行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2011年6月30日(木)の日記

2011年06月30日 | 日記

南行徳メトロセンターには海の日(今年は7月18日)恒例 大縁日のポスターが貼ってあった。

よさこい祭りのポスターも並べて貼ってあった。大縁日のイベントの一つとして出る予定とのこと。5月29日の被災地応援イベントでもよさこいソーラン踊りが登場する予定だったが、あいにくの雨のために、よさこいは中止となってしまった。海の日ならかなりの確率で梅雨が明けていることだろう。

晩飯は一心亭極太冷し坦坦麺

小鉢で出てきたタレを入れてよくかき混ぜ、いただきます。

けっこう辛いが、冷しなので食べられる。去年の夏は2回食べた。

辛めの食べ物でパワーを補給しておく。明日は月初日のタスクがあるが、部内のジョブローテーションで担当を引き継ぐことになった。説明資料を整えておいて、明日は本番のタスクをやりつつ、一部はやってもらいつつ説明。それが複数タスクある。だから、1人でタスクを淡々とこなすよりもパワーが必要だ。


2011年6月29日(水)の日記

2011年06月29日 | 日記

昼休みにビルの外へ出てみたら、熱風が吹いているような暑さだった。これは、梅雨明け10日の暑さだ。今日の電力は大丈夫かと気になったが、大丈夫だったようだ。万一の時には揚水発電所を動かすという手もあるようだし。今日はこんな暑さだったが、また来週は梅雨空に戻るらしい。今日はまるで、真夏のシミュレーションのような天気だった。

晩飯はなか卯。メニューを見ていたら、牛とじ丼が消えていた。ざるそばだけでなく、牛とじ丼も消滅。

そういえば、ここ半年ぐらい、牛とじ丼を食べても、前ほどおいしいとは思えなくなっていた。どうも具材も味つけも少し変わったようだった。最初は期間限定メニューで登場した牛とじ丼が、2009年ごろにレギュラーメニューとなった時期が、一番おいしいと思えた。

具材が変わって味が落ちて消滅なら、それは商品政策の失敗だろう。でも、どうしてそんなふうに変えたのか、ある疑心暗鬼が生まれてきた。親子丼、カツ丼など調理の手間がかかるメニューを減らしたいので、わざと牛とじ丼の味を落として、売れ行きを落としたのではないかというものだ。でも、これはちょっと勘繰りが過ぎるか。

それで、今日は何を食べたかというと、親子丼冷し小うどん

そして、今夜はダンベルエクササイズで下半身メニュー。

夜の9時半を回ったら、電気のほうはとっくに大丈夫な時間帯なので、エクササイズの間だけ冷房の設定温度を少し低めにする。それでも、やはり昼間の暑さで室温も上がっているから、やっていると息が上がってくる。暑さの盛りはダンベルをやる頻度が落ちそうだ。ここ何年かはずっとそう。ダンベルを始めた30代の頃のようにはいかない。


2011年6月28日(火)の日記

2011年06月28日 | 日記

ジャズライブHot Houseのママの今日のブログを見て、ボーカルの上野尊子さんが4月に亡くなっていたということを知る。

大御所と言われる人だが、自分が聴いたのはHot Houseでだけで、過去の日記を見るとわずか4回だけだった。1回目-2009年6月、2回目-2009年12月、3回目-2010年4月、そして、最後が2010年11月20日。こんな少ない回数だが、歌のパワーが圧倒的だったからだろう、CDでも聴きたくなって、去年の3月には新しく発売になったアルバムを購入した。

