行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2012年3月31日(土)の日記

2012年03月31日 | 日記

通勤定期を買い替える時期だが、平日の帰りだと混むから今日、買い替えをしてくる。定期券継続購入ができる券売機もあるが、去年の秋に買い替えたときに仮設になっていた浦安駅の定期券売り場がどうなっているか見たいと思ったので、一駅だけ乗って浦安へ。風が強くなったら東西線が止まるかもしれないから早目にと、正午頃に浦安に着く。

浦安駅も南行徳に続いてリニューアル工事中。ホームの屋根が、南行徳のホーム中央部分と同じような膜状のものに変わりつつある。

貼られた完成予想図を見ると、膜状屋根になるのは浦安駅の場合はホームの南行徳方半分。葛西方の残り半分はこれまでと同じ構造だが、これも南行徳と同様に太陽電池パネルが設置されるようだ。

完成予定は来年の1月下旬とのこと。

定期券売り場はすでにリニューアルされて、仮設から元の場所に戻っていた。

さすがに新年度開始直前だけあって売り場内+通路あわせて12,3人の列。ところがたったこの人数で20分程度待たされた。

定期券購入の券売機が増えて、単純に継続する人はそちらへ回り、ややこしい買い方の人が売り場に来るので、一人当たりの時間が増えているようだ。ややこしい買い方とは、何度も乗換えがある遠いところまでの定期券とか、年度変わりと同時に勤務地が変わり、これまでの定期券を払い戻して、新しいのを買うとかいった手間のかかるほうのだ。

浦安駅の定期券売り場がどうなったか確かめて、この日記にも書いたから、次回の買い替えでは自分も券売機を使うことにしよう。

浦安駅の改札や切符売り場の前は土曜の昼頃にしてはずいぶん混雑していた。京葉線が午前中から強風で運転見合わせになったためのようだ。東西線も正午ごろにはJR、東葉高速への直通中止となっていた。

南行徳へ戻って昼飯はなか卯鶏塩うどん。帰るときには雨が降り出していた。強くなって横なぐりになる前に帰れてよかった。

 

夜は酔い処 紗らさらへ。夕方ぐらいには風も治まり雨も上がっていた。

生ビールとお通し。ホタルイカあん肝の出てくるお通しは、それだけで一つの料理として楽しめる。

鮃の昆布〆

「鮃」はひらめだが、いろいろな店でお品書きに書くときは漢字を使う場合でも「平目」と書くところが多い。紗らさらのマスターは「鮃」のほうが好みなので、お品書きでもそうなっていた。「鮃」という字を見ることがあるとすると、寿司屋(自分が行くのはほとんどが回る寿司屋になってしまうが)の魚の漢字名がずらりと書かれている湯呑みぐらいだろう。

ビールが終わったら地酒。最初は墨廼江。2杯目が久礼。次の料理はマナ鰹の西京焼

3杯目の地酒は渡船、4杯目は百歳。料理のほうはえびしんじょう博多揚

つまみを食べている途中で地酒を飲み終えたが、日本酒もう1杯だときついから、レモンサワーにする。すると料理のほうが先に終わったから、もう1品注文。米なすの鶏味噌田楽を食べる。

マスターによると、開店した当初はあまり日本酒は置いていなかったが、お客さんに好きな人が多いので増やしていったそうだ。売り方もグラス一合だと普通は180ccだが、半分の90ccとしていろいろ飲めるように工夫するようにしたとのこと。

一合売りの半分の値段になるわけではないが、やはり今の時代は値ごろ感があったほうがよいのだろう。

もっとも、1杯あたりが少ないからといって、今回の自分の飲み方-4種類+レモンサワーはやはりちょっと多すぎた。


2012年3月30日(金)の日記

2012年03月30日 | 日記

つい一昨日、コートのライナーを外したところだというのに、今日は朝から暖かかったからコートなしで出勤。思い出してみても、ライナーを外したらすぐ暖かくなったということはけっこう多い。もっとも寒の戻りで4月の最初の週にコートを着ていくことも、また多いのだが。

晩飯は一心亭極太合せみそラーメン。夜の時間のもやしorゆで玉子から選べる無料トッピングはもやしにする。この極太合せみそラーメン去年の11月中旬に初めて食べたが、また食べたいと思っていた。

そして5日ぶりの画像入り日記となった。


2012年3月29日(木)の日記

2012年03月29日 | 日記

晩飯は南行徳のやよい軒彩(いろどり)定食

画像を入れない日記も今日で4日目となった。別にいつも通勤鞄に忍ばせて持ち歩いているコンパクトデジカメが故障したわけではない。今週のウィークデイは酒をやめ、身体をいたわってリフレッシュすることにしたが、この日記に書き方でもそれをやろうと思ったからだ。

