行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2011年8月31日(水)の日記

2011年08月31日 | 日記

台風12号は2,3日前の予報だと関東直撃の予想コースが出ていたが、徐々に西にそれているようで、今日の予想だと関西に行きそうだ。親は6年前に40数年住んだ一戸建てを売って、頑丈なマンションに引っ越しているから、その点では特に心配ない。

晩飯は南行徳メトロセンターの天善かつ壱番屋へ。

梅定食(海老フライ、チキンカツ、クリームコロッケ)を食べる。

昼頃から雨という予報だったので、折りたたみでない大きい傘を持って行ったが、一向に雨にならない。結局、はずれかと思ったが、晩飯を食べてから歩いていくと降り出した。でも、折り畳み傘でもいいぐらいの雨だった。台風がもっと近づいてくる明日はそうは言っていられないだろうけど。

今日はダンベルエクササイズ。下半身メニューをやる。


2011年8月30日(火)の日記

2011年08月30日 | 日記

金曜日あたりに台風が関東に来る可能性が高まってきた。その前に明日からは雨になって、気温は下がるが湿度が高くなるらしい。今日は夜に雨の可能性ということで、折り畳み傘を鞄に入れていこうかどうか迷ったが、入れて行くことにする。昼間は晴れだったが、降り出しは午後7時ごろ。ちょうど家の手前に来たところに、細かい雨が降り出した。傘は使わずに済んだが、持って行ったのは正解だった。そして、これを書いている午後10時すぎの時点では、本降りになっている。

晩飯は南行徳メトロセンターの一心亭盛岡冷麺の大辛を食べる。

今年は去年みたいに暑さが続かないようだから、いろんなところの冷しメニューもそろそろ食べ納めかもしれない。


2011年8月29日(月)の日記

2011年08月29日 | 日記

夏休みが終わって第一日目の出社。またいつものように朝の電車に乗る。

気温が下がったり、秋らしい雲が浮かんだりした昨日と一昨日の天候のせいか、もう9月になったかのように錯覚してしまった。会社に着いて、卓上カレンダーを見て、あらためて今日はまだ8月であることを認識した。

最初は、休み中に来たメールをチェックするが、徐々にいつもの仕事に戻る。

晩飯は南行徳のやよい軒で、8月末まで100円引きになっているビーフステーキ定食

肉でパワーを補充し、夏休み期間中、休んでいたダンベルエクササイズも再開する。今日は上半身メニュー。


2011年8月28日(日)の日記

2011年08月28日 | 日記

前の土日は夏休み入りと同時に会津旅行に行ったので、掃除などは全然やっていなかった。今日は掃除もやって、それに家に置いておいた洗濯物も片付ける。

トップページレポートは先週は休みにしたし、今日は季節もののショートレポートを作ってUPすることにした。朝、コンビニに行ったときや、洗濯物を干しているときに空を見たら、秋の雲が浮かんでいる状態。なら、これをネタにしようと昼飯と買い物ついでにカメラを持ってお買物自転車で出かける。

昼飯は行徳駅前のマクドナルドてりやきバーガーセット

そのあと行徳駅前で何枚か写し、それから行徳駅前公園へ。

そして野鳥の楽園へ。

すっかり秋の空になっていた。去年は酷暑というぐらいの暑さが9月に入っても続いていたが、どれぐらい続いたのかと、この日記の去年の9月分を見たら、9月20日を過ぎる頃まで暑かったと書いてあった。確か、10月に入ったころだったか、急に涼しくなってきて、あわてて長袖のものを出したと思う。それぐらい、異常な暑さだった。それに比べたら、今年は平均的な季節の進み方なのだろう。

トップページレポートには行徳駅前で写したのを使う。季節ものだと、公園や、野鳥の楽園や川や海が多くなるが、ワンパターンになってしまうので、今回は駅前という街の風景にした。夕方にはUP。

アルコール類を多く飲んだ翌日は、なぜか朝飯、昼飯のときより晩飯のときのほうが食欲がなくなる。軽めの食べ物のほうがいいと、南行徳駅前まで行ってなか卯へ入る。ざるうどんにしようかと思ったが、ちょっとあっさりしすぎと思ったので、鴨つけうどんにした。それぐらいが、ちょうどよかった。


