行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2010年4月30日(金)の日記

2010年04月30日 | 日記

休日の谷間なので朝の電車はいつもよりも少し楽だった。

月末日に社内各部署からいろいろと取りまとめる仕事も 、社内の人間も取引先も5連休直前には早く帰りたいと思ったのだろう、資料などを出してくれるのが思ったより早く進み、午後6時過ぎには退社できた。

帰りは居酒屋オンドリに寄って行く。最初は生ビール。おすすめメニューからとり皮とナスのトマト煮ポテト入りを食べる。これはビールに合うつまみだった。

ビールの次は地酒で黒龍。食べるほうはイサキの刺身

2杯目の地酒は磯自慢。食べるほうはアスパラの天ぷら。今が旬のアスパラなので太くても柔らかくおいしいものだった。

締めはおすすめメニューにあった紫式部の煮浸し

紫式部なんて野菜や山菜はあったかなと思ったら、実はカタクリの花のこと。その紫色(下の画像で矢印のところ)がきれいなので、マスターがユーモアで紫式部と呼んだということだった。

その紫式部を食べ始めたところで2杯目の地酒を飲み終わる。次も地酒だときついし、薄めの味の煮浸しを味わうには飲むほうも薄めの味のものがいいだろうとレモンでもライムでもない単なるチューハイにする。


2010年4月29日(木)の日記

2010年04月29日 | 日記

朝飯は南行徳駅前のマクドナルドへ行って、サラダマリネマフィンセット

帰ってきてから昨日の日記を付ける。それと祝日はふつう、洗濯はしないが今日はやる。ゴールデンウィークなのでいつものパターンとはちょっと変えて、昨日までのアンダーウェア類は洗っておく。

午後1時過ぎにカメラを持って歩きで出かける。ゴールデンウィーク第1日目の街の風景を写してトップページレポートにするつもり。

昨日、浦安の番屋へ行ったが、店長の耕ちゃんが以前、やっていた湊新田の耕が入っていた建物はどうなったかというのを思い出した。長屋形式で1階が店舗用の建物だったが、家主が取り壊すことを決めていたということだった。湊新田でバイパスのほうへ出て見ると、もう建物は取り壊されていて、次の建物(多分マンション)の工事が始まっていた。

今日の昼飯は何にしようかと思ったが、行徳駅の駅前通り東側(妙典側)のメトロセンターにある大衆割烹きよみずへ行って見る。前にも通って気になったことがあった店。ランチメニューもあるようだ。

店内はこんな感じ。テーブル席、お座敷、それに4席が5席だがカウンター席もあった。

ランチメニューの海鮮丼(800円)を食べる。割烹のお品書きにも魚介類が多いので、海鮮丼も内容が充実していた。

そのあと末広、宝、幸と歩く。

4月末というとツツジが咲き始める頃だが、今はまだちらほらというところが多かった。やっぱり、強烈な寒の戻りがあったりして4月が寒かったせいだろうか。

市川水路のそばまで来た。このあたりへ来ることがあっても、自転車で堤防上を走ることがほとんどなので、堤防下から眺める風景は新鮮。右のほう、堤防の向こうに見える建物が中江川排水機場。

強い風が吹いていたので、今日は釣り糸を垂れる人の姿もなかった。

行徳駅南の商店街を抜けて行徳駅前公園へ寄って帰る。線路沿いを歩いて、ジャズライブのHot Houseの前を通る。この前来たとき、ママさんが店が閉まっているときもシャッターは下ろさないようにしていると言っていた。考えて見ると、自分がこの店にはじめて来てから今年の秋でもう丸10年だが、夕方からやっている店だから昼間の明るい時間にシャッターが上がっているのを見たことがなかった。改めて、こんな感じの店だったのかと思った。

ママさんがブログで、店内の様子が分かりにくく、入りづらいと感じる人が多いとか、店のWebサイトやブログを見てもらえば、別におっかない店ではないと分かるのにとかいったことを何度か書いていた。それで、Webサイトを持っている会社や店でよくあるように、ひさしやシャッター、看板などに店名と並べてWebサイトのURLを載せておくのがいいよと話したことがあった。

