行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2011年5月31日(火)の日記

2011年05月31日 | 日記

何日かぶりで傘を持たなくていい日がやってきたが、仕事が終わって会社の外に出ると寒い。またも季節が逆戻りしたような気候になった。一昨年あたりから、5月頃でもやたらときつい寒の戻りが多いが、異常気象が常態化してきたのだろうか。今年は梅雨入りが異常に早かったし、何か怖い気がしてくる。いずれにしても、今夜は風邪引き要注意だ。

晩飯は南行徳メトロセンターのやよい軒。震災直後に比べたら、だいぶんと灯りを付けるようになった。

昼飯は会社のカフェテリア式食堂で魚を選んだが、晩飯はミックスグリル定食で肉類を多めに摂る。

そして今夜はダンベルで下半身メニュー。


2011年5月30日(月)の日記

2011年05月30日 | 日記

朝の南行徳駅前。

まだ雨は降り続いていたけど、会社に着くまでの間、強い雨の区域には出くわさなくて幸いだった。週初からズボンがぐっしょりでは気が滅入る。

その週初恒例のだるいのは、今日は身体のほうは先週みたいな重症ではなかったが、午後になると頭がボーっとしてくる。おかげで資料の作成にちょっと時間がかかり、帰りも遅くなった。

晩飯は南行徳メトロセンターの松屋。松屋とか吉野家などは、食べに入ったときも、あまり店の写真を写したりしていないが、昨日、吉野家を写したので、じゃあ松屋も写そうかと1枚。

今日はカレー野菜セットにする。


2011年5月29日(日)の日記

2011年05月29日 | 日記

早い梅雨入りと台風接近の雨で、南行徳メトロセンターの被災地応援イベントはどうなったかと思って、開始時刻の11時ちょっとすぎに駅前に着くように出かける。

本当なら、みんな駅前広場でやるはずだったのだろうけど、縁日コーナーの一部だけ高架下入口にくっつけてテントを設営してやっていて、あとは高架下の通路で開催となっていた。

よさこいソーラン踊りは中止で、ポスターにも中止と手書きされていた。

被災地応援イベントなのだから、自分も何か買えるものがあればいいのだが、料理をしない独り者が農産物を買ったら、置いたままになって腐らせるだけだ。ところが、福島の農産物販売コーナー以外に、東京農業大学の学生が被災地やそのほかの地域の農産物を販売するコーナーがあって、そこに甘夏を発見。果物なら、料理せず食べるものだから大丈夫。

1個60円とお買い得だし、4個購入。

平日なら午前11時半頃にでも昼飯を食べるが、少し遅めに起きる休日だとちょっと早い。なので、一旦、家に帰り、午後0時半を回ってから再度、南行徳駅前へ。何を食べようかとメトロセンターを歩いて、今井橋通りそばまで来る。結局、ラーメンの一心亭に入ることにする。

今日は被災地応援イベントと同時に、メトロセンターのワゴンセールも開催。一心亭は缶ドリンクを売っていた。
ランチタイム500円メニューの魚だしみそラーメンを食べる。ランチタイムは小ライス無料。

そのあと、買い物にヤマダ電機とダイエーに行く。雨はずっと降っていて、断続的に強い雨になった。台風は午後に温帯低気圧に変わったらしいが、雨は明日の朝まで続くようだ。

帰って夕方までに、メトロセンターで写した画像でトップページレポートを作ってUPする。

晩飯はバイパスの吉野家。信号待ちをしていたら、この店を写したことがほとんどないことに気が付いて、デジカメを出して1枚写す。

牛丼並コールスローけんちん汁のセットを食べる。

最近、吉野家が牛丼の肉とご飯の量のバランスを何十年かぶりにちょっと変えたというニュースがあった。肉が少し増えて、ご飯が少し減ったらしい。食べてその変化を実感できたかというと、できなかった。しょっちゅう食べている人なら分かるかも知れないが、牛丼を食べるのは南行徳駅前のなか卯が一番多くて、吉野家で食べることはそんなに多くないので、1回食べたぐらいでは分からない。でも、ときどき食べるだけでも、ある程度の期間があれば、変化を感じるかもしれない。