2011年8月27日(土)の日記

2011年08月27日 | 日記

午後4時半ごろに東京駅に着く新幹線で帰ってくる。昨日の午後には東京に局地的大雨があって、新幹線が東京と新横浜の間で運転見合わせになり、終列車まで混乱したとニュースで聞いていた。だから、今日はちゃんと東京駅に着くか心配だった。小田原を過ぎて新横浜に向かう途中、北西の方向に黒い雲が出ていたから、やばそうだと思ったが、新横浜に着く頃には曇りでも明るめの空になっていた。雨が降っているようすもなかった。

品川の手前はこんな感じの空。右のほうは大崎駅前のビル。

南行徳には午後5時ちょっと前に着いた。ちょうど真上のほうに青空がのぞいていた。他の方向には雲が出ていたが。

東京駅を降りてから、浴衣姿の若い女性が目に付いた。何かのイベントがあるのかと思ったら、今年は今日が隅田川花火大会だった。天気もこの分ならまず大丈夫だろう。

家に帰って荷物を片付け、ノートPCのデジカメ画像データなどをデスクトップPCへ移す。そのあと、午後7時をすぎて、香取にある房州料理のきふねに行く。

この前、ママさんから連絡があったのだが、この店は8月31日で閉店する。それで、今日行くと伝えておいた。きふねがあるのは行徳と南行徳のちょうど中間を通る香取通り沿い。1階が店舗用になっているマンションで、飲食店は以前はきふねのほかに居酒屋が2軒とお好み焼き屋が1軒あったが、もうみんな閉店してしまった。飲食店以外は床屋や住宅設備工事の会社などが入っていたりするが、夜になるとシャッター通りにきふねだけが1軒残っている状態。

ママさんもこれではさすがに続けるのはきついということで、閉店を決めたとのこと。ここは駅と駅の中間で、条件が悪いということもあるが、長いことなじんだ店が次々にやめていく。今年はそういう年なのだと考えるしかない。

お通しと最初は生ビール。

馴染みのお客さんたちには閉店の連絡を入れ、最後のサービスということで、夏休みの期間にママさんの郷里の南房総へ行って、サザエやアワビを仕入れてきたということ。なので、今日はサザエ、アワビも含めて房州の名物料理をあらかじめ頼んでおいた。
まず登場はなめろう

そして、サザエ刺し

サザエの肝は別の小鉢で。

ビールのあとはレモンハイを2杯。

そして今日、大奮発して食べることにしたアワビ(黒アワビ)。1人前がそれほど高い値段にならない小さめのアワビは、ホテルや旅館が押さえているので、仕入れてこれるのは大きくて値段も高くなってしまうものしかないということ。なので、これまでこの店では一度もアワビを食べたことはなかった。今日ので9,800円。だから、これがきふねで食べる最初で最後のアワビ。
料理法はいろいろあるということだが、ママさんおすすめのアワビの水貝で食べる。

アワビのコリコリ感を味わうにはいい食べ方だ。レモンハイ2杯のあと、ハイボールを1杯飲む。

南房総で仕入れてきたサザエやアワビが入っている水槽。ママさんは仕入れに行くときは自分で運転して行くとのことで、開店当時からそれがウリだった。

閉店前最後なので、そのパワフルなママさんも1枚写させてもらう。

なお、きふねは8月末で閉店だが、ママさんは家が浦安なので、浦安のもっと条件のいい場所で店をやりたいと、場所を探していると言っていた。まだ、浦安の元町地区か新浦安のほうかも決まっていないし、きふねの閉店後に片付けもしなくてはならないということだから、実現までは、ある程度時間はかかるだろう。早めの時期に決まるか、数ヶ月かかるかもまだ分からない。できれば、また「きふね」の名前を使いたいとも言っていた。オープンが決まったら連絡すると言っていたから、そうしたら行ってみることにしよう。


