行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2011年2月28日(月)の日記

2011年02月28日 | 日記

午後3時過ぎにビルの外を見たら雪が舞っていた。昨日の夕方の天気予報で、低気圧の通過ルートが南北にちょっとずれるだけで、関東は暖かい雨か、それとも雪に変わるかもしれない冷たい雨かのどちらかに分かれると言っていた。結局、低気圧は南寄りに通って、北の冷たい空気を呼び込んだようだ。関東は先週金曜日の春一番以来、春の陽気と寒の戻りが日替わりで来る。一足飛びに春にはならないと分かっているけど、この変化は凄まじい。

晩飯はしっかりめに食べようと、天善かつ壱番屋焼魚と鶏の唐揚げとイカフライがセットのC定食を食べる。焼魚はさんまとさばが選べるが、さんまにする。

しっかりと食べて今日はダンベルエクササイズ。上半身メニューをやる。


2011年2月27日(日)の日記

2011年02月27日 | 日記

朝飯は、南行徳一丁目の東西線高架沿いの道にあるホームベーカリーのホシナへ行って買ってくる。

この店はおそらく、自分が南行徳に引っ越してきた22年前にはあっただろう。建物もかなり古い感じだし。でも、これまでここでパンを買ったことはなかった。ホームベーカリーというと、これも引っ越してきたときにはすでにあったと思うが、南行徳メトロセンターの二木のパンや、もっと後でできた店でリヨン・セレブが頭に浮かぶ。ホシナの存在は知っていたが、たまに休日にホームベーカリーで買ってこようと思うときに、頭に浮かばない。

自分が住んでいるのが南行徳のバイパス側。駅前なら海側の店にも入るが、ちょっと離れたところだと、東西線高架沿いでも海側の道を歩く回数が全然少なくなってしまう。それで、意識になかなか上ってこないのだろう。先日、たまたま前を通って、この店に一度も入ったことがないと思ったので、ようやく休日の朝のパンを買いに一度行ってみようと思ったのだった。

今日、買ったのはラズベリーデニッシュ(100円)、辛口カレーパン(110円)、ハム玉子サラダドッグ(160円)で、合計370円。

これまで買ったことがあるホームベーカリーに比べてずいぶん安いと思った。小規模な個人経営の店のようだから、人件費があまりかからないのかもしれない。でも、味はちゃんとしたものでおいしいと思えた。特に辛口カレーパンはなかなかの辛さ。一口食べて辛いというものではないが、咀嚼するうちに辛さが口の中に広がって、ヒリヒリとしてくる。そして、飲み込んだ後もしばらく残る。

昨日は洗濯物の半分をやってから出かけたから、残りの洗濯と掃除やクリーニング出しは今日の午前中にやる。そして、昼前にカメラを持って春めいた風景を写しに自転車で出かける。

ダイエー南行徳店に去年、出来たハンバーガーのドムドムはやめてしまったらしい。20年ぐらい前よりは味もよくなったと思ったが、続かなかったようだ。その区画にはコメダ珈琲店が工事中。3月中旬にオープンとのこと。

名古屋から進出してきたチェーンで新浦安にはすでにあると聞いた。どんな店かはオープンしてからのお楽しみということになる。

野鳥の楽園の遊歩道沿いは早咲きの河津桜でピンク色になっていた。

昔はこんな桜はなかったが、ここ何年か(3年か4年ぐらい?)で植樹が進められたようだ。野鳥観察舎付近には植えられていないが、今井橋通り寄りと鴨場寄りの区間にずらっと並べて植えられている。

野鳥観察舎前から野鳥の楽園の干潟。

行徳駅前公園に来ると、通路沿いでフリーマーケットをやっていた。今日のようなぽかぽか陽気だと、やっている人たちもお客さんたちも気持ちがよいだろう。

本行徳のほうまで来て寺町通り。道の通っている向きの関係で昼頃でも沿道の建物の影が被さるが、でも歩道整備が終わった去年の11月頃に比べたら、春めいてきた今はずっと明るい。

