goo blog サービス終了のお知らせ 

行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

当ブログの移転について

2025年04月25日 | 日記

すでに画面上部の表示でアナウンスされていますが、当ブログを書くのに使ってきたgoo blogは2025年11月18日でサービス終了となります。

そのため、当ブログは、はてなブログのサービスに移行することにしました。

移行先のURLは次の通りです。

https://gyotoku-z.hatenablog.com/

 

2025年4月25日時点で、テキスト(文章)部分の移行は終了しており、これまでの全日記を見ることが可能になっています。

一方、画像は表示されていますが、goo blogの画像フォルダへアップロードしたファイルを参照する形での表示です。

移行先のはてなブログは、移行元(goo blog)の画像フォルダから画像ファイルをコピーして移行する機能を提供しており、現在、移行を進めています。

ただし、フォルダサイズの制約等により全画像の移行には4ヶ月余りかかる見込みです。

そのため、こちらのgoo blogで書いてきたほうはサービス終了まで残しておきます。


2025年4月23日(水)の日記

2025年04月23日 | 日記

ほぼ1日ぐずついた天気。雨で日差しがなく最高気温は20度行くか行かないかぐらい。と、外気温はそうらしいが室温は遅れるので、今日は上に何も羽織らなくても快適なぐらいだった。むしろ明日のほうが冷えるかもしれない。

晩飯は豚肉こまぎれとなすとピーマンの味噌炒め。副菜はレトルト惣菜の明太ポテトサラダ。

今日はダンベルで下半身メニュー。


2025年4月22日(火)の日記

2025年04月22日 | 日記

今日は神社仏閣めぐりに出かける。けっこう有名だが、一度も行っていないところを2ヶ所。ひとつは府中の大國魂神社。もう一つは府中から京王線で少し先にある高幡不動。

京王線で府中に着いた。

大國魂神社は参道にけやきの大木の並木があることで知られている。府中駅を降りてから参道で大國魂神社の方向を写したものだが、並木はもっと手前からある。

かつて折りたたみ自転車であちこち行っていた頃、このけやき並木を写したことがあった。いつだったか探すと2010年1月下旬に国立から渋谷まで旧道を選んで走ったときのこと。ちょうど、大國魂神社の鳥居の前で旧甲州街道とけやき並木が交差している。

旧甲州街道を渡り、大國魂神社の境内へ。

鳥居を過ぎ、参道を随神門へ。

随神門を抜けさらに奥にあるのが中雀門。

ようやく拝殿に到達した。

拝殿の背後にある本殿は、村の鎮守などの小さな神社だとこぢんまりとしたものだが、大きな神社なので本殿も立派な造りで拝殿との間に広い庭が設けられている。

鳥居と随神門の間、参道の脇にある建物。

府中市立のふるさと府中歴史館。見学してくる。

府中という名前の由来は、武蔵野の国の国府があった場所で、国府の中というところからということ。展示は国府絡みが多い。

大國魂神社の例大祭は毎年、ゴールデンウィークの時期に行われているということ。そして、名前が「くらやみ祭」。どちらも今回、初めて知った。2階の小さな部屋だが、くらやみ祭についての展示室があった。また、大國魂神社の公式サイト内にも、くらやみ祭の紹介ページがある。


「くらやみ祭」の呼び名は、かつては夜に街の灯りをずべて消して行っていたことから付いたそうだ。御霊移しのとき灯りをすべて消して行うというのはあるが、祭り自体でそれをやっていたというのは初めて聞いた。今は灯りを消すことはしていないようだが、でも神輿渡御が行われる時間は夜の6時から9時だということだ。

 

昼飯時になったので、府中駅そばのけやき通り沿いにあるショッピングビルで食べるところを探す。四川料理の麻辣房という店にした。

メニューのシートは複数あったが、その中の”店長おすすめ”から選ぶ。

Bセットにした。ジャージャン麺+陳麻婆丼+ザーサイ+杏仁豆腐

思ったよりボリュームがあったが、何とか完食。

ショッピングビルのけやき通りとは反対側に出て驚く。そちらが府中駅の正面で、そばばにはロータリーがあってバスが発着し、上部には歩行者用のペストリアンデッキがあって周りのショッピングビルをつないでいる。

自分の府中に関するイメージは、大國魂神社参道のけやき並木の通りがメインストリートというぐらいの、漠然としたものだった。けやき並木の通りがシンボル的な道であることはたしかだが、実際、大木の並木道では駅へ向かう車や人の交通の流動をさばくのは難しそうだ。それで、どうも中心部の再開発で(おそらく京王線を高架にしたあたりと思うが)、駅正面へのメインルートを別に作ったのだろう。

