行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2010年2月28日(日)の日記

2010年02月28日 | 日記

朝飯を買いにコンビニに行ったときは本降りの雨だったので、今日はずっとこんな天気なら1日録画した番組を見ていようと昼飯も一緒に買ってくる。昼飯は電子レンジで暖めるタイプのつけ麺。

それに今日は朝からテレビは津波警報のことが画面にずっと出ている。昨日の午後に南米チリで大地震があって、今日あたり日本に津波が到達するということ。自分が生まれる前の年の1960年にも同じようにチリの地震で、特に三陸のリアス式海岸地帯で津波の大被害が出たということ。

時代劇専門チャンネルで月~金に放映されている1979年大河「草燃える」の録画した分をずっと見るが、二画面機能を使って半分はNHKの津波情報特番を付けておく。災害のときはやっぱりNHKが一番当てになりそう。

去年買ったテレビの二画面機能はあまり使わないが、こういうときには便利なものだ。

海沿いを通る道路が通行止めになったり、鉄道が運休になったりしたが、京葉線が止まったという情報はなかなか出なかった。強風が吹くとすぐに止まる電車だが、高架線だから津波はあまり心配のだろう。だけど、午後2時ごろに東京~新木場間が運転見合せと出た。東京からの地下線が水路の近くで地上に出る口があるからのようだ。

うちのあたりは避難勧告のようなものは全然なかったし、消防車などがサイレンを鳴らして走り回る音も聞こえなかった。東京湾奥では午後2時から5時ごろにかけて20cm~30cmの津波が観測されたらしい。東北や北海道、それに四国の太平洋側では1m以上の津波を観測した場所もあったようだ。いずれにしても、大きな災害になった場所は無かったのはさいわいだった。

 

1日中雨かと思ったが昼前には止んで、午後3時頃、スーパーへ買い物に行くとすっきりとした青空が見えた。

今日はタイ料理か焼肉のようなちょっと刺激のあるものを食べたいと思った。それで結局、タイ料理のバイトンへ行く。この店に前に来たのはいつかと思ったら、一昨年の夏以来だった。

店内の様子は変わらず。最初は他にお客さんがいなかったから、最近はあまり流行っていないのかと思ったら、午後7時半頃から若いカップルなどが続けざまに入って賑やかになった。

アルコール類も飲む。最初は瓶ビール。アルコール類を頼むと一緒にピーナッツも出てきた。

料理のほうはレッドカレーライス

そしてタイ風豚肉のから揚げ

タイ料理店に来たら、やはりシンハビールも飲みたい。なので最初の瓶ビールが終わったあとに1本。

2月は短いのでもう終わり。これで今年の6分の1が終了。


2010年2月27日(土)の日記

2010年02月27日 | 日記

この週末はトップページのレポートを書こうと思っていたが、大きなイベントはまだないから、季節ものになる。

春一番が吹いている最中ならそのことがいいと思ったが、木曜の夜から金曜にかけてだったから、週末にはちょっとタイミングずれ。なら、久しぶりの青空の写真を載せるのはどうかと思ったが、土日は空模様もあまりよくなさそう。それに春一番が吹き、雨が降ると寒の戻りという。土日は寒くなりそうだ。

それで、考え付いたのが早春の気候に多いパターンの三寒四温。温になったが、ふたたび寒になりつつある光景がいいだろうと昼頃にカメラを持って出かける。

街の光景でも取り上げた回数が少ないあたりということで、行徳駅前通り付近から東側へ回る。行徳駅前三丁目にある南沖公園は雨で地面もぬれていて、寒いのもあって人影もまばら。

この公園は交通公園になっているが、ほとんど写したことがない。交通公園→子供が多い→子供にむやみにカメラを向けるのは親が嫌がるということが大きい。実際、公園で写すときは風景を写すようにし、小さい子供のいる方向にはカメラを向けないようにしている。だけど今日はほとんど人の姿がなかったので、交通公園をしっかりと写してくる。

昼飯は行徳駅前通りの一本東側の道にある商店街(街路灯ののぼりには「行徳駅東口商店会」と出ている)でパッと目に付いた店に入る。定食屋・居酒屋とまとという店(「居酒屋・定食屋とまと」なのかもしれないが)。