なお、今年の寺のまち回遊展は3月26日(土)の予定で、去年の区域(関ヶ島まで含む)に加え、妙典の旧成田街道沿いも会場範囲になるとのこと(→てらまち会のサイト

バイパスに出たところで、くるまやラーメンで昼飯。得とく味噌ラーメンバターのトッピング。

明後日3月1日からイオンに名前が変わるサティのところへ来る。看板類はすでにほとんど、SATYからAEONへの変更が終わっていた。

新聞折込のチラシにも載っていたが、当然、店にも店名変更のお知らせが貼られている。変更後はイオン市川妙典店になる。

妙典は建物が3つでそれぞれ1番街、2番街、3番街と呼ばれてきたが、この呼称は引き続き使われるようだ。

今日のトップページレポートは季節もので、春めいた風景のレポートにする。妙典のサティがイオンに店名変更するのは、実際に変わってからにして、次の週末のレポートになるだろう。

家に帰ってから夕方までに、写してきた写真でトップページレポートを作り、UPする。

晩飯は南行徳メトロセンターへ。松屋で焼肉メニューの期間限定値引き中で、今はふだん680円のかルビ焼肉定食が140円引きの540円。

で、そのカルビ焼肉定食を食べる。

680円というと大して高いわけでもないのに、その店で一番高いというと、どうも引いてしまってなかなか食べない。前に食べたのはいつかと検索したら、おととしの4月だった。 


2011年2月26日(土)の日記

2011年02月26日 | 日記

建国記念日の3連休のときは、1日目と2日目にそれぞれ出かけて、3日目は家で録画した映画やTV版組を見ながらゆっくり過ごそうと考えていた。ところが、南岸低気圧のせいで1日目と2日目が荒天で結局、出かけるのは延期した。1日目は小田原城へ行ってそのあと地魚を食べて昼呑みするつもりだったが、これは前の土曜日に行った。そして2日目の予定として考えていたのが、東静岡の実物大ガンダムを見に行くこと。これを今日、実行。

午前10時過ぎの新幹線で静岡へ向かう。空は快晴で東京都内の高架上からも富士山が見えたが、三島あたりでは雲が出て富士山を隠していた。でも、新富士付近まで来ると再び姿を現した。

静岡から在来線に1駅だけ乗って東静岡到着。

駅前の静岡ホビーフェア会場へ。

おととし、東京お台場へ2回、見に行ったガンダムとおよそ1年半ぶりに間近での再会。今回のは、ビームサーベルを手にしている。

ビームサーベルをアニメ画面でのようにピンク色に光らせるのは、日が落ちてからのようだ。

アニメの設定画に一番近いのではないかと思える角度から写した1枚を、大きく載せておく。

間近で見たときはやっぱり感動するが、でも、30分もいれば十分。今回、来て思ったが、どうも大きな仏像・・・奈良大仏、鎌倉大仏、牛久大仏、大船観音、東京湾観音などを見に行ったときと似た感覚。複数回見に行ったことがあるものも、大きな姿を見たときは「おおっ!」と思うが、1時間も2時間も見ていたいと思うようなものではない。ホビーフェアの会場には飲食や売店のブースがずらっと並んでいたが、それがどうも門前町の商店街のように思えてきた。

お台場の次は東静岡でガンダム像が公開されたわけだけど、こうなると、このガンダムがJR京都駅の巨大吹き抜けに立つ姿を見たいとますます思えてきた。京都駅が出てくるのは、映画「ガメラ3」でガメラと敵役怪獣イリスが京都駅の巨大吹き抜け内で戦う場面からの連想だ。