テキストベースの日記からブログの日記に移行して丸6年余り経つ。特に休日の日記は画像を多く入れるので長くなり、書くのに使う時間が生活の中でほかの時間を圧迫していると感じていた。仕事をするわけでない休日でも、そんなふうに感じるようになってきた。デジカメはフィルムカメラとは桁違いに多くの枚数を写せるから、ついあれもこれもと写してしまうようになる。そして、日記に画像を入れることができると、写したものをあれもこれもと入れてしまうほうにどんどん進んでしまう。

それで、テキストベースの日記の頃の書き方に一旦、戻して、その頃の生活リズムを記憶から呼び覚まそうと考えた。ときどきはそうやって、つい行き過ぎてしまう傾向にブレーキをかけ、感覚をリフレッシュしたほうがよい。

こんなことをやっても、また週末に出かけたりしたら、いろいろ撮影して長い日記になってしまうかもしれないが。


2012年3月28日(水)の日記

2012年03月28日 | 日記

朝は間隔を開けて2個の目覚ましを鳴らしているが、今朝は1個目の目覚ましが鳴ったときに全然目覚めなかった。設定はいじくっていないし、電池切れでもない。目覚ましに気付かないぐらいの熟睡状態だったのだろう。ちょうど今頃は春眠暁を覚えずの季節だ。

暖かくなってきたので、ついに綿コートのライナーを外す。帰りの時間に北風が強くなっていたが、それでも寒くてたまらないというほどではなかった。

晩飯はなか卯牛丼ミニきつねうどん


2012年3月27日(火)の日記

2012年03月27日 | 日記

一昨日、寺のまち回遊展に行ったときは帽子はかぶらず、顔に日焼け止めも塗らなかった。今の季節なら日差しもまだ大したことないと思っていたが、回り始めた午前10時ごろから雲が出た正午頃までの間で日に焼けたようだ。ゴールデンウィークの時期なら日焼けすれば、2日ぐらい後には顔がヒリヒリするが、さすがにそこまでは行かない。痛いとかかゆいとかではなく、顔の表面が何というか、少し重いという感じだ。

今日も晩飯は軽いボリュームのものにして、南行徳を降りてから松屋豚生姜焼定食。値下げして490円になってから初めて食べる。


2012年3月26日(月)の日記

2012年03月26日 | 日記

昨日の腹下しは軽かったようで今日は回復したが、だるい感じは残る。休日明けのだるさとはちょっと違う。やっぱり、ここのところ酒量が増えたのが効いたのだろう。

なので、今週は腹だけでなく身体もいたわる週にする。平日の酒は無し。

晩飯は南行徳メトロセンターのやよい軒サバの味噌煮定食

帰ってからは、録画しておいた昭和20年代の邦画をゆっくりと見る。


2012年3月25日(日)の日記

2012年03月25日 | 日記

寺のまち回遊展は午前9時半始まりだが、妙典駅に着いて案内所でパンフレットを貰ったのは午前9時50分ぐらいだった。パンフレットの案内マップでは回遊スポットに番号が付けられている。今回は、概ねその番号順にのんびりと回ることにする。写真もそんなにバシャバシャ写さないつもり。それでも最終的には90枚程度になったが。

日記では行徳雑学館のトップページレポートに使わなかった分の写真から、主だったところを載せることにする。
回遊スポットの番号1番は妙典の旧成田街道沿いの妙好寺だから、まずはそちらのほうから。

そして寺町通りに来て徳願寺。ここがお堂の中の撮影禁止に関しては一番厳しいところ。なので、カメラはデイパックに片付け、そのかわり幽霊画などの寺宝をゆっくりと見てくる。

午前10時50分ごろの徳願寺前の寺町通り。昼頃の通り雨のあとより、このときのほうが賑わっていた。

妙覚寺のキリシタン灯篭。トップページのレポートにはこの付近が賑わっているほうの写真を載せたので、灯籠自体の写真はこちらに。

毎年、回遊スポットになっていた本行徳三丁目の田中邸は、今年は工事中だった。ところが、田中邸のとなりに、文化屋3丁目という店があるのを発見。中は駄菓子屋で、昔の行徳の写真なども展示してあった。なお、ここは回遊スポットには入っていない。

次のは一昨年の寺のまち回遊展のときの写真。手前の旧家が田中邸。そのとなりはたしかに上の文化屋3丁目と同じ建物だが何かの商店だったようだ。今日まで気付かなかったが、この2年の間に改装して文化屋になったのだろう。