店内はこんな感じ。昼は定食のみで、夕方から居酒屋タイムになるということ。

表のホワイトボードにも書いてあったランチメニューから、野菜ハンバーグ(500円也)にする。

少し遅れてみそ汁が出て来た。それとデザートにバナナが1本付いている。あとは食後にコーヒーも一杯付いていた。

野菜ハンバーグというのはどんなのかと思ったが、ミンチ肉の代わりに野菜を細かく刻んだので作ったハンバーグ。鶏肉も少し入っていたようだ。つなぎは何だろう。玉子かなと思った。感じがちょっと茶わん蒸しに似ていたから。

帰ってから写してきた画像でトップページレポートを作ってUPする。

今夜はどこに行こうかと思ったが、湊新田にあった焼鳥・耕の元マスターが店長をやっている浦安当代島の番屋へ行く。

着いたのは午後6時半頃でまだ他のお客さんはいなかったが、午後7時を過ぎるとどんどん入ってきて賑やかになった。

最初は中生。お通しはしらすおろしキャベツの千切り

最初のつまみは今日のおすすめメニューの牛ユッケ

次も今日のおすすめメニューから貝盛合せ。中生のあとは高清水の冷酒300ml瓶。

次は串焼きで、写真左から鳥ネギマ鳥皮豚ハラミ鳥ナンコツ

冷酒のあとはレモンサワー。つまみは厚揚げ焼き

飲むほうはもう一杯。焼酎下町ハイボール。締めの食べ物は讃岐うどん

季節的にざるうどんではなく温うどんだった。

帰るときはずいぶんと寒かった。やっぱり寒の戻りだ。


2010年2月26日(金)の日記

2010年02月26日 | 日記

朝から部屋の中でも暖かそうだったから、今日はコート無しで出勤。行きも帰りもそれで問題なかった。外は生暖かい強めの南風が吹いていた。これが今年の春一番だったようだ。

ところが、なぜか朝から鼻水がよく出る。これまで、鼻の粘膜のアレルギーで鼻炎になるのは秋口に急に気温が下がったときの涼しい空気が原因だったが、今の時期にこんなになるのだから、自分も花粉に弱くなったのかと思った。ずっと平気だった人が急になるということもあるらしいから。

でも、今日は空気は湿っていて花粉の量も余り多くはなさそう。先週末に空気の冷たい日光へ行ってきてから、どうも鼻が詰まり気味になっていた。それが鼻炎としてやっと出てきたのかもしれない。寒くなったり暖かくなったりの変化が大きいときは昔から鼻のアレルギーが起きやすかったが、それも原因の一つかもしれないと思える。

いずれにしてもアレルギー性鼻炎は薬を飲まないと、放っておいて自然に治まるということはない。これはやばそうだと思ったときにすぐに持ち歩いている鼻炎薬を飲む。昼飯の時間を過ぎてもまだ止まらないから、もう一錠飲んで、夕方にやっと止まった。そのかわり、夕方ぐらいには相当だるく、眠くなった。

晩飯はなか卯海鮮かきあげ丼・小うどんセット

海鮮かきあげ丼はこの冬の季節メニューの中では気に入ったほうだし、これと小うどんのお得セットは”今だけお得”メニューだから月末を控えて、もう一度ぐらい食べておこうと思った。月変わりのタイミングで終了することもあるだろうから。

帰ってからは録画しておいた1979年の大河ドラマ「草燃える」を3本続けて見る。


2010年2月25日(木)の日記

2010年02月25日 | 日記

暖かいので綿のコートはライナーを外す。それでも電車の中ではちょっと暑い。明日も外したままでいけるだろう。来週あたりに寒の戻りがあれば、また装着すると思うが。

晩飯は洋風食堂壱番亭牛肉ステーキ定食

お品書きに「ビーフステーキ」ではなく「牛肉ステーキ」と出ている。「ビーフステーキ」だと、やはりどこか敷居の高さのようなものを感じるから、「牛肉ステーキ」としたほうが気軽に食べる気持ちになる。店のほうもそれが狙いかもしれない。

ちなみに、牛肉ステーキ定食は950円で、他の定食類と全然変わらない。肉は肩ロースということで、柔らかいほう。別に分厚い肉ではないけど、自分としては程よいボリュームだった。

 

時代劇専門チャンネルで先週の水曜日から1979年(昭和54年)のNHK大河ドラマ「草燃える」が月~金で1話ずつ放映開始された。

「草燃える」は去年、やはり時代劇専門チャンネルの「大河ドラマアーカイブス」でNHKにテープが残っている17本が放映されたのを見た。去年の7月12日の日記にもそのことを書いている。