こんなことは、もし、企画を立ち上げてお金を集めることができた人がいたと仮定しても、やはりそのあとの技術的な問題で困難だろうとは思う。ガンダム像は巨大模型を自立させているのではなく、地中に食込む基礎を作ってその上に組上げた建造物。京都駅の1階の下は地下フロア、地下街、地下鉄の駅、電気・ガス・水道などのインフラ類があるだろうから、建てる場所がまず問題になる。それをなんとかクリアしても、見物人をどうやってさばくかが次の問題。京都駅は京都という大都市の玄関駅で、通勤ラッシュ時間は大混雑するし、一大観光地の玄関駅として年間通してごった返す。そこにガンダムの見物客を受け入れる余裕はとてもなさそうだ。

なので、「ガンダム、京都駅に立つ」は自分の夢にしておくしかないようだ。

もし、関西方面にガンダムを持って行くなら、設置場所はどこがいいだろう。まず思いつくのは大阪城公園。大阪城が登場した(そして壊された)怪獣ものはいくつかあったが、ガンダムを持ってくるのも面白そうだ。もうひとつは万博記念公園。ガンダムと太陽の塔の共演ができそうだ。

 

静岡の中心部で見物するような場所というと、地図で見る限り駿府城跡の駿府公園ぐらいのようだ。昼飯を食べてから駿府公園をちょっと見て、早めに帰ることにする。

静岡駅から駿府公園にかけては昔の城下町だった旧市街。ずっと商店街が続いている。県別マップルには「北街道」という道路名が記載されていた。写真に写った側の町名は鷹匠(「たかしょう」ではなく「たかじょう」と読む)で、由緒のありそうな名前だ。

商店街は道路のどちら側も、露店が出ていた。祭りなどではなく、商店街振興のイベントのようだ。先週の小田原でも同じような光景を見かけた。南行徳メトロセンターのワゴンセールもだけど、商店街は大きなショッピングモールからお客さんを呼び戻すために、いろいろな工夫をしているようだ。

露店が出ている区間を抜けてしばらく行ったところで目に付いた店。店先に手打ちうどんと出ていた。器いろ(きいろ)という店。

スープカレーと手打ちうどんとコーヒー・ケーキの店という、一見、変わった感じの店。

カレー+うどんだとカレーうどんになるし、メニューを見てもそれがウリのようだ。

でも、その下に書かれた釜揚げうどんが目に付いた。今の季節は釜揚げがおいしいし。それで、天ぷらも一緒になった天付き釜揚げうどんにする。

麺は細めだけどしっかりしていたし、つけ汁もおいしかった。久しぶりに釜揚げうどんで満足。

「器いろ 静岡」で検索すると、この店とは少し離れた場所にある割烹の情報が出てくる。自分が入ったほうはうどん茶屋の器いろ鷹匠店というらしい。

飯のあと、北街道から折れて駿府公園のほうへ向かうとお堀にぶつかった。

昔の駿府城は外堀、中堀、内堀の三重の堀で囲まれていたそうだけど、これが昔の中堀ということ。

お城関係の建物は一度、すべて消えたらしいけど、門の一つの東御門が再建されていた。

先週の小田原城でもあったが、最初の門をくぐると石垣・土塀で四角く囲まれ、90度曲がって次の門から出る枡形門だった。

公園内には内堀の一部が残っていた。

一本だけだが、早咲きらしき桜が咲いていた。

花はそんなに目に付かなかったが、ほかには白梅もあった。

夕方までには家に帰り、今日の日記のここまでに部分を書く。

そのあと、居酒屋オンドリへ。

最初は生ビール。食べるほうの最初のは中トロのフライパルメジャーノレジャーノ

「パルメジャーノレジャーノ」はチーズの名前で、まぐろ中トロのフライの上にこのチーズを載せている。このチーズが隠し味になったのか、ソースなどはまったくかけずに食べることができた。

生ビールの後は地酒で瀧自慢。食べるほうは小肌

大葉を捲いた形で出てきた。

2杯目の地酒は田酒。食べ物は酔っ払いどりの冷製

そして締めはライムハイと大人のポテトサラダ


2011年2月25日(金)の日記

2011年02月25日 | 日記

昼休みにビルの外へ出たら、ぽかぽか暖かくて南からの強い風が吹いていた。あとでニュースサイトを見たら、関東の春一番だったということ。でも、明日にはもう寒の戻りのようだ。夜になったら、部屋の中でも聞こえてくるような強い北風の音が聞こえている。暖房を入れないとやっぱり寒い。