全然飾らない人柄で、ステージの合間には、子供の頃はけっこう悪童でいろいろ悪さをしたことを話されていた。また、その話が面白かった。

去年3月に買ったアルバムに収録されていた曲に"Danny boy"があった。元はアイルランドの民謡だが、あちこちで使われるメロディなので、ほとんどの人は聞いた覚えがあると思う。自分もそうなので、じゃあ生で聴きたいと、4月のときにリクエストした。"Danny boy"という曲は、戦場へ行った子を想う親の心情を歌った曲なのだが、尊子さんがジャズを歌い始めた10代の頃、米軍キャンプで歌ったら、「子供がこんな曲を歌ってはダメ。」と叱られたというエピソードも、そのときに聞いた。そして、大ベテランとなっていた尊子さんが歌う"Danny boy"は絶品だと思えた。去年の11月20日にも、何かリクエストはないかということで、"Danny boy"と"Tennessee Waltz"を歌ってもらった。

骨粗しょう症が進んで、去年の暮れか今年の始めぐらいに、ついに車椅子の生活になってしまったということを、Hot Houseのママさんから聞いていた。車椅子の生活をしながら歌い続ける歌手の人はいるし、地域のイベントでジャズではないが、そういう歌手の人がステージで歌う姿を見たこともある。だから、Hot Houseへの出演は無理でも、どこかで"Danny boy"を聴く機会はあるだろうと思っていたが、もはや叶わぬことになってしまった。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。


2011年6月27日(月)の日記

2011年06月27日 | 日記

やはり昨夜のピリ辛料理が効いたのか、今日は週初日のだるい感じはなかった。でも、2日続けて飲んだほうの、なんとなくだるい感じがあった。日曜日の夜に飲むのは、やはりあまりよくなさそうだ。

晩飯は南行徳を降りてから松屋で。牛焼肉の値引き期間は終わって、今は具だくさんカレーのキャンペーンをやっている。

その中から、具だくさんチキンカレーを食べる。

松屋のカレーも何年か前に比べたら、マシな味になってきた。

今日は雨が降って蒸していたが、気温はまだそんなに高くなかった。でも、明日からはまた高温になるらしい。なんだか気が重い。


2011年6月26日(日)の日記

2011年06月26日 | 日記

天気が不安定なようなので、洗濯は昨日と今日で半分ずつに分けてやって、脱衣場干し。洗濯のあと、昨日の湊・水神宮の祭礼のトップページレポート作成にかかる。他にも、前に日曜日に居酒屋オンドリで写させてもらった動画についてのページも作ったので、時間を要し、UPしたのは午後3時前だった。 

昼飯は南行徳駅前へ行ってなか卯ざるうどんを食べる。先週のメニュー切換えと同時にざるうどんもちょっとだけ変わっていた。上に載っていた刻み海苔がごまに変わった。前になか卯のざるうどんの画像があるのは4月25日の日記

午後にようやくトップページレポートと、オンドリのマスターの調理場面動画を埋め込んだオンドリの特レバについてのページをUPする。特レバについて覚えていることをいろいろと書いていったら、「特レバ物語」みたいな感じの内容となった。

特レバの調理、昨日の水神宮祭礼の光景、それからこの前、HotHouseでHoly Landを演奏してもらった光景を動画撮影したのはパナソニックのDMC-FZ50というデジカメ。ズームを手動で操作するタイプで、見た目は一眼レフっぽい大きさだが中身はコンパクトデジカメとそれほど変わらない。でも、かなり細かな設定もできるし、ズーム手動操作は使い勝手がいい。

買ったのは1996年の秋で、秋祭りを写すのにもっと使い勝手がいいデジカメが欲しかったから。液晶モニターはバリアングルだから、人ごみ越しに高く掲げて写すときなど便利。手動ズームで、向こうからやってくる神輿を正面の少し離れたところからズームアップして狙うときにも、すばやく操作できる。

でも、動画撮影機能はは最近までほとんど使っていなかった。去年の夏休みに大阪から戻ってくるとき、新幹線の車中から東静岡の実物大ガンダムを映そうと試みたときぐらい。このときは他の車両に邪魔されて失敗だったが。