結局、ひさしやシャッターには書かなかったが、シャッターを開けておき、壁にメニューやライブの登場プレイヤー紹介、そしてこのURLを大きく書いたWebサイト紹介のポスターを貼るようにしたようだ。

帰って、写してきた画像でトップページレポートを更新。ゴールデンウィークになったといっても、別に観光地などではないのだからふだんの休日と変わらない。それで、南風が強いゴールデンウィーク初日という内容にした。

晩飯は南行徳駅前までまた行ってなか卯牛丼・小うどんセット唐あげを食べる。

唐あげは今回もお得クーポンの無料券で。

 

時代劇専門チャンネルで2月中順から月~金に放映されてきた1979年のNHK大河「草燃える」も今日の分で最終回となった。

午前中に昨日録画しておいた第50回を見る。放映は毎日正午から。なので今日は正午から第51回(最終回)「承久の乱」を見る。

「草燃える」は1979年当時、1月~3月に放映された分は見ていた。高校3年で大学受験の年だったが勉強ははかどらず、あきらめ気味だったこともある。だけど、4月から予備校通いになって、日曜日も夜8時からは月曜の予習をやっていたのでほとんど見なくなった。親は見ていたので、ちょっとテレビのある部屋に出てきたりしたときは目に入るから、断片的に見た記憶があるぐらい。

そんなだったが、12月になってからのラスト3回は最初から最後まで見ていた。
第49回「実朝暗殺」
第50回「三浦義村の策謀」
第51回(最終回)「承久の乱」

そして最終回の最後の数分間が自分が見た大河の最終回の中でも一番、強く印象に残るラストになった。

北条義時(松平健)の若い頃からの友人だが、義時の怒りを買って両目を潰された伊東祐之(滝田栄)が琵琶法師となって鎌倉に現れる。顔を見て驚いた義時が
「伊東十郎祐之か?」
と問うが、
「名も無き琵琶法師でございます。」
と否定する。その場面では周りに家臣や女房衆がいるのだが、祐之が平家物語の弾き語りをする場面では義時と祐之の2人だけになった。

第1回から物語の中心にいた二人の人物を際立たせるための演出でそうなったのだろう。

平家物語は高校の古典の教科書に最初の部分が載っていたが、実際に琵琶法師が弾き語るとどんなふうになるのかは文字だけでは分からない。

滝田栄の弾き語りが実際の琵琶法師の弾き語りにどの程度近いのかは分からないが、この場面を見て「きっとこんな感じなのだろう。」と思ったのだった。それだけ、滝田栄の弾き語りが見事だった。

そして、もう一つ強く印象に残っているのが岩下志麻演じる北条政子。平家物語の弾き語りをバックに義時、祐之、政子がかわるがわるアップになって現れる。ラストは北条政子で、義時のアップの脇にフェードインする。義時がフェードアウトして政子1人になり、ズームアップして顔がはっきり分かるようになってから、

政子の脇に「完」の文字が出て、そして政子がフェードアウトして「完」だけになるまで、岩下志麻が全然、まばたきをしなかった。

鎌倉幕府を支えるために頑張ってきたが、夫も子供も孫もみんな先に死んでしまって自身には何も残らなかったと、1人生涯を振り返りむなしさを噛締める場面。自分が18歳から19歳ぐらいの多感な時期だったこともあるが、大河ドラマで最も印象に残ったラストシーンだった。もし、こうした場面で登場人物がまばたきなどしたら、見ているほうも興ざめになってしまっただろう。

岩下志麻がどの程度の時間、まばたきをしなかったのか今回、録画したもので計って見た。顔がはっきり分かるようになってから、フェードアウトして消えるまでほぼ40秒。記憶では1分近くあったような気もするが、多少、大げさに覚えていたようだ。半分の20秒でも、まばたきを止めるのはなかなかできないが。