晩飯は南行徳メトロセンターの一心亭函館焼塩ラーメンを食べる。

前にも日記に書いたけど、この函館焼塩ラーメン、好きなのに年に1回程度の割りでしか食べていない。だから、今年はもっと食べたいと思う。最後に塩味スープをすするときが特に楽しい。


2011年2月24日(木)の日記

2011年02月24日 | 日記

今日を入れて、あと5日で2月も終わり。とにかく2月は短いから、他の月の24日頃に比べてずいぶんと慌ただしい。

晩飯は南行徳を降りてやよい軒。肉類を食べたいと思っていたが、期間限定メニューにとまとチーズハンバーグ定食があったので、それにする。

昨日は中ジョッキぐらいのでビールを1杯飲んだだけだが、慌ただしい週の後半だからか、ちょっとだるめ。でも、がんばって今日はダンベル。下半身メニューをやる。

天気の変化が早くなってきて、次の週末は土曜日は晴れそうだが日曜日にはもう崩れるらしい。なかなか土日ともいい天気とはいかない。


2011年2月23日(水)の日記

2011年02月23日 | 日記

帰りはコートのボタンを留めないで平気なぐらい暖かくなっていた。三寒四温の天気変化の四温のほうに入っているのだろう。週末には三寒に入るようだ。

帰りは南行徳駅前の福満溢へ。

前から、帰宅時に前を通ると気になっていた黒板。生ビールと食べ物をセットにした「寄り道セット」が3種類載っている。

居酒屋へ行ったら飲む量が多くなってしまうから、食事と一緒に軽く飲みたいぐらいのときに一度、注文してみたいと思っていた。今日はちょうどそういう気分だったので、迷わず福満溢へ行く。

五目チャーハンと焼ギョーザとセットのBセットにする。最初に生ビールが出てくる。

この店の生ビールはアサヒの樽生。生ビールは最初の一口がうまいが、樽生は爽快さが格別。ビールとセットにしたお得メニューをやっているところは他にもあるが、福満溢のが気になったのは生ビールが樽生だから。

ざっと炒めるチャーハンと、焼く必要があるギョーザは調理時間がだいぶん違うが、チャーハンが先に来て、ギョーザがなかなか来なかったりするのではないかと、ちょっと心配した。すると、ビールが来てから8,9分後にチャーハンが来た。ビールは店内のテレビを見ながらゆっくりと飲んでいた。

そしてチャーハンの1分後ぐらいにギョーザ到着。

今回だけから見ると、出すタイミングが大きくずれないように段取りを考えて調理をしてくれていると思えた。


2011年2月22日(火)の日記

2011年02月22日 | 日記

1月頃の寒さに比べたら気温も徐々に上がってきて、身体もずいぶんと落になった。でも、朝は布団から出るのがまだ億劫で、着るものが多いせいもあるけれど、夏の時期に比べて乗る電車が2本ぐらい遅いのになっている。それでも始業に余裕があって遅刻するわけではない。

晩飯はなか卯。鴨そばか鶏塩うどんを定食で食べようかと思っていたが、鴨そばはもう終了していた。それで鶏塩うどん定食にする。

鶏塩うどんは去年は5月ぐらいまでやっていた。売れ行きがよければ、今年もそれぐらいまでやるかもしれない。

食べ物屋でも冬の季節メニューが終わる時期になった。あと1週間で3月だから、徐々に春めいてくるだろう。


2011年2月21日(月)の日記

2011年02月21日 | 日記

Excelにデータを入力してチェックするというのを、朝から夕方近くまでずっとやったので、今日は目が疲れた。今日の仕事は間違えないように緊張するが、単調だから、あとから思い出そうとしてもあまり印象に残っていない。