動画撮影しなかったのは、関心がなかったせいもある。祭りの神輿渡御や揉みも静止画で一瞬をうまく捉えることに精力を注いでいた。特に、行徳揉みの放り受けで神輿が宙に浮いた場面がそう。動画を公開となればYouTubeだろうけど、それがどのぐらいの使い勝手かということにも、あまり関心が向かなかった。また、使っていた記録媒体のSDカードも、カメラと一緒に買ったのは2GBのもので、その当時の標準的な製品だと読み書き速度もそれほど早くない。また、祭礼で1日写すと、満杯近くになってしまっていた。ところが、去年の秋、祭礼と行徳まつりで3週続けて行事があるので、新しいSDカードを1枚買った。4GBでクラス10という読み書きが早いタイプ。4年の間に買いやすい値段に下がっていた。

そして、今年になって大震災があり、Holy Landという曲をHotHouseの松井節子さんに弾いてもらって撮影させてもらい、YouTubeへ公開するために、初めてYouTubeアカウントを取得。4GBのSDカードの容量(FZ50で使えるのはこの容量が上限)と速さが役に立ったし、YouTubeもけっこう使えることが分かってきた。

実は、YouTubeでの動画公開について、ちょっとした誤解を持っていた。デジカメの動画撮影ではスタート~ストップで1ファイルになるが、YouTubeではアップロードしたファイルは、そのまま公開されるだけで、つなげたり、不要な部分をカットする編集はパソコン側で、売っているものかあるいはフリーの動画編集ソフトを使ってやらないといけないと思っていた。連続して撮影して1ファイルにできるものは、音楽演奏のようなものぐらいしか思いつかない。ところが、YouTubeには動画エディタが用意されていて、アップロードした動画の編集が可能だった。YouTubeができたときからあったものなのかどうかは知らない。タイトルをつけるとか、BGMを入れるとか、いろんな効果を入れるetc.の難しいことを考えなければ、自分が公開したいが、難しい編集もいらない内容のものなら十分に使える。なので、短いカットを何本も撮影して、つなげて1本にすることもできる。

そうなると、いろんなものを動画で映したいという欲求が出てきた。デジカメの動画撮影機能を使うなら、スチルとビデオのカメラを両方持ったりせずに、1台で切り替えて撮影できる。で、まずはオンドリでマスターが特レバを作るところを映させてもらった。そして、昨日の水神宮の祭礼が地域の行事での撮影第一号となった。

20年ぐらい前に小型の8ミリビデオが発売になったときは買っていろいろと撮影した。(最初のうちだけで、その後は、正月に家族親戚が集まるときに映すぐらいになり、10年ぐらいで壊れたあとは新しいビデオカメラは買わなかった。) スチルのカメラでもビデオカメラでも買ったばかりの頃は、あれもこれもと撮影するが、あとから見ると退屈で冗長だったりする。なので、そのころの経験から、昨日の水神宮でも全体として1分か1分半ぐらいにまとまるように考えて、説明的な部分(参拝入口のところとか)は2~3秒ぐらいの短いカットで映し、祠前のお祓いなどの要の部分を10秒~15秒程度で映すようにした。でも、編集でつなげたのを見ると2~3秒のはちょっと短い。3~4秒ぐらいが適当な長さかもしれない。

水神宮の次は湊新田の胡録神社。通勤の鞄に撮影用のデジカメはなんとか入るので、入れて行くつもりだが、あとはそんなに暗くならないうちに帰れるかどうかが問題。日が落ちてすっかり暗くなった場面は、このでかいデジカメでもやっぱり苦手だから。

その一方で、4年あまり同じカメラを使っていろいろと写してきたら、もっときれいに写したいという欲求が湧いてきた。今年の初めぐらいから、デジタル一眼に挑戦しようかと思って、いろいろと調べ始めた。ところが3月の大震災で、そういうことはどこかにふっ飛んでしまった。やっと、落ち着いてきたので、また今のデジタル一眼の商品状況などから調べるのを、そろそろ始めようかと思う。

 

トップページレポートなどをUPしたあとは、先週買っておいたデアゴスティーニのDVDマガジン「スタートレック・ベストエピソードコレクション」を見る。今回のは「ディープスペースナイン」のファーストエピソードとファイナルエピソードが収録されている。