自分が大学生のときから社会人になったばかりの頃は、新幹線はまだ、のぞみ号が出来る何年も前で、ひかり号で東京・新大阪間が3時間10分だった。そのあと、最高時速を10キロ上げたとかで、ひかり号で2時間と50数分になった。でも10分あまり乗ってる時間が短くなっても、最初のうちは着くのが早くなったと実感できなかった。乗るのは夏休みと正月の大阪の実家への行き帰りだけ。それでも、何回か往復していると、前よりも早くなったと思えるようになった。

のぞみ号は東京・新大阪間2時間半で変化の程度が大きかったから、1回乗ってすぐに実感できた。変化の程度による人間の感じかたは、よほど感覚が鋭敏な人でなければ、こんなものだろうと思う。吉野家の牛丼の肉とご飯の量の変化は大きなものではないから、ひかり号がちょっとスピードアップしたときぐらいの感じに近いものだ。だから、たぶん実感するまで時間を要するだろう。


2011年5月28日(土)の日記

2011年05月28日 | 日記

梅雨に入って、この土日は雨のようなので洗濯物のベランダ干しは出来ない。土日で半分ずつやって、脱衣場の突っ張り棒に干して除湿機の速乾モード乾燥となる。

午後は妙典へ映画を見に行く。途中、行徳駅前のCoCo壱番屋で昼飯。

ほうれん草カレーの1辛を食べる。

妙典駅前。雨はやっぱりうっとうしい。

ワーナーマイカルシネマズ市川妙典へ。

右上のほうには予告編などを流すディスプレイが上下に何列にも並んでいるが、節電のためだろう、一部分だけを使っていた。

見た映画はブラック・スワン

4月初めに六本木ヒルズのTOHOシネマズで映画を見たとき、機器トラブルで10分程度、上映が中断した。すると帰るときに特別招待券をくれた。じゃあ、六本木で見ようかと思ったが、TOHOシネマズのサイトで見たら、予約がかなり、入っているような状態。「ブラック・スワン」の注目度は高いようだ。特別招待券はチケット窓口で引き換えるものだから、ネット予約には使えない。六本木まで行って満席だとばかばかしいから、特別招待券は別の作品を見るときにする。有効期限は9月末だからまだ時間はある。

午前中に、ワーナーマイカルシネマズ市川妙典の午後の回をネット予約する。すると、予約の仕組みが変わっていた。シアター内をいくつかにエリアに分けて、指定したエリアからシステムが提示する座席を選ぶ方式だったのが、座席表からピンポイントで選ぶ方式に変わっていた。

これはTOHOシネマズではすでに導入されている方式。ワーナーマイカルも最近、導入したようだ。確かに、このほうが座りたいところを選びやすい。

それで、「ブラック・スワン」の感想。(ネタバレあり)

見ている最中は、
「ホラー映画じゃないんだよ!」
と何度も思ったが、それがラストにつながり、そして、ラストの解釈を観客に委ねているから後に残る。(このことを書くのでネタバレにならざるを得ない)

自分のダンサーとしてのキャリアと引換えに、娘を一流のバレエダンサーにすることだけを生きがいにしてきた母を持つ娘ニナが主人公。大人になっても部屋に鍵をつけてもらえず、常に母親に監視された生活の中で、自傷癖を持ってしまった繊細な女性。友達付き合いも干渉され、男との付き合いなども当然ダメ。そのためバレエの技術は完璧でも、感情を現すことを抑制してしまっていて、白鳥の湖の繊細な白鳥は踊れても、官能的な黒鳥は踊れない。

物語は、ニナが一卵性母娘というべき母との関係を断ち切って、最後に黒鳥を見事に踊るという、一見、ヒロインの成長物語。でも、繊細なヒロインが幻覚か妄想の世界に陥ってしだいに狂気をはらみ、その結果、才能を開花させるという展開なので、ホラー映画ばりの場面が何度も出てきて、そのたびに観客をギョッとさせる。黒鳥を踊りながら、腕に鳥肌が現れて、羽毛が伸び、翼を持つ黒鳥の姿になってしまう場面は、ホラーというより特撮映画だが。