その17本に加えて、今回は視聴者が家庭用ビデオで録画していた分の寄贈を受けたものなどを合わせて全話の放映。1979年は家庭用ビデオデッキはまだ高価だったが、それでもしだいに普及しつつあった頃だ。自分の実家はまだ無縁だったが。また、今回も番組としては「大河ドラマアーカイブス」の「草燃える」として放映されている。

先週水曜から毎日録画だけはやっていたが、今日やっと第一話を見る。これから大変だけど、最終話まで録画しておいて見て行くつもり。

 

それと、月曜のころの体の不調もすっかり消えたので、今日はダンベルの上半身メニューをやる。


2010年2月24日(水)の日記

2010年02月24日 | 日記

午後は目の検査に行って直帰。昼間はコートを着ていると汗ばんでしまうから、コートは手に持って歩く。

晩飯は南行徳まで帰ってからやよい軒へ行く。時間が早かったので、1日の数量限定のチャーハンセット(650円也)がまだ売り切れにはなっていなかった。

帰ってから、先週買っておいた東宝特撮映画DVDコレクションの「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」を見る。

小学生時代にテレビ放映で見たときは怖くて途中でギブアップしてしまった。今見ても、全然怖いとは思えなかったが。

何が怖かったかと言うと、ガイラのほうが人食い怪獣だということ。人を食べる場面が何回も出てきたような記憶が残っている。ところ今回、DVDを見てみたら、人を食べる場面は1回しかない。前半部分で雲に覆われた(ガイラは太陽光が嫌いという設定なので)羽田空港にガイラが海から現れて、ターミナルビルを襲う。事務室にいた女性が足がすくんで逃げ遅れたところを窓から手を突っ込んでわしづかみにして、

口へ運んでむしゃむしゃと食べて、みかんやぶどうを食べて皮をぷっと吐き出すのと同じように、食べた人間の衣服を吐き出す。

しかも、怪獣というより獣人という外見。目はスーツアクターの目がそのままで生々しいから余計に怖い。

この場面以外は、逃げる人間を手でつかむとか、水中から船を揺らして船上の人間を海へ落とすとか、食べた人間の衣服がいくつも周りに散らばっているとかいった場面しか出てこない。また、女性がガイラの手につかまれたが、ガイラに強い光を当てて放り出させ、大怪我はしたが食べられはしなかったという場面もあった。

でも、一度だけでも人を口へ放り込んで、衣服をぷっという場面があれば、見るほうは他もみんな同じように食べられたと頭の中で話を補完してしまうので、何度も人食い場面があったと記憶に残ったのだろう。

子供のときなら一度だけでも人を食べる場面を見れば、もう怖くてたまらなくなる。ゴジラは劇中で志村喬演じる博士が言っていたが、核実験の被害を受けたときの記憶で光を当てられたりすると怒るから、それで目に付くものは片っ端から破壊して暴れるが、人間を狙っているわけではない。だから、ゴジラの進行方向とは違う方向へ大急ぎで逃げればいいわけだが、ガイラはこちらを餌だと思っているから逃げても隠れても追っかけてくる。そして最後は手でつかまれて口へ放り込まれるわけだから、ゴジラよりもよっぽど怖い。

公開は昭和41年(1966年)だから、自分は5歳ぐらいで劇場では見ていない。当時、小学生ぐらいの子供が怖がって途中で劇場から出てしまうことがかなり多くあったようだ。

自分がかつてギブアップしたのはどのあたりかと言うと、後半、東京に上陸したガイラに水野久美演じるヒロインが捕まって食べられそうになる場面か、その寸前のところだった。そこで、もうとても見ていられなくなったのだった。

このあと水野久美がどうなったかというと、温厚なほうのサンダが駆けつけたので助かるのだった。

サンダとガイラが最後は火山の爆発の中に消えて行くというのを、特撮のことを特集した雑誌かムックかで読んでいたが、陸上の火山かと思っていた。ところが今回、DVDを見て見ると海底火山。サンダとガイラは争いつつ、しかも自衛隊のメーサー光線砲の攻撃を受けて海へ追われて行く。東京湾から外海に出て、なおも争う2匹の前に海底から岩の塊のような火山が浮上し、その爆発に呑まれていくのだった。

もっと劇的なラストを期待していたのに、海底火山の現れ方が余りに唐突でご都合主義なのにすっかり興醒めしてしまった。「電送人間」の最後で浅間山が唐突に噴火して、山麓にあった秘密の研究所が崩壊し、逃亡しようとした電送人間が受信側の装置が壊れたために自滅してしまったのを思い出した。