前号の「エンタープライズ」のファーストエピソードもそうだったが、「ディープスペースナイン」のこの2つのエピソードは尺が長いもの。日本では前後編として2話に分けて放映された。アメリカでのテレビドラマの放映は、尺の長いものはそれだけの時間を確保して放映されるらしい。(日本でもNHK大河ドラマをはじめ、初回と最終回は通常よりも尺を長くして、放映時間もそれに合わせるものがないわけではない。)

それで今日はファーストエピソードのほうを見る。ファイナルエピソードのほうは明日以降。

今日見た分では、またもデアゴスティーニが、スタートレックファン(というかこの種の作品好きなマニアックな人間)に対し、憎らしいほどつぼを心得たことをやってくれた。この前の「エンタープライズ」ファイナルエピソードでのラストナレーションに次いでだ。

「スタートレック・ザ・ネクストジェネレーション」の準レギュラーキャラでエンタープライズの転送主任をやっていたオブライエンは、「ディープスペースナイン」に宇宙ステーション・ディープスペースナインのチーフエンジニアで、レギュラーキャラとして登場することになったのだが、ストーリー上は転属ということになる。アメリカ本国で放映された版には、エンタープライズのピカード艦長との別れのシーンがあったということだが(これはネット上の情報で知った)、日本で放映された版では(自分が見たものでは)いずれもカットされていた。それを、今回のDVD収録版ではちゃんと入れておいてくれた。日本語吹き替えもちゃんと入っていた。


こういうのをやってくれるのだから、またこれからもデアゴスティーニの出すものを買ってしまいそうだ。

晩飯は新井三丁目にある中華の揚子江へ行く。この店に来るのは久しぶり。 

昨日も飲んだが、今日も飲みたくなってまずは生ビール。

中華くらげ

そして、鶏肉とピーナッツピリ辛炒め

ビールの後は紹興酒を二合。

締めは炒飯

炒飯についてくるスープ。

ピリ辛メニューでエネルギーを補充したが、さて、明日は休み明けのだるいのはどうだろう。


2011年6月25日(土)の日記

2011年06月25日 | 日記

朝飯時は晴れ間がのぞいていたが、昼頃には雲りになった。でも、予報のように雨が降るか、どうも判然としない天気が続く。

葛西のいつもの床屋へ散髪に行くので、南行徳メトロセンターのロッテリアで昼飯。

午後5時過ぎに湊・水神宮の祭礼に出かける。なんと、青空がのぞいていた。でも、やっぱり天気が気になるので、小さめのカメラバッグではなく、デイパックにカメラと折り畳み傘を入れて出かける。

途中、湊新田の胡録神社前を通る。7月14日の祭礼の案内はもう出ていた。

去年、名前が付いた「胡録714祭り」の文字は見えなかった。今年もこの名前を使うのだろうか。

湊へ着いて、行徳街道に設けられた参道入口を通って旧江戸川沿いに出て水神宮へ。

予報で雨が降りそうだと言っていたが、人出はパッと見た感じ、例年と変わりなかった。

一旦、水神宮まで行って、それから堤防に上がり、屋台の並ぶ前を歩いて戻ってくる。屋台の列の最後近くに来たところで、パラパラと雨が降り始めた。ちょうど午後6時を回ったぐらいのときだった。天気予報を見て、折り畳み傘を用意しておいた人はけっこういたようだ。自分も持ってきて正解だった。

今年は静止画だけでなく、動画も撮影。

水神宮のあとは、串揚げの喜多朗に行く。着いた頃には雨は上がっていた。単なるにわか雨だったようだ。

喜多朗前の道は7月14日の湊新田・胡録神社の祭礼では、道路にずらりと屋台が並ぶ。喜多朗もその日は店頭販売になる。

お通しサラダとお通し小鉢。最初に飲むのはビール小生。串揚げはまず8本コース

ビールの次は地酒の飲み比べセット。東北の地酒で奥の松福来

串揚げの8本コースのあとは、アラカルトで注文。まずはそら豆と黒ゴマつくね

飲み比べセットのあとは、ラベルに千葉の飯岡海岸の絵を印刷した酒を一合。

どこの酒だろうと思って、瓶の反対側を見たら、酒々井の飯沼本家が出している「復興おうえん酒」という酒だった。千葉県内では飯岡(今は旭市の一部)に津波で大きな被害が出たので、その復興を応援するためのものらしい。