当時、家族で見ていたがこのラストシーンを見て、
「女優さんて凄いねぇ。」
と話したりしていた。

別に女優でなくても男優でも数十秒まばたきを止められる人はいるだろうけど、岩下志麻がその当時でもすでにベテランの大女優だったわけで、それが知識としてあるから自分も家族もそんなふうに思ったのだと思う。

最終回だけでなく、その2回前の「実朝暗殺」でも覚えていることがある。

源実朝(篠田三郎)が公暁(堀光昭)に殺される場面では、

篠田三郎に対して
「変身して戦え!」
と思った。

篠田三郎がウルトラマンタロウをやっていたからといっても、ウルトラシリーズ以外の作品で変身したりするわけはない。でも、子供の頃にヒーロー役をやっているのを見ていた俳優がやられそうになると、そんなふうに思ったりする。

10代後半の年になって、しかも家族も一緒に見ている前で、そんなことを思ったからといって口に出したりしはしない。だいたい、男の子は小学校の高学年になるぐらいから徐々に無口になって、特に母親には何を考えているのか分からなくなっていく。子供の頃にヒーローものや、スポ根もので見た俳優を他の作品で見たときは、その作品はそれとしてちゃんと見ているが、頭の一部分では「何というヒーロー番組で見た誰それだ。」と思い、口の隅でニヤリとしたりするのだ。「草燃える」だと例えば、三浦義村役の藤岡弘を見て、
「仮面ライダー本郷猛だ!」
と頭の一部分で思っても、口に出したりはせず、小さくニヤリとする。自分もそのころはそうだった。いや、いまでもそうだけど。

「草燃える」は1979年当時に見ていなかった回を見ると、口の隅で小さくニヤリとしてしまうような、特撮もので見た俳優がけっこう出ていた。

それから去年の夏にこの日記にも書いたが、去年の大河ドラマアーカイブスで放映された分のうち第48回に侍女という端役で小山茉美が出ていたのを見つけた。同じ年に放映された「機動戦士ガンダム」でキシリア・ザビ役をやっていた小山茉美だ。今回、完全版ということで「草燃える」は全話が放映されたが、第50回「三浦義村の策謀」のオープンニングでまたしてもガンダムに関係する人物を発見。

藤原忠綱役の池田鴻。

池田鴻といえば、ガンダムのオープニングとエンディングのテーマ曲を歌った人。だから歌手として記憶していたが、俳優でもあり歌手でもあったということだ。

暗殺された実朝の追悼に朝廷からの遣いとして鎌倉にやってきた人物の役だった。手前側で背を向けているのは北条義時の松平健。

雑誌のガンダム特集か何かのインタビュー記事で写真を見たことはあったが、紳士然とした感じだった。その印象とはずいぶん違うと思ったが、役者なのだから役で印象が変わるのは当然だ。記事の写真はおそらくプロフィール写真ではなかったかと思う。

この池田鴻氏はガンダムの主題歌歌手でありながら全然メディアに登場しないと思ったいたが、検索して見るとすでに20年余り前の1988年(昭和63年)に48歳の若さで亡くなっていた。(→Wikipedeiaの記事

そんなことは全然知らなかった。改めて合掌。


2010年4月28日(水)の日記

2010年04月28日 | 日記

月末を控えてはいるが今日は忙しさも小休止。いろんなものを取りまとめないといけないが、月末ぎりぎりに集中することが多いからあさっての月末日がちょっと猛烈になりそうだ。

明日は休みだし、帰りに飲みに行く。浦安で降りて番屋へ。

お通しと、最初は生ビール。

串焼きで鳥を4種類。左から砂肝もも肉なんこつ

休前日だったからか座敷やテーブルはグループ客で賑わっていた。カウンターも自分が入って30分ぐらいあとには満席になった。店長の耕ちゃんは今日は一瞬、カウンターに姿を見せたが、ほとんど厨房の奥で串焼き以外の料理を担当。串焼きは若手が焼いていた。

去年、店を開いた頃は耕ちゃん以外は料理のできる人間がいない状態だったということだったが、忙しいときにも1人でなんでもこなすのはちょっと無理な店の大きさだし、若手を育てているのだろう。