子供の頃はあれほど怖かった「サンダ対ガイラ」がこんな大外れなラストだというのに悲しくなった。それから、怪獣にはなかなか歯がたたない東宝自衛隊がこの映画ではずいぶんと強かったのが印象的。


2010年2月23日(火)の日記

2010年02月23日 | 日記

2日続けて7時間半ぐらいの睡眠をとったので、ようやく体調も回復した。足や腰が多少だるいのが残るだけ。日光鬼怒川で風邪を引いたのでなくてよかった。休暇を取ってリフレッシュに旅行して、風邪を引いてきましたというのではバカバカしいから。

昨日は朝はまだ寒くて、暖かくなるという予報は外れたかと思ったが帰宅時間には空気が暖かめになっていた。今日の昼間はぽかぽか陽気。だけど、帰るとき、外はコートのボタンを留めないとまだ寒い。電車の中はそのままだと汗がにじんだが。

晩飯はなか卯親子丼・小うどんセット

体調も回復したし、先週までのように家に帰ってからも本を読まなくてはならないというのもないので、録画しておいた番組を見始める。まずはケーブルテレビの地域情報番組などの30分番組をまとめて3本見る。


2010年2月22日(月)の日記

2010年02月22日 | 日記

昨夜、寝床に入る頃から急に体の節々が痛くなってきた。朝、起きてもそんな感じ。風邪でも引いたかと思ったが、寒気もないし、鼻水も出ない。喉は少しイライラしていたが。会社のオフィスは暖房が効いているが、妙に顔が火照る感じ。熱があるのかと思ったが、悪寒がするとかそういうこともない。

これまでも季節の変わり目に、体温の調節がどうもうまく行ってないような状態になって、体の節々が痛かったり、顔が火照ったりすることはよくあった。今回もそれだろうと思う。旅行で少し寒いところへ行ったので、そういう症状が出たのかもしれない。

旅行荷物はリュックに入れて背中に担いで歩き回ったが、スケジュールには余裕を持たせてスポットを何箇所も回ったわけではない。でも、年齢とともに同じことをやっても体力の消耗が大きくなってくるのだろう。

だるい感じは夕方まで残るが、昼飯の前にも晩飯の前にも空腹を感じたから食欲はある。昼飯は会社の食堂のカフェテリアで、魚と小鉢とご飯とみそ汁。晩飯は南行徳の松屋カレー・野菜セット。こういうものが食べられるのなら、それほど体調が悪いわけではないだろう。

でも、だるい感じはまだ残っているから今日も早く寝ることにする。


2010年2月21日(日)の日記

2010年02月21日 | 日記

洗濯や掃除をしたあと、昨日の日記を書き始める。旅行へ行くと書くことが増えるが、特に昨日は東武ワールドスクエアへ行ったので取捨選択をいろいろと考えなければならなかった。画像の数も30数枚になった。結局、書き終わってUPしたのは、昼飯の時間を挟んで夕方になった。

朝は青空が出て日も差していたので、青空が戻ってきたことをトップページのショートレポートにしようかと考えたが、昼頃には雲に覆われて外に出ると肌寒くなってきた。なので、この週末のトップページレポートは休みにする。昨日とおとといは発熱素材の長袖・長パンのアンダーを着ていたが、今日はいつもの格好でそんなものは着ていないからかえって寒く感じる。

昼飯は行徳駅南商店街のCurry Kitchenカシミールへ行ったら、定休日でもないし、しかも営業時間内なのに閉まったまま。特に臨時休業の貼り紙もなかったが、どうしたのか気になる。

それで、昼飯は行徳駅前公園から少し海側へ行ったところのインドカレーのYUJINへ。

ミックスシーフードカレーを食べる。辛さは5段階の4。ふつうが3ということだから少し辛目。

夕方に昨日の日記をUPしたら、2日間、あちこち歩き回った疲れが急に出て来て、ぐったりとした感じになる。

こういうときの晩飯はカロリーがあったほうがいいのではないかと思い、南行徳駅前にある中華の福満溢へ。

くたびれたときはどうも飲みたくなるので生ビール。

アサヒの樽生で最初の一口は特に旨い。

餃子一皿をつまみにして飲む。

生ビールはもう一杯のみ、それとにんにくの芽と豚肉炒め定食

明日からの仕事に備えて、今日は午後10時ごろには寝ることにしよう。


2010年2月20日(土)の日記

2010年02月20日 | 日記

午前6時過ぎのいつも会社へ行く日と同じぐらいの時間に起きて、温泉で朝風呂。朝飯はホテルでよくあるバイキングだけど、昨夜が食べ過ぎ気味だったので軽めに食べる。

午前8時半を回ったあたりでチェックアウト。ホテルのすぐそばに鬼怒川の渓谷に架かる鬼怒川温泉ふれあい橋があるので、その橋を渡って反対側へ。橋の上から鬼怒川の上流方向を見たのがこの写真。上流側に架かっている橋がくろがね橋。

