昨日は親の家に1日いて旅行の疲れを回復させる。そして今日は出かける。関西でも行ったことがないところへ行く。今回は大阪府でも南部の岸和田と貝塚。
午前中に先ず、貝塚の水間観音へ行く。南海本線で貝塚まで行き、水間鉄道というローカル私鉄に乗り換える。
終点の水間観音駅。
駅を出て水間寺へ向かう道へ出ると、「えっ!」と思う。有名な神社仏閣の最寄駅からだと、たいていは門前町らしい風景が続くのだが、まるで農村地帯へ向かうような道。
ところが3,4分歩くと、昔からの街並みらしい風景になり、商店街の歓迎看板も現れた。
門前町という雰囲気ではないが、ここからが昔からの水間の集落なのだろう。いろんなところへ出かけると、鉄道駅が昔からの街のはずれにあるということが多い。鉄道を通すとなると土地の確保が必要だから、古くからの街ではどうしてもそうなってしまうようだ。
水間寺に着く。厄除け橋という橋を渡って境内へ。今は境内で工事中。
三重塔と本堂。
本堂へお参り。
三重塔。
境内奥のほうにある愛染堂。
ここは今年2017年、「恋人の聖地」に選定されたということで売出し中。
愛染堂の解説によると、祀られている愛染明王は愛欲染着を本体とする明王だということ。
そして、この愛染明王に係わる伝説として、南北朝の時代にお夏・清十郎という身分の違いを乗り越えて恋を成就させた男女の伝説があり、しかもお堂のそばにお夏・清十郎の墓がある。
そうしたことから恋人の聖地に選ばれたらしい。
水間寺には降臨の瀧という場所がある。本堂のななめ裏あたりであまり目立たない場所だが。
その解説看板。
水間寺の本尊の聖観音が出現したという伝説がある場所。また、この地での一番のパワースポットだという。
水間寺の南側。このあたりが昔からの水間の街の中心だろう。
電車で貝塚へ戻る。次の岸和田は中心部の岸和田駅ではなく、各駅停車しか停まらない小さい駅で降りる予定で、昼飯を食べる場所もなさそうだ。貝塚駅は急行が停まり、貝塚の中心駅だから食べるところぐらいはいくつもあるだろうと予想していた。
ところが駅前広場があるほうへ出ると...
ざっと見まわしてもラーメン屋、牛丼屋、ハンバーガー屋などはまったく見当たらない。実は上の写真の奥のほうに喫茶・洋食の店が3軒あったのだが目立たず、認識できなかった。
それで、写真に写ったよりも左側に大きなショッピングビルが2つあったので、そちらへ行ってみる。だが1つは閉館していて、もう1つは食品スーパーが入っているだけ。古くから続く旧市街は多くの場所で衰退しているというが、貝塚駅のあたりも例外ではないようだ。
やがて、駅前から続く商店街へ。
商店街に面して旧家があったりしてなかなか風情があるが、それよりも食べるところを探さないといけない。この写真の地点からざっと見まわしても食事ができる店は見えない。しょうがないので、商店街を抜けて幹線道路へ出ることにする。確か、大阪と和歌山を結ぶ国道26号線だ。
幹線道路へ出ると、車はそこそこ走っているが主要国道のような混雑ではない。後から調べると、国道26号線は少し内陸部にバイパスルートが開通してそちらに移り、旧国道26号は今は大阪府道204号になっていた。
その府道204号へ出て眺めると、向こうのほうにすき家の看板が見えた。これでやっと昼飯にありつける。
貝塚駅からは600メートルぐらいのところ。
牛丼並とおしんこセット(みそ汁+おしんこ)を食べる。
昼飯を済ませて貝塚駅へ戻る。すき家へ来るときも府道からわき道を見ると、古い街並みが見えたのでそちらを通っていく。そのあたりは貝塚の寺内町だそうだ。
すき家にいるときにスマホのグーグルマップで貝塚駅付近の飲食店を調べると、喫茶や洋食をやっているらしき店が複数出てきた。さっきも通った駅前からの商店街に出て、駅のほうへ行くとそうした店を3軒確認。最初から商店街のほうへ行けばよかったのだが、でも、遠くまで歩いたおかげで貝塚の寺内町へも行って風景を写せたし、それで良しとしよう。
貝塚と岸和田はとなりどうしで、2駅しか離れていない。間の蛸地蔵という駅で降りる。これから行く予定の岸和田だんじり会館や岸和田城は蛸地蔵駅のほうが近い。
そして蛸地蔵駅も見てみたかった。駅舎が大正時代に建てられた洋風建築。
そして駅舎にはステンドグラスが飾られている。
ステンドグラスの絵柄は、かつて紀州の根来衆と雑賀衆が岸和田を攻めてきたとき、無数の蛸によって助けられたという伝説を描いたもの。
蛸地蔵駅や蛸地蔵の伝説については↓のサイトに詳しい。
http://seyana.net/station/430.html
蛸地蔵駅からさきほどの貝塚ですき家があったのと同じ、府道204号へ向かう。商店街は予想通り食事がとれそうな店はない。
これから岸和田だんじり会館、岸和田城、きしわだ自然資料館を回る。