案内マップでは関ヶ島自治会館となっているが、自治会館自体が胡録神社の境内にあり、スタンプラリーのスタンプ押しの机も、景品交換所も会館内ではなく、境内に設けられていた。本行徳三丁目に来た頃から急に雲が広がり始めたが、関ヶ島のあたりに来たときは、かなりやばい感じの空模様になっていた。

関ヶ島の徳蔵寺。パソコンをプロジェクターにつなぎ、旧道地域のスポットの写真でスライドショーを映すという試みをしていた。

徳蔵寺を出たら雨がパラパラと降り出し、急いで旧浅子神輿へ。
道路側の部屋に展示された神輿。奥のほうが常夜燈についてのパネル展示だった。

旧浅子神輿を見学し終わる頃には雨はやんでいた。常夜灯公園に来て空を見ると、黒い雨雲の後から青空が広がりつつあった。

回遊ポイントを回っていると、急に腹の調子が悪くなってきた。下しているときの感じ。こらえると治まるが、断続的に襲ってくる。常夜灯公園でそろそろ限界が近いと感じ、トイレに入ろうとするが大便所に紙がない。しょうがないから徳願寺へ急ぎ、徳願寺会館のトイレに駆け込む。

それで腹は一応、治まったが、下したときは身体もやたらとだるくなる。時刻は午後1時半近くになっていた。回遊展イベントの講演やコンサートはほとんどが午後1時開始で、もう始まってだいぶん時間が経っている。一応、回遊スポットはみんな回ったので、軽く何か食べて帰ることにする。妙典駅高架下のマクドナルドで食べて、電車に乗る。

昨日と一昨日、続けて飲んだのが腹に堪えたのかと思った。いや、ここ2週間か3週間ぐらい、初めての店に行ってみたりして酒量が増えていたから、それで腹も疲れていたのではないかと思う。

当初はイベント終了の午後3時半ぐらいまでいるつもりだったが、予定より早く帰ったので、トップページレポートの更新も早く取り掛かり、UPも午後6時前には完了。

晩飯は南行徳公園脇にある蕎麦の大黒屋へ。

腹の調子を考え、脂分があまりなさそうなもので、なめこおろしそばにする。

今週は腹をいたわったほうがよさそうだ。


2012年3月24日(土)の日記

2012年03月24日 | 日記

朝の早い時間に雨が上がるという予報は外れ、昼過ぎにようやく上がった。午後3時を過ぎてからやっと青空が見えるようになった。明日の寺のまち回遊展はどうにか天気に恵まれることになりそうだ。

昼飯は南行徳メトロセンターの松屋。期間限定で復活の豚丼を食べる。

そのあとダイエーまで行って買い物。帰る途中、南行徳二丁目の富美浜小学校と福栄小学校近くにあるコスモ家具のところに来る。1ヶ月ぐらい前は閉店改装をやっていたが、店名がホームセンターコスモになっていた。買い物帰りだったから中がどんなふうかは見なかったが。

店のサイトを見ると、コスモ家具行徳店であることに変わりはないが、店の看板と内容が変わったようだ。

帰ってから行徳雑学館の明日の更新準備。寺のまち回遊展で写した画像を入れ、コメントを付けるのだけやったらUPできる状態にしておく。

 

ダイエーの惣菜コーナーで買ってきた寿司、それと卯の花(おから)、昨日、帰りにマルエツで買った2個組みキムチの残り半分をつまみに、缶ビールと昨日の残りの酒で晩飯。

飲みながら録画した映画を見る。日本映画専門チャンネルで放映のもので、若大将シリーズ第1作の「大学の若大将」。

1961年(昭和36年)の作品。自分が生まれた年の映画だから、当然、リアルタイムでは見ていない。だいいち、若大将シリーズは1960年代の代表シリーズというけれど、10歳以下の頃だから、どんな映画だったということ自体、はっきりとは知らない。また、これまで断片的にしか目にしていない。

主演の加山雄三は若大将として人気を得たが、1970年代前半は父親で俳優の上原謙がホテルの経営に失敗し、その借金を抱え込んで返済に苦労したということだ。それも、ずっとあとになってから聞いた。自分が加山雄三を初めて見たのは、1974年の東宝特撮映画「エスパイ」で隊長的な役だった。

そのあと、1970年代後半~1980年代前半(昭和の50年代)の加山雄三は、理想の夫、理想の父で完全無欠というイメージばかりがマスメディアから伝わってきて、自分ぐらいの年代から見れば、キザで嫌味なおっさんとしか思えなかった。加山雄三の歌は「君といつまでも」しか知らなかった。「旅人よ」という歌があるのを知ったのは社会人になって2年か3年ぐらいあとの昭和60年代の前半ぐらいだった。「若大将」シリーズは長い間、キザ男の映画だと思っていた。「若大将」シリーズは東宝の作品だが、怪獣映画と二本立て上映されたりしていたというのを知ったのは、ここ数年のこと。