続いて野菜を2種類。ねぎいかだアスパラ。アスパラはちょうど今が旬なので、太いが柔らかくておいしいものだった。生ビールの次は焼酎のロックにしてまずは黒伊佐錦

生ものの食べたいのでたこぶつ

ささみの串焼きも食べたいと思ったのでたこぶつと一緒に注文したが、焼く時間がかかるので少し遅れて出てくる。ささみの明太子とわさび。2杯目の焼酎はさつま司

最後は本日のおすすめメニューから筑前煮。焼酎はもう一杯飲むことにして番屋カメ仕込み

明日が休みだからと3杯目の焼酎を飲んでしまったがちょっと多かった。


2010年4月27日(火)の日記

2010年04月27日 | 日記

昨日ほど忙しくはないはずなのに、夕方近くから忙しくなって会社を出たのは午後7時になる。それでもあと1日頑張れば休日だ。

晩飯はなか卯牛丼ミニ・ざるうどんセット

牛丼ミニとざるうどん、またはざるそばの組み合わせがいつの間にかお得セットに入っていた。牛丼ミニが270円、ざるうどんやざるそばが390円で、正価なら合計660円のところを640円になっている。お得と言ってもほんの20円だけど。


2010年4月26日(月)の日記

2010年04月26日 | 日記

昨日のツーリングが久しぶりなのに長い距離を走ったので、家に帰ったときから脚がだるかった。今日も朝からずっとだるかったけど、夕方ぐらいになって筋肉痛を感じるようになった。やはり少し遅れて出る。

昨日は中華をシカホカと食べたけど、その調子を翌日も続けるとカロリー過剰になってしまう。なので、会社の食堂での昼飯も魚を選びあっさりといく。

晩飯は松屋フレッシュトマトカレー野菜セット

このフレッシュトマトカレー、ボリュームがなくてそれでいて適当に刺激がある味で、ついでに言うと野菜とのセットでも安いから、こういう日にはちょうど良いメニュー。

月曜は資料作りがあって帰りが少し遅くなることが多い。今日は午後7時過ぎまで。明日は多分そういうことはないと思うが、むしろ飛び石連休の谷間の月末日の30日に忙しくなりそうだ。


2010年4月25日(日)の日記

2010年04月25日 | 日記

久しぶりに折りたたみ自転車で出かける。左目の白内障を手術して景色もしっかりと見えるようになったから、いい景色のところへ行こうと思い、天気予報で風向きもチェックして印旛沼にする。印旛沼は2002年の秋以来、7年半ぶり。今日は朝は北寄りの風だが、そのあとは南西の風が吹くということだったので、東京湾の花見川河口側から北上することにする。

検見川浜か海浜幕張まで輪行してもいいけど、幕張あたりはそれほど遠くないようなので自走してみることにする。午前7時40分頃に家を出発し、行徳駅前通りを海側へ走って湾岸道路に入る。船橋のららぽーとと船橋競馬場を過ぎると、湾岸道路よりも海側を幕張方面へ行く道がある。そちらのほうが走りやすそうなので、そちらの道に入る。入るところの交差点そばが谷津干潟の端になる。谷津干潟は名前は何度も聞いているが来たことがない。

その交差点のところに来たが防音壁に阻まれて谷津干潟は見えない。干潟沿いの歩道入口のところに防音壁の隙間があるのでそこから見ることは出来た。

幕張メッセやマリンスタジアムの前を通って花見川を渡り、一旦、海のそばに出てサイクリングロードに入る。家から1時間20分程度だった。

海のそばの道から行徳方面を望遠一杯で写すとこんな感じ。

右のほうの白い塔のようなものが江戸川区側のゴミ処理場の煙突。左のほうにはうっすらとだが建設中の東京スカイツリーが見える。スカイツリーの右下にある建物は塩浜の埋立地にあるプロロジスの物流センターのようだ。スカイツリーの左下のほうには、行徳駅前通りが海に突き当たったところのそばにあるゴルフ練習場のネットと思われるものが見える。

