放映では最終回を見逃し、再放送も1回目ではまた見逃し、2回目の再放送ぐらいでやっと見たのだが)。世界の都市が次々と破壊されるシーンは、よくここまでの映像を作ったと感嘆した。感動の最終回のために、製作スタッフが最後の力を振り絞って作った渾身の特撮映像だと思った。つまりは、満身創痍で最後の力を振り絞って戦うウルトラセブンのイメージと重ね合わせていたわけだ。
小学生のときの勝手な思い込みだったのだが、この特撮映像が東宝特撮映画からの流用だと知ったときは、がっくりときてしまった。
ウルトラシリーズの円谷プロダクションを立ち上げた円谷英二は、それ以前から東宝で特撮監督をやって、「ゴジラ」などを作ってきた人だから、東宝とのつながりが強いので、特撮映像が流用できたのだろう。ただで使わせてもらったか、多少は使用料を払ったかどうかまでは知らないが。「世界大戦争」の都市破壊場面は、ついこの前、やはりファミリー劇場で放映している「ウルトラマン80」でも出てきた。「ウルトラマン80」の未見だったエピソードで、第45話「バルタン星人の限りなきチャレンジ魂」。ご町内の子供たちをいがみ合うように仕向けていたバルタン星人が、それが大人に広がり、やがて地球上の国どうしに広がり、人類が戦争で自滅することを夢想する場面で登場した。ご町内から始めて人類滅亡を目指すとは、ずいぶん気の長い話だが。
「ラドン」も「ウルトラQ」の「鳥を見た」や「甘い蜜の恐怖」で使われている。他にもいろいろとあるだろう。