そうしたキザで嫌味なおっさんと思っていた加山雄三のイメージが変わったのが、1986年(昭和61年)末の紅白歌合戦で白組キャプテンだったときのことだ。「少年隊の仮面ライダー」発言というドジだった。

それはともかく、これまで断片的にしか知らなかった若大将シリーズだが、とにかくその原型の第1作は見ておこうと思った。他にも放映されているが、他にも録画したのがたまっているし、なかなか見る時間がない。

舞台となった京南大学水泳部の合宿所で、トイレの浄化槽の鉄の蓋を使ってバーベキューをやる場面。

父親とは対立する若者で勘当されてしまうが、知り合いや水泳部のマネージャのところを訪ねるときのスタイルは、学校の教科書数冊をぶら下げ、あとは鞄とギターケース。

父親や親の世代とは対立するが、正義感と腕力は人一倍強く、行動は破天荒なところがある。だけど、友人の恋をかなえようとするお人善しなところもある。恋敵は田中邦衛演じる青大将。その青大将が加山雄三演じる若大将・田沼雄一の祖母を車ではねてケガをさせてしまい、それを反省して、水泳大会の会場を離れた若大将を車で送り届ける役を買って出る。そして、きわどいタイミングで800メートルリレーのアンカーに間に合った若大将が、劣勢を挽回して優勝する。たしかに若者受けしそうな役柄だ。

なんか、自分が10代のころにテレビで見たり、学年誌に載っていた小説やマンガで読んだ青春学園ドラマの原型を見る気がした。

その一方で、1960年代の東宝映画だから、特撮映画や、東宝の俳優が大勢出演している初期ウルトラシリーズで見た俳優がどうしても目に付いてしまう。

西条康彦。「ウルトラQ」の一平君。

加山雄三の妹役の中真千子

「ウルトラQ」の「変身」で恋人が巨人化してしまう女性。それにも増して印象が強いのが「ウルトラセブン」第2話「緑の恐怖」で、宇宙ステーション勤務から帰ってきた隊員の奥さん役。夫が実は植物宇宙人ワイアール星人にすりかわっていたという話。箱根へ向かう小田急ロマンスカーの車中で、果物をむいてとなりの席に座っている夫に手渡そうとすると、夫が変身が解けて植物宇宙人の姿になっていたのを見て悲鳴を上げる場面は強烈だった。

それから京南大学水泳部の先輩兼コーチ役が、これも東宝特撮にいろいろと出ていた土屋嘉男

土屋嘉男というとやはり「ガス人間第一号」か。

勘当された田沼雄一が湖の救難監視員のバイトをしているときに、転覆したボートから助けた会社の社長役が、加山雄三の実父の上原謙。

助けてくれた青年に惚れ込んで、娘の縁談を持ってくるのだが、娘役が藤山陽子。藤山陽子というと、「海底軍艦」で旧日本海軍・神宮司大佐の娘・真琴役の印象が強い。父親を「お父さま」と呼ぶ、育ちのいいお嬢さんらしい姿が印象に残っている。


2012年3月23日(金)の日記

2012年03月23日 | 日記

会津喜多方の大和川酒造オンラインショップでこれまで何度も買い物をしているから、ダイレクトメールが来る。この前、来たのは今年の新酒の宣伝。そこで紹介されていた純米大吟醸あらばしり斗瓶取りを見て興味を引かれた。それで、注文し、前の週末に届いた。今日と明日はこの酒で家呑みにする。

つまみは例によって、笹かまやチーズの海苔手巻きなどで。お酒の前に350mlの缶ビールも1杯飲む。

ここのところ、雨の土曜日が続いていたが、明日はそのパターンから抜け出しそうだ。 


2012年3月22日(木)の日記

2012年03月22日 | 日記

今日は最高気温が上がって春らしくなるという予報が出ていたから、綿コートのライナーを外しておこうかと思った。だけど、明日は雨で、再び寒くなりそうなのでやめておいた。それで正解。朝の出勤時は寒かった。

松屋は新しい期間限定のメニューが登場している。

晩飯は南行徳メトロセンターの松屋でこの中落ちカルビステーキ定食を食べる。

今日はダンベルエクササイズをやるつもりだが、肉類を食べると、実際はどうだか分からないが、少なくとも気分の上ではパワーが付いた気になる。

今日のダンベルは下半身メニュー。