花見川のサイクリングコースを北上。途中の未舗装の区間は丘の上の住宅地もまったく見えず新緑の中。少し止まって休むとまわりからウグイスの鳴き声が聞こえてきた。

予報で言っていた南西の風にはなかなかならず、弱いが向かい風なのでペースは上がらない。道の駅やちよで一休みして、午前11時半頃に佐倉ふるさと広場に到着。家から約50キロ。ちょうどチューリップまつりをやっていた。

ふだんは食べ物はほとんど売っていないが、今日は屋台が出ていたので、1回目の昼飯にする。

焼きそばを買って食べる。

この頃、ようやく風は追い風になった。

印旛疏水路沿いを走って北印旛沼へ。北印旛沼に達する少し手前に新しい鉄道橋が出来ている。北総線を延長して成田空港と結ぶ成田新高速鉄道。これはこの7年半の間に出現した新しい風景だ。

北印旛沼へようやく達する。形の関係か西印旛沼よりこちらのほうが見た目、広さを感じさせる。

北印旛沼と利根川を結ぶ長門川沿いに走り、午後1時45分頃、利根川に到着。家から約70キロ。

焼きそばだけでは腹持ちが悪いので2回目の昼飯と行きたいがなかなか食べ物屋がない。安食台のニュータウンへの道に入り、幹線道路が交差するところにあるスーパーのナリタヤへ行って見る。この1階には以前はマクドナルドがあって、2002年の2月に本埜村の白鳥を見に行ったときに昼飯を食べたが、今はもう無くなっていた。

利根川のほうから来る道の途中にあったラーメン屋は2002年の4月に花見川と印旛沼を走ったときに昼飯を食べたが、そこも見当たらなかった。ところが何と、そのラーメン屋はナリタヤの向かいに移転していた。一番亭という店。

店名はちゃんと覚えていなかったので、最初は分からなかった。ところが入ってメニューを見ると、前に食べたことのある磯のりラーメンがある。

前も食べた磯のりチャーシューメンを食べる。磯海苔の香りがよかった。

食べつつPHSのブラウザで2002年4月のレポートを見ると、やはり一番亭という店だった。聞いて見るとやっぱり8年前は住宅地にあったとのこと。思わぬ再開となった。2002年のレポートでは岩のりラーメンとなっているが、名称がちょっと変わったのか、それとも自分の記憶違いか。

このあと松崎街道を走って成田へ。松崎街道はのんびりと走ることが出来る旧道という記憶があったが、丘と谷を横切って行くので記憶よりもアップダウンが激しかった。朝から70キロ以上走ってきた脚にはちょっときつかった。

成田へは午後3時20分頃に着き、京成線で輪行して勝田台で東葉高速に乗り換えて帰ってくる。行徳駅~自宅を入れて全走行距離は約85キロとなった。久しぶりに出かけたわけだが、ちょっと多めで、脚もかなり疲れた。次に行くのはゴールデンウィーク中かそのあとかはまだ分からないが、街のポタリングにしておこう。

シャワーを浴びて晩飯は新井三丁目の揚子江へ。

生ビールは切らしているということで今回は瓶ビール(中瓶)。つまみは中華くらげ

それと運動をした日はやはり肉類が食べたい。なので鶏肉の唐揚

ビールは計2本飲む。締めは炒飯

年度始めの最初の月は月末もいろいろと忙しくなりそうだが、今週は木曜が休みなので気分的に楽。休日出勤にはならないと思う。でも、それ以外の日がしわ寄せが来るかちょっと心配。


2010年4月24日(土)の日記

2010年04月24日 | 日記

昨夜は酔いが回ってさっさと布団を敷いて寝てしまったが、今日は8時には起きる。いつもの土曜日と同じように洗濯の半分をして、掃除とクリーニング出し。例年なら今頃はベランダに洗濯物を干せるが、今年は気温が低いのでまだ脱衣場の突っ張り棒に干して除湿機の速乾モードで乾かしている。