2011年8月26日(金)の日記

2011年08月26日 | 日記

前から夏休みで大阪に来たときは、一回、行ってみようと思っていた国立民族学博物館へ行く。場所は1970年(昭和45年)に万国博が行われた跡地の万博記念公園内。

地下鉄御堂筋線の延長の北大阪急行電鉄(東京メトロ東西線の延長が東葉高速鉄道であるようなもの)の終点・千里中央まで行って、さらに大阪モノレールに乗り換える。

このモノレールは20年ちょっと前にできたものだが、乗るのは今回が初めて。中央環状線という幹線道路沿いに走っている。中央環状線は東京で言えば、環状七号線(環七通り)に近い。大阪市の中心部から10キロ~20キロ程度のところをぐるりと回るルートの道。大阪万博にあわせて作られた道路ということだけど、自分が小学校高学年ごろには、この道路沿いに堺までモノレールを走らせる構想を耳にしていた。でも、それから40年程度経っても、開通しているのは伊丹空港から門真の間と、万博記念公園のところからニュータウンへの枝線だけ。構想はあったが、採算が取れそうなところでないと実際に建設して走らせるのは難しいのだろう。

万博記念公園駅で降りて、中央環状線を渡り入り口へ。ここへ来たのは万博以来41年ぶり。万博のシンボルだった太陽の塔は今も健在。万博記念公園というが、この先の入り口から入るのは自然文化園。

自然文化園と民族学博物館の関係はややこしく、万博記念公園駅から民族学博物館へ行くには自然文化園の中を通らなくてはならない。そして、自然文化園は入場料がいる。でも、自然文化園ゲートの切符売り場では民族学博物館の入場券も売っていて、それを買えば自然文化園の入場券を買わなくても通行可能ということ。

要は、民族学博物館へ行こうにもほかに道がないので自然文化園を通らざるを得ないのに、入場料がかかるのは殺生だから免除しましょうということなのだが、民族学博物館サイトで上のようなこと書いてある説明は、一度読んだだけではなかなか分からない。

民族学博物館の入場券を買って自然文化園に入り、太陽の塔の正面へ。今は芝生になっている場所も、万博のときはイベント広場で大屋根が設けられていた。

自然文化園を抜けて、国立民族学博物館へ。

個人使用のための写真撮影はOKとのこと。つまり、個人のWebサイトやブログなどで使うものも写してよい。ただし、三脚の使用はだめ(おそらく他の入場者の邪魔になるからだろうと思う)。今回は写すより見るのが目的だから、ブログにこんな雰囲気の場所というのを載せるための1枚だけを写す。

今回は常設展示を一通り見る。入ったのは10時45分頃だったが、ある程度はゆっくりと見て、午後1時を回った頃に見終えることができた。

そのあと、館内で昼飯。レストランみんぱくに行く。

民族学の博物館ということだからだろう、エスニックのメニューがいろいろとある。その中から、ナシゴレンを食べる。

といっても、本格的なエスニックレストランのようなものではない。それでも、この種のメニューの一昔前と比べたら、味も進化はしているようだ。ただし、この手の施設の食べ物は高い。今回、食べたもので900円。

民族学博物館を出て、EXPO70パビリオンというのがあるので行ってみる。途中で、お祭り広場を通る。ここは万博のときにもイベント広場の一部だった。太陽の塔正面の今は芝生になっているところからこの広場まで、当時は大屋根が設けられていた。そのモニュメントが残されていた。

EXPO70パビリオン。万博のときは鉄鋼館というパビリオンだった建物は残されていて、今は記念館的な展示に使われている。自然文化園とは別に入場料200円がいる。

太陽の塔とその後ろのイベント広場に架かる大屋根の模型が展示されていた。展示は撮影可能だが、照明を暗めにしている場所が多く、フラッシュ撮影はダメだということ。

模型の手前が万博の期間だけ北大阪急行電鉄が路線を延長して設けていた、中央ゲートへのアクセス駅。中央環状線道路の上下線の間にあった。次の写真で、右のほう、モノレール車両の上に見える高速道路の料金所のあたりが、模型との対比からいって、改札や切符売り場だったことになる。

今の大阪モノレールは中央環状線の南側を通っている。

EXPO70パビリオン内は万博のときの資料を展示。

万博で案内係などの仕事をしていた女性たちは、今ならイベント・コンパニオンということになるのだろうが、当時の呼称は「ホステス」だったそうだ。今の感覚で「ホステス」というと水商売のイメージになってしまうが。
その万博ホステスのユニフォームが展示されていた。