ペストリアンデッキへ上ってみる。写真で左が、さっき昼飯を食べた店があるビル。奥が府中駅。右のビルにはシネコン(TOHOシネマズ)が入っている。

ペストリアンデッキ上の雨除け屋根がある通路には、くらやみ祭の提灯がずらっと掲げられていた。写真の側には見えていないが、観光協会の名前が記されていた。地域の伝統の祭を盛り上げることにも、かなり力が入れられているようだ。

 

再び京王線に乗って次は高幡不動へ向かう。高幡不動のお寺の由来について詳しいことを知っていたわけではないが、むしろ駅名になっていることで関心を引く。

高幡不動駅。

駅前ロータリー脇にある高幡不動への参道入口。

参道はそれほど長くなく、向こうに山門が見える。

参道を抜け、高幡不動-正確には高幡不動尊金剛寺の正面に出る。

参道の商店街から正面にあるのが仁王門。それとは別に、写真で左端に半分だけ写っている総門がある。

参道の正面だし、仁王門をくぐっていく。くぐった先にあるのが不動堂。

仁王門と不動堂は室町時代に作られたもので、重要文化財に指定されているとのこと。

五重塔。これは昭和50年代以降に作られたものだということ。たしか建物の感じが新しい。

総門から続く参道を進むと、大日堂に達する。

大日堂。こちらがこのお寺の総本堂だということ。元々のものは江戸時代に焼失し、今あるのは昭和50年代以降に再建されたものだとのこと。

大日堂の脇を行くと、多摩丘陵の森の中に入っていきそうに思えるが、お寺の敷地の外は住宅地だった。

何十年も前は、お寺の外はずっと森が続いていたのだろう。

総門のほうへ戻る。高幡不動尊は幕末の新撰組との関わりが深く、副長の土方歳三が地元出身ということでその像がある。

また高幡不動の前には新撰組にちなんだ名前の和菓子類を売る店もあった。

土方像の脇を入っていくと弁天池と弁天祠。

高幡不動駅前へ戻り、もう一度参道を見る。すると、ビルが建ち並ぶ中、そこだけが辛うじて昔ながらの姿を止めている状態だった。

駅前ロータリーの反対側を見ると大きなビルが建ち並ぶ街。

古くからの神社仏閣がある街というのは、参道だけでなくその周りの街も最寄り駅も、昔ながらの姿を止めているようなイメージを持っていた。自分が仕事リタイアしてからすでにいくつか、わりと名前が知られているが、まだ行っていなかった神社仏閣へ行ってみたりしている。そして、特に東京圏で懐かしの風景がある場所は、今や多くはないということを認識するようになってきた。ここ20年、30年、再開発などでどんどんビルが建っていった今の状態がこうだということだ。

高幡不動駅は今は多摩モノレールが来ていて、立川に出られるようで、帰りは立川経由で中野から東西線に乗ろうと考えた。モノレール乗り場はどこだろうと思ったら、京王線の駅からけっこう離れている。写真で奥の方にモノレールの線路が見える。

元からの市街地にモノレールを通すにも導入空間がなかなか確保できなくて、それで少し離れてしまったのだろうと思う。

このモノレールは初めて乗った。

立川へ着く。立川は電車で通ってはいるが、下りて駅の外へ出たのは前はいつだったか。30年以上は前だったと思う。1990年代初めごろに昭和記念公園ができて、一度どんなところかと行ってみたことがある。そのとき、行きは立川駅からもそんなに遠くないので歩いた覚えがある。それ以前だと、1980年代の前半、まだ学生のときにも来たと思う。その頃は、東京圏に住んでいるのだからと休日にいろんな街へ行ったりした。

いずれにせよ最後に来たときから30年以上は経っている。モノレールを降り、JRの駅の北口側に来る。今は、ビル間をつなぐペストリアンデッキが作られている。そのデッキ上からの風景。

上の写真のさらに左のほう。

かつての立川駅北口は大きな建物は少なく、もっと空が広かったという記憶がある。30年、40年前は今よりビルが少なかったこともあるが、立川駅の北の側はかつて米軍基地があって、市街地の範囲が限られていたことも大きな理由ではなかったかと思う。米軍基地の土地が日本に返還され市街地が拡がったし、昭和記念公園も返還された土地の一部を使っている。

そうした中で昔もあったと思うビルの方へ行ってみる。並木がある通り。昔も並木があったかどうかまでははっきりと覚えてはいないが。

この通り沿いに「中武」の看板を掲げた商業ビルがあった。どうも地場系の百貨店だったようで、そこには行ったと思う。特に何か買いたいと思ったわけではないが、他に立ち寄るところもなかったからと言ったほうがいい。