終盤では幻覚と妄想がエスカレートして、役を奪おうとしたライバルと楽屋で争いになり、割れた鏡の破片で腹を刺して殺してしまう。でも、それは妄想だった。ところが、黒鳥を踊り終わって気が付くと、自傷癖がエスカレートしたのか自分の腹を刺していた。白鳥役に戻って最後の幕を踊り終わったときには、バレエの衣装の腹が鮮血に染まっていた。

そこで、コーチである舞台監督が、「救急車を呼べ!」。
横たわったニナは、「完璧だった...」とつぶやいて、意識が遠のいてラスト。

このラストの解釈が二つに分かれてしまう。どちらかは示されず、観客にゆだねられる。

ニナは助かったのか、それとも死んだのか。鏡の破片で自分の腹を刺したとはいえ、最後まで踊り続けられたのだから、すぐに病院へ運ばれて助かっただろうとも思える。でも、かなりの血が出ていたから、出血多量で手遅れになって死んだとも考えられる。

助かったとすれば、苦痛を伴いながらも母親離れをして、自分の才能を開花させたハッピーエンドという解釈になるだろう。

死んだとすれば、一流のバレエダンサーを目指すように仕向けた母親の呪縛から逃れられず、完璧さの実現と引換えの死という、破滅のラストになる。

どちらかと言い切るのは難しそうだ。どちらかの物語が自分の好みに近ければ、そっちのほうだと思うこともできるが、若い頃ならともかく、今は別にそういうのはない。

ただ、破滅のほうのラストを考えると、「巨人の星」みたいだと思えてきた。
主人公・星飛雄馬は、野球選手としてのキャリアを失った父・一徹に無理やり野球選手にされ巨人の投手となる。だが最後は、中日のコーチになって立ちはだかった父相手に、禁断の魔球・大リーグボール3号で完全試合を達成するが、その代わり左腕を潰して選手生命を失う。

でも、「巨人の星」は最終回で父・一徹が飛雄馬に「これからはおまえ自身の人生を生きるのだ。」というようなことを言うわけで、これはまだいいほう。ニナはダンサー生命ではなく、自身の命を失ったわけだから、これだと救いのない悲劇ということになる。

 

夜は居酒屋オンドリへ行く。最初は中生。食べるほうはとり皮の炒めもの

ビールの次は地酒で文佳人。食べ物は釣アジの刺身

次の地酒は中将。食べるほうは和風豆腐

ハイボールは去年から登場しているが、今回、メニューを見ると、オリジナルブレンドの南行ハイボールというのになっていた。

それなら飲んでみようかと注文。オリジナルブレンドがどういうのかは不明、というか聞きそびれた。

アルバイトが1人、急にやめてしまったということで、今日はマスター1人でてんてこ舞いだった。そして雨のわりにお客さんがけっこう多かった。自分がいた間、自分以外に7組ぐらいはお客さんがいた。こういう日は、食べ物のレスポンスは悪くなるので、飲むほうはゆっくり目にする。いつもなら、2時間ぐらいで4品食べてお勘定だが、今日は4品で2時間半あまりかかる。

締めの食べ物はふきの白和え

雨は続くようだし、明日、南行徳メトロセンターが予定している被災地応援イベントはどうなるか。


2011年5月27日(金)の日記

2011年05月27日 | 日記

やっぱり関東は今日、梅雨入りしてしまったようだ。おまけに、明後日から月曜日にかけて強い台風も来そうだ。なんか、踏んだり蹴ったりという感じになってきた。

梅雨入りが早かったけど、中休みが長くて空梅雨で水不足などというのもまた困る。梅雨の期間が長くても、降水量はほどほどであってほしいものだ。

帰りはジャズライブのHot Houseへ。

健康診断も終わったことだし、1週間、がまんしていたアルコールを摂取。晩飯もこの店で。ソース焼そばにする。

今日はHot Houseの土曜のライブへ行くときにいつも持って行く一番大きいデジカメを、通勤の鞄になんとか忍ばせて行く。松井節子さんのピアノソロでのホリーランドを撮らせてもらうため。そして撮影してYou TubeにUPしたのがこれ。

6月12日のチャリティコンサートで松井さんに演奏をしてもらうことを希望していたが、残念ながらプログラムに組み込んでもらえないことになった。店に出演しているミュージシャンに声を掛けて出てもらうわけで、松井さんがいるHot Houseはパーティで言えばホストということになる。ホリーランドはピアノメインの曲だから、ホストがゲストたちより前面に出てしまうことになってしまう。