振り返ると昨晩お世話になった鬼怒川御苑。渓谷の斜面に建っていて、フロントが3階だった。橋の高さとほぼ同じ地下1階になるところに大浴場の男湯があった。

国道から渓谷の橋へ降りてくる階段を見たら、一瞬びっくり。鬼怒川温泉マスコットキャラの鬼怒太が描かれていた。

温泉街をしばらく歩き、丸山山頂へ上る鬼怒川温泉ロープウエイの乗り場へ。

山頂までは3分半程度。

ロープウエイ駅のすぐ前がおさるの山。

斜面に背の高い囲いを作って、その中で猿と鹿を飼育している。

囲いの中に突き出す形で、屋根と金網で隔てられた観察通路が作られている。

ここに入ると、まるで人間が檻の中にいて、猿たちに見物されているような気がしてきた。

鹿は寒いとあまり外に出ないらしいが、1頭だけ見えた。

お猿の山を出て、そばの石段を少し上って行くと温泉神社がある。10メートルぐらい赤い鳥居が並んでいるが、まわりが雪景色なので鳥居の赤がよく映える。

鳥居を抜けた先がお社。ここまで来たのだからお参りしてくる。

ロープウエイ駅に戻ると、すぐそばが展望台。標高700メートルだけど、晴れて日が差しているのと、風が微風ぐらいなので寒さは感じなかった。

鬼怒川温泉街の眺め。左下が泊まったホテル。

30分もいれば十分なので、次の便で下界へ下りる。鬼怒川を今度はくろがね橋で渡って対岸へ。ふれあい橋は人道橋だが、こちらはもっと前からあると思われる車も通る橋。

橋の上から下流方向を見ると、ふれあい橋が見える。

鬼怒川温泉駅まで歩いて、次は東武ワールドスクエアに行く。歩きだとさすがに遠いが、ワールドスクエアを経由して日光江戸村まで行くバスが、1時間に3本程度あるので行きやすい。鬼怒川温泉駅からはほんの数分で着く。

これが東武ワールドスクエアの正面玄関。

世界の有名な建築物のミニチュアを屋外に並べているというのは、テレビなどで見て知っていたが、25分の1の縮尺で作られているというのがどんな感じかは実際に来て見ないと分からない。入ったところが現代日本ゾーンで最初にあるのが国会議事堂。人間に対してこれぐらいの大きさ。建物の最上部は平均的な日本人の背丈よりもかなり高いいぐらい。

身長が160cmというと小柄な男性か、平均的な身長の女性だけど、その身長を25倍すると40mで、つまりウルトラマンの設定身長と同じ。

特撮怪獣もので二足歩行怪獣の着ぐるみの多くは、スーツアクターの顔が首のところに来るように作られている。昔の怪獣もの(昭和40年代ぐらいに自分がテレビで見たもの)では、怪獣の首から胸にかけて小さな穴がいくつも開いているのが見えて、中へ入っている人はそこから前を見ているのだろうと分かった。つまりは、怪獣の着ぐるみの全高はスーツアクターの背よりも高いわけだから、スーツアクターが170cmか180cmぐらいの人でもゴジラの着ぐるみの全高がそれより高く2mだったとすると、その25倍は50mだから1954年(昭和29年)ゴジラの設定身長と同じになる。

なので、25分の1というのは、着ぐるみによる怪獣や巨大なヒーローが登場する特撮もので街などのセットを作る場合に、きちんと設定にあわせた場合の縮尺ということになる。実際の特撮作品では予算の関係か、あるいは脚本がいい加減なのか等で、おかしな縮尺のものが登場したりするが。

だけど、実際に25分の1でセットを作ろうとすると大変だろう。次の写真で、手前は羽田空港のターミナルビルと周辺の駐機場付近だけ、つまりは空港全体のごく一部分を再現したものだけど、それでもバスケットボールのコートぐらいの広さがあった。奥の東京タワー、ニューヨークのエンパイアステートビル、実物はテロで破壊されたがワールドトレードセンタービルのような超高層の建築物は、ミニチュアでも人間の背丈よりはるかに高い。東京タワーは333mだから、25分の1でも約13.3mになる。