その場所へ行くと、ビルの入口上の大看板に「FROM CHUBU」の文字。

ビル壁面に取り付けられた看板にも「FROM CHUBU」(どうも「F」が「P」に見えてしまうが)。

入って上の階までひととおり見てくる。今は(というかおそらくとっくの昔に)すべてテナントを入れた形の商業ビルになっている。

ビル内の壁に貼られていた案内。見るとマップ上に「フロム中武」とあった。やはり、かつての「中武」の名前は残っていた。

帰ってから調べると、Wikipediaにフロム中武の項があった。それによると、最初は1962年(昭和37年)(自分が赤ん坊の頃だ)に中武デパートとしてできた建物だということ。1984年(昭和59年)にフロム中武の名前になってテナント中心のビルになったということ。1984年は自分が社会人になった年。ということは、自分の記憶にあるイメージはまだ中武デパートのころのものだったのだろう。

 

行徳駅へ着いたのは午後6時を少し過ぎたころ。晩飯はポニービル2階のガストにする。

チーズINハンバーグライス


2025年4月20日(日)の日記

2025年04月20日 | 日記

昨夜、床に就こうと思ったら寝室がずいぶんと暑い。それで、大急ぎで夏用のパジャマだけ出す。4月初めに真冬のような寒の戻りになったこともあって、衣替えがまったく意識も上ってきていなかった。そして今日、やっと衣替えをやる。冬用の厚ものを片付け、夏物を出す。スリッパも昨日まで冬用を履いていたが、今日から夏物にした。

数日前の週間予報だと今日は雨マークが付いていたが、その後、よい方に変わった。だけど、昼間は日差しはまったくなし。ただし、明るい曇りで雨を降らせるようなものではなかった。日差しがないし、南西寄りの風が強く、昨日のように暑くない。昨日が温まりすぎなので、ちょっとは冷ましてくれるぐらいがいい。

昼頃の行徳駅前。

この角度はあまり写したことがない。晴れていたらまともに逆光になるためだ。今日は日差しがないので写しやすい。

西友の魚売り場へ行くと、生銀鮭が売っていたので買ってくる。これは養殖もの。生の鮭は今ぐらいの時期と、あとは秋鮭が売り場に並ぶ頃。他の時期は冷凍保存のを解凍したものになる。

2切れ入りだが今日は1切れを食べる。生鮭だからもう1切れは冷凍してもよいが、おいしそうだし、明日にでも食べようか。

今日は鮭と玉ねぎ、アスパラ、ミニトマトをホイル焼きにする。副菜はレトルト惣菜のおさつとかぼちゃのサラダ

食べながら、昨夜のスパークリングワイン-アンディマール スパークリング ブリュットの残りを飲んでしまう。グラス2杯分残っていた。


2025年4月19日(土)の日記

2025年04月19日 | 日記

デスクトップパソコン(Windows10)買い替え用のWindows11パソコンは昨日、BTOパソコンのメーカーサイトで注文した。この8年使ってきたWindows10パソコンも、その前に使っていたWindows7のもどちらもマウスコンピューターのもの。

3,4日で届くかと思ったらゴールデンウィーク明けということだ。前はもっと短かったと思うし、それをウリにしていたという覚えがある。やはり、昨今の人手不足という状況のためではないかと思う。

これまで使ってきたパソコンが届いたのはいつか過去日記を探すと2017年6月17日。その翌日の18日までかかって設定やデータ移行をやっていた。注文したのは6月13日。4日ぐらいで届いていた。

Windows10のは8年安定して使えてきているが、その前のWindows7のは4年程度でおかしくなった。2017年のゴールデンウィークぐらいの時期だが、使用中に突然再起動するようになり、一旦は治まったもが、再び勝手に再起動することが増え、ついに6月中旬に見切りを付けて今のWindows10のを買うことにした。そのWindows7のを買って届いたのは2013年7月6日だった。このWindows7のときからマウスコンピューターで買うようになった。Windows7マシンが4年でダメになったので、10のに買い替えるときに他のメーカーにしようかと思ったが、「ここだ!」と思えるメーカーもなかったので再びマウスコンピューターにした。それでWindows10のが8年使えて安定しているし、それで今回もマウスコンピューターにした。

Windows7のを買う前はWindowsXPのだが、その前のから買い替えを決断したのが2008年5月26日で、届いたのが6月1日。このとき買ったメーカはやはりBTOのところでSOTECだった。それにしても、かつてはBTOのメーカーは届くのが早かった。