その代わりというわけではないが(いや、少しはそれもあるが)、前回、動画撮影させてもらったときに、ライブ演奏の動画撮影が初めてで、シャッター(スタートボタン)を押すタイミングがうまく掴めず、曲の頭が切れてしまったこともあり、ちゃんと初めから映っているものをUPしたかったので、お願いしてもう一度映させてもらった。


2011年5月26日(木)の日記

2011年05月26日 | 日記

西日本は平年よりも10日ぐらい早く梅雨入りしたらしい。予報を見ていると、この分では明日か明後日には関東も梅雨入りするのではないかと思える。これはちょっと早すぎ。震災から約3ヶ月経った行徳臨海部の様子を、梅雨入り前に一度、見に行ってこようと思っていたが、梅雨入りとなれば、どこかの土曜か日曜かがうまく晴れ間に入ることを期待するしかない。

それと、日曜日に予定されている南行徳メトロセンターの被災地応援イベントにも影響が出そうだ。

今日の晩飯はなか卯牛丼並と豚カルビとんこつうどんの小うどん版の豚カルビ小とんこつうどん

肉がやや多めの晩飯を食べて今日はダンベル。上半身メニューをやる。


2011年5月25日(水)の日記

2011年05月25日 | 日記

前はときどき買っていたデアゴスティーニの「スタートレック・ベストエピソードコレクション」も、ここのところ「これは!」というエピソードのがなくて、9ヵ月か10ヶ月ぐらい買っていなかった。するともう、刊行予定の最後の5号を残すのみとなった。以後は各シリーズのファーストエピソードとファイナルエピソードを収録したものになる。そうなると、やはり買いだ。

今日は最初のシリーズ「スタートレック」(TOS)の分。

この中にはパイロット版の「ザ・ケイジ」が収められている。これはぜひ見なくてはと思った。スタートレックはアニメ版も含めて全作品を見たつもりだったが、このパイロット版は未見だった。いや、まったく見ていないわけではなくて、TOSの「タロス星の幻怪人」に大部分が再編集されて組み込まれたのを、初めてTOSを見た中学3年のときに見ている。パイロット版を組み込んだと知ったのはずっとあとになってからだが。パイロット版の主人公パイク船長はカーク船長の前任で、エピソードは10数年前のエンタープライズの旅の記録という設定になっていた。

パイロット版それ自体を見るのは今回が初めて。既発売のDVDボックスには収録されているらしい。CS放送で放映があったかどうかは知らない。

「ザ・ケイジ」はエピソードのタイトルで、メインタイトルは"STAR TREK"としてこんな感じで出る。

TOSの「タロス星の幻怪人」に組み込まれた部分には吹き替えがされていたが、元のパイロット版に吹き替え版はないので、今回のDVDは音声は英語のみで日本語字幕となる。

このエピソードが製作された1960年代中頃は、世界的にウーマンリブ運動(女性の社会的地位向上の運動)が盛んだった時代、つまり実社会での女性の地位はまだ低かったわけだが、エンタープライズのブリッジには女性の副長がいたりする。

そしてタロス人。

TOSの「タロス星の幻怪人」は、デアゴスティーニのシリーズに入るものには選ばれなかったようだ。いずれまたスーパードラマTVで見る機会があるだろう。

今日の晩飯はなか卯牛丼ミニはいからうどん


2011年5月24日(火)の日記

2011年05月24日 | 日記

ぐっすり寝たので、昨日のようなひどいだるさは朝には解消。でも、気温の急低下が身体に堪えた感じは残っている。早く、今の季節のノーマルな気候に戻ってくれなくては。

晩飯はしっかりめに食べようと、南行徳を降りてからとんかつのとんきへ。今日のA定食・・ひれかつ、海老フライ、いかフライを食べる。

メトロセンターを歩いて行くと、6月12日のHot Houseのチャリティジャズコンサートのポスターが貼ってあった。今日、見つけのは3枚だった。

公式案内ページによると、チケットは店とつてがあるところ何箇所かで売っているとのこと。ナグラカメラもその一つ。そういえば、2、3ヶ月前、土曜日のライブに行ったとき、テーブルの上に何台かカメラを並べて、そのカメラについて話をしていた人がいた。ママさんがその人に「ナグラさん」(漢字だと名倉?)と言っていたけど、そうか、ナグラカメラの社長さんだったのか。