岸和田は通ったことはあるが、市域に降り立ったのは今回が初めて。50代後半まで一度も来たことがなかったのは、大阪南部の南海電鉄の沿線で育ったとはいえ、岸和田を通る南海本線とは別の方向へ向かう高野線の沿線で岸和田や貝塚のほうへは大阪市内へ一度行ってから乗り換える手間があったということもある。
だけどそれよりも、小学生のころ「岸和田は怖い」と意識にインプットされたことが大きいと思う。
今でこそ岸和田のだんじり祭りは全国的に有名だが、自分が小学生だった昭和の40年代は大阪府下のローカルな祭りだった。重量級のだんじり(地車)引いて街を走り、しかもだんじりの屋根の含めて人が乗る。そういう荒々しい祭りだから事故も起きやすく、死者が出ることも多い。
小学生のころ、だんじり祭りという言葉を初めて聞いたのはNHKの大阪ローカルのニュース。家は、朝は時計代わりにNHKを付けていたから、主に朝の時間。
当時、だんじり祭りでは死者が出るのが続いたらしい。そして、昭和40年代ぐらいのNHKは非常にお堅い放送局。思い起こすと、祭りのニュースではなく、危険性を社会問題として扱うものだったようだ。
今なら、祭りの映像が資料映像として流れるだろうけど、当時はそういうこともない。だいたい、放送局で使う録画テープは高価で使いまわしをしないといけない時代だから、大河ドラマや連続テレビ小説といった看板番組でも限られた話数か総集編ぐらいしか残っていないか、あるいは作品によっては全く映像が残っていないという。(NHKがドラマなどを保存するようになったのは1980年(昭和の55年)ぐらいから)
また、当時のテレビニュースでは写真ですらあまり多くは画面に登場していなかったと思う。
どうもそうしたことから、岸和田とは毎年、人が死ぬだんじり祭りという怖い「こと」をやっているところ、というまさに恐怖心が意識に植え付けられたようだ。どうして怖い「祭り」ではなく怖い「こと」かというと、自分のほうも10歳前後の年では祭り一般がどういうものかというイメージも頭になかったからだ。家が郊外の鉄道沿線沿いに昭和の30年代に開発されたベッドタウンとしての住宅街で、古くからの集落ではなかったこともあるだろう。
子供の時に意識に植え付けらたものは後々の行動・思考にも無意識に影響するようで、そのため岸和田という場所を避けてきたようなところがあった。でも、さすがに50代後半になって子供のときに植え付けられた恐怖心も薄れてきたようだ。たまに大阪へ行くなら一度、行ってみようということで今回、生まれて初めて岸和田市街に降り立った。
府道204号(旧国道26号)沿いにある岸和田だんじり会館。
だんじり会館と岸和田城と自然資料館の共通券だと割安なので、それを買う。
だんじり会館の中の展示。撮影はOKだった。
次は岸和田城。
天守閣。
1階と2階は博物館になっていて撮影はダメ。天守へ上がってから4方向を写す。
西(大阪湾方向)。
北(堺・大阪方向)。
東(内陸部)。
南(和歌山方向)。
岸和田城庭園の石庭(八陣の庭)と天守閣。
お城を出て府道204号を渡り、旧紀州街道へ。
その旧街道を少し行くと、きしわだ自然資料館。
展示室は2階と3階。2階は化石に岸和田の地質、動植物などの展示。
3階へ上ると動物の剥製が並ぶ。入口のシロクマが目に入る。
動物の剥製を集めた展示というと、東京上野の国立科学博物館で見たことがあるが、シロクマなども含め、いったい岸和田の自然とどういう関係があるのかと疑問がわく。
見ていくと説明板があって、岸和田市内在住だった蕎原文吉という人のコレクションで、氏の死後、岸和田市に寄贈され今はこうして展示されているとのこと。氏がコレクションをした理由や、かつては私設の博物館に展示されていたことなどは↓のサイトに詳しい。
http://bqspot.com/kansai/osaka/428
ペットボトルの水は飲んでいたが暑い日なので、いいかげん疲れてきた。うまい具合に自然資料館のとなりにアイスクリームやかき氷も出す食堂があった。こふじ食堂という店。
ソフトクリームもあったが席について食べるなら、器に盛ったアイスクリームのほうがいい。注文したのはキャラメルシロップアイス。
あとは旧紀州街道をしばらく歩き、岸和田駅へと向かう。
この蔵はだんじりを保管しているようだ。
おととしの夏休みに愛知県の犬山へ行ったが、そこで見た山車(やま)の保管蔵のことを思い出した。
魚屋町の町名表示板。昔からの町らしい町名。
交差する幹線道路沿いにだんじり祭りの提灯。だんじり祭りは毎年9月中旬なのでもうすぐだ。
幹線道路を渡って振り返ると洋館の建物。大正や昭和初期などに造られた建物だろう。
他にもそうした建物があった。
岸和田駅前から続く商店街と交差するところで駅のほうへ曲がる。駅に近づくと大きなアーケードを持つ商店街が現れた。
アーケードを抜けて岸和田駅前。ここにもだんじり祭りの提灯があった。
今日の親の家での晩飯。今シーズン初めて食べる鱧(湯引き)。