串揚げのアラカルト注文で次はいかたまねぎ

一品メニューには九十九里産のいわしの味りん干がある。九十九里に面した飯岡の復興応援の酒を飲んだら、こちらも九十九里産のいわしを食べようと思えてきた。

湊・水神宮の祭礼をトップページレポートにするのは明日。


2011年6月24日(金)の日記

2011年06月24日 | 日記

今日も昼間はかなりの暑さになったらしいが、さいわい、会社のビルの中で、設定温度を高めにしているとはいえ、冷房が効いているので、外の様子は分からなかった。電力が足りなくなりそうなのは、平日の正午頃から夕方までだが、その時間は会社で仕事をしているので、節電でできそうなことといっても特にない。会社のほうで進めている蛍光灯の数を半減するとか、パソコンの設定を変えるとか、それからもう5月下旬から始まっているがクールビズとかそれぐらいになる。

晩飯はバイパスのラーメン屋のめん組へ行く。味噌チャーシューメンを食べる。

メニューをリニューアルしてから初めての味噌ラーメン。味は以前とは変わっていなくてほっとした。そして、やっぱりうまい。

夜はダンベル。今回は上半身メニュー。室温が高いままでやると、身体のためのエクササイズが、身体に悪いことになってしまうから、その時間だけはエアコンを入れて、温度も低めにする。昼間のピークの危ない時間帯ではないし、まあ、一時的にエアコンを強めに入れるのは問題ないだろう。 


2011年6月23日(木)の日記

2011年06月23日 | 日記

昨日は晴天だったのに、今朝は雨。やっぱりまだ梅雨時だ。

晩飯になか卯へ行くと、季節メニューが入れ替わっていた。すだちおろしうどんが昨日から登場したようだ。昨日はいろいろと飲み食いしたから、今日は軽く、そのすだちおろしうどんだけにする。

3月頃からの季節メニューの豚カルビとんこつうどんは終わっていた。先週、もう一回ぐらい味わっておこうと思って食べたが、それで正解だった。それと、ざるそばが一昨日で終売になっていた。うどん屋のそばはあまり人気がないからやめたのかとも思えたが、これから夏本番という時期なのに不思議。これまで、何年もの間、続いてきた夏場のメニューだ。やはり震災の影響で食材の入手が難しくなってきたのではないかと考えた。でも、なか卯の公式サイトを見ても、商品ページにはそばメニューは影も形もなく、なぜやめたのかの説明もなかった。

そのあと本屋へ行くと、「行徳カタログ」の今年版(2011-2012版)が発売になっていたので、例年のように1冊買う。

明日が金曜日で、明後日の土曜日は湊・水神宮の祭礼。でも、天気が崩れそう。水神宮の祭礼の日が雨だったのは、ここ10年ぐらいの間には1度だけだったが、今年は久々の雨天の祭礼になる確率が上がってきた。


2011年6月22日(水)の日記

2011年06月22日 | 日記

昨日の日暮れ時は、雲の様子がちょっと不気味に思えたが、夏至の日の今朝は一転してすっきりした青空になっていた。↓これは南行徳公園のところ。

今日は気温が急上昇して北関東では35℃超えの猛暑日になったらしい。南関東でも暑かった。まだ梅雨だから一時的なものだろうけど、今年は来てほしくない季節が、とうとうやってきたように思えた。

帰りは1年に1度ぐらいのペースで行く、新井三丁目の家庭料理グラン・マへ。帰りの電車の窓から見える店だけど、気になって行ってみたいと思って行くと、不思議と年1回ぐらいのペースになる。前は去年のやはり6月だった。