1960年代後半から1970年代の前半(和暦だと昭和40年代)に、世界的に若い女性にミニスカートが流行したが、当時のユニフォームは大部分がミニ丈。男としては、この展示にはやっぱり目が向いてしまう。でも、万博当時の自分は小学4年生。まだ思春期に目覚めていなかったので、万博ホステスのユニフォームにも、街で見かけたり、テレビ画面で見かけるミニスカートの女性にも興味は湧かなかった。そういうものが急に気になり始めたのはその2年後の小学6年のときだった。

万博のパビリオンのペーパークラフト展示。

左下の尖った先端を持つ建物がソ連館。右上の巨大ドームがアメリカ館。万博は見に行ったが、どちらも超人気パビリオンだから、待ち時間が長くてとても入れなかった。

ちなみに、大阪に住んでいながら自分が万博を見に行ったのは1回だけだった。学校が夏休みに入ってすぐの7月下旬に家族で出かけた。父親が学校の先生をしていたので、夏休み期間なら平日に行くことができた。でも、やはり夏休み期間はそれなりに人も多い。主だったパビリオンで入ることができたのは日本館ぐらいだった。それ以外は、どこに入ったかよく覚えていない。晩飯も万博会場で食べたが、どこも混んでいてやっと入ることができたのが確かポルトガルのレストラン。味は本場のだったのだろう。でも、本場の外国料理を味わって楽しかった覚えはない。小学4年(9歳か10歳)ぐらいの舌では、受け付けることができなかった。変な味でとても食べられなかったということしか覚えていない。今なら、エスニックを大いに楽しむのに。

この種のイベントの帰りの電車やバスなどの乗り物はだいたいが超満員。1日見て回ってくたびれた小学生の子供にはやはりきつかった。親だって子供2人を連れて行くのは大変だっただろう。妹は小学校へ上がる前の年だった。そして、その後、開催期間が終わるまで、家族の誰も、また万博に行こうとは言い出さなかった。


2011年8月25日(木)の日記

2011年08月25日 | 日記

今日は休養日にする。親の家で、持って行ったDVD・・・録画した映画をダビングしたものや、デアゴスティーニの東宝特撮DVDで時間が長いから一度しか見ていない1959年作品の「日本誕生」をゆっくりと見る。録画した分も含めて昔の邦画。親も一緒に見るにはそういう作品のほうがよさそうだ。

晩は親と一緒に、しゃぶしゃぶのチェーンの店に行き、

しゃぶしゃぶを食べてくる。

親もやっぱり年だし、自分が何日かいる間、毎食、いつもより一人分を余分に用意するのもしんどいから、1日ぐらいはこういうところでゆっくりしたいようだ。


2011年8月24日(水)の日記

2011年08月24日 | 日記

JR大阪駅の北口に大きなビルができ、駅を覆う大屋根もできたが、その北口ビルはデパートやファッションビルだけでなく新しくシネコンもできているというので、今日は朝から映画を見に行く。

これまで高架下の改札しかなかった大阪駅に、ホーム上の通路と改札ができていた。

改札を出て、北口の新しいビルへ。

北口側はほかにも新しい大きなビルが工事中だった。相当に大規模な再開発のようだ。

大阪駅北口の新しいビル11階まで上がると、大阪ステーションシティシネマというシネコンができている。両親はすでに「コクリコ坂」を見に来たと言っていた。どんどん年を取ってきているが、新しいシネコンに行ってみたりしてるのだから、まだまだ元気だ。

ネット予約しておいたので発券機でチケットを受け取る。タッチパネルは軽いタッチでは反応が鈍い。2回ぐらいやり直した。

見た映画はツリー・オブ・ライフ
一応、家族の相克がストーリーとしてあるが、哲学映画というか宗教映画という雰囲気の作品。もっとも、映画評をあらかじめ見て聞いていたことだが、どんな難解な映画か見るだけは見ておこうと思っていた。