東京スカイツリーは4月下旬の公開に向けて、工事中だった。こちらの実物は634mとなる予定だから25分の1だと約25.3m。新幹線1両分の長さと同じぐらい。

写したものすべてを載せるわけにはいかないので、あとは印象に残ったものについて書いておくことにする。

昔の帝国ホテル、と言ってもいつ頃までこの形だったか全然、覚えていない。1960年代の終わりに今のホテルにするために取り壊されたというから、自分がまだ小学校の低学年の頃。話に聞いたことしかないから、こうした建物が今は高層ビルが並ぶ日比谷にあったということに驚く。

エジプトのピラミッド。再現したのは最大級のピラミッドだろうけど、驚いたのは矢印をつけたところにあるスフィンクス。ピラミッドに比べて何と小さいことか。

だけど、ミニチュアの人や車に比べるとずっと大きい。写真で紹介されるものは大きく写っているものが中心になるから、ピラミッドとの実際の大きさの対比は、エジプトで実物を見た人でないとなかなか分からないのだろう。

バチカンのサン・ピエトロ大聖堂。これは建物よりも広場の大群衆に感心した。よくこれだけの数の人形を、しかも一人一人違った人物として作って並べたものだと。

いろんな国の建物が並ぶ光景も、こういうテーマパークへ行ってきたという記録として1枚載せておく。

万里の長城はごく一部分だけの再現だけど、それでも長いほうが10メートルぐらいの範囲に、高さ3mから4mぐらいの土盛りをした上に作られていた。

日本の古くからの建築物は、比較的最近に足を運んだものについ目が行ってしまう。これは去年の正月に日帰りツアーで行った奈良の春日大社。それ以前にも、夏休みなどに行ったことがある。

春日大社は平面図的なイメージがどうもよくわからなかった。こういうミニチュアで見ると、建物の配置などがよくわかる。

そして、これも去年の正月に行った東大寺大仏殿。

建物の中の大仏は見えない。(中に作られているのかもわからなかった)

どの国の建物も、その地域にあわせた人間のミニチュアが並べられている。過去の時代のものではなく、現代の風景。観光名所になっている建物が多いから、自然と観光客の姿が多くなる。イギリスの宮殿だと衛兵と観光客とか。東大寺大仏殿に置かれた人物を見ると、ガイドさんに引率された観光客。それと、奈良だからやっぱり鹿。

なかなか細かいところに凝っている。

この前の年末年始の旅行で行った宮島の厳島神社。これは宮島へ渡る船から見える風景。

去年の大晦日の日記に載せた画像は、厳島神社側からのものだった。そのときは引き潮で鳥居のそばまで歩いて行くことが出来たが、ワールドスクエアのほうは満潮の時の風景になっている。

ゆっくりと見て、写真を写して1時間40分余りだった。午後12時半を回っているので昼飯にする。

みやげ物屋などが入っている建物の2階がカフェレストランなのでそこで食べることにする。

観光施設のレストランでそんなに凝った料理が出てくるということはあまりなく、ファミリーレストランと同じような感じ。前夜が食べすぎだったから、別にそういうところであまりボリュームのないものでよい。それで、食べたのはひれかつ御膳

みやげ物売り場を見て回ったり、会社へのお土産を選んだりしてバスで鬼怒川温泉駅へ戻る。帰りの列車まではまだ余裕があるので、駅近くを少しぶらぶらと歩いたりして、それから駅へ戻って缶コーヒーなど飲みつつ待合室で待つ。

駅のコンコースにはワールドスクエア宣伝用の自由の女神と並んで雛飾り。そういえば、もうすぐ桃の節句。

雛壇の下のほうに小さな説明があり、地元の人々が鬼怒川の観光振興の組織に寄付したものということだ。

鬼怒川から浅草まで特急で約2時間。午後6時15分前ぐらいに着く。浅草でちょっと食べて飲むのもいいかと思い、まずは神谷バーをのぞくと、さすがに有名な店でもう超満員。吾妻橋を渡るとアサヒビール本社があり、そばにビアホールもあることを事前に調べてあったが、行って見るとなんと貸切り。浅草で飲んだことはないから、他に店の当てがあるわけではない。

これは、旅でくたびれて帰ってきて、あまり家から遠いところで飲むなということなのだと思うことにして、じゃあ近くの馴染みの店でということで南行徳まで帰って居酒屋オンドリへ。