冷え込みが堪えて、昨日ほどではないがだるさは多少、残っている。でも、そんなにしんどいわけではないから今日は、元気を出してダンベルエクササイズ。下半身メニューをやる。そして、早く就寝しよう。


2011年5月23日(月)の日記

2011年05月23日 | 日記

例年だと6月1日からのクールビズが、今年は震災の影響で節電をもっとやらなくてはならないために、今日から開始となった。ところが、先週後半の夏みたいな暑さから一転して4月上旬並という冷え込み。なんとも皮肉な天気になってしまった。ネクタイをしなくていいのは確かに楽だが。

スーツ姿でもノーネクタイの人の姿は、すでに先週、先々週ぐらいから増えていた。駅や電車で周りを見ると、今日は一段と増えたように思えた。自分の勤務先と同じように今日からクールビズというところも多かったのだろう。

休み明けの日はたいてい、いつもだるいが、今日は殊のほかだるい。昨日と今日の最高気温が10度以上も違う気候の急変の影響か。頭もボーっとしてきて、仕事も効率が上がらない。定時からそれほど間をおかず、今日は帰る。

だるいと言っても、熱があるとか吐き気がするとか、そういうものではない。だから、帰りの電車ではiPodも聞く。晩飯もちゃんと食べる。でも、あまり多くはいらない。なので、ゆっくりと座れて、ほどほどのボリュームで食べることが出来る店ということで、中華ファミレスのバーミヤンへ行く。

ベーコンと旬青菜の炒め半チャーハンセットを食べる。

食べたものの写真を撮って、こうしてブログの日記を書いて載せたり出来るぐらいだから、今日はだるさがいつもより強いといっても、心配はいるまい。早めに床について一晩ぐっすり眠れば回復するだろう。


2011年5月22日(日)の日記

2011年05月22日 | 日記

数日前から作成してきたコンテンツは、昼飯をはさんで午後3時ごろまでに文章を書き上げ、推敲して午後5時前にはUPする。

昼飯はスーパーでの買い物ついでに南行徳駅前へ行って、マクドナルドキチンフィレオのセット。 

昼飯のときは昨日の続きのような暑い晴れだったが、家に帰ってしばらくしたら外が暗くなってきて、一時、夕立みたいな雨の音が聞こえた。午後6時代に晩飯に出たときは空気がひんやりとして、弱い雨になっていた。

晩飯は南行徳公園そばの定食の大谷亭

銀だら照焼きの基本食を食べる。

今日、UPしたのは謎と不思議の部屋コンテンツ。今の臨海部にある物流施設と過去の時代の物流施設だった祭礼河岸を絡めて、いろいろと考えていたことを書いた。アイデアは去年の8月1日の日記-長文だったが、その後半部分に書いている。そのときはオリックス不動産の千鳥町の物流施設が建設中で、今年2月のオープン予定だというのが分かったから、この施設が出来たら他のいろんな物流施設もまとめて写真に撮って、コンテンツとしてまとめようと思っていた。そして2月の最後の週に旧江戸川沿い、押切の祭礼河岸跡などを写し、3月最初の週末には臨海部から江戸川放水路対岸、葛西や荒川を渡ったところの江東区新砂あたりの物流施設もまとめて撮影し、春分の日の連休ぐらいには完成させてUPさせようと考えた。ところがその翌週末に東日本大震災が発生。臨海部の道路などにも液状化の被害が出たりして、作る予定のコンテンツの作成にかかる気もしなくなり、延び延びになっていた。