ストーリーはあっても、ずっとイメージ映像が流れているような感じ。特に最初のほうに、宇宙の誕生、地球の誕生、生命の誕生、恐竜の時代が映し出される。まるで科学博物館で上映される教育映画を見ているような気分になった。部分的には、「2001年宇宙の旅」で未知の力に運ばれていくスペースポッドの窓から見える光景のようだったり、「ジュラシックパーク」みたいだったりするが。主人公や家族がそうした悠久の時間の中に存在するというのは、東洋の思想みたいで分からないでもない。

でも、唯一絶対の神に帰依して生きる母と、神から離れ世俗に生きる父が主人公にとって対立するようにいて、ラストがまたみんな一緒になるというのは、哲学でいう止揚のようなものだということかも知れないが、八百万の神様という宗教観がある日本人にはピンとこない内容だ。

映画を見終わって出てきたら、目の前が展望テラスだった。

三越伊勢丹が入っているが、どんな感じか見つつエスカレーターで降りて、南口側へ向かう。

阪神梅田駅脇に昔からある地下通路。

去年の夏休みにも来たが、細い通路のぶらり横丁にある串カツの七福神に今年も入る。

飲み物はまず生ビール。

串カツはまず盛合せの6本セットから。

そのあと、アラカルトで6本注文。ビールのあとは焼酎をロックで。まずは赤薩摩、次はさつま白波

次にまた5本注文して終わり。焼酎はむぎのかを飲んで締め。

地上に出て阪急百貨店のほうを見ると、ビルが建て変わっていて、超高層ビルもできていた。まだ、工事中の建物もあった。

ひとつ気になったのは阪急グランドビル。1977年(昭和52年)(自分が高校生だったころ)に完成した大阪初の超高層ビルで32階建て。今では大したことのない高さだが、日本初の超高層ビルだった東京の霞ヶ関ビル(1968年完成)も36階建てだから、1970年代は30階を超えていたら十分に超高層だった。

そのビルが上の写真を写した側から見えなかったから、解体でもされてしまったのかと思ったが、反対側に回るとちゃんとあった。隣にもっと高いビルが建ったので、もはや超高層という感じは全然しなくなった。

このビルは各階にビルをぐるっと一周するベランダを持つかのような設計となっている。これは、日本家屋の深い軒と同じ発想で、夏の高度が高い太陽からの強い日差しを遮り、冬は高度の低い太陽の日差しが入るようにして、冷房・暖房のエネルギーを節約するためと、完成当時、報じられていた。そのような設計になったのは、1973年(昭和48年)の第一次石油ショック後の、とにかくエネルギー節約という時代背景によるものだ。

アルコールが入っていい気分になったからか、阪急梅田駅から電車に乗ってしまう。

でも、神戸や京都、宝塚まで行くと、帰りが遅くなるので、京都方面へ少し乗ったところの淡路という駅で降りて、そこから地下鉄堺筋線に直通するほうへ乗り換える。そして、日本橋で降りる。

大阪の日本橋は「にっぽんばし」。

日本橋から千日前通りの地下を、2本の通路が平行して地下鉄四つ橋線難波駅まで延びる地下街-かつての虹の街地下街、今はなんばウォークを歩いて南海難波駅へ。

なんばウォークの日本橋側や、四つ橋線難波駅側には飲み屋が多い。立ち呑みの店もあるし、串カツ屋もある。難波付近で映画を見たら、そのあとはこういうところで昼呑みするのもいいだろう。

地下鉄御堂筋線のコンコースから南海難波駅への階段。

この地下鉄の階段広告、子供の頃から見ているから別にどうとも思わないが、関西以外から来た人は驚くらしい。

南海難波駅のショッピングゾーンのなんばCityをぶらぶら歩いて、南海電車で帰る。

なんばCityの本屋で見つけた「堺市Walker」を買って帰る。

別にこれを見て、今回の夏休み中に堺市内のどこかに行こうと思ったのではない。中をパラパラッと見てこの記事に驚いたから。堺の臨海工業地帯の工場夜景を取り上げた記事。

工場夜景を楽しむ人間が増えているというのは、全国的なものらしいが、自分が子供の頃にはとても考えられなかったことだ。自分が10代だった1970年代は、テレビや新聞で「公害」という文字を見ない日はないという頃。臨海工業地帯の工場などは悪のシンボルのように思えていたし、そんなところには空気が汚くて健康に悪いから、近づくべき場所ではないという風潮だった。30年の歳月で、時代がすっかり変わったようだ。