南行徳を降りてから、晩飯は何にしようかと思って松屋のところまで来ると、期間限定値引きのポスター。牛焼肉定食が140円引き。

ずいぶんお得に思えたので食べる。

メトロセンターの壁や柱にはワゴンセールのポスター。最近は月1回ぐらいの割りでやっている。

隣の写真を印刷したのは何かと見てみたら、子供向けにゲームコーナーを設けていて、その写真。お客さんを集めるのにいろいろと工夫をしているようだ。やれることはどんどんやったほうがよいだろう。

今日は休み明けだけどそんなにだるくないから、夜はダンベルをやる。今回は上半身メニュー。


2011年2月20日(日)の日記

2011年02月20日 | 日記

冬場の洗濯は土日に半分ずつやるので、昨日の分は出かける前にやって、脱衣場の突っ張り棒に干して除湿機の速乾モードをタイマーで動かして行った。今日は洗濯の残り分と掃除とクリーニング出しをやる。 

昼頃、散髪をしに葛西の床屋へ行く。今日も空はどんよりとした曇り空。南関東だけがこうらしい。写真は南行徳駅のホームの一番行徳寄りから。

散髪をして葛西メトロセンターのロッテリアで昼飯。

無印のハンバーガーのセットデカチキンを食べる。セットのドリンクはコーンポタージュにする。

葛西のロッテリアは2階の客席があり、窓際の席に座って駅前の光景を眺めながら食べるのはいい気分。このロッテリアができたのは1985年(昭和60年)の2月か3月。もう丸26年になる。

自分が社会人になったのが1984年で、葛西にあった独身寮に入った。その頃の葛西メトロセンターは、ロッテリアがあるほうの区画はまだ何もない、単に高架下の通路だった。高架と交差する道を渡った先の西葛西側の区画だけがあった。

駅南側のバスターミナルは、歩道部分もタイル舗装ではなくアスファルトのままだったと思う。乗り場の雨除けの屋根もまだなかった。

1984年の3月頃、独身寮のあたりがどんなか下見に来たときは春の強い風が吹いていて、バスターミナルは砂埃が舞っていた。
「葛西ってこんなとこなのか!」
と、ちょっと陰鬱な気持ちになった。もっとも、周りはすでにビルが立ち並んでいて、その後も新しいビルも建ったが、駅前から見た印象は今も変わらない。街の中に入ってみると、そんなにひどいという感じではなくて、駅前の様子で損をしているように思えた。

その年の秋ぐらいからバスターミナルも高架下の通路だったところも整備が始まって、1985年春にはきれいになった。でも自分のほうは、残念ながら、会社の都合で原木中山の独身寮に移ったので、あまり恩恵がなかった。

 

帰ってから、火曜日に買ったデアゴスティーニの東宝特撮映画DVDコレクション「日本誕生」(1959年(昭和34年))を見る。ちょうど3時間かかる長い映画。

特撮映画コレクションにラインアップされる作品だけに、最初から特撮映像が炸裂。イザナギの神とイザナミの神が日本列島を作る場面。

物語は日本武尊(三船敏郎)が主人公で、古事記や日本書紀を元にしたということ。神話の話は劇中で語り部の老婆(杉村春子)が語る物語として描かれる。

神話の場面で天岩戸にお隠れになった天照大神を呼び出すために、神々が歌と踊りの祭りを催す場面。ここで流れる岩戸神楽の曲はどこかで聞いたと思ったら、「ゴジラ」に登場する大戸島の神楽の曲とほとんど同じだった。

DVD付属の解説を見ると、やはり音楽は「ゴジラ」と同じ伊福部昭だった。

作曲家が同じだから、他にも「ゴジラ」で流れたのと似たような曲が登場する場面があった。ヒロインの弟橘姫(司葉子)が入水したあとの場面。神に仕える巫女で男に恋することも御法度の身ながら、日本武尊を慕うあまり東国遠征について来てしまう。だが、尊の船団が突然の嵐で危機に瀕したとき、神様の罰だと言って海に飛び込んでしまい、そして嵐が静まる。ここで流れる曲が、「ゴジラ」で少女合唱団が歌う平和の祈りの歌にメロディが似た感じだった。