生ビールとお通し。

かつを刺。この日記に書く食べたものの名前は、できるだけ店のお品書きの表記にしたがっているが、いろんな書き方があるものだ。鰹を「かつを」と書くのもそのひとつ。これまで他でも見たように思うが、やはり珍しいと思える。

旬のものであゆの塩焼。ビールの後はチューハイ。

それから、からあげ。チューハイはもう一杯。

カウンターにいたおじいさん二人がカラオケで演歌を歌い始めた。2年か3年ぐらい前にこの店で2,3曲歌ったことがあるし、横で見ていたら、1曲ぐらいは歌いたくなってきた。ママさんも客商売だから、こちらがそういう気持ちになってきたのが分かったのか、1曲いかがかと聞いてきた。それで、歌ったのがこれ。竹内まりやの「駅」。


歌いながら、店内のテレビディスプレイをデジカメで写す。

竹内まりやは1979年(昭和54年)のデビューで、その年の歌謡大賞とかレコード大賞で新人賞の歌手が出るところをテレビで見たら、「不思議なピーチパイ」なんかを歌っていた。でも、自分がそういう番組を見たのは、やはりその年のデビューで、一目でファンになった倉田まり子を見たかったからで、竹内まりやは覚えてはいるが関心はなかった。

それから10年ぐらいあとの1989年(平成元年)、独身寮を出て、今のところに移った年だったが、部屋も新しいところに来たし、オーディオも新しいのがほしいと思って、オーディオ・ビデオ関係の雑誌を買って読んでいた。すると、竹内まりやのインタビュー記事が載っていて、「リクエスト」というアルバムが2年か2年半ぐらいのロングセラーを続けていると書いてあった。そうすると、初めて竹内まりやに興味が湧いて、買ったのがその「リクエスト」。

これに収められていた曲の一つが「駅」。ジャケット写真を見ると、眉の太さが1980年代っぽい。

平成元年の2年か3年ぐらい前に発売されたアルバムだから、まさに昭和の時代のもの。だから「駅」という曲も、もう20数年前のものということになり、実際、曲の雰囲気は昭和のムード歌謡といったほうがいいぐらい。

自分が高校生だった1977年(昭和52年)から翌年ぐらいにかけて、ニューミュージックブームというのがあった。1990年代の初めぐらいには、まだCDショップにニューミュージックのコーナーがあった。竹内まりやもデビュー当時からずっとニューミュージック歌手の1人に位置づけられていた。

そして、ニューミュージックという言葉もいつの間にか死語になってしまい、今は何と呼ぶのだろう。単に、昔のJ-POPと言うのかも知れない。「駅」もムード歌謡だと思えるようになってしまった。 


2011年6月21日(火)の日記

2011年06月21日 | 日記

朝の番組を見ていたら、都内は雨が降っていた。傘を持って家を出たが、そのときは止んだばかりのようだった。昼間は外は日が差していたから、天気は回復したのだろうと思っていたが、帰りに南行徳を降りると、こんな感じの空。

青空が見えているけど、向こうには雨を降らせそうな黒っぽい雲。このいかにも不安定な感じの空は、少しぐらい晴れても、まだまだ梅雨だということだろう。この写真、午後7時になるちょっと前だけど、まだ明るい。カレンダーを見たら、明日が夏至だった。

晩飯は松屋へ行く。牛焼肉の定食100円引きはまだやっていた。明後日23日の15時までということ。

今日は3種類のうち、キャンペーン期間中にまだ食べていなかったカルビ焼肉定食にする。

このカルビ焼肉はふだん680円で一番値段が高いから、あまり食べないものだが。

今日はダンベルエクササイズで下半身メニューをやる。いつもやる時間は午後9時半過ぎぐらいからだが、今日は午後8時半過ぎにやる。冬場なら、うっすらと汗をかいた状態で、そのままパソコンに向かっていたら、体が冷えて風邪を引いてしまいそうだが、今の季節なら大丈夫。いい加減、眠くなるまでは本を読んだりもできそうだ。