2011年8月23日(火)の日記

2011年08月23日 | 日記

朝はちょっとゆっくり目に起きて、新大阪に午後1時ごろに着く新幹線で大阪の親の家に向かう。朝飯は南行徳駅前のドトールコーヒーで食べた。

新大阪で降りてから昼飯と考えていた。たしか、新大阪の新幹線改札内にはやよい軒もあった。ところが、着いてみると新大阪駅は改良工事中。やよい軒はなくなっていて、新幹線改札内にはラーメン屋とスターバックスぐらいしかない。在来線乗り換えコンコースにも喫茶・軽食の店しかなかった。

しょうがないので、東海道線に1駅乗って、大阪駅のホーム下に何軒かある食べ物やに入る。カレーライスを中心に、串カツやアルコール類も出す るう~ という店。

入り口の看板にはカツカレーと書いてあって、それがウリなのかと思ったが、店内にはいろいろとお品書きが貼られていた。

その中で目に留まったコロッケカレーにする。

注文が入ってからコロッケを揚げるということで、出てくるまで5分ぐらいかかった。揚げたてのコロッケは、商店街の肉屋や総菜屋のコロッケのような懐かしい味だった。

昼飯のあと、親の家へと向かう。着いて、一休みしたら早速、休みのとき恒例だが、母親のパソコンの面倒を見る仕事に入る。去年の秋に前のパソコンが旧に寿命となったこともあって、正月の休みのときに外付けハードディスクを買ってきて取り付け、自動バックアップの設定をした。ところが、母親は相変わらず階層構造のファイルシステムが理解できないので、デジカメのデータはみんなここへ入れてくれと言っておいたフォルダと、同じレベルの階層に新しいフォルダを作ってデジカメデータを入れている。そういうのはみんな外付けハードディスクにバックアップされていなかった。でも、そのフォルダ階層はWindows7のライブラリのピクチャのところだから、一応、画像はピクチャに入れるというのはできている。なので、自動バックアップの対象フォルダもピクチャに設定変更して、とにかく一回、バックアップを実行する。

夕方までそうやって、パソコンの面倒を見る。


2011年8月22日(月)の日記

2011年08月22日 | 日記

昨夜は地酒を四合と、最近ではあまりそこまで飲まない量をのんで気分もよくなった。久々に喜多方の地酒がいろいろとある店に来たからだろう。さいわい、気持ちが悪くなることもなかった。だけど、宿の部屋に戻って、着替えもせずに布団のうえに寝転がったら、そのまま寝てしまい、目が覚めたら午前2時だった。あわてて、浴衣に着替えて、あらためて床に入る。今朝は、酒が残っているという感じはしなかった。

宿の朝食。ご飯は喜多方産コシヒカリとのこと。

天気は昨日と似たような感じ。最初は本降りの雨で、宿を出る午前9時ごろには上がった。写真は喜多方駅近く。路面はまだ濡れている。

列車の窓から見ていると、西のほうの空は雲の切れ間から青空も見えていた。一時的なものだったかもしれないが。

新幹線が東京に着くのは午後1時ちょっと前。なので、郡山で駅弁を買って、発車したらすぐに食べておく。安積のとりめしという弁当だった。

帰ってから、旅行で着たものを洗濯。脱衣場の突っ張り棒に干して、除湿機の速乾モードで乾かす。

写した画像ファイルをパソコンに移し、昨日と一昨日の日記に追記する作業を始める。載せたい画像が多く出てきたので、夕方までに2日分を書き終えるつもりが、晩飯を挟んで、遅くなってしまった。

晩飯はバイパスの吉野家へ行って、牛丼並コールスロー味噌汁のセット。

そのあと、ラーメン屋の友蔵の閉店を確認する。店内の明かりは消え、ドアには内側にカーテンが掛かっていて、8月13日に行ったときに、プラケースに入っていたのと同じ、8月20日で閉店することを告げる「友蔵つうしん」が、ガラスに貼られていた。