天照大神役は原節子。

特撮映画で原節子を見るとは思わなかった。原節子が引退したのは1962年(昭和37年)で自分などはまだ赤ん坊の頃。だから、原節子と言うとメディアを通して伝説の女優という話しか聞いていないから、神秘的で男たちを魅了していたであろうというイメージしか持っていなかった。一方、特撮ものと言うと子供向きという世間一般のイメージがあるし、当時もあっただろうから、伝説の女優とは結びつかない。最近、昔の邦画をいろいろと見るので、原節子が決していつも微笑んでいるだけの女神様のような役ばかりやっていたわけではないということが分かってきた。スターと呼ばれた人が引退して伝説化すると、現役だった時代の実際のイメージは正しく伝わらないものだ。

「日本誕生」は東宝の製作1000本の記念映画だったそうで、相当にお金をかけていたということだ。三船敏郎、原節子、杉村春子以外にも田中絹代や鶴田浩二をはじめ当時、映画界の大スターだった俳優が大勢出ている。

特技監督は当然、円谷英二。神話の場面でも八岐大蛇が最も怪獣映画的。

後のキングギドラの原型を見たと思えた。

ずっと前、「知ってるつもり」の円谷英二特集でちょっとだけ流れたのは、ラストの火山の噴火場面だった。

円谷英二も特撮の中では、火と水の特撮が一番難しいと感じていた、とかいった話だったと思う。

東宝の特撮と言うと怪獣やメカアクションの印象が強いが、そうしたものをウリにしない作品もいろいろと試みられていたのが分かる。自分が覚えているのは中学生の頃(昭和40年代の終わりごろ)にやっていた「日本沈没」などだが。昭和30年代の作品は物心が付いていないか生まれる前だし、テレビ放映も怪獣もののように視聴率が取れないからかもしれないが、あまりやらないので存在を知る機会も少ない。見たことがあるのは「世界大戦争」がぐらいだ。

怪獣やメカがウリでない特撮映画が少ないのは、やっぱり観客を動員できないからだろうと思う。「日本沈没」は小松左京の原作小説のヒットしたし、映画も大ヒットだったが、そういうのは例外だったようだ。すると、東宝がかなりのお金をかけた、この「日本誕生」がどれぐらいヒットしたか興味が湧くが、そうした情報はなかなかない。

 

晩飯はバイパスのめん組正油海老ワンタンメン

ラーメン屋を出たら、弱い雨が降り出していた。南関東はなかなか天気がよくならない。


2011年2月19日(土)の日記

2011年02月19日 | 日記

この前の3連休に行こうと思っていたけど、悪天候で延期した、日帰り小旅行でおいしいもの食べて昼呑みに、今日、出かける。

東海道線で小田原へ。

飲み食いだけでは面白くないので、小田原城へ行ってみる。新幹線の車窓からは何度も見ているが、訪れるのはこれが初めて。小田原駅から線路沿いにも行けるようだけど、裏門から入ることになるから、街中を歩いて正面口へ向かうとお濠端に出た。

赤い橋は学橋というらしいけど、正面口はこれではなく、さらにその向こう。

正面口の馬出門に来た。

門から入ったところは土塀で四角に囲まれていて、こういう門を枡形門と呼ぶとのこと。90度曲がって2番目の門をくぐって枡形の土塀から出る。

内側の堀に沿って「コ」の字型に歩き、

二番目の枡形門の銅(あかがね)門へ。

こちらの門をくぐって枡形を出て、二の丸に入る。

門も枡形だけど、お城へ入るルートも何度も直角に曲がる枡形道路とか鉤型道路とかと同じ形になっている。城下町の多くは鉤型の道が設けられているし、江戸時代初期に作られた街道の宿場町にもそうした道が作られている。行徳街道も江戸時代初期に作られた街道だが、いくつも鉤型が残っている(→こちら)。鉤型の道はいくさの時に敵の勢いを止める目的で作られているのだが、お城に入る道も攻められたときに備えて同じように作られていることがよく分かる。