昼飯は南行徳駅のロッテリア海老バーガーポテトのSペプシのS

セットメニューだとポテトのサイズが大きく、自分には多いので単品でSサイズの組み合わせにする。

ヤマダ電機・ダイエーに行って、帰りに空を見ると入道雲っぽい雲が見えた。昨日・一昨日の冷たい空気が残っていて空模様がまだ不安定なようだ。

晩飯は南行徳駅前まで行ってなか卯牛とじ丼・小うどんセット(小うどんは温で)と唐あげを食べる。

唐あげは最近2、3枚もらったクーポンの無料券で。去年の末ぐらいからお得セットをやり始めたためか、クーポンの無料券の対象は唐あげとプリンだけで、小うどんやみそ汁は無し。だけど、せっかくだから少しは使わないともったいないので今日は唐あげを食べた。プリンは別に食べたいとは思わないが。

明日は大気の状態も安定して気持ちのいい晴れになるようだ。


2010年4月23日(金)の日記

2010年04月23日 | 日記

今日はさすがにコートを着て行く。4月の20日も過ぎてからコートを着たのは社会人になって25年余りで初めて。それだけ今年の寒の戻りは極端だ。この週末には冬物をある程度はクリーニングに出そうかと思っていたが、この分ではゴールデンウィーク明けになるだろう。

帰りは浦安で降りて浦安メトロセンターのつり舟に行く。

通勤定期の継続分を浦安駅の売り場に買いに行くときに寄りたいと思っていたが、今回は左目の白内障手術の予定があって直前に酒はやめておいたので、定期を買うのは日曜日の昼間にした。手術も終わって落ち着いたので、ようやく来ることが出来た。

お通しと最初は生ビール。

この店はまず魚。本まぐろと初かつおの刺身

この店でのお楽しみは菊正宗の樽酒だが、やっぱり人気があるのか宴会のお客さんに受けがよくて品切れになってしまったということ。残念だが、しょうがないので他の地酒で行くことにして菊水の辛口。樽酒はそのうちまた飲みに来ることにしよう。

刺身を食べ終わったら次は鳥手羽先の塩焼

もう一杯の酒は加賀鶴。おつまみは米茄子そぼろあんかけ

最後はライムハイにぽたぽた揚げ焼き

冷酒がグラスでなく徳利で出てきたからやっぱり量が多かった。画像の縮小版を作り始めたときに回ってきてダウン。日記は翌日回しとなる。


2010年4月22日(木)の日記

2010年04月22日 | 日記

極端な寒の戻りは先週でもう終わりと思っていたが裏切られた。今日の寒の戻りも先週に負けず劣らず。朝はさすがにもうコートはいらないだろうと着ていかなかったら、帰りのときが冷たい雨に強い北風で体感温度は全然低いは、スーツの上着の裾やズボンはぐっしょりと濡れるはでうんざりする。
「このクソ天気が!」
と悪態の一つもつきたくなる。

これでは5月にはなってもまた寒くなるかもしれない。

晩飯は一心亭赤味噌ラーメン

夜はダンベルの下半身メニューをやる。

あと1日仕事をすればもう週末。仕事はカレンダーどおりだが来週は木曜が祝日だし、気分だけはあさってからゴールデンウィークになれるだろう。


2010年4月21日(水)の日記

2010年04月21日 | 日記

仕事も昨日のエアポケットのような状態からまた徐々にボリュームが増えていた。あとは月末にかけて忙しくなるだろう。今日は午後6時ごろには帰ることができたが。

晩飯はなか卯ビーフカレーサラダ

月~金に録画している時代劇専門チャンネルでの1979年大河「草燃える」は、昨日は飲んで帰って見なかったので、今日は昨日分と続けて2本見る。今日の分が全51回中の第45回。だから、来週の木曜が最終回になる。

大学浪人で予備校通いの年にやっていたドラマで1月~3月、つまりまだ高校3年のときは受験勉強がどうもはかどらなかったから大河ドラマはわりと見ていた。だが4月以降は年末の最後の3回ぐらいを除くとほとんど見ていない。なので、初めて見る話は面白いが、45分間のドラマを毎日見るというのもそろそろお疲れ気味。やっと終点が見えてきたという感じ。