行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2004年11月29日(月)の日記

2004年11月29日 | 2006年2月18日までの日記
朝晩がかなり冷え込んできた。どうやら冬が来たようだ。

先週末、昨日まで飲むことが多かったので、新聞を読んでいない。木曜からのがたまっていて、一通りさらっと見て興味のある記事だけ目を通してもけっこう時間がかかる。あっという間に10時を過ぎて11時。

晩飯はなか卯で豚あいがけカレーとキャベツサラダ。

2004年11月28日(日)の日記

2004年11月28日 | 2006年2月18日までの日記
9時頃起きてパジャマなど厚ものの洗濯のあと、この前、オーバーホールに出したBD-1で地元の神社へ紅葉ハンティングに行く。といっても、ほとんどは黄色く色付いたイチョウ。でもイチョウによって黄色いのやまだ緑がかったのや差が結構ある。

帰ってきてから都内小川町へ。サイクリングウェアの冬物を買ってくる。昼飯は小川町あたりのラーメン屋で野菜炒めセットだった。
帰ってきてからホームページの更新。地元紅葉めぐりで、いい写真+内容のバランスを考えて選び更新用を作る。
UPする前にコンビニの幕の内弁当と缶ビールと焼酎ロックで晩飯。

晩飯が済んで、内容を文面などもう一回チェックしてからUPする。

2004年11月27日(土)の日記

2004年11月27日 | 2006年2月18日までの日記
昼前に秋葉原へ行ってデジカメを1台買ってくる。
今までは撮影をした画像はホームページに使うか、パソコンのディスプレイで見るぐらいだったが、プリントアウトしてみると面白く、人に見せたくもなったりする。
そして、今までは最高で200万画素のデジカメしか使っていなかったが、A4などでプリントアウトするにはやはり400万画素ぐらいが欲しくなり、先週末にラオックスに行ったときに目を付けていた機種を買う。400万画素だが数ヶ月で新製品が出て型落ちしたやつなのでかなりお買い得だった。

ホームページを作り始めてからパソコンはその制作用途が中心になり、秋葉原へ行く回数が激減した。今日は、昼飯時に秋葉原に行ったので、数年ぶりに裏通りにあるインドカレーのラホールに行く。都内のビジネス街には割とあるチェーンらしいが、秋葉原の店しか知らない。食べたのは辛口(3辛)のメンチカツ載せ。これでも相当の辛さ。昔はその上の5辛の激辛も挑戦したりしたこともあったが今はちょっと無理だろう。

午後6時前から行徳文化ホールI&Iでの庄野真代コンサートに行く。僕の年代だと庄野真代と言えば、自分が高校生の頃の1977年~1978年にかけてのニューミュージック(今は死語^^;;)ブームの頃の「飛んでイスタンブール」の歌手というイメージ。アレンジは違うがその「飛んでイスタンブール」もあった。そして、この前の新潟中越地震の地域に慰問に行った話や、最新のアルバムに収録されている曲など1時間半ぐらいだったが飽きさせない内容だった。

そのあと、串揚げの喜多朗 (店のHP)に行く。
8本コース+追加でアラカルトを6本。アイスクリームの串揚げは今は休止中だったが、12月から再開するようなことを言っていた。

2004年11月26日(金)の日記

2004年11月27日 | 2006年2月18日までの日記
週中に祝日があったせいか、週末になるのがずいぶん早く感じる。もっともそのほうがいいのだが(^^;;。

夜は6時半頃に会社を出る。晩飯はなか卯でミニ豚丼となめこおろしそば。なめこおろしそばは今年秋初登場だが、まだ食べていなかったので一度は食べておこうと注文。
練りワサビが一緒に出てきて、それを七味代わりに入れて食べるというのが面白い。

屋根裏部屋折りたたみ自転車コーナーのツーリングレポートがたまり気味になりつつあるので、今日は作りかけだった1個を一気に仕上げる。11月7日に高尾から五日市、青梅、飯能、狭山と走ったときのである。午前0時前にはなんとかUP。

2004年11月25日(木)の日記

2004年11月25日 | 2006年2月18日までの日記
昨日のほうが疲れたせいか、今日はそんなにしんどくない。坂を上るコツがようやくにしてつかめてきたのか、筋肉痛もそんなでない。やはり、坂は脚だけでなく全身の筋肉を使って上るものなのだ。

今日は帰りに南行徳公園そばの源さんに行く。なかなか繁盛していた。
会社へ行くときにかばんに忍ばせていった祭りの写真のプリントアウトを、お客さんが少ないときに出して見せる。そのうちお客さんが増えてくるが、人によって反応が違うのが面白い。

食べたものは、生ガキ、アンキモ、豚の軟骨(のど骨)焼き、ポテトのピザ風。ポテトのピザ風は最近のヒット作。
飲み物は瓶ビールのあと喜多方の地酒で夢心喜多の華

前に行ってから3週間の間にカラオケが入っていた。人が歌うのを聞いていると自分も歌いたくなり、一番燃える10代の頃のアニメ主題歌の中から「ゲッターロボの歌」(^^;;。

2004年11月24日(水)の日記

2004年11月24日 | 2006年2月18日までの日記
年を取ってくると、運動をした翌々日がしんどいと言うが、昨日のW峠越えがかなりハードだったのか、それとも帰ってきてから飲んだのがよくなかったか、翌日なのにしんどかった(笑)。
日付が変わる前に寝ようと思っていたら、もう11時半を過ぎてしまっている。早く一風呂浴びて寝よう(^^;;。