最初は中生。焼鳥はねぎまレバを2本ずつ。

焼鳥と一緒に注文したさわらの照焼きも少し遅れて出て来た。

今日はビールだけにしておく。中生の次はハートランドを1本。それと、イカのトマトソース煮

最後はオレンジハイと大人のポテトサラダ

マスターはマヨネーズを自家製にしたので、酸っぱさが少しマイルドになっていると言っていた。言われて見るとそんな気がした。マヨネーズは買うより、自家製のほうが安いということだった。

日本酒はやめておいたので、金曜日の分の日記を書き上げることにする。途中で少しは眠気を催したが、なんとか書き上げてUPした。


2010年2月19日(金)の日記

2010年02月19日 | 日記

金曜日に休みが取れたので一泊で温泉に行く。朝はゆっくり目に出発し浅草10時の東武の特急で日光へ行き、夜は鬼怒川温泉に泊まり。去年の3月に箱根へ行ったときもそうだけど、行くときにかっこいい特急に乗ってというのは気分がいい。

で、残りは帰ってから土曜の夜か日曜に書きます。

(ここからが帰ってから書いた分)

特急は鬼怒川のほうへ行く列車なので下今市で接続列車に乗り換え。

昔は東武の特急というと日光へ行く列車だと思っていたが、今は大部分が鬼怒川のほうへ行ってしまうようになって、日光へ発着するのはわずかになったようだ。5年余り前に折りたたみ自転車のツーリングで日光へ来たことがあるが、そのとき帰りに乗った午後4時台の特急はなく、近い時間にJR直通の特急があるだけとなっていた。

下今市のしばらく手前から、車窓から雪が積もっている風景が見られたが、日光駅前もこんな感じ。歩くのには不便はない状態だった。

北関東の山のほうは寒いだろうからと思い、冬場のサイクリング用に買って使ってきた発熱素材の長袖・長パンのアンダーを今回は着てきたが、それで正解だった。日光駅のあたりで標高550mぐらい。もっとも、日が差していたのと、風が余りなかったので体感的にはそれほど寒いとは感じなかったが。

今回は19年ぶりに東照宮へ行く。19年前は11月下旬だったが、やはり平日に臨時の休暇が取れたから日帰りで日光に来た。バスで竜頭の瀧まで行って、戻って華厳の瀧近くで昼飯を食べ、下りてきてから東照宮を見た。だけど、時間がないから大急ぎで回ったのだった。今回はゆっくりと見るつもり。

途中、霧降高原のほうを見ると雲に覆われてきたいた。

この時点では、まだ日が差していたが、この雲がその先の天気を暗示していたとは全然分からなかった。

昼飯時だし、適当な店はないかと思いつつ歩いて行き、神橋手前のみやげ物屋などが入った古くて格式のありそうな建物に蕎麦屋を発見。ここで食べることにする。

せっかく日光へ来たのだからと、ゆばそばを食べる。

昼飯が終わったらいよいよ東照宮へ。国道が大谷川を渡る橋は日光橋だけど、そのすぐそばにあるのが神橋。この付近で標高は約600m。

そのそばから東照宮の東参道。

石段を上っていくと三仏堂の前に出る。そこの窓口で境内各寺社や他の施設の共通参拝券を買う。

最初は逍遥園という回遊式庭園と宝物殿から。

日光駅よりも標高が高くなっているから雪の量も多い。

そして三仏堂へ。ちょうど団体さんと一緒になった。

表参道を歩いていよいよ東照宮へ向かう。雪は固まってはいなかったので、運動靴なら歩くにくくはなかった。油断は出来ないが。

石鳥居をくぐると五重塔。

東照宮の色鮮やかなお堂などが並ぶところに来るが、その中で地味な色なのが神厩舎。

色は地味だけど、この建物で有名なのが、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿。

陽明門をくぐって東照宮の拝殿へ。

陽明門の彫刻はとにかく凝っている。

なお、東照宮の拝殿は修繕工事中だった。脇から中へ入ることは出来たが、工事用の覆いが被さっていた。

奥宮へ向かう。入口の坂下門にある彫刻が眠り猫。

奥宮の参拝は共通券には含まれていなくて、別料金520円。がめつい商売をやっているように思えたが、かなりの段数の石段を上らなくてはならず年配の人には行かない人も多いだろうし、また冬には雪が積もることが多い場所なら、参道をきれいに、安全に保つのに相当のコストがかかるだろうからオプション扱いもやむをえないかと、今日の雪景色を見て思えた。