本丸へ入り天守閣へ。これは昭和の時代に復興されたもの。中は博物館になっている。

最上階の展望台へ。豊臣秀吉が小田原攻めのときに一夜城を築いたという石垣山。

こちらは小田原の市街越しに相模湾。

天守閣の次は小田原城歴史見聞館も見てくる。

出るときは赤い学橋を渡る。すると、もう昼飯時。いよいよお楽しみの時間。小田原の中心繁華街へと向かう。

小田原へ来たことがないわけではないが、中心繁華街をゆっくり歩いたりしたことはなかった。地魚が食べられて昼呑みできそうな店は、あらかじめネットで調べておいた。ネットで出てこない隠れた店はあるかもしれないが、初めて昼呑みをする土地だから無難そうなところでいく。

小田原駅すぐ近く、繁華街の道から脇へ入るおしゃれ横丁という細道がある。

そこを少し入ると道が鉤型になったところ(これも城下町だからか?)にあるのが海鮮問屋ふじ丸。建物の2階にある。

最初は中生。メニューの表紙にはウリである刺身盛り合わせの本日の魚が載っている。

刺身六点盛りまぐろほほ肉のステーキを注文。まぐろほほ肉ステーキが先ず来た。

そして刺身六点盛りの登場。メニューの名前は六点盛りだけど、実際には魚介類は九点。種類が多くなるのだから別に気にしない。

ただし、アジは調理法がちょっと違うものが一点ずつ。小田原で地魚というとアジだから、それで二点付いてくるのだろう。そういえば、小田原も、もっと東京よりの大船も名物駅弁は小鯵を使った押し寿司だ。

ビールが終わって日本酒。この地域の地酒で箱根山の原酒を一合。グラス一合ではなく徳利で一合だった。

小田原周辺の地酒は箱根山しか置いていなかった。他におすすめで瀬戸内海小豆島の磯松があったので、それを一合。今度は枡を受け皿にしてコップで一合。

もっと地元の地酒を置いていないのだろうかと思ったが、小田原駅のごく近くだと、観光客だけでなく地元の人も来る居酒屋だから、日本酒も焼酎もいろんなところの銘柄を置いておかなければならないのだろう。小田原市は人口20万人の都市だし。

日本酒と刺身が終わって、あとは焼酎で芋猿をロックで。それとたらの目の天ぷらを食べて締め。

この店は平塚富士キッチンという会社の経営。小田原周辺の西湘地域で海鮮の居酒屋と焼肉屋を何店か展開している。公式サイトの印象からすると、チェーン系居酒屋の雰囲気に近いかと思ったが、店内は意外に年季が入った居酒屋の雰囲気だった。建物も木造の建物のようだ。

去年の夏に行った銚子漁港そばのみうらに似た雰囲気だと思えた。

座ったカウンター席から見ると、壁に取引先などからの提灯。料理屋ではときどき見かけるものだけど、紙が変色してずいぶんと年季が入っている。ところが、真ん中の「ふじ丸さん江」の額だけは、もっと新しいものだった。

じゃあ、ここは昔は別の名前の店だったが、今の経営会社が買収して店はほとんどそのままで名前だけ変えたのではないかと推測。だから、どうということではなくて、飲みながらそんなことを考えるのも楽しいからだ。

帰りは小田急のロマンスカー。リクライニングシートでうとうとしながら帰るのは気分がいい。指定席は小田原へ着いたときに買っておいた。

ずいぶん短い4両ぽっきりかと思ったら、箱根湯本から来たのと連結して出発した。

昼に飲んできたから晩飯は軽く、コンビニのカレーうどん。