昔のような感覚で、来週半ばには届いて設定やデータ移行に入れるという前提で予定を考えていたが、それは見直し。新しいパソコンが来て使えるようにしてからこのブログの引っ越しと思っていたが、前倒しも検討しようか。その前に、goo blogが推奨している2つのブログサービスのどちらかにするか、それとも他のサービスか、手順はどうなるのかもまだ詳細に見ていないから、それもやっていかないといけない。

パソコンの設置、設定、データ移行などは時間があるから、手順を詳細に詰めておく余裕はできた。

 

昼飯は行徳駅前へ。季節は進んでいて、歩道の植え込みのツツジは花が開き始めている。行徳駅前通りで。

ちばぎんの裏側、前はラーメンたかし屋があったところについ最近オープンした百年味噌ラーメンマルキン本舗~JIN~へ行ってみる。12時半を少し過ぎたころだが、特に行列はできていなくてすんなり入れた。

最初だし、一番オーソドックスなものということで、店名にもなっている百年味噌ラーメン(900円税込)にする。

まあ、いける感じ。味噌スープは残り少なくなるまですすってしまう。自分はやはり味噌ラーメンが好きだと思う。10代だった1970年代が味噌ラーメンブームの時代で、ラーメン専門店=味噌ラーメン(札幌味噌ラーメン)の店だったことがずっと影響している。

外気温は一昨日ぐらいから上がってきたが、一昨日の室内は羽織るものがいるぐらい。昨日は羽織るものはいらなかったが、外ほど暑くはならなかった。だけど、今日は室温が外に追いついてきた。冷房はまだ何とか使わなくてもいいぐらいだが。

 

夜は映画を見ながら家飲み。今回は白のスパークリングワイン。スペインのアンディマール スパークリング ブリュット。498円(税別)のもの。

メインのつまみは冷凍のアヒージョで、エビとポテトのアヒージョ

パッケージに記された調理方法ではオリーブオイルは80g(大さじで6杯)となっていたので、その分量を入れたがどうも多すぎる感じだ。その半分ぐらいでよかった感じ。

チーズと海苔、自家製のきゅうり1本ピクルス。

締めはコンビニものであさりのボンゴレスパゲティ


2025年4月17日(木)の日記

2025年04月17日 | 日記

朝は外へ食べに行く。1月に引退生活に入ってからときどき行くようになった。いろいろな店に行ったが前の前の日曜日で一巡した。今回は1月上旬に最初に行った行徳駅前のドトールコーヒーに行く。と言っても、別に一巡目と同じ順番に回ろうと思っているわけではない。これからは、そのときどきの気分で行く店を選ぶことにする。

初回のときは冬至からまだ半月程度の時期だったが、約3ヶ月経って4月になった。朝の光景がどう違っているかも見たいので、初回のときと同じぐらいの時間に同じドトールへ行くことにした。

朝7時40分すぎの行徳駅前の北口側。

1月上旬はビルの上部に日が当たり始めるぐらいだった。

ドトールコーヒーの店舗も1月はビルの陰で日が当たっていなかったが、今は当たっている。

モーニング・セットB パストラミポーク&ポテト。ドリンクはブレンドコーヒーS

 

今日はWeb(行徳雑学館)の更新。これまで「食の部屋」と「食の部屋(過去分)」に分けていたのを統合して「食の部屋」にした。去年の夏ぐらいから、仕事リタイアしたらやろうと思っていた。

食の部屋は最初は自分のお気に入りの店を紹介して応援することが目的のページ。かつては南行徳に住んでいたから、どうしても南行徳エリアの店が中心になっていた。2016年に行徳エリアに引っ越すと、東西線開通時にできた駅の周辺は店が多い。いろんな店に行くようになったので、食の部屋は店に行ってブログ日記に書いた(いわゆる「食レポ」をやった)日の分にリンクする構成にした。それは、引っ越した年の2016年以降でまずやったが、その後、どんな店があったか記録しておこうと思い、過去分のほうも作った。

ここ数年はブログ日記での食レポが減った(特に飲む店)。コロナ禍で外で飲むことが減ったこともあるが、やはり自分が還暦を過ぎて高齢になってきたことのほうが大きい。だから、コロナ禍が過ぎてもかつてのような頻度で飲みに行くのには戻らない。

そして、飲み食いだけでなく活動力自体が年齢とともに低下してきたことを考えて、昨年末に仕事リタイアしたあと、今年初めにWebサイトのスタンスを”記録と蓄積”に変えた。というか、これも仕事リタイアが近づいてきた昨年の夏ぐらいから考えていたこと。年が明けて落ち着いてからまず「生活の部屋」の刷新に取り掛かり、それが終わってから「食の部屋」の統合に着手した。現役の店も過去に存在した店も特に区別せず載せるようにする。