これが奥宮。このあたりが標高700mよりは少し低いぐらいだろう。

陽明門を出て、写真で右の薬師堂へ。

次が二荒山神社。

奥宮へ行くあたりから雪が舞い始めていたが、二荒山神社から出て来たときは本降りになっていた。

その雪の中、共通参拝券最後の大猷院へ。

大猷院への石段の途中から見える景色もよい。

今回はゆっくり見ようかと思っていたが、日光から鬼怒川へ向かうのに乗る列車の時間の関係で、最後のほうは大急ぎになってしまった。

 

今市、日光、鬼怒川の位置関係は三角形になっているので、日光から鬼怒川へ直接行くバスでもないかと思ったが、そういうのはなかった。日光と鬼怒川は平地にあるのではなく、それぞれ違う谷に分け入ったところなので、間にあるのは山。これでは直通するバス路線はない。

鬼怒川行きの乗り換えて最初の駅の名前を見て驚いた。

「大谷向」を「だいやむこう」と読むとは知らなかった。「だいや」と聞くと、ダイヤモンドのダイヤか列車ダイヤのダイヤとかを思い出す。日本語にこういう言葉があるとは知らなかった。ここは大谷川を渡ってすぐのところ。大谷川は東照宮の手前で神橋が掛かっている川。「おおたにがわ」と読むのだと思っていたが、正しくは「だいやがわ」だということ。(それも帰りの列車の車窓から川名の標識が見えて、それのローマ字表記で分かったのだが)

大谷向とは、大谷川を渡った(今市中心部から見た)向こうという意味だろう。

ちなみに東照宮そばの神橋は、「かみはし」と読むのだと思っていた。前に来たときにはちゃんと「しんきょう」だと認識してたにもかかわらず。それで、今回日光駅へ向かう路線バスの自動案内で「しんきょう」と読むのだと再認識した。ずっと以前、行徳街道を本八幡へ向かうバスに乗ったとき、自動案内放送で初めて香取(かんどり)、下新宿(しもしんしゅく)、稲荷木(とうかぎ)だと知ったのを思い出した。

鬼怒川と今市はそれほど高低差はなく、どちらも380m前後。鬼怒川温泉へ着いたときは天気は回復。駅前は雪は残っていたが、日光ほどではなかった。

考えてみると、今市から日光は高低差が100と数十メートルあるわけで、東武もJRも頑張って走っている。

駅前広場には鬼怒太という鬼の像。観光PR用のマスコットのようだ。

鬼怒川温泉は昔に比べて観光客が減って苦しいと聞いていたが、駅前を見る限り寂れたような雰囲気はなかった。でも、歩いて行くと閉鎖されたホテルがあったりする。

今夜、泊まる鬼怒川御苑に着いた。

平日の割安プランで一人でも泊めてくれて、大浴場で温泉に入れて、晩飯も朝飯もあるところを探して、おそらく一番安上がりだろうということでここにした。素泊まりとか、晩飯無しで朝飯のみなら1万円を切るところはあったが、2食着くとどうしても1万円を超える。そのなかで1万1千5百円だからまあいいほう。ホテルも決して新しい建物ではないが、きれいに思えるほうだった。

ゆっくりと温泉につかってから晩飯といきたかったので、午後4時にチェックイン。

温泉に入ってのんびりして、午後6時から晩飯は和洋中のバイキング。

年末年始の2泊3日の家族旅行では、新幹線車中の弁当以外の昼飯、晩飯はかならず定番の刺身と天ぷらが出て来た。それプラスその地域の特産物を使ったご飯物や小鉢類。つまり、ほとんど宿の料理のようなものばかり。だから、刺身と天ぷらはいいので、好きに食べることができるバイキングのほうがありがたい。このホテルにしたのも、今回のプランの晩飯がバイキングだったから。

最初に取ってきたのもほとんど洋食か中華のから。それと生ビールを注文。

ビールが終わったあと、お酒メニューには栃木の地酒があったので注文。鳳鸞酒造鳳鸞霜花。本醸造の生酒。吟醸もあったが、味が軽いから、本醸造のほうが飲み応えがあると勧められてこちらにした。

最初に取ってきたのを食べ終わって、次もまた洋食か中華のを取ってくる。でも、日本酒を飲みながらなら和食も食べたいので、締めの食事の分は刺身とにぎり寿しとずわいがにの脚を一本。

食べ終わろうとするころに急に胃が苦しくなってきた。調子に乗ってちょっと食べ過ぎ気味。部屋へ帰ってベッドに横になってしばらく休息。吐いたりすることはなく、徐々に治まってきた。食事のあと、もう一回温泉に入りたかったが止めておき、翌朝、入ることにする。