東京電力の計画停電(輪番停電)で、行徳地区がどのグループに入るか、なかなかはっきりした情報がなかったが、ほとんどが第5グループで一部が第2だったようだ。市川市北部は第2が中心だが、総武線の南側がどうも第5のようで、江戸川放水路が境界になるのではない。
朝は6時20分からさっそく始まるのかと思っていたら突然、中止というニュースが流れた。そのまま第4までみんな中止。午後3時20分から午後7時までの第5は、茨城や静岡といった東京周辺と比べて人口の少ない地域でだけ停電実施になったとのこと。
今日はデパートなど大規模店が休業したり、メーカーで工場を休んだりしたところがあったそうだし、鉄道も運休とか本数削減をやっていた。大震災後すぐなので、世の中がみんな縮こまっているような状態だ。それで、電力需要が抑えられたのではないかと想像する。でも、企業などもいつまでの縮こまったままというわけにはいかないから、やがて電気を使うようになると、計画停電をちゃんと実行せざるを得なくなるのではないかと思う。
今朝は起きてニュースを見て、鉄道の運休とか本数削減のことを知る。鉄道関係は通常とほとんど変わりないのではと思っていた。南行徳はいつもの朝より10分程度早く着いたが、ホームへ出ても来る電車はみんな満員で、数本見送ってやっと乗れた。本数が減った状態での数本なので、30分程度は待った。その間にも人がどんどん来るので、改札制限も行なわれていたようだ。会社でも、家の場所によって昼近くに来た人や、昼過ぎにもう帰る人もいた。そのように柔軟に対応していた。
自分も帰りは定時に即行で帰る。おかげで、満員だったが、来た電車にすぐ乗れた。
南行徳を降りると、駅の周りが暗い。停電ではなく、いくつかあるパチンコ屋が休みのため。写真のパチンコ屋は明るく写っているが、まだ午後5時台だったし、カメラのオート機能も働いたため。実際の感じはもっと暗いと思えた。そして、パチンコ屋のとなりのなか卯も休業していた。
メトロセンター内も休業してシャッターを下ろしている店が目に付く。松屋は天井からの電照看板は明かりがついているが休業だった。
ラーメンの花月は開いていたので、今日の晩飯は花月で。
メトロセンターを行徳方向に歩いて行くと、決してシャッターが降りた店だけでなく、開いているところも多くあった。一番行徳寄りのスーパーナカムラヤも開いていた。
しばらくは平日は今日のようなパターンの生活が続きそうだ。
昨日の夜あたりから、テレビや新聞で地震関係のニュースを見たり読んだりするのが辛いと思えるようになって来た。津波から九死に一生を得て助かった人のインタビューで、一緒にいた家族は津波に飲まれて行方が分からないといった話を聞くと、こちらも悲しくなって気持ちが沈む。
箱根の山の上で地震に遭遇してから、ずっと気が張り詰めた状態、別の言い方をすればテンションが上がった状態になっていた。周りにいた若い人間が、
「こういうときは、テンションが上がるよね。」
と言っていた。これは、危険な状況に遭遇したときに、自分の身の安全を確保し、生命を守るために、人間の動物としての部分が働くからだろう。また、そういうときは感情を抑えるようにも身体が、というか脳が働くようだ。だから、なんとか宿に着いても部屋ではテレビをずっと見ていられた。晩飯のバイキングは、地震が発生する前から準備していたものだから、時間になったらちゃんと用意されたが、やたらとムシャムシャ食べてしまった。これも生命を維持するという本能が強く働くからか。
そして、家に帰って本棚が倒れていたのに驚き、片付けをして、昨日は転倒防止の応急処置をして一段落着き、ハイテンションの状態も落ち着いた。すると、ニュースから伝わってくる悲惨な状況が自分の感情にどんどん訴えるようになってきた。
それで、やっと意識に上ってきたのだが、これをまだ言っていなかった。
被災された皆さんに心よりお見舞い申し上げます。