晩飯はなか卯でミニ豚丼と月見うどんとキャベツサラダ。

帰ってきてから、月曜日に録画しておいたスーパーチャンネル「バビロン5」第一シーズンの再放送を見て、それから昨日写した画像ファイルの名前付け替え作業をやる。

2004年11月23日(火)の日記

2004年11月23日 | 2006年2月18日までの日記
前回の折りたたみ自転車日帰りツーリングは、行く予定の林道が土砂崩れで通行止めだったりして、不完全燃焼感が残った。
今回は県道で峠を越えるコースを1日で2箇所越えるのにチャレンジする。

朝6時過ぎに南行徳駅から輪行して東海道線で小田原まで行き、大雄山線というローカル私鉄に乗り換えて終点の大雄山までいく。(ちなみにこの駅は駅名のように山がすぐそばにあるわけではない)
そこからスタートして足柄峠を越え御殿場へ、昼飯を食べて次は長尾峠を越えて箱根へ下り、箱根湯本駅から輪行して帰ってくる。快晴だったおかげでで、富士山が実にきれいに見えた。

だが、さすがに1日でW峠越えをやるのは疲れるものだった(^^;;。

昼飯は御殿場の県道沿いにあったはごろもというラーメン屋でにらラーメンと焼き餃子
晩は、帰ってきて片づけをしてシャワーを浴びて、デジカメ画像をPCへ移してバックアップを取ったりしたあと、居酒屋オンドリへ。
前はあったがいつの間にかメニューから消えたポテトコロッケがおすすめメニューで復活していた。まずそれを食べる。
そして体力を消耗した日は大味な物を食べたいという欲求が強くなるのか、特レバ、和風サラダハーフにんにくスパゲティ
飲む方は体力を消耗していることを考えて、ビール中生2杯と小生1杯に押さえる。

2004年11月22日(月)の日記

2004年11月22日 | 2006年2月18日までの日記
飛び石連休の谷間なので気分がだるいが、大きなトラブルもなく早めに帰れる。明日も晴れそうだ。

晩飯は南行メトロ高架下の天善で生姜焼きと鳥唐とハンバーグの盛り合わせ定食。
本屋で「週刊スタートレック・ファクトファイル」91号を買って帰る。火曜発売だが明日が祝日なので今日の発売。

2004年11月21日(日)の日記

2004年11月21日 | 2006年2月18日までの日記
天気はよかったが厚もの類を洗濯して脱衣場干し。除湿器速乾モードで乾燥させる。

昼前に、新浜小学校そばにある自転車修理・中古自転車販売のスギヤマへ行き、オーバーホールを頼んでおいたノーマルBD-1を受け取ってくる。
買ってから3年と4ヶ月目で初めてのオーバーホールだったが、買ったときと同じレベルまでペダルも軽くなり、走行中のノイズが出ていたのもほとんどなくなり、変速もスムースに動くようになった。さすがにプロの技術で整備をしてもらうと見違えるようになる。

そして、一旦帰ったあと、行徳文化ホールI&Iでのコンサートに出かける。その前に、バイパス湊新田のすき家で牛丼と味噌汁を食べていく。牛丼を食べるのは久しぶりだが、やはり肉の量が少ない。

コンサートはこの前、チケットを買っておいたN響メンバーによる弦楽五重奏。新しいホールだし、設計がよいのだろう、音の響きもよかった。
もっとも、昨日の飲酒のせいで体内の水分が減ったのか、鼻の粘膜が乾燥して午前中、鼻炎の症状が出てしまい、鼻炎カプセルを飲んでいたために、眠くなってしまうのがきつかったが(笑)。

そのあと、電車で葛西の馴染みの床屋に行って散髪をして帰る。
晩飯はコンビニの幕の内弁当。

2004年11月20日(土)の日記

2004年11月20日 | 2006年2月18日までの日記
昼頃から東京ビッグサイトへ国際自転車展を見に行く。自分が(一般にはユニークとされている)折りたたみ自転車を持っているだけに、新しく登場した小径車などユニークな自転車が目を引く。

自転車展を見たあとは秋葉原へ行って、デジカメ画像処理用のソフトを買う。
それから上野のほうへ歩いていってBD-1を買った自転車店をのぞいてくる。

そのあと、上野広小路の魚料理行徳へ行く。
瓶ビール小瓶と白雪樽酒を升で3杯。食べ物はあじ刺し、子持ちこんぶ、かれいの煮物、あらわん。

この前、プリントアウトした行徳地区の祭りの写真をデイパックに入れて持っていった。
行徳へ行くのはたいてい土曜日で、ずっと一人ということも多いのだが、今日はにぎわっていた。それで、客が自分ととなりの2人になったところで、ディパックからフォトアルバムを出す。

すると、となりに座っていたのが、どこかの会社の社長さんと、そのあたりで店をやっている韓国人の女性だった。そして、その社長さんは、土木関係の、まあ、あまり大きくないだろう会社の社長らしいのだが、かつて昭和40年代~50年代にかけて、行徳地区の区画整理事業に参加した業者だということだった。

それで、話が盛り上がった。
「行徳」という名前の店なので、ご主人と奥さんに見てもらえばいいと思っていたのだが、行徳と関わった人に出会うとは、偶然とは言えかなり珍しいことだろう。