ところが、完了間際の今週の月曜に、いきなりブログ日記を書いているgoo blogのサービス終了のお知らせが画面に表示されるようになった。「食の部屋」はブログ日記へのリンクで構成しているのだから、まさに水を差された格好。どうしようかと考えたが、計画通りに統合を完了させてUPすることにした。

ブログのほうは他のブログサービスへの引っ越しをやろうと思っているが、それが終わったらリンクの貼り直しに取り掛からないといけない。ブログへのリンクを中心に構成しているコンテンツは、「食の部屋」ともうひとつ、屋根裏部屋コンテンツの旅したところ・訪ねた場所ぐらい。時間はかかるが、他のコンテンツの見直しなどと並行して取り組んでいくしかない。goo blogのサービス終了で見ることができなくなるのは11月18日だから、それまでにはなんとかできると思う。日記上の日付は分かっているのだし、それを元に作業はしていける。

その前に今、使っている8年前のWindows10パソコンをWindows11パソコンに買い替えるのをやろうと思う。「食の部屋」の統合が終わったら次はそれだと考えていた。その次がおそらくブログ引っ越しになるだろう。

 

晩飯は前にイオンで買ってあった冷凍の魚ものでさばの味噌煮。副菜にフジッコのおばんざい小鉢の彩りこうや

これからやることはいろいろあると書いたが、今日は準備に時間がかかったWebの更新も終わったことだし、晩飯のあとは録画してある映画をゆっくり見る。


2025年4月16日(水)の日記

2025年04月16日 | 日記

昨日はコンビニへ行くぐらいしか外に出なくてあまり意識しなかったが、関東全般にかなり強い風が吹いていたようだ。今日は空は快晴になった。ただ、たぶん昨日ほどではないだろうが風はちょっと強め。

昼飯は外へ。行徳駅前通りが市川南消防署の通りと交差するところ、街路樹のハナミズキは白い花が咲き始めていた。季節はやはり進んでいる。

昼飯は行徳駅高架下の日高屋唐揚げ定食

晩飯は家で作る。豚肉こまぎれとピーマンと玉ねぎのキムチ炒め。副菜にレトルト惣菜のポテトサラダ。

今日はダンベルエクササイズ。上半身メニューをやる。


2025年4月14日(月)の日記

2025年04月14日 | 日記

このブログ日記の画面を開くと、いきなり最上部に赤いラインが現れ、「goo blog サービス終了のお知らせ」と出ているので驚く。

そこをクリックするとgooサイト内のお知らせページが開く。

読んでいくと、終了は11月18日。ただし、これは見ることはできる期限。記事の投稿は9月末までということだ。

あまり手を広げてもきついだけなので自分はSNSに手を出さなかったが、今のSNS中心の時代にはブログという仕組みの情報発信手段としての役割が低くなっている、すなわち、サービスを運営している企業の体力も限界にきている、ということのようだ。

新規投稿の終了までまだ半年弱あるが、それまでに対応方法を考えて実行しないといけない。昨年末に仕事リタイアしたのを機に自分のネットでの地域の情報発信は、”記録と蓄積”に力点を移すことにした。これは、リタイアで時間が多く取れるようになることよりも、自身が高齢になり活動力が低下してきたことが大きいため。それで、ブログはこれまでも今後も記録と蓄積の重要な手段だと思っていたから、サービス終了になるというのは正直、ショックな話。

他のブログサービスへ移行する手段は提供されるというから、移行を考えるべきか、それとも、これまでの蓄積分を何か別の形にして参照するように変えるか etc. 考えるのはまだこれから。

それにPCの買い替えがある。去年買ったノートPCはWindows11だが、家のデスクトップのほうは8年前のWindows10マシン。Windows10は今年の秋でサポート終了なので、その買い替えもそろそろ考えようと思っていた。

なんかやらなければいけないことが、次々に増えてくる。

 

今日は外で飲もうと思っていた。goo blogの件がなければそれが今日の日記のトップになっていただろう。

午後6時すぎに出かける。行徳駅前二丁目の行徳駅から南への商店街にあるたくみやへ。

お通しと生ビール。

最初の注文は2品。まず来たのは地金目刺

金目鯛というと伊豆や銚子で食べるものというイメージがある。東京圏の小さい居酒屋に出回ることはなかなかないと思うが、それだから機会があればやはり食べたいと思う。

もう1つは天豆。豆だけを出してくる店が多いが、こちらでは茹でたあとさやも一緒に出てきた。

ビールを飲み終え次は地酒で松尾自慢

松尾自慢前回来たときも飲んだが、おいしかったという記憶があるので今回も飲む。山武市にある松尾銘醸の酒。

次のつまみはとり塩焼

飲むほうはもう1杯でレモンサワー


2025年4月13日(日)の日記

2025年04月13日 | 日記

今日1日だけの寒の戻り。雨で日差しがないためか最高気温が15度ぐらいまでしか上がらないということ。明日は20度超に戻るというし、1日だけなら室温は急に下がらないので今日は暖房を使わなかった。

そして、この週末には冬用のものをいろいろ片付け始める。昨日は出かける前にダウンジャケットやコートをクリーニングに出してきた。今日は加湿器の片付けを開始。まずは水タンクやパーツ類を水洗いして汚れ落とし。水タンクは内部が乾きにくいので、2日か3日置いておき、そのあと箱に入れることにしよう。

昼頃、買い物に行くが、そのときは雨が降っていた。木曜日に買った傘を初めて使う。

行徳駅前二丁目の商店街。

サンドラッグのところの交差点で、角にあったとんかつのひこ田は店の建て替えのため、3月末で休業になったが、もうさっそく解体が行われていた。

建物上部の解体は終わり、続いて基礎部分を取り去る段階のもよう。

サンドラッグの向かい(マルエツの斜め前)の以前は店舗用建物があった場所は、3階建ての診療所・調剤薬局ができるということで鉄骨造りの建物が工事中。2月下旬には鉄骨が組み上がっていたが、今は壁や外階段が取り付けられた状態になっている。

 

仕事リタイアしたら読もうと思っていたもののうち、郷土史家鈴木和明氏の著書でハードカバーのものが5冊ある。その最初の1冊「『葛飾誌略』の世界」を今日ようやく読み終えた。約3ヶ月要した。

「葛飾誌略」はかな漢字交じりの文章で、しかも解説が付いている。ところが最後まで来たところで巻末資料があったのだが、それが江戸時代に書かれた「塩浜由緒書」と「塩浜由来書」の2つ(どちらも元は「市川市史」に納められていたもの)。この2つにここしばらく苦戦していた。どちらも漢文で、しかも資料だから解説なし。

高校の古典で古文、漢文や漢詩の読み方を多少は勉強したし、漢字は表意文字だから一文字一文字追いかけていけば、完璧とはいないものの、おおよそ何を言っているのかは分かった。だけど、その手前のかな漢字交じり文章+解説を読むのと同じペースでは読めなかった。

そして、もうひとつ感じたのが江戸時代の人の教育水準の高さ。「塩浜由緒書」は当時の代官、つまり武士階級の人物が書いたものだが、もうひとつの「塩浜由来書」は村の名主という立場の人、つまり農民階級の人によるもの。しかも、「塩浜由緒書」は(「『葛飾誌略』の世界」のサイズで)4ページだが、「塩浜由来書」は20ページある。

江戸時代の庶民階級では寺子屋で子供の教育が行われていたというのは、学校の教科書に書いてあったので知っている。また、江戸末期から明治初期に日本に来た欧米人が、日本の一般庶民の教育水準の高さに驚いたという話を、書き物やテレビ等々で聞いたこともある。だけど、具体的にその教育水準がどれぐらいというのは、実際触れることがなかなかない。今回、市井の人が書いたという長い漢文で、その一端を見たように思えた。

それともうひとつは、行徳地域の水による災害の多さ。特に高潮(という言葉は当時は使われていなかったが)と江戸川の氾濫や洪水。そして、「塩浜由来書」の記載の多くは、災害で塩田が破壊される度に、当時の行政機関である幕府の下部組織である代官所から援助を受けたことだ。

さて、「『葛飾誌略』の世界」が終わったので、次は「『葛飾記』の世界」になる。

「『葛飾誌略』の世界」は序からあとがきまで約360ページだが、「『葛飾記』の世界」は230ページ余り。その分、読み終わるまでは早いかもしれない。

地域の歴史の本以外に読もうと思っていたのが、「スタートレック・ファクトファイル」。2000年代に全冊買ったファイルマガジン「週刊スタートレク・ファクトファイル」をばらし、バインダー27冊に格納した。それも、年明けから読み始めたが、今はまだバインダー2の途中。

バインダー2に入れたうち前半分は「STAR  TREK Timeline」、つまり作品世界の年表。タイムライン上にテレビシリーズと映画作品のエピソード概要を配置したもの。このファイルマガジンで大部分は1枚の裏と表の両面で2ページだが、年表は見開き2ページなので裏と表で4ページ分になる。これで読み進めるペースが下がっている。

この年表部分を読むのは今の時点で9割を超えている。あとしばらくすれば、1枚2ページのコンテンツになるから、読むペースが上がるだろう。でも、まだもっと先だが、宇宙船や宇宙基地などのメカの解説コンテンツは、見開きで2ページあるいは3ページのものが大部分。そこに到達したら再び読むペースが落ちそうだ。

 

晩飯は冷凍揚げものにする。ヒレカツ2個、あじフライ1個、いかフライ1個。


2025年4月12日(土)の日記

2025年04月12日 | 日記

今日は出かけてくる。目的地は都内でアークヒルズ。六本木ヒルズや虎ノ門ヒルズなど○○ヒルズを初め、そのほかのさまざまな都市再開発のさきがけとなった施設。名前に地名が入っていなくて、どこにあるのか分かりにくいためか、赤坂アークヒルズという呼び方もされているようだ。しかし、公式サイトには「アークヒルズ」としか記されていない。

完成してオープンしたのは1986年(昭和61年)。自分が社会人になって3年目で、今から39年前になる。当時はメディアに多く取り上げられトレンドスポットになっていた。そんな前からある施設だけど、一度も行っていなかった。いや、かすめたことはある。折りたたみ自転車であちこち行っていた頃、都内のポタリングで前を通ったことがあった。いつだろうかと思ったら2009年の7月のとき。あらためて読んでみると、アークヒルズ内へは入っていなかったが、夏の暑いときで入口の植込みのところに座って一休みしたと書いてあった。

アークヒルズへなかなか行かなかったのは、当初、鉄道アクセスがなかったことが大きい。オープン以後は長い間、千代田線の赤坂駅か、日比谷線の神谷町駅から10分程度歩く必要があったとのこと。その後、1997年(平成9年)に南北線が北から伸びてきて溜池山王まで達し、同時に銀座線に溜池山王駅ができてアークヒルズに行きやすくなり、さらに、2000年(平成12年)に南北線が目黒まで伸び、そのときにアークヒルズのそばに六本木一丁目駅ができたということ。

今日は銀座線で溜池山王まで行って、そこからアークヒルズへ向かう。

溜池山王駅からアークヒルズまでは長い地下通路でつながっている。

どうせなら地上の風景を見ながら行ったほうがいいので地上へ出る。次の写真の道の下をさっきの地下通路が通っている。高いビルが多いが、奥にそびえているのがアークヒルズのいちばん溜池山王側にあるANAインターコンチネンタルホテル。

できた頃はそうではなかったのかもしれないが、周りに高いビルが多い今はどの範囲がアークヒルズなのか、ぱっと見ただけでは分かりにくい。

ANAインターコンチネンタルホテルのところに達した。ここからがアークヒルズの範囲。

アークヒルズの範囲との境界になっている道には「桜坂」という名前が付いていた。ただ、都内の桜はもうほとんど葉桜。

ANAインターコンチネンタルホテルのロビーに入ってみた。写真で左端のほうだが、結婚式のカップルの撮影をやっていた。

ホテルの隣がオフィスビルのアーク森ビル。

2階デッキでアーク森ビルの脇へ入っていくと広場が現れた。そこの壁に記された「ARK HiLLS」のロゴ。
 

アークヒルズのコンセプトに「職住近接」があるということだが、アーク森ビルが「職」、広場越しに見える2棟のマンションが「住」になっている。ただし、かなりの高級マンションらしい。

壁面ロゴのところから広場を見ていくと、すぐ隣が池。上から水を落としているのは滝をイメージしたものだろう。

池の隣がクラシック専用のコンサートホールであるサントリーホール。


客席に囲まれる形でステージがある作りだと、オープン当時から聞いていた。どんな感じか見たいと思ったが、使われていないときは扉は閉ざされている。

なお、広場の名前は「カラヤン広場」ということだが、やはりサントリーホールがあるので、有名な指揮者だったヘルベルト・フォン・カラヤンにちなんだ名前にしたのだろう。

そのカラヤン広場の大屋根部分ではイベントが行われていた。

ヒルズマルシェとのこと。

マルシェをやっている広場の、アーク森ビルの反対側はテレビ朝日の施設。

テレビ朝日の本社は六本木ヒルズにあるので、こちらは分室のようだ。

サントリーホールとテレビ朝日施設の間に、上へ上っていく階段がある。

サントリーホールの上部にあるのがアークガーデン。都市内でも緑地を多く設けるのがコンセプトの一部だということ。

アークガーデンからさらに上へ上っていく階段があった。上って行ってみる。

ところが、途中でゲートが閉じられ先へは入れない。

ゲートの掲示に書かれているが、「野鳥保護等のため平素非公開」ということ。

非公開だが手すり越しに写すことはできる。

写してから視線を上に向けると、超高層のビルが2棟。アークヒルズができた1986年にはなかったが、その後いろんな再開発が行われ、建てられたものだろう。

そこそろ昼飯時。アークヒルズは六本木ヒルズと比べると、ビジネスの比重が大きそうだ。アーク森ビルの下層階はレストラン街になっているが、平日だとビジネスパーソンで混むだろう。だから、そんなに混まないだろう休日に来た。だけど、純然たるビジネスエリアなら飲食施設も休日は休みになる。マルシェのようなイベントをやっていたり、サントリーホールがあるから、アークヒルズのレストラン街は休日でもやっている。

いろいろ店を見てみたが、場所柄やはりどこも高い。それで、高めとはいえ一応、ランチメニューをやっている店に入ることにした。THE CITY BAKERY BRASSERIE RUBINという店。

サーモンの石窯レアロースト(パン、ドリンク付き)。

税別で2,400円だが、やはりおいしい。レアローストのサーモンは、焼鮭というよりもサーモン刺しに近い感じだった。

ドリンクは紅茶にしてアールグレイをHotで。

食べ終わって店を出ると、サントリーホールで今日の公演時間が近づいたようで、扉が開けられお客さんたちが向かっていた。

ホールの作りを見に入るだけでもできるかと思ったが、入口でチケットチェックということなので、諦めることにした。

アーク森ビルの1階に下りてみた。ここが平日にビジネスパーソンが出勤して通るところだろうけど、セキュリティゲートが設置されている。

2階通路にあるトイレへ行こうとすると、エレベーターホールに入るところにもセキュリティゲートがあった。

このビルができた1986年頃だと、自分の勤務先もそうだったが、セキュリティについては今よりずっと緩かった。ICカード式の社員証をセキュリティゲートの読み取り部分にかざして通るようになったのは、もっとあとの時代だ。だからアークヒルズでも最初からあったものではないだろう。Wikipediaのアークヒルズの項を見ると、非接触式ICカードを使うセキュリティゲートの設置は2002年で、国内の賃貸オフィスビルでは初めてだったということだ。

アーク森ビルのところから連絡ブリッジを通っていくと、アークヒルズサウスタワーがある。これはあとからできたものようだ。Wikipediaのアークヒルズサウスタワーの項によると2013年とのこと。

連絡ブリッジが跨ぐのがスペイン坂。ここも桜並木があって今は葉桜。

スペイン坂を渡り終わると、南北線の六本木一丁目駅の入口があった。

アークヒルズサウススタワーの2階部分。あとで南北線に乗る前に見ると、地下1階にレストラン街があった。

アークヒルズサウスタワーの隣に別の超高層ビル。これはアークヒルズの一部ではなく泉ガーデンタワーという住友系のビル。

泉ガーデンタワーの下層階にもいろいろ店がありそうだし、さらにこの脇を抜けて少し行くと、アークヒルズ仙石山森タワーがあるようだ。

だけど、あれもこれもと欲張るのはやめておくことにする。都内ならいつでも来ることができるから別の機会でよい。あまり欲張ってあちこち見て回ると、この日記を書く分量が多くなる。そうなると、書き終わるのが日付が変わってからになり、睡眠時間が短くなってきつくなる。

今回は早めに帰ることにして、六本木一丁目から南北線に乗る。ひとつだけ書いておくと、南北線は1990年代に開通したときからホームドアが設置された。しかも、写真のような上部までガラスの壁になっているタイプ。


もし、自分が10代のガキの頃にこういうのがあったら、未来的なかっこいい設備だと思っただろう。でも、1990年代は30代。先進的な設備だとは思ったが、「こんな金がかかりそうなものが、果たして広まるのだろうか?」と感じた。実際その後、普及したホームドアは、あちこちで見かける胸の高さぐらいの壁とドアにしたもの(今日の日記で最初の画像の銀座線溜池山王駅のようなもの)だ。

帰りに鶏もも肉などを買って帰る。冷凍室にあるしめじとスライスした玉ねぎとで晩飯のおかずにするため。そのつもりだったので、昼飯は魚にした。

その晩飯。鶏もも肉としめじと玉ねぎのケチャップ煮。副菜はレトルト惣菜のごぼうサラダ。