押切の排水機場が昔は行徳河岸(祭礼河岸)という貨物専用の河岸だったというのは、郷土史の本で読んだことはあっても、実はあまりピンと来ていなかった。行徳で船が着いていた場所というと、やはり本行徳の常夜燈のところがまず頭に浮かぶ。旅客用というのは、それを利用した人の記憶に残るから、語られることも多く、多くの人の頭に残って行く。それに比べると貨物用とか荷物用というのは地味な存在だ。列車でも自動車でも船でも飛行機でもそう。SFに出てくる宇宙船でも、ドラマを作りやすいのは人が大勢乗っている船だから、貨物船というのは乗る人も少ない地味な存在になってしまう。そして、人に乗ってくれるようにアピールする必要もあまりないし、基本、物を入れたり載せたりする場所で、人がいる場所のような明るい照明もいらないから、地味だけでなく、暗いというイメージにもなる。でも、人も物も動くことで、世の中は機能しているのだから、どちらかだけでよいということにはならない。

今回のコンテンツを作って、行徳が過去も現在も、江戸~東京を取り巻いていくつもある中継拠点の一つだと認識したが、なにか惑星の衛星軌道上にある宇宙ステーションのようだと思えた。これは、自分がそうした映画やドラマを好むので、そう思ったわけだが。(小中学校の社会科(地理)で聞いた「衛星都市」という言葉も思い出した。)

映画・ドラマの宇宙ステーションというと、例えばこれ。「2001年宇宙の旅」に登場する地球の衛星軌道上の中継ステーション。

でも、これは自分が抱くイメージとはちょっと違う。きれい過ぎるからだ。まあ、この映画が作られた時代(1960年代中頃~後半)は、科学技術が明るい未来を作るという風潮が強かったせいもあるからだろう。

人や物も集まっては散って行くことが繰り返される場所は、もめごとをはじめ、いろんな事件や問題が起こり、その解決が図られ、さまざまな人間模様が展開する"グランドホテル"ドラマの舞台的だといったほうがよいだろう。そしてそういう場所は、きれいなだけでなく猥雑さもまた存在する。

そんな宇宙ステーションというとやっぱりこれ。「スタートレック・ディープスペースナイン」の舞台である宇宙ステーション・ディープスペースナイン。

「スタートレック」の世界には人工重力システムが存在するという設定なので、宇宙ステーションを回転させて遠心力を人工重力にしているわけではない。

それから、これも。「バビロン5」の舞台である惑星間の外交基地である宇宙ステーション・バビロン5。

「ガンダム」に登場するスペースコロニー同様に、円筒を回転させて遠心力を重力とするしくみになっている。

どちらも宇宙ステーションを舞台にいろいろな事件が起こる"グランドホテル"ドラマが基本だが、それだけだと話が持たないし、アピール力も弱いためか、対立する勢力間で戦争が起こる話を組み込んだ戦記ドラマともなっている。

行徳の地域感、特に江戸や明治の行徳に自分が持つ地域感が宇宙ステーション的というのは、別に毎週放映されるドラマのようにしょっちゅう、何かの事件や問題が起こる場所というのではない。事件がまったくないということはなかっただろうけど、そんなにしょっちゅうというわけでもないだろう。宇宙ステーション的とは、不安定感というものだ。宇宙ステーションは、それ自体で多少は移動できるような機能を持っていても、宇宙船のような高い機動力で動けるわけではない。宇宙船なら、対立する敵勢力や宇宙の異常現象などの危険に遭遇すれば飛んで逃げることができるが、宇宙ステーションはそうは行かない。そして、頑丈に作るにしても限度があるから、どんな攻撃にも耐え続けるということも不可能だ。

行徳の地は内陸の宿場町などと違い、川が運んだ土砂が堆積した州の上にある。つまり、海に突き出して水害の危険に常にさらされている環境にある。これが宇宙ステーションの不安定感と通じるものだと思える。

行徳の歴史についての本をいろいろと読むと、昔から繰り返し津波の被害を受けてきたと書かれている。津波というとつい先日の東日本大震災で発生した津波が頭に浮かぶが、行徳の地が繰り返し襲われた津波というのは、台風や低気圧による高潮のこと。辞書で津波という言葉を調べると、海底を震源とする地震や海底火山の噴火で起こるものとしている。そして高潮を、高潮津波とか暴風津波とも呼ぶと書いてあった。(辞書によってちょっとずつ違うが)
今の時代の人間は津波と高潮という言葉を区別して使っているが、海から水が押し寄せてくる現象のメカニズムが解明されていなかった時代の人たちは、みんな津波と呼